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後日談 ~崩れ落ちた栄光と泥水の中の永遠~

「もう遅い」


その冷酷な一言を残し、レオンは美しい銀髪の魔剣士を連れてギルドを去っていった。

ギルドの重厚な木製の扉がバタンと閉ざされた瞬間、俺、ガルドの頭の中で何かが完全に音を立てて崩れ去った。


「あ、あああ……終わりだ……俺の人生は、もう……」


冷たい石の床に這いつくばったまま、俺はただうわ言のように繰り返すことしかできなかった。

隣では、麻袋を体に巻きつけただけのマリアが、床に顔を押し付けて子供のように泣き叫んでいる。


「嫌だぁぁぁっ! こんなの嫌ぁぁぁっ!! レオン、戻ってきて! 私の法衣を直してよぉっ!」


そのみっともない泣き声は、ギルドの広いホールに空しく響き渡るだけだった。

かつて俺たちは、このギルドに足を踏み入れるだけで、すべての冒険者から羨望と称賛の眼差しを向けられていた。

「さすがは勇者ガルド様だ」「聖女マリア様の美しさは神の奇跡だ」と、誰もが俺たちに道を譲り、ひれ伏していたのだ。

だが、今の俺たちに向けられているのは、汚物を見るような冷ややかな視線と、容赦のない嘲笑だった。


「おい、いつまでそこで泣いてるんだよ。邪魔だぜ、元・勇者様」

「仲間を囮にして自分たちだけ逃げ帰ってきたクズが、よくもまあレオンに縋り付けたもんだ。自業自得って言葉を知らねえのか?」

「さっさと出て行けよ。お前らがいると酒が不味くなるんだよ」


冒険者たちが次々と心無い言葉を投げかけてくる。

かつての俺なら、こんな口を利く雑魚どもは即座に聖剣で叩き斬っていただろう。だが、今の俺の腰にあるのは、柄の根元からボキリと折れ、赤錆をポロポロとこぼし続けるただの鉄くずだ。

俺の無尽蔵の魔力も、天性のカリスマも、すべてはこの聖剣があってこそのものだった。武器がなければ、俺はただの図体がでかいだけの一般人と何も変わらない。

いや、それ以下だ。これまでレオンの『静止』スキルに甘えきって、まともな剣術の修行すら怠っていた俺には、ただのゴブリン一匹倒す技術すら残されていないのだから。


「そこまでにしておけ、お前たち」


騒ぎを聞きつけたギルドマスターが、奥の部屋から姿を現した。

顔に深い傷跡を持つ、歴戦の戦士である彼なら、俺たちの窮状を理解してくれるかもしれない。俺は藁にもすがる思いで顔を上げた。


「ギ、ギルドマスター! 頼む、俺たちに新しい装備を買うための資金を貸してくれ! そうすれば、また必ず魔王軍を倒して、ギルドに貢献してみせるから! 俺は選ばれし勇者なんだぞ!」


俺の必死の訴えに対し、ギルドマスターは冷酷なまでに無表情だった。


「勇者だと? 仲間を見殺しにし、多額の賠償金を背負い、かつての恩人を足蹴にした男のどこが勇者だ。貴様らの冒険者登録は、先ほどの遺族からの訴えを以て正式に抹消された。もはや貴様らは冒険者ではない。ただの多重債務者だ」

「なっ……抹消……!?」

「今後は、王都の最下層で日雇いの肉体労働でもして、遺族とギルドへの賠償金を一生かけて払い続けろ。もし逃げようとすれば、賞金首として手配する。さあ、とっととこの神聖なギルドから出て行け。二度と敷居を跨ぐな」


屈強なギルドの職員たちに両腕を掴まれ、俺とマリアは文字通りゴミのようにギルドの外へと放り出された。

冷たい石畳に顔を打ちつけ、鼻血が吹き出す。

見上げた空は、レオンが去っていった方向だけが不自然なほどに晴れ渡っており、俺たちの上にはどんよりとした暗い雲が立ち込めていた。



それから数ヶ月の時が流れた。

王都の地下深く、迷路のように張り巡らされた巨大な下水道。

ヘドロと排泄物が混ざり合った、目を刺すような悪臭が充満する暗がりの中で、俺は腰まで泥水に浸かりながら、大きなスコップでゴミを掻き出していた。


「おいガルド! 手を休めるな! 今日のノルマが終わるまで飯は抜きだからな!」


地上から監視役の男の怒声が飛んでくる。


「は、はいぃっ! すぐにやります!」


俺は惨めな声を張り上げ、必死にスコップを動かした。

かつて黄金のオーラを纏い、オーガの群れを単身で斬り伏せていた「勇者」の面影は、もはや微塵もない。

髪は伸び放題で汚れで固まり、かつては引き締まっていた体も、安酒と粗悪な食事のせいで醜くたるんでしまった。

手には無数のマメができ、それが潰れて泥水が入り込み、赤黒く化膿して激しい痛みを放っている。

泥をすくうたびに、スコップの重さが全身の筋肉を悲鳴を上げさせる。

なぜ俺が、こんな底辺中の底辺の仕事をしなければならないのか。

ふと、胸元に触れる硬い感触があった。俺は首から紐でぶら下げている、聖剣の折れた柄を泥だらけの手で握りしめた。


「レオン……レオン……」


俺の口から、呪詛のようにかつての底辺職の名前が漏れる。

あいつが俺の聖剣の劣化を『静止』させてくれていた日々。

俺はどんなに硬い魔物の装甲を力任せに叩き斬っても、手に一切の反動を感じることはなかった。剣が絶対に刃こぼれせず、常に最高の切れ味を保っていたからだ。俺の体が疲れ知らずだったのも、レオンが剣のコンディションを完璧に維持してくれていたおかげで、無駄な筋力を使う必要がなかったからなのだと、今になってようやく気づいた。

俺は自分の力がすべてだと勘違いしていた。

あいつが薄暗い部屋で、一人で血を吐くような思いをして俺たちの装備に魔力を注ぎ込んでくれていたことを、ただの「布で拭く作業」だと嘲笑っていた。


「俺が、俺が馬鹿だった……! なんであんな真似を……!」


ヘドロの臭いにむせ返りながら、俺はスコップにすがりついて声を殺して泣いた。

だが、どれだけ後悔の涙を流しても、時間は絶対に巻き戻らない。俺の人生は、この暗く臭い地下水道で、一生他人の排泄物を処理しながら終わっていくのだ。



一方、マリアの転落もまた、目を覆うほどに悲惨なものだった。

王都の裏路地にある、チンピラやならず者が集まる場末の安酒場。

そこでマリアは、朝から晩まで油まみれの皿を洗い、酔っ払った客の吐瀉物を片付ける下働きをさせられていた。


「おい、そこの女! 酒が遅えぞ! さっさと持ってこい!」

「ひっ、は、はい! 今お持ちします!」


歯の欠けた下品な客に怒鳴られ、マリアはビクビクと肩を揺らしながらエールが入った汚いジョッキを運んでいく。


「おっ、よく見りゃそこそこいい顔してんじゃねえか。ちょっと俺の隣で酌でもしろや」

「きゃっ! や、やめてください、触らないで……!」


客の汚い手がマリアの尻を撫で回す。かつてであれば、そんな無礼を働いた者は即座に光の魔法で灰にされていただろう。

だが、今のマリアには魔法を使うだけの精神力も魔力も残っていなかった。

純白の法衣を失った彼女は、店から支給された薄汚いボロ布のワンピースを着せられている。神の加護を受けた法衣が自動で汚れを弾いていた日々とは違い、今の彼女の服は常に油と酒の匂いが染み付き、いくら洗っても落ちることはない。

美しい銀色の髪は手入れをする金もなく、バサバサに傷んで変色している。透き通るようだった白い肌は、強い洗剤と水仕事のせいでひび割れ、赤いアカギレが痛々しく口を開けている。

誰も、彼女がかつて「聖女」と呼ばれた存在だとは気づかない。ただの薄汚れた、哀れな下働きの女として扱われているのだ。


「おいマリア! 何をチンタラしているんだ! また皿を割る気か! 給料から引いておくからな、このグズ女!」


恰幅の良い女将から怒声を浴びせられ、マリアは厨房の隅に追いやられた。


「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」


マリアは冷たい水で満たされた樽の前に座り込み、アカギレだらけの手で皿を洗いながらポロポロと涙をこぼした。

冷たい水が傷口に染みて、激しい痛みが走る。

その痛みが、マリアの脳裏にレオンの姿を呼び起こす。

レオンは毎晩、マリアが泥水にまみれ、魔物の毒液を浴びるたびに、その法衣のダメージを『静止』させ、完璧な純白の状態を維持してくれていた。

それだけではない。法衣が完璧な防御力を保っていたからこそ、マリアの肌は傷一つ付くことがなく、美しい容姿を保つことができていたのだ。

自分がどれだけ無神経に魔物の群れに突っ込んでも、法衣が汚れないのは「神が自分を選んだからだ」と本気で信じていた。

だが、本当の「神」は、あの無口で温厚な研ぎ師の青年だったのだ。


「レオン……私、間違ってた……。むさくるしいだなんて言って、ごめんなさい……。だから、もう一度私を、あの綺麗だった私に戻して……っ」


汚れた水鏡に映る自分の醜い顔を見つめながら、マリアは声にならない悲鳴を上げ続けた。



深夜、王都の最下層にある、壁に隙間風が吹き込むカビ臭い木賃宿の屋根裏部屋。

一日の過酷な労働を終えた俺とマリアは、軋む小さなベッドの上で顔を合わせる。

かつては最高級のスイートルームで、絹のシーツに包まれながら互いの才能と美貌を称え合っていた二人が、今は泥と汗と生ゴミの臭いを漂わせながら、狭い部屋で身を寄せ合っている。


「ガルド……今日の稼ぎはこれだけ? こんなんじゃ、硬い黒パンとカビの生えたチーズしか買えないじゃない!」


マリアが、俺がテーブルに放り投げた数枚の銅貨を見てヒステリックに叫んだ。


「うるさい! こっちは地下水道で泥水啜って稼いできたんだぞ! お前こそ、酒場で皿割りまくって給料引かれてるらしいじゃないか! この役立たずのグズ女が!」

「なによ! 私がこんな目に遭っているのは、全部あなたのせいよ! あなたがレオンの給料をピンハネして、あいつを追い出すなんて言い出したからこんなことになったんでしょ!」

「ふざけるな! お前だって『目障りだ、ただの金食い虫だ』って賛同しただろうが! お前がレオンに『薄汚い』なんて暴言を吐いたから、あいつは俺たちを完全に恨んだんだ!」


「あなたのカリスマが武具を守ってるなんていう、頭のおかしい勘違いのせいよ!」

「お前のその腐った性格のせいだろうが!」


俺とマリアは互いの胸ぐらを掴み合い、醜い取っ組み合いの喧嘩を始めた。

相手の髪を引っ張り、顔を引っ掻き、思いつく限りの罵詈雑言をぶつけ合う。

もはや、俺たちの間に仲間としての絆や、男女としての愛情など微塵も残っていなかった。

あるのは、自分自身の過ちを認めたくないという逃避と、相手への責任転嫁だけだ。

だが、どれだけ憎み合っても、俺たちは離れることができない。

莫大な賠償金を共同で背負わされ、世間からは「クズの元勇者パーティー」として完全に孤立している俺たちには、この底辺の泥沼で互いの傷を舐め合い、傷つけ合いながら生きていくしか道が残されていないのだ。


喧嘩に疲れ果て、床に倒れ込んだ俺の耳に、窓の外から賑やかな音楽と歓声が聞こえてきた。


「なんだ……外が騒がしいな……」


俺は這いつくばるようにして窓枠にすがりつき、隙間から王都のメインストリートを見下ろした。

そこでは、大規模なパレードが行われていた。

王国の近衛騎士団が道を先導し、空には色とりどりの魔法の祝砲が打ち上げられている。沿道には数え切れないほどの市民が詰めかけ、熱狂的な歓声を上げている。


「見ろ! 新たな英雄の凱旋だ!」

「時間を支配する神のスキルを持つ英雄レオン様と、絶世の魔剣士セリア様だ!」

「たった二人で、魔王軍の最前線基地を壊滅させたらしいぞ! まさに生きる伝説だ!」


人々の歓声の中、パレードの中心にいる二人の姿が見えた。

眩いばかりに輝くミスリル製の特注装備に身を包んだレオン。

その隣で、彼に寄り添うように微笑む、息を呑むほど美しいドレス姿のセリア。

レオンの表情はかつての薄暗い影など全くなく、自信と風格に満ち溢れ、まるで本物の王族のような威厳すら漂わせていた。

彼らは今、王室から直々に『王国最高位の英雄』としての称号と、莫大な報奨金を授与され、王城へと向かう途中なのだという。


「あ、ああ……レオン……」


背後でマリアが、窓の隙間からその光景を見て崩れ落ちた。


俺たちが欲してやまなかった、真の栄光。

俺たちが手にするはずだった、富と名声と称賛。

それはすべて、俺たちが「無能な研ぎ師」として路地裏に放り出した、あの男のものとなっていた。

いや、違う。最初から、あの栄光はレオンの力によって生み出されていた幻に過ぎなかったのだ。俺たちは、彼の掌の上で踊らされていただけのピエロだった。


パレードが宿屋の下を通り過ぎようとした時。

ふと、オープンカーの上から群衆に手を振っていたレオンが、一瞬だけこちらを見上げたような気がした。

俺とマリアは、無意識のうちに窓に顔を押し付けた。

助けてくれ。俺たちが悪かった。もう一度だけチャンスをくれ。

そんな浅ましい願いを込めて、レオンの視線を待った。

だが、レオンの瞳は、俺たちがいる薄汚い屋根裏部屋の窓を一瞥しただけで、すぐに興味を失ったように前へと向けられた。

その目には、怒りも、憎しみも、そして哀れみすらもなかった。

道端の石ころや、空を飛ぶ鳥を見るような、完全に「自分とは無関係な風景」を見る目だった。


「……あ」


俺の口から、乾いた音が漏れた。

拒絶されるよりも、怒られるよりも、もっと残酷な現実。

俺たちはもう、レオンの人生において、憎む価値すらない完全に「終わった存在」なのだ。


パレードの喧噪が遠ざかり、再び静寂が戻ってきた屋根裏部屋。

俺とマリアは、カビの生えた冷たい床に並んで倒れ込み、ただただ虚空を見つめていた。


「ガルド……私たち、これからどうなるの……?」


マリアの虚ろな問いかけに、俺は答えることができなかった。

明日もまた、暗い地下水道でヘドロにまみれながら這いつくばる。マリアは酒場で罵倒されながら皿を洗う。

それが何年、何十年と続くのだ。

かつて伝説の武具を輝かせていた俺たちの手は、今や泥水と油にまみれ、二度と綺麗になることはない。

レオンの『静止』によって永遠の輝きを与えられるはずだった俺たちの人生は、俺たち自身の手でへし折り、粉々に砕け散った。


「……あぁぁぁぁぁっ……!」


俺は折れた聖剣の柄を胸に抱きしめながら、誰にも届かない絶望の慟哭を上げた。

マリアもまた、ボロ布を握りしめて声を枯らして泣き続けている。


永遠に続く泥水の中の底辺生活。

それが、恩知らずな俺たちに下された、絶対に取り消すことのできない「結末」だった。

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