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怪談屋  作者: 伊藤修平
徒桜の怪
12/15

幕間

 カラカラ、と風呂の戸を引く。

 ほんの少しとは言え、雨に濡れた身体は冷えていた。初夏とは言え、未だに夜更けの空気は冷たい。

 (ようや)く、浮き足立っていた白昼夢から、地に足をつけられた気がする。長い、長い一日だった。

 キュ、とノブを回すと、丁度よく温まったお湯がシャワーヘッドから注がれる。ゆらゆらと湯気が不規則に踊る。

 ざぁ、と背中に当てる。不思議と、温まるのは体の内側からだ。皮膚が冷たい(まま)、熱に挟まれているような感じがする。

 二、三分程だったろうか。全身の皮膚がほんのり赤みがかる。心地の良い温もりに私はなった。


 矢張り、私の現実はここだ。


 ここ数日、おかしなことばかり起こって気が滅入っていたのだろうか。気付けばほろほろと、目尻から涙が(こぼ)れていた。

 今になって、あの時の恐ろしさが遅効性の毒のように回ってきたのかもしれない。

 そうだ。

 生きてる。

 私は、生きてる。

 この(よわい)にして、享年を刻むような事が無くて本当に良かった。

 恐ろしいものは、矢張り安全なところから観測するくらいが丁度いいのだ。そこに足を踏み込んでしまえば、立ち所に引きずり込まれる。酸素も光もない汚泥のような暗闇に。

 (なんじ)、心せよ。深淵を覗く時……か。


 今日はなんだか、頭を洗う時に目を(つむ)ることが出来なかった。背後に何かいるような気がするからとか、そんな理由ではない。

 目を瞑ると、先刻のあのことを思い出す。目を瞑る直前まで見ていた(おぞま)しい光景、気色の悪い音……そして。

 ギュッと不意に自分の体を自分で抱きしめてみた。

「死んでも護る」と、本気で言ってくれた彼を、私は私の吐いた嘘……偽の怪談の影響で命の危機に晒してしまった。


 (ののし)られれば良かったろうか。

 (そし)られれば良かったろうか。

 純粋に私を受け入れてくれた彼の所為(せい)だろうか。胸がチクチクと痛む。


 彼に比べて私は。


 そんなことばかり思ってしまう。これも一人相撲に過ぎないとわかっていながら、逃れられない強迫観念の様に脳髄を支配する。本当に罪なものは、罪のない神聖なものなのだろうか。それらは、ありもしない罪を感じさせたり、本来以上の重さに罪を錯覚させるだろうか。

 比することの愚かさは、比較的という言葉の内包する危うさは、きっと、平均を大きく凌駕する何かしらに()って体現されるのだろう。


 ふと、そんなことを考え(なが)ら、私は身体の隅々まで綺麗にしていった。

 少しでも(けが)れを落とせるように。


 湯船に張られたお湯に爪先から足を入れると、軽い水音を立てて水面に波紋が広がる。


 結局、対処療法のようなものだ。あくまで生まれた怪異を一体、消し去ったに過ぎない。嘘の怪談が実現した要因も条件も分かっていない。それに、未だ国木田先生だって───。


「あ」

 そこで漸く思い至った。

 若しもあの怪談の通りに消えたとすれば、国木田先生がいるのはあの女の怪異によって連れ去られた先……。つまり、あの怪異が消え去った今、国木田先生のもとに向かうことは不可能だ。


 てっきり、あのチョーカーはその為のものだと思っていたが、虎さんの発言から察するに、あくまでも保険で、私達を即座に回収、乃至(ないし)事態へ対処するための道具のようだった。

 私が予測していた用途とはてんでかけ離れている。


 神隠しに意図的に遭わせて国木田先生を探索し、そのまま私と国木田先生をどうにかして連れ戻す、という作戦だと思っていたのだが……。


 とは言え、今回の一件でわかった。怪談屋はプロだ。他に何かしらの考えがあるに違いない。

 兎に角今は、ゆっくりと体を休めよう。


 そう思って私は大きく息を吸って吐いた。

 心()しか、身体が軽くなった気がする。


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