三話
「人間か、と聞いている」
驚くべきことにその声は吟遊詩人もかくや、と言わんばかりの美声だったのである。私の反応は遅れてしまった。けど応えねばなるまい。
青い眼差しが、きつく私を見据えているのだから。すさまじいプレッシャーだ。
私は頭をかきつつ、思案しながら答える。
「……うーん、まぁ、人間だね……たぶん」
異世界からの人間だから果たして、正しく人間なのか?
と問われると、はてなマークを浮かべるしかないが、人間らしい特徴をふんだんに兼ね備える私なので、人間である、と答えるよりほかはない。
頷いた。
が、天使は私の回答が嫌だったみたいで。
「ぐっ……」
不満を表明し、背中の羽を動かそうとした。
「え、動くの?」
すわ可動式か、と思ってびっくりしていたら天使はその場にまた倒れ込んだ。頭から。
派手な音がまたしたのだが、大丈夫か。びびった。
(おいおい)
せっかく生き残ったっぽいのに、これでは洒落にならない。
「大丈夫?」
声をかけ、立ち上がるのを手伝おうと近寄ろうとしたら、
「触るなっ!」
拒絶された。
びくりとして宙に浮く、私の片手。
天使は私を苦々しい顔つきで睨みつけてくる。
「貴様ら、人間ども……!
神人との約束を破り、結界を破戒し、村を……、
我が家族を……!
許さない、許せないっ……!」
(えええー!?)
すごく、罵倒された。
罵倒されたでござる……。
と、あさっての方向を見たくなるぐらい、怒りを露わにされる。
そも、
(神人ってなんだ)
と思うのだが、いかんせん天使の怒りは未だ収まらないようだ。
仕方ないのでそのまま天使の罵詈雑言を拝聴する。クレームの対処と一緒である。
(はぁ……アルバイトしてたときのこと、思い出すわ……)
なんとなく正座して天使の、感情の入り混じる罵声を頂戴する。
まるで他人事のように聞いていた。実際、私は犯人ではない。
だが天使の言うことはもっともなことではある。
自称人間を名乗ってしまったのだ、とにかくこの場は下手なことは言わないほうがいい。
「妹を、弟を姉を、兄を……返せ、返せ、人間!
父を、母を……!友を、ごほ、げほ、
貴様に情けをかけられるなぞ……!
なぜだ、なぜ神人との約束を、裏切ったのだ、
古の約束を……、我々の、
我々が、なにを何をしたというのだ、
う、うう、うぅうう、
貴様に、何が、人間、うう、
げほ、ごほっ、
魔法で燃やして何が楽しい、何を笑っている、
逃げ惑う我々を面白半分で……、
貴様、貴様らっ、絶対に許さない、
我々の、大事な、大事なものを奪い、
それのみならず、我々を……うぅ」
とりあえず嗚咽の止まらない様子であるらしい天使に、休むよう促すことにした。激昂したままでは、ショック状態のまま、あるいは興奮状態のままでは体の休まる時がない。ぽろぽろと、サファイアのように輝いている青い目から、涙が顎を伝い零れ落ちていく。
落涙を、天使はその細くて長い指やら手の甲でふき取りつつ、それでもなお私に言い募る。
「人間、貴様は、何故、
我々を苦しめる?
我々が、いったい何をしたというのだ……」
じっと、私を見据える怖い青。
その眼差しから逃げたくもなったが、そうはいかない。
一応人間と称した以上、天使の受け応えにしっかりと対応しなければ。
息を吐き、心を決める。
弱腰を止め、彼の眼を見返し続ける。
「……私も知りたい」
「何……!」
「私も、人間だけど。
あの惨状、初めて目にした通りすがり。
私が引き起こしたものじゃない……」
本音を言うが、天使の顔は引きつったままである。
自然、空気を読んで沈黙していると天使も口を閉ざした。
そうして、夜、森のほうから、鳥の声がした。
フクロウか。
……ほう、ほうと、鳴き声がする。
しばらくすると天使の眼から、また新たな涙がこみ上げてきた。
そのあまりの形容しづらい美しき姿に私は呆気にとられてしまったが、しかし……。
(どうしよう)
そればかりが、胸中に巡っていた。
(静かにしていてほしいなあ)
じゃないと盗賊がやってくるかもしれない、などと、危惧し始めていたからだ。
山賊だってこの山奥にはいるだろう。だからこそ、山賊情報やら、盗賊情報やら……、なるたけ街道沿いに進んできたのである。
街道以外は、金がかからない。
何故なら、関所がないから。
関所は身分の提示を求められる場合があり、同時に決して多額ではないが、少額とも言い切れぬ賄賂を求められる。中には、金がない場合、体を請求してくるどうしようもない役人だっているという。
私の場合、ちんちくりんなのでそういう目に遭うことはないが、物珍しい黒い髪と目、それに子供サイズの身長にかえって家出かと不安視され、関所にとどめ置かれることが多々ある。
まぁ、バレたとしても賄賂を要求されることに変わりはないので、街道沿いから道を逸れて歩む流浪の旅人と同様に私もまた関所を通らず、山賊やらがいてもおかしくはない山深いルートを選ぶわけで。
(その結果、天使と遭遇してしまった、と)
そういうことである。
嘆息する。
(……もし、天使の言い分が正しいというのなら、
この問題、とんでもないもののような気がする)
あの村には結界が張ってあったという。
それでいて村人たちは平穏に暮らしていたという。
(……私のように本を持つ魔法使いたちが、世界中にいる。
とはいえ、それほど多くの人たちが、
魔術の本を扱うことができるかといえば、そうではない)
珍しいが、しかし決して見ないという限りではない、
その程度の数の魔法使いたちは、世界中に点在している。
魔術の本。あるいは魔導の書。ぎゅっと懐に抱えたそれに触れる。
(だから、犯人はだれか、と問われると、
答えようがない)
証拠は、何もない。
目撃者は、ただひとり。
(この、目の前で、ただハラハラと涙を流し続ける天使だけ)
軽い体重の天使。
さっきから蠢いている背中の羽。
ふわふわとした緩慢な動作でいる。
天使の感情に伴って、動いているようだ。
「……とにかく。
人間である私が気に食わないのは分かるけど……。
寝ましょう」
「……」
「明日にならないと、太陽が出ないと、
どうにもならにでしょ?」
ゆっくり喋ると、落ち着きを取り戻したらしい天使の眼が、少しだけ見開いた気がする。
「……不安になるのも分かるけど……。
大丈夫、私は、あなたを傷つけたりはしない。
私を攻撃しない限りは、……ね」
「……」
「信用できないのなら、信用しなくてもいい。
けど、ちゃんと眠ることをしないと、
休めるときに休まないと、体は言うことを聞かないよ?
夜だし」
うーん、我ながら良い言い方ができないな。
説得力がないぞ……そして信頼性がない人間さまである。
しかし、天使はそんな私に対し沈黙を保ったまま長く、じっとして。
逃げ出そうとはせず。
「……」
(お?)
剥がれ落ちた毛布を引き寄せ、横たわる。
(眠りにかかる仕草でさえ、芸術的とか、
すさまじいな)
そうして、私をじっと凝視し続けている。
(……穴が開きそうだ。私の毛穴が)
しばらく、そうして静寂のままにしていたら。
(天使、眠ったか……)
眠るのを我慢していたようだったが、睡魔には勝てないようで。
彫刻のような頬を晒したまま、天使は眠りについた。悲劇の連続で身体が動かなかっただけなのかもしれないが、私を凝視し続けるのも疲れるらしい。
(さて、私も眠りたいところだけど……)
毛布、天使に貸しちゃってるしな。
どうしようもない。
(徹夜か……)
はぁ、とこっそりため息をついた。
ほうほう、と、またフクロウの鳴き声がどこからか響く。
頭上の星空はいまだに瞬いている……。