獣耳の冒険<寝る子は育つ>
「あー……暇だ」
父様がいつもの台詞を口の端にのせながら、酒を煽っている。
獣耳の一族が人間たちを支配下においてから、父様はこんな風になってしまったと母様は零していた。支配下にある奴隷人間たちが丹精込めて作ったという燻製肉、順番に水をやって肥料にも工夫して甘酸っぱく育て上げたという人間たちが収穫した果物に、栄養満点の野菜がたっぷりと色鮮やかに盛られた大皿は手先が器用な人間ならではの陶磁器だ。見目も楽しめるよう、人間たちはあらゆる趣きをボクたち獣耳たちに提供してくれる。地べたに座って食すのが昔からの食べ方なので、奴隷人間らとは異なる食卓を囲むボクらはこうやって織り込まれた絨毯に思い思いに座り、奴隷たちが用意する家族団らんを過ごす。
「なんでこう……大人しくなっちまったんだか」
ボクはそんな父様を横目に、ちびちびと甘酒を舐める。
立派な体躯の父は、金の環がついた猫耳をぴくぴくと蠢かし、何度目か分からないほどの酒を大いに飲みほした。愚痴も吐きながら。
「父様、それって人間たちの反乱を期待してるの?」
「ん? ま、そーだなぁ……」
ぽりぽりと頬をかきながら、父様は、
「大きな声では言えねぇが……、
身内で殺し合うのは気が引けるしな。
まぁ……人間と戦うのは面白いぞ。
あいつら、頭を使って殺しにかかる。
集団で殺しにかかるし、地形も利用する、
人質使って卑怯な手も使ってきやがるし、
たまったもんじゃねぇが……。
俺ら獣耳一族のようにしなやかな筋肉を持っていないからな、
本気で殴るとすげぇ吹っ飛んでいっちまって肩すかし。
とんでもなく弱えぇ。けどな、だからこそ死にもの狂いで向かってくる。
……あぁ、やりてぇ。
おめぇには、まだ分からねぇだろうなあ……餓鬼だし」
……さながら、血に飢えた獣だ。
ボクは何とも言いづらい気持ちでもって、果物にかぷりと噛みつく。
この大陸は昔、人間たちと獣耳たち一族がきっ抗するように存在していたという。互いの領分を犯さぬよう睨み合いながら。長年、ずっとそうしてきた。これからもそうなるとお互いに思っていた節があった、なんて母様は言ってたっけ。
それが、ある日を境にぶっ壊れてしまった。
獣耳の子供。それも、王の子が奪われた。
その話は一夜にして広がり、王に連なる獣耳一族はいきり立った。
父様は豪奢ながら豊かな金髪に、褐色肌の。精悍な顔立ちの美丈夫だ。子供であるボクが言うのもなんだけど、誰もが認めるカッコイイ獣耳なんだ。今じゃ酒を呑んではトグロを巻いてベロベロ厄介な中年オヤジだけど、昔はそりゃあもう、いや今でもモテて浮気をしては母様に怒られまくって夫婦喧嘩は酷いものなんだけれど……その父様が子供時分、なんでも人間たちに捕まったことがあって。
王の子である父様。奴隷にされてた、って。
獣耳一族だけじゃない、大陸に住まう別の種族たち――――黒耳長も知恵を貸してくれたり土竜の一族やら竜の一族までも父様奪還に闘志を燃やした。穏健派も反旗を翻したんだって。
人間たち以外の、すべての種族が。
父様の母君は竜王に連なる家系だった。
父様の父君は獣耳一族の、古の神人と約束した一族だった。
戦争は、最初こう着状態ではあったみたいだけれど。
父様を奪還してからが勢いで進撃していき、人間たちの領土を一部を除いて傘下におさめてしまった。呆気なかった、とは父様の談。ただ、平和、とは言い難かった。
人間たちは反乱を起こす。しぶとく。
父様は、それを嬉々として打ち払いにいく。昔はそれはもうしょっちゅう頻発していたようだったけれども、父様は王として、奴隷人間たちをそう邪険に扱わず奴隷という身分ではあったけれども、そう酷い扱いをしなかった。それが原因でか、人間たちの間に現状維持というか。安定志向を求める人間たちが増え、奴隷を甘んじて受け入れる者たちが蔓延したらしい。まあ、母様が主に政治を取り仕切っているから父様は昼間っから酒の友になっている。そしてたまに浮気。ボクは眠れない。
父様の耳には、奴隷時代に穴をあけられつけられた奴隷の証ともいえる、金のリングが備えつけられている。母様をはじめとして、父様の臣下らが皆、その目障りな輪を外すよう何度も進言したけれど、父様は決してそれを外さなかった。
なんでかは、分からない。
奴隷時代、あまり良い思いはしなかったはず。それなのになんだか懐かしそうに眼を細め、その猫耳にある金の環を揺らす。触ったりもしてる。
従属された証だ、嘆かわしい、なんて母様は悲しんでいるけれども、竜王の直系なおじい様は違う意見のようで、
「ありゃあ猫可愛がりされたせいだな。本性、猫だから」
なんて、達観した顔でいる。
竜という渋い一族だから、いつもしかめっ面な表情のおじい様が言うと深刻そうだけど、別にそうでもないみたいだ。
(猫、かぁ)
昔、そういった小動物がいたらしい。
けれど現在、そういった動物たちは姿を消しボクたち獣耳一族が出現した。一応、猫耳だけじゃなく、犬耳や狐耳一族もいたりと豊富な種類を持つ一族なんだけれども、猫、かぁ。
ボクたち猫耳みたいに耳が猫なんだって。いや、耳が猫。猫っていう実物を見たことがないから、ボクは分からないけれども。もしかしたら、他の大陸には生き残っているかもしれない。
ボクたちが住まうこの大陸以外にも、人ではない人がいるらしい。そしてその数は非常に少なくって、人間たちの王が支配地域なんだとか。父様、そっちに戦を仕掛けてみたいようだけれど、海を渡る手段である船を作る技術を持つ人間が、この大陸にはいない。
母様も積極的ではないし、父様は水の上、にはやや弱腰。
だから、
「あっちから攻めてこねぇかなあ……」
などとぼやいてる。酒臭い息を滲ませながら。
父様が王なんだから、ボクだって王の子だ。
獣耳一族の秘蔵っ子として、ぼんやりと波間を眺める。ボクは海が好きだ。水面に揺れるキラキラとした海面が宝石みたいだし、静かな風が耳を揺らしてくれて気持ち良い。
砂浜で引いていく海の白い部分を楽しんでいた。足につけたり、追いかけたり。
普段、母様と今後の王になるための勉強が詰め込み教育で、すごく疲れる。
だから、ほんのわずかな休憩時間、ボクはこうやって、自然と戯れる。
けれど、そんなボクは、気付けなかった。
潮騒に気をとられてしまい、背後に迫る魔の手に気付けなかった。
「……っ!?」
ボクは、抱きすくめられた。
視界が一気に暗くなる。何か被せられたらしい。
うー、うー、と唸る。でも、駄目だった。手足をバネに、思いっきり殴りつけようとした。戦う術だってボクは学んでいる。でも、てんで叶わなかった。
知らぬうちに、ボクは気を失っていた。
ふと意識が浮上したとき、そこは何か揺らめく場所だった。
身体がふわふわとしていて、気持ち良かった。
誰かが、何かを喋っていた。
「これは上物だな」
「顔は悪くない」
「体つきは幼いが、楽しめるだろう」
「王は喜ぶだろうか」
話を聞いている限りでは、ボクは誰かに捕らわれの身となっているらしい。
ボクは気絶したフリをし続けた。
どうやら海上の、それも船の上にいるらしい。ボクは泳げる自信がない。溺れるだろう、このまま見捨てられたら。それか、あるいは好事家がいるかもしれない。ボクみたいなものを好む奴がいるから注意しろ、と母様から躾けられている。獣耳一族は困ったことに、勝手に番判定して求愛してくる奴らもいる。それが王の子だろうとも、力でねじ伏せねば明日は我が身であると父様は面白がる。
そう、ボクは王の子だ。
だからか。胸が高鳴る。
(人間たちがいる、大陸……)
大人しくて勤勉な奴隷人間たちじゃない、躾けられた人間たちではない、本物の野良人間たちがいる大陸へボクは運ばれている最中のようだ。
(……楽しそう)
ボクが抱いた最初の思いが、それだった。
彼らはボクを人間の貴族に、奴隷として高値で売り抜けるつもりらしい。
獣耳の一族を人間大陸へ連れて行くのはご法度である。
(そこまでするなんて、人間って欲深い)
獣耳一族たちは、自分たちが奴隷となることを疎んでいる。裏切り者の人らしき人らにも、それは強いてきた。決して別の大陸へ売り払うなんてことはしなかった。
それなのに、僅かに滞在を許した別大陸の人間たちが、こんな恐ろしいことを仕出かすとは。
(今頃……母様は激怒してるだろう。
父様は……どうだろう)
怒ってはいるだろうけれど、自分の子だと王の子だから大丈夫だろうと無責任なことを演説してるのかもしれなかった。子供であるボクがそう思うぐらい、父様は豪快だ。それでいてこの好機を逃さない。
(母様に、船の調達を頼んでるか。
あるいは……なんらかの手段をお願いしてるかも)
まあいいや、と。
ボクは寝ることにした。あと数日、人間たちが住む大陸に到着するのに時間がかかるらしいから。
それまでは、ボクは眠ることにした。寝る子は育つ。母様も父様も、そう言っては早く寝ろと小さなボクを抱きしめてくれた。
うつら、うつらと。
船の揺れをまるで真夏の盛りの踊りのように幻視し、ボクは身を任せた。初めての船旅はどこまでも、ボクを楽しませてくれる。ふふ……、気まぐれな父様、寝物語をたまに教えてくれたっけ。
「人間は、そっけない態度でいる奴が面白いぞ。
すごい面白い。後ろをついていくとな、振り返ってくるんだ。
そして、無視してくる。
俺はな、そういった奴の寝首をかいてやろうと近づく。
すると、またさらに無視して進もうとする。
……楽しいぞ。なんというかな、手に入れたくなる。
……まぁ、俺の場合、耳に輪っこつけられて、どこにいるか分かるように
されちまったけどな。脅かせすぎた罰だ」
この船に乗っている奴らは、僕を捕まえた人ではない人とは違って、貧弱な人間ばかりだ。
薬や、こすい手を使われさえしなければボクはまた自由になれる自信があった。
ボクは王の子。
人間なんて、一捻り、だ。