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第1話 理不尽な追放と勘違い勇者

深夜の静寂に包まれた宿屋の一室で、俺はただ一人、ランプの薄明かりを頼りに作業を続けていた。

窓の外からは王都の夜の喧騒が遠く聞こえてくるが、俺の意識は目の前にある一本の剣に集中している。布が金属を擦る微かな音だけが、薄暗い部屋の中に規則的に響いていた。

手元にあるのは、勇者ガルドが愛用している伝説の武器『聖剣エクスカリバー』。本来ならば国宝級の代物であり、底辺職である『研ぎ師』の俺なんかが気安く触れることすら許されないほどの神聖な剣だ。

しかし、俺はその刀身に専用のオイルを丁寧に塗り込み、柔らかい布で慎重に拭き上げていく。刀身には一点の曇りもなく、ランプの光を反射して青白く鋭い輝きを放っている。どんな硬い魔物の装甲を斬り裂こうとも、どんな強力な魔法の直撃を受けようとも、この剣には刃こぼれ一つ、傷一つついていない。

それは、決してこの剣が伝説級に頑丈だからではない。また、勇者ガルドの剣術が優れているからでもない。

理由は単純だ。俺が、俺の持つ隠されたスキルによって、この剣の『状態』を完璧に維持しているからだ。


「……よし、剣はこれで完璧だな。次はマリアの法衣か」


小さく息を吐き出し、額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。長時間の作業により、手首は悲鳴を上げ、全身の筋肉が強張っている。

俺の職業は『研ぎ師』。世間一般では、武器や防具の簡単な手入れをするだけの、冒険者パーティーの中では最も下っ腹で不要とされる底辺職だ。実際、戦闘能力は皆無であり、スライム一匹倒すのにも苦労する。

だが、俺には誰にも言っていない秘密があった。それは、俺が生まれつき持っている神級スキル『静止クロノス・フリーズ』の存在だ。

このスキルは、対象物の時間的な変化を完全に止めることができる。つまり、俺がスキルを発動して「今の状態」を固定すれば、その武器は絶対に劣化しなくなり、摩耗も破損もしなくなるのだ。

ガルドがどれほど無茶な力任せの剣の振り方をしようと、聖剣が折れないのは俺が毎晩こうしてスキルの力を注ぎ込んでいるからだ。戦闘のたびに膨大なダメージが剣に蓄積されているはずだが、俺の『静止』がその崩壊を無理やり押し留めているのである。


俺は聖剣を革製の鞘に慎重に納めると、次に隣の椅子に掛けられていた白いローブに手を伸ばした。

聖女マリアが身に纏っている、神の加護を受けたブランド物の法衣だ。最高級の絹と魔糸で編み込まれたこの法衣は、本来なら少し泥が跳ねただけでもシミになり、魔物の爪に掠れば簡単に破れてしまうほど繊細な作りをしている。

今日の昼間の戦闘で、マリアは毒液を吐く巨大なスパイダーの群れの中に無警戒に突っ込んでいった。法衣は毒液まみれになり、鋭い爪で何度も引き裂かれたはずだ。

だが、今の法衣はまるで仕立て立ての新品のように純白の輝きを保っており、ほつれ一つない。

俺が毎晩、スキルの力を限界まで振り絞り、法衣にかけられた物理的なダメージと汚れの時間を『巻き戻すように固定』しているからだ。この作業は想像以上に魔力を消費し、終わる頃にはいつも立っているのすら辛いほどの疲労感に襲われる。


「ふぅ……今日もなんとかなったな」


すべての手入れを終えた時、窓の外はすでにうっすらと白み始めていた。

疲労で霞む目をこすりながら、俺は冷たい水の入ったコップをあおる。味気ない水だが、乾ききった喉には心地よかった。

勇者パーティーの一員として彼らに同行するようになってから、これが俺の毎日の日課だった。ガルドもマリアも、自分たちの装備の手入れを俺に丸投げし、夜は王都の高級酒場で豪遊している。俺はその間、こうして薄暗い部屋で一人、彼らの命を繋ぐために魔力を削り続けていた。

なぜそんな割に合わないことをしているのかと問われれば、彼らに恩があったからだ。

底辺職として誰からも見向きもされず、路頭に迷っていた俺をパーティーに拾ってくれたのはガルドだった。「お前みたいな底辺でも、俺の剣を拭くくらいなら役に立つだろう」という傲慢な言葉だったが、それでも俺にとっては救いだった。だから、俺は自分の身を削ってでも、彼らの伝説を支えようと誓ったのだ。

自分の『静止』のスキルのことを話していないのは、説明しても信じてもらえないと思ったからだ。それに、彼らが俺のスキルに依存しすぎるのも良くないと考えていた。俺はあくまで裏方として、彼らが無事に魔王討伐を果たせるようにサポートできれば、それで十分だった。


少しでも眠ろうと、粗末な木製のベッドに横たわった直後だった。

コンコン、と乱暴にドアを叩く音が響いた。


「おいレオン、起きているか? ガルド様がお呼びだ。すぐに一番広いスイートルームへ来い」


ドア越しの声は、宿屋の従業員のものだった。

俺は重い体を叩き起こし、急いで着替えると、階段を上って宿屋の最上階へと向かった。

最上階の通路はふかふかの赤い絨毯が敷き詰められ、壁には高価な絵画が飾られている。俺が泊まっている一階の薄暗い部屋とは、まるで別の世界のようだ。

一番奥にある重厚な両開きのドアの前に立ち、俺は緊張しながらノックした。


「入れ」


中からガルドの尊大な声が響く。

ドアを開けて中に入ると、そこは王族が泊まるような豪華絢爛なスイートルームだった。部屋の中央にある巨大なテーブルには、焼き立てのパン、色鮮やかなサラダ、朝から豪華なローストミート、そして高価な果実水が所狭しと並べられている。

そのテーブルの奥に、深く椅子に腰掛けている勇者ガルドの姿があった。金糸のように輝く髪と、自信に満ち溢れた青い瞳。整った顔立ちは確かに英雄にふさわしいが、その口元には常に他人を見下すような傲慢な笑みが浮かんでいる。

その隣には、銀色の髪を美しく結い上げた聖女マリアが座っていた。彼女は俺の姿を見ると、露骨に顔をしかめ、持っていたティーカップをソーサーに乱暴に置いた。


「おはよう、ガルド、マリア。朝早くからどうしたんだ?」


俺が尋ねると、ガルドは肉を頬張りながら、面倒くさそうに手を振った。


「ああ、レオン。わざわざ来てもらって悪いな。実はな、お前に大事な話があるんだ」

「大事な話?」

「結論から言うぞ」


ガルドはナイフとフォークを置き、俺の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には、仲間に対する情など微塵も感じられなかった。


「お前、今日でこのパーティーをクビだ」


部屋の空気が一瞬にして凍りついたように感じた。

俺はガルドの言葉の意味をすぐに理解できず、ただ瞬きを繰り返した。


「……え? クビって、どういうことだ? 俺、何かミスをしたか? 昨夜も剣と法衣の手入れは完璧に終わらせたはずだぞ」


俺が必死に食い下がると、横からマリアが冷ややかな声で口を挟んだ。


「だから、それが不要だって言っているのよ。あなたみたいな『ただ剣を拭いてるだけの金食い虫』に払うお金なんてもうないの」

「金食い虫……?」

「そうよ。私たちはいよいよ明日から、魔王軍の幹部が潜む危険地帯に進軍するわ。そこに、戦闘能力皆無の底辺職を連れて行く余裕なんてないのよ。それに……」


マリアは俺の服装を指差して、心底嫌悪するように顔を歪めた。


「むさくるしい男が近くにいると、私の品格が下がるのよ。せっかく神から賜ったこの美しい法衣も、あなたの薄汚い手が触れたと思うだけで身の毛がよだつわ。正直言って、ずっと目障りだったのよ」


彼女の言葉は、鋭い刃のように俺の胸をえぐった。

俺が毎晩、どれほどの魔力を消費してその法衣を修復していたか。彼女が泥水にまみれ、魔物の返り血を浴びるたびに、俺がどれだけ必死にその汚れを落としていたか。彼女は何も知らないのだ。


「待ってくれ、二人とも何か勘違いをしていないか?」


俺は一歩前に出て、必死に説得を試みた。


「いいか、俺がパーティーを抜けたら、お前たちの装備はすぐに使い物にならなくなるぞ! ガルドの聖剣も、マリアの法衣も、俺が手入れをしているからこそ無事を保っているんだ。俺がいなくなれば、一瞬でボロボロに……!」

「ぶははははっ!!」


俺の言葉を遮るように、ガルドが腹を抱えて大爆笑し始めた。

彼は涙を浮かべながらテーブルを叩き、俺を哀れむような目で見下ろした。


「おいおい、レオン。お前、本気でそんなことを言っているのか? お前のそのただの布切れで拭く作業が、伝説の武具を守っているだと?」

「そうだ! 俺には……」


俺は隠していた『静止』のスキルのことを話そうとした。だが、ガルドは俺の言葉を待たずに立ち上がり、俺の胸ぐらを乱暴に掴み上げた。


「いい加減にしろ、この無能が。この聖剣が壊れないのも、マリアの法衣が穢れないのも、お前なんかのおかげじゃない。俺の天性のカリスマと無尽蔵の魔力が、武具を神聖なオーラで包み込んでいるからだ! 俺たちが優秀だから装備が壊れないだけだ。お前はただ、俺たちの威光にあやかって寄生していただけのダニにすぎない!」


ガルドの怒声が部屋中に響き渡る。

その絶対的な自信と、俺を完全に見下す瞳を見て、俺は悟った。

こいつらは、俺の言葉を何一つ信じる気がない。自分たちの力がすべてであり、俺の裏での血を吐くような努力など、最初から存在しないものとして扱われているのだ。


「それに、給料のことでもお前には不満があるらしいな」


ガルドは俺を突き飛ばし、冷笑を浮かべた。


「お前、毎月ギルドから支給される報酬が少ないとこぼしていたよな。当然だろう。無能な研ぎ師なんかに払う金はない。お前の分の報酬は、俺とマリアの酒代や新しい装飾品代として有効に使わせてもらっていたよ」

「なっ……お前、ピンハネしていたのか!?」


俺がギルドから受け取っていたのは、日々のパンを買うのにも苦労するほどの端金だった。俺は「パーティーの資金が厳しいから」というガルドの言葉を信じて、文句一つ言わずに耐えてきたのだ。だが、それはすべて嘘だった。彼らは俺の報酬を巻き上げ、自分たちだけ贅沢をしていたのだ。


「人聞きの悪いことを言うな。寄生虫に餌を与えてやっていただけでも感謝しろ。さあ、話は終わりだ。とっとと俺たちの前から消えろ」


ガルドが指を鳴らすと、扉の外で待機していた屈強な護衛の男たちが部屋に入ってきた。


「彼をつまみ出せ。ああ、彼が持っている研ぎ道具もすべて没収しろ。それは元々、俺たちの資金で買ったものだからな。身一つで追い出せ」

「承知いたしました、ガルド様」


護衛の男たちは俺の腕を乱暴に掴み、部屋から引きずり出そうとした。


「離せ! ガルド、マリア! 後悔するぞ! 俺の力がなくなれば、お前たちの装備は――!」

「負け犬の遠吠えは聞き飽きたわ。二度と私たちの前に姿を現さないでね、薄汚い研ぎ師さん」


マリアの冷酷な嘲笑を最後に、分厚い扉がバタンと無情に閉ざされた。


そのまま俺は護衛たちに宿屋の裏口まで引きずられ、冷たい雨が降りしきる路地裏へと乱暴に投げ出された。

「ぐっ……!」

泥水の中に顔から突っ込み、全身に強烈な痛みが走る。俺の持ち物は小さなカバン一つすら許されず、本当に身一つで放り出されてしまった。

雨は容赦なく俺の体を打ち据え、体温を急速に奪っていく。

泥にまみれ、這いつくばったまま、俺は薄暗い空を見上げた。


これまでの数年間は、一体何だったのだろうか。

俺は彼らのために魔力を削り、自分の生活を犠牲にし、ただ純粋に彼らの背中を支えたいと願っていた。その結果が、これだ。

利用されるだけ利用され、金を奪われ、最後はゴミのように捨てられた。


「……あいつら」


冷たい雨の中で、俺の心の中にあった「彼らへの恩義」や「仲間への情」という温かい感情が、急速に冷え固まっていくのを感じた。

代わりに胸の奥底から込み上げてきたのは、焼け焦げるような怒りと、圧倒的なまでの理不尽に対する憎悪だった。

だが、同時に俺は冷静に理解していた。俺が何も復讐などしなくても、彼らは自滅する。

なぜなら、俺が追放された今、彼らの装備にかけられていた『静止』のスキルはすでに解除されているのだから。


ガルドが自信満々に振るう聖剣には、これまで受けた数え切れないほどの魔物の攻撃、ドラゴンのブレス、硬い装甲との衝突といった「蓄積されたダメージ」が封じ込められている。

マリアの法衣にも、毒液や酸、魔物の鋭い爪による「致命的な損壊」が隠されている。

俺が時間を止めていたからこそ保たれていたそれらが、スキルが解除された今、一気に物理的なダメージとして顕現し始めているはずだ。

次に彼らがその装備を使って戦場に出た瞬間、何が起こるか。


「……勝手に勘違いして、勝手に死ねばいいさ」


俺は泥水の中からゆっくりと立ち上がった。

もう、ガルドやマリアのことはどうでもいい。あんな恩知らずな連中のために、俺の力を使う必要はない。

俺は俺自身の人生を生きる。この『静止』という神級スキルを使って、今度こそ俺を本当に必要としてくれる場所を見つける。

降りしきる雨の中、俺は未練を一切捨てるように宿屋に背を向け、一人静かに歩き出した。

彼らが自分たちの致命的な過ちに気づき、絶望のどん底に叩き落とされるのは、もうすぐそこまで迫っていた。

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