二話
この異世界には、奴隷、という身分がある。
かくいう私も、そうなりかけたひとりだ。
今は自由市民というか、自由な人間、というべきか。
もっといえば、身分というものがないただの平民である。
魔法が使えるようになっているが。
初めて異世界にやってきたとき、その奴隷狩りの真っ最中にやってきてしまったのでよく覚えている。知りたくなかった現実ってやつだ。
……あのときは……必死扱いて逃げようとしたが悪人面につかまり、ボロ馬車にぽいっと入れられたんだっけ。
当然、私は泣きわめいた。
怖い現実と、恐ろしい見知らぬ人たちの間に囲まれ、ヒステリー、のようなものを引き起こしたのだろう。
殴られた。
痛かった。
殴られたくなかったからめそめそと大人しくしていたら足元にひょいっと、私みたいに投げ入れられていたらしい大量の戦利品の、乱雑な山から崩れ落ちたものがあった。
本だ。
それが私の腰にある恩人ならぬ恩本との出会いだ。
私の住む異世界と同じ装丁、背表紙もあってがっちりとしていて、つまりは本の体裁をなしていたことになぜか安堵をし、ついで、武器になるのかもしれないと辞典ばりの厚みがあったその本に触れた瞬間に、私は。
体の内側から力が湧いてくるのを感じたのである。
奔流というものが、体内で巡った。
それ以降はあまり記憶が、ない。
細切れ状態である。
まず、私はその力を使ったようだ。
そうして私の隣で大人しくつかまっていた人たちが逃げ出し、奴隷狩りの奴らがそれを追った。
魔法を使った私を気味悪く思ったようだ。
私にはノータッチだった。ぽつん。
そうしてまた場面ががらりと変わり、ひとりの人間が悪人面に捕まりそうになっていた景色になる。
私は、その人間を助けようと力を使ったのだ。
そう、生まれて初めて、人間を殺した瞬間であった。
(悲しい……)
助けたはずの人は私を見て絶叫した。
その目は、人殺しを見る目をしていた。
(悔しいな……)
私だって怖かったのに、嫌われた。嫌悪の表情は、私の記憶という過去からなかなか消えるものではない。
でも、仕方ないじゃないか。
そうしないと助けられなかったんだからさ。
(私、悪くない)
ふいに、視界の隅に蠢くものがあった。
過去へ思いを馳せていると現状を見誤ってしまう。
私の悪い癖である。
「……人間?」
にしては、黒いものが背中におぶさっている。手足が見えた。さては横たわっているのか。
ごくり、と唾液を呑み込み凝視しつつ、覚悟を決める用意をする。
腰にある厚い本を手前に回し意識を集中させる。
すると、ぞわぞわとする感覚がやってきた。準備だ。警戒だ。何があっても、私は魔法をぶっ放す決意をする。じゃないと、生き延びることができない。私はずっと、そうやって生きてきたのだ。
じり、じりと足を前へ出しつつ対象を中心に、あたりを気にして進む。
さて、対象の周りには誰もいない。
ただの河原に、その倒れ伏している人間が呻いているだけのようだ。
じゃあ黒いものの正体は?
目を凝らして、じっと見据える。
黒いものはなにやらざわざわと蠢いている。もしや獣だろうか。黒い獣が、人間に突っ込んでいる? 頭から。なるほど。ということは……。
近づけば近づくほど、何やら嫌な想像を掻き立てられる。
やっぱり、喰われている?
まずいな。
だとしたら、早急に手を打たねば。
「……もし」
とにかく、声をかけることにした。
びくりと反応した獣が逃げれば御の字。
逃げなければ追い払うだけ。
かと思いきや。
途端その黒いものが、ぶわりと空へと舞いあがった。
「ひっ」
正直、びびった。
ずいぶんと大きな。人ひとり分以上ある大きさのものだったから。
もしそうならば、酷く巨大な獣と対峙していることになる。肉食獣というべきか。
だが、現実はそうではなかった。
「黒い、羽……?」
それも、鳥の羽だったから。
もしや、羽を持つ化け物みたいなやつに喰われているのだろうか。
背中から。バリバリと。
(うわあ)
嫌な想像に駆り立てられて身を震わせていると、その黒羽がふわふわと宙を舞い、次第に収縮していくのを見つめる。収納できるのか。まぁそうだろう、でないとこんな森の中を歩けまい。羽の付け根を探った。さて、本体である化け物鳥はどこに。私はじりじりとした思いを抱えながら、本をがっつり抱えて警戒する。ぶっ放さねばならない。
が、
「ん?」
キラキラと輝く金の髪も、空に浮かんだ。
ように見えた。
「え?」
その黒い羽の内側が、真っ白だったのを認めた瞬間、あぁ、あの黒い色は、火事の影響でそうなったのかと他人事のように感じ入った。それが証拠に抜け落ちた羽の色が、まだらであった。
ひらひら、ふわふわ。
花びらのように、舞い落ちていく。
まだらの羽色が、白と黒の色のコントラストが妙に美しい。
そうして、金色の髪もまた重力にしたがってその背中に零れるばかりに流れ落ち、集束した黒い羽にも少しかかり。私を見上げる人間がその下にいて、その人間の背から翼が生えているのだと把握したとき、私は、私は。
呟いてしまった。
「……天使?」
地べたに横たわったまま睨みつけてくる視線がある。
綺麗な青い瞳が、私を険しく見上げている。
人形のごとく整った顔立ちが、怖いほどである。
私は後ろ足を少し、ざっと動かして。
いつでも逃げ出せるように準備をした。
異変だ。
長い長い一人旅をしてきたための条件反射である。
その麗しい顔の人を私は容赦なく見返す。
天使は、その美しい顔をなぜか歪めた。
刹那、
「わ」
天使は、うっつぶした。むごい音がした。
しばらくそうして佇んでいた私だが、天使からのリアクションはない。
――――さて。どうしよう。
「どう、すべきかな……」
呟くが、どうにも……。
どうしようもない。
……途方に暮れたがまずはその場から逃げられなかった。
良心を痛めたのである。
さすがに、あの村の生き残りっぽい人っぽい何かを、捨て置くには忍びない。
哀れに思ったのである。
とはいえしばらく放置プレイしてから、動き出したが。
さすがに三十年だてに生き残っていない。この異世界を。
微動だにしない、顔さえも伏せっぱなしの天使のために、声をかけてやる。
「もし」
まずはそこらの小枝を拾い尋ねたが返事がない。つんつんとキラキラしい金髪頭を軽く突いてもみたが、やはり返事がなかった。さっき動いていたから屍ではないはず。だが後頭部からの返事はない。やっぱ天使は死んでしまったのだろうか。言葉が通じない、とか。ありうる。
思案する。かといって、本当に捨て置くにしては……。
「もしもーし」
私はしゃがみこんだ姿勢のまま大いに声をかけた。片手で己の耳にも手の平を当て、しっかりと集音する準備もしたが……頭上の樹枝の葉っぱが擦れる音しかしない。風の揺らめく物音だけが辺りを流離っていた。
(うん)
天使の無反応さに頷いた私。
どうやら、天使は意識がないらしい。
覗き込んだ横顔は麗しい。けぶるまつ毛の長さよ。土くれに顔面からいっちゃってるけど。じりじりと近づき観ると、呼吸ぐらいはしているようだ。肩が上下している。
とりあえず本を小脇に抱えたままの攻撃態勢を失わないで、天使の体勢を楽にしてやることにした。
まずは邪魔くさい羽をどうにかしたかったが、本当に生えてたら困るので、無害な羽への対処はそのままに、うっつぶれたままの天使の両脇に手をやる。そうして、引っ張ろうとした。
「わ」
のだが、あまりの軽さに驚いた。
天使の体を捻る際羽は私の顔を容赦なくなぶり、どれだけクシャミをしたか数えきれないが、まぁ、仕方ない。とにかくこんな小汚いところではなく、木陰にあるところまで引き摺ることにした。
ここは地図に示されている通り、誰かがやってくるかもしれない。
そうすると、この天使みたいな美貌の人は連れ去られる危険性があった。
この異世界、すべての人間が正しいとは限らない。
「よいせ、よいせ」
独り言が口に出てしまう、
……でないと、やってられないぐらい、いくら軽いとはいえちんちくりんの私には重労働だった。
ずるずると、どこぞの木の陰に引っ張り込む。
「ふう」
久しぶりに運動をした気分だった。
木陰の、綺麗めな地面に横たえさせた天使は、実に宗教画のごとく壮観だった。
名づけるとしたら、木陰に休む天使、ってところか。すごく、捻りがない。
一仕事を終えた私は、その行き倒れの第一村人をしげしげと観察する。
衣装は民族衣装のように思えた。
長い間、世界を放浪してきた私には目新しく映る。
とはいえどこかしか、似通ったものがある。
たとえば私も身に着けているこの長ったらしいスカートのような、純然たる魔術師が身にまとうようなローブ。この天使もそれを身に着けていた。ただ、刺繍のようなものがついているのでもしかしたら、民族単位であの村に住んでいたのかも、なんて想像する。それでいて、長い金髪。背中まである。伸ばしているのだろう。長髪を好む民族なのかもしれない。
まさしく宗教画の通りの天使だ。
キラキラしい顔と真っ白な、透けるような頬。
唇も、どことなく艶々としていて熟れたてのイチゴみたいに真っ赤だ。
私の唇なんぞ、栄養の偏りによって不健全に皮剥け放題なのに。
「お」
ふと目についた頭髪には、よく見ると、宝石がついていた。
どうやら、髪留めのようだ。
綺麗な人に綺麗なものがついていると、相乗効果でさらに倍率ドンで麗しさが跳ね上がる。
この天使と同じ瞳の色が、木陰から降り注ぐ陽光によって煌めいた。
純白な頬にもその陰を落とし、なんとはなしに儚げさを感じさせる。
ほう、としばし嘆息、どうして天使があの小川にいたのかとか、何故にあの村が魔法によって焼き尽くされたのか、もしかしてあの村には天使みたいな人たちがいっぱい暮らしていたのだろうか、などと様々なことに考えが及んでいた。
……いずれにしろ、この天使が目覚めたら、の話だ。
頭を横に振り、私は野宿の準備をすることを決めた。野宿は趣味ではないが致し方ない。殺伐とした異世界、この天使みたいな羽の生えた人を連れて歩く根性、私にはなかったのだから。
天使が目覚めたのは、夜も深い、空に星が巡るときだった。
「目ー、覚めた?」
とりあえず、優しく声をかけておく。
すると、青い両目が、ぱちぱちと瞬き、ぼんやりとした表情で私を見つめていた。
そうして、がばりと起き上がる。
私がかけてやっていた毛布が天使の肩からずれ落ち、地面にくっついた。
(ちょ)
汚れた!
洗わなきゃいけなくなるじゃないか。
なんて思ったが、おくびにはださない。
天使の麗しい唇が動く。
「……貴様、人間か?」
「ん?」
うわ、なんだこの第一声。
と思った。喋れたのか。




