第37話 鉄の追跡者と、黒い拳の介入
後ろから聞こえてくるのは、人の足音じゃない。
油を吸った革がきしむ音でもない。鎧が擦れる音でもない。
きゅう、と短く鳴る油圧。
ぎち、と関節が噛む金属。
ずるり、と床を引っ掻く硬い靴底。
機械の群れが、同じリズムで迫ってくる。
「……来てる」
レイの声は小さかった。
振り向かなくても、背中に貼り付く圧が分かる。
ここは旧い通路だ。岩盤の隙間に、後から人が削って作ったような細い道。壁も天井も低い。崩落の粉がまだ舞っていて、肺がひりつく。
逃げるには最悪。追うには最高。
俺は前を見たまま、息を整えた。
「数は」
「多い。5以上。もっといるかも」
短い会話で終わる。言葉を増やすほど、呼吸が乱れる。
角を曲がった先で、道が少しだけ広くなる。幅が増える分、挟まれる余地も増える。
そこへ出た瞬間だった。
白い光が弾けた。
頭上の照明が切り替わり、暗闇に慣れた目を焼く。反射で、俺は半歩遅れる。
次の瞬間、床を滑る音がした。細いワイヤー。
足首に絡む寸前で、俺は大剣の鞘を床に叩きつけた。
カン、と硬い音。ワイヤーが跳ね、床を這って外れる。
「拘束」
レイが短く言った。
同時に、正面に影が立つ。人間の輪郭。だが人間の動きじゃない。
骨格の外側に、もう1段の骨がある。強化外骨格。関節の脇からケーブルが伸び、胸の装甲に吸い込まれている。
前に出てきた個体は、盾を持っていた。盾というより、通路を塞ぐ板だ。肩から腰まで覆う鉄板。
板が1歩前へ。その1歩が重い。踏み込むだけで床が震える。狭い道が、こいつらのためにあるみたいだった。
後ろでも音が増えた。挟まれる。
俺は息を吐き、柄に手をかけた。抜く。振るう。ここではそれしかない。
だが、切る必要はない。殺す必要はない。欲しいのは1秒。抜ける穴だけだ。
盾が突っ込んできた。俺は正面を避けない。避ければレイが巻き込まれる。
大剣を横にして受けた。
ガン、と響いた。刃が板に弾かれ、腕が痺れる。重い。重すぎる。
盾の裏に、別の外骨格がいた。腕の装置からワイヤーが伸びる。撃ち出す機構。俺の視界の端で、銀線が跳ねた。
レイが動いた。派手な光も音もない。ただ、床の一部が凍って、薄い膜ができる。
外骨格の足が滑る。ワイヤーの狙いが1瞬だけ外れる。
その1瞬で十分だった。俺は踏み込んで、盾を押した。
押す。叩く。斬らない。大剣の腹で、板の中心を殴る。
ドン、と鈍い衝撃。板ごと相手が半歩下がる。さらに押す。
体重を乗せて、鉄の板を通路の壁へ押し付ける。壁に当たった瞬間、外骨格の姿勢が崩れた。関節の角度が変わる。支えの効かない角度。
そこへ、柄尻を叩き込んだ。膝。膝の外側。装甲の継ぎ目が鳴った。
外骨格が1瞬だけ沈む。沈んだ瞬間に、板が傾く。通路に隙間ができた。
「行くぞ」
俺はレイの腕を掴み、隙間へ引きずり込む。だが終わらない。後ろから、別の外骨格が伸びてくる。
支援型。肩に灯具。腰に煙幕筒。手首に何かの投射器。
光がまた切り替わる。眩しさと暗さを交互にぶつけて、目を狂わせる。
苛立ちが熱になる。俺は大剣を振り上げた。狙うのは人間じゃない。灯具。
刃の先が灯具の台座を叩いた。火花が散り、光が死ぬ。
暗闇が戻る。戻った暗闇の中で、外骨格たちの音だけが残る。油圧と関節の鳴きが、近い。近すぎる。
拘束型が、今度は狙いを外さない。ワイヤーが飛ぶ。
俺は避ける。避けた先にもう1本。足首に絡む。1瞬で締まる。引かれる。転ぶ。
そう思った瞬間、俺は大剣を床に突き立てた。
刃が岩に噛み、身体が止まる。ワイヤーがさらに引く。刃が鳴る。腕が裂けそうになる。
レイが息を呑む音がした。
次の瞬間、盾型が突っ込んできた。板ごと押し潰すつもりだ。
終わる。俺がそう判断した瞬間だった。
盾型の横から、何かが飛んだ。
外骨格が、横へ吹き飛ぶ。板が回転し、壁に叩きつけられる。
切られたんじゃない。爆ぜたんでもない。殴られた。
その事実だけが、遅れて分かった。
暗闇の向こうから、足音が1つ近づく。外骨格の群れとは違う。人間の足音だ。だが、重い。その1歩で、通路の空気が変わった。
機械の群れのリズムが乱れる。外骨格が、1拍止まる。
「……無茶しやがって」
低い声。冷たくて、短い。
俺は、喉の奥が1瞬だけ固くなるのを感じた。
思い出す。湿った鉄の匂い。鉱石の粉。崩れた岩の奥から出てきた銀色の巨人。そして、その巨人を拳1つで砕いた男。
黒い軽鎧。背中には身の丈ほどの大剣。だが、今も剣は抜かれていない。
男は外骨格たちを見渡し、面倒そうに息を吐いた。
「引け」
命令じゃないのに、命令みたいに通る。
外骨格の1体が前に出る。盾型の予備だ。板を構え、突っ込もうとする。
男は1歩踏み込み、拳を振った。
ゴン。
硬い音がした。盾の中心が凹み、外骨格が後ろへ崩れる。
もう1体。拘束型がワイヤーを撃つ。男は避けない。ワイヤーが伸びる途中で、手首を叩いた。ワイヤーの射出が止まり、機構が火花を散らす。
支援型が煙幕を撒こうとする。
「うるさい」
男は短く言って、肩の灯具ごと拳で叩いた。灯具が割れ、光が消える。
外骨格の動きが鈍る。群れが1つの意志で動いていたのが、ばらける。
俺はワイヤーを足首から外した。刃を床から引き抜く。手首が痛い。
レイが小さく言った。
「……止まった」
男が振り返る。俺を見る。眼光が鋭い。あの時と同じだ。見透かすみたいに、全部を見てくる。
そして、ぽつりと。
「……成長したな」
1言だけ。褒めるでもなく、笑うでもなく。
俺は返さなかった。返せなかった。今ここで何か言ったら、あの時みたいに、また切り捨てられる気がした。
外骨格たちは、退き始めた。撤退の仕方が綺麗すぎる。戦うためじゃなく、回収するための動き。
最後尾の支援型が、地面に何かを落とす。小さな端末。
それを拾おうとしたレイの手を、俺は止めた。
「後で」
レイが頷く。
外骨格の群れが闇へ溶ける。油圧の鳴きが遠ざかり、関節音が薄れる。通路に残ったのは、粉と、水と、俺たちの呼吸だけだ。
男は外骨格が消えた方向を見て、短く言った。
「まだ終わってねぇ」
それだけ言って、踵を返す。
「待け」
俺が言うより早く、男は半歩だけ止まった。
「今は行け」
あの時と同じ口調。説明しない。理由も言わない。
レイが小さく息を吐く。俺は歯を食いしばって、男の背中を見送った。
追いかけたかった。聞きたいこともある。礼も言ってない。
でも今は、止まれない。
俺たちは通路の奥へ動いた。
数分後。ようやく足が止まった場所で、レイが落ちていた端末を拾い上げた。
画面は割れている。だが、表示は生きていた。
白い文字の一覧。
回収対象。
俺の名前。
レイの名前。
そして、その下に。
竹内 一夫。
レイの指が止まる。
「……これ」
俺は画面を見つめたまま、何も言えなかった。
父はここにいない。なのに、名前だけが、先に来ていた。
暗闇の奥で、また機械の音が鳴った気がした。まだ終わっていない。




