昔話 スコルトものがたり
マーティン帝国は現在210余年の歴史を誇る大帝国である。
その建国は、初代皇帝ジョージ1世が腐敗を極めたアイパー王国で革命を起こし、王朝を打倒したことに始まる。
ジョージ1世は元々アイパー王国の奴隷民であった。ある日、彼は人を人とも思わないあまりにも劣悪な労働環境に怒りを覚え、同じ奴隷身分の仲間たちと武装蜂起を起こす。
最初はほんの100人ほどから始まったそれは、王国が不当に課す重税に苦しんでいた多くの民衆を味方につけ、瞬く間に規模を拡大。遂には討伐に来た王国軍を返り討ちにするまでになった。
革命軍は勢いそのままに首都を制圧し王家を討ち取ったのだ。
ジョージ1世はその後、類い稀なカリスマを発揮して国内を瞬く間に掌握する。
アイパー王国の領土、軍事力、優秀な人材、そのことごとくを手に入れたジョージ1世は、まず最初に自身の足場固めと内政に力を入れ、建国から30年が経つ頃にはマーティン帝国は揺るぎない地盤を手に入れた。
そしてジョージ1世は、さらなる領土拡大のためにある布告を帝国全土に発する。
――『領地を持ってマーティン帝国に帰属した者を貴族として遇する』
この布告により、帝国各地の野心家は戦力を集めて帝国周辺を侵略。占領地を手土産に次々と貴族に叙せられる事となった。
さらには、周辺国の有力者が侵略されることを恐れ、自ら先んじて帝国に帰属したことにより、帝国領土は一気に倍増。マーティン帝国は大陸中央に覇を唱える大国となった。
さて、当時の帝国にディンという若い男がいた。
彼もまた世間の時流に乗り、領地を手に入れて貴族になるという野望を持っていた。
ディンは若い頃から粗暴な男であった。犯罪に手を染める事も厭わず、ジョージ1世の革命による混乱に乗じてあちこちの子金持ちの家に押し入って財産を奪っていた。
その甲斐あって、それなりの財産を手に入れたので、それを元手に人を集め、一旗あげることをディンは決意した。
早速実行に移そうとしたディンであるが、問題になるのは何処を手に入れるかである。
ディンが動き始めた時には既に目ぼしい地域は誰かに取られてしまっていた。
彼は必死に手付かずの土地を探し求め、悩んだ末にレメンス大山脈の向こう側、北端の地(現在のスコルト領)に向かうことにする。
……全くもって愚かなことに、なぜ誰もその土地を手に入れようとしないのかを僅かたりとも考えることをせずに……。
陸路では、北端の地への道のりに聳え立つレメンス大山脈を越えることはまず不可能なので、ディンは船に乗り山脈を迂回して海路で北の地に向かうことにした。
ディンは金で集めたゴロツキを部下に、ひどく荒れた海に難儀しながら北上し、ようやく大陸北端の地へと辿り着く。
そして海沿いに小さな漁村を見つけたので部下を引き連れ上陸した。
ディン達ならず者どもの到来に気づいた村人たちは海岸に集まり、物騒な雰囲気を漂わせる来訪者に怯えた目を向けていた。
(見たとこ100人も住んでねぇな。ちょいと脅して飯と寝床を貰うとするか)
ディンがそんな事を考えていると、村の代表と思わしき老人が進み出てきて、恐る恐るディンに来意を尋ねた。
「あんたらどこの誰だ? この村には奪える財産なんてないぞ」
見た目通り貧乏な村のようである。彼らの着ている服はボロであるし、痩せた身体つきで満足に食事も取れてないのがひと目でわかった。
これならいざ凶行に及んでもさしたる抵抗も受けなさそうだと考えたディンは、余裕の笑みでニヤつきながら、抜き身の剣を片手に答えた。
「マーティン帝国のもんだ。安心しろ、テメェらを殺しに来たんじゃねぇ。ここいら辺の領主は誰だ?」
脅すように剣を抜いておいて「殺さない」と言っても誰が信じるであろうか。
これはとんでもない悪人が来たと、村人はブルブルと震えている。
村の代表は半ば泣きそうになりながらディンの質問に答えた。
「ここらに領主はいねぇ。レメンス大山脈から北の海まで誰の土地でもねぇよ。俺らは勝手に住んでいるだけだ」
各集落に仕切り役はいるようだが、それらを取りまとめる長はいないらしい。当然、明文化された法律も無ければ税金も無い、正に無法地帯である。
ディンは村人の言葉に驚喜した。
「何だと、結構な広さじゃねぇか! よしっ! 誰のもんでもねえなら俺のもんだ!」
悪辣な笑みで村人に剣を突きつけるディンら一党。
ディンは一方的な宣告を村人に突きつけた。
「おい、今日からこの俺がお前らの領主だ! いいな!」
武装したならず者に非力な村民が勝てる訳がない。村人たちは悲鳴をあげ、抵抗することもなく両手を上げて降伏した。
こうしてディンは半島を支配下に置き、それを領地として帝国に帰属した。その功績により、帝国からディンには男爵位が送られることになる。
ディンは家名を父の名であるスコルトとし、ここに初代スコルト領主ディン・スコルト男爵が誕生したのである。帝国暦31年夏のことであった。
――そして時は流れ。
「はぁ、もう嫌だ……」
それから30年後。
スコルト領の西にある寂れた漁村で、3代目スコルト領主バラン・スコルト男爵10歳は、海を見ながら憔悴し切っていた。
実年齢よりも更に幼く見える、痩せっこけていて擦り切れた服を着た、貧相な身なりの少年である。とてもではないが貴族にも領主にも見えなかった。これなら帝都の庶民の方が裕福であろう。
(どうしてお爺様はこんな土地を手に入れたんだろう? 作物は育たない、海はいつも荒れている、不毛の土地を……)
当時、デリウム火山は何度も噴火を繰り返しており、絶えず噴煙を撒き散らしていた。火山灰が太陽を遮るので農作物はろくに育たない状況であった。
さらには、スコルト近海はほとんど毎日のように荒れており、まともな漁も行えない有り様であった。
この当時のスコルトでは、明日の食べ物すらままならないような暮らしを住人たちはしていたのである。
(聞きたいけどお爺様はとっくにあの世。お父様もお母様も病で死んでしまった。そして僕は名ばかりの男爵様。もうこんなつらい生活は嫌だな……)
バランはボンヤリと海を眺めている。いっそこのまま身を投げてしまおうか? ふとそんな自暴自棄な考えも頭をよぎった。
だが、バランは目の前の海の様子を見て考え直した。
(止めよう。せっかく海が穏やかなんだ。死ぬなら大時化の時でいい……)
スコルトの海は波高く荒れ狂っているのが通常だ。今日のように静かで穏やかな海は滅多にない。ならば、そんな貴重な日を自分の死で騒がすのは勿体ないとバランは考えた。
「……ん? 何だ、あれ?」
バランの目線の先、水平線の向こうから多数の船が現れた。大型船は無いがその数は30を超えている。船団は真っ直ぐバランのいる漁村に向かって来た。
「大変だっ!」
バランは船団が近づいて来ていることを村中に知らせるため、泡を食って走り出した。
何が目的かは分からないが、もし掠奪目的なら大変なことになる。
仮にも領主であるバランは、領地と領民を守るために動かなければならなかった。
「ああ……もうこんな近くに……」
バランが村人たちを連れて船着き場に戻った時には、船団はもう間近まで迫ってきていた。視力が優れた者なら、もう船の上の人物の顔を判別できるであろう。
交渉するにせよ逃げるにせよ、もう対策を練る時間的猶予はバランに残されていなかった。
「あっ、小舟が来るぞ! 誰か乗ってる!」
村人の誰かが声を上げる。
船団から一艘の船だけが出てきて村に近づいてきたのだ。
その船が船着き場に停まると、一人の若い男が降りてきた。
年齢は20歳くらいだろうか、ベージュ色の髪色で、逞しい体つきをした、かなりの大男である。
男は興味深そうに辺りをキョロキョロと見回していた。えらく興奮した様子である。
「ここがマース大陸か! ちと天気は悪いが、聞いてた通り暖かいな!」
そして男はニコニコと友好的な笑みを浮かべながらバランたちに近づいてきた。敵対する気は無いと示すためか、両手は大きく広げている。
「おう、ここの住民か? 驚かせたみたいで悪いな。俺らはレフから来たんだ。もうちっと南に行く予定なんだが、この間の嵐で船が破損してな。幸い沈むほどではないんだが、修理は必要だ。対価なら払うから材料を分けて欲しい。代表は誰だ?」
代表を尋ねられ、村人たちは一斉にバランを見た。10歳といえどまごうことなき男爵である。この場で代表と言えばバランであった。
その様子を見た男はバランに尋ねる。
「もしかしてボウズが代表か?」
バランは名ばかりでも領主である。逃げるわけにもいかず、意を決して男の前に出た。
「はい、僕がこのスコルトの領主であるバラン・スコルトです」
男はバランをじっと見た。
(きっとバカにするなって怒鳴られる)
バランはそう思っていたが、男はバランの頭に手を置くとグシャグシャに撫で回し、心底感心したように言った。
「すげぇなボウズ! その歳で領主か! 立派じゃねぇか!」
思いもよらない褒め言葉に、バランは目を白黒させた。
男はバランから手を離すと、両手を腰に当て仁王立ちをした。なかなか堂に入ったビシッとした立ち姿である。
そして礼を失したことを詫び、名乗りを上げ始めた。
「おっとすまねぇ、まだ名乗ってなかったな。俺はロス氏族の……いや、もうそれは名乗れないんだった。悪い、仕切り直しだ」
そう言って男は一度名乗りを止め、寂しげに首を振ると、決意を込めた眼差しでバランをしっかりと見つめた。
「俺はスピリタスだ。よろしくなバラン」
帝国歴61年。スコルト男爵領西の漁村にて、バランとスピリタスは出会った。この瞬間、スコルト領の運命は大きく動き出したのである。
「今のレフ大陸はレゼル氏族のテルヌ王が統一してんだよ。王の兵力は段違いだから俺たちも恭順するつもりだった。だけど、以前氏族から追放した俺のクソッタレな弟が王の配下にいてな。復讐のために俺たちを皆殺しにするって言ってきたんだ」
スピリタスたちはスコルトに資材が無いことを聞いて、自分たちで調達することにした。
しかし、今日はもう日が暮れるので、スピリタスたちは船団を港に停泊させ、浜を借りてキャンプをしている。
スピリタスはバランへここに来た経緯を説明している所だ。二人は浜辺に並んで座り、海を眺めながら会話をしている。
「アイツは話が通じねぇ。戦っても敵わねぇ。そこで俺たちは、族長である親父と年寄りたちが時間を稼いでる間に一族総出で船に乗って逃げ出したんだ。こうなったら、もうレフには戻れねぇ。俺たちの新天地はこのマースで探すしかないんだ」
そう言ったスピリタスは、寂しそうに海の向こうを見た。彼の目には故郷が映っているのだろう。
「伝来の土地を捨てて先祖の墓も失った俺たちに、もう元の氏族名を名乗る資格は無い。だから俺は、ただのスピリタスなんだ」
スピリタスはそこまで話すと、ニカッと笑って砂浜に体を投げ出した。
「今度はお前のことを聞かせてくれよ、バラン」
バランはスピリタスに釣られて笑顔で話し始めた。決して明るい話ではないが、不思議と心は晴れ晴れとしていた。二人は夜が深けるまで語り合った。
翌日、スピリタスたちは木材を手に入れるため、デリウム火山に出発した。
といっても、バランたちがいる西の漁村からだと距離があるので、一度無事な船で半島をグルッと北回りに半周して、火山のふもとにある東の漁村にまずは向かった。バランも、東の漁村に話をつけるために彼らに同行している。
無事に到着し、作業場所も借りられたので、スピリタスたちは山へ登った。
その山中でスピリタスは苔むした石像を見つける。
スピリタスが「これは何だ?」と案内役の村人に聞いても、「知らない」という答えが返ってきた。
「きっとこれは神様の像だ」
そう言ってスピリタスは石像を掃除する。
苔を取り除くと、やはり何かを模した像であった。村人はクルスの神はこんな姿をしていないと言ったが、スピリタスは多神教を奉じるキルト人だ、多分こんなとこにあるくらいだから山の神だろうと当たりをつけて祈った。
「神様神様、木を切りますお許しください。それと……あっ、バランが噴火で困ってるって言ってたな。神様、噴火をやめてください。えーと、海の魚をお供えします。よろしくお願いいたします」
スピリタスが祈ると、延々と出続けていたデリウム火山の噴煙がピタリと止まった。村人は驚きのあまり、その場で腰を抜かした。
その後、スピリタスは北の海の沿岸にあった洞窟の中でも石像を見つけ、同じように掃除し祈りを捧げた。
今度は海を穏やかにと願い、山の実りを供えること誓う。すると荒れ狂っていた海がたちまち静まった。
こうなるともう偶然では済まされない。海を超えて来たキルト人がスコルトに奇跡を起こしたと領民たちは口々に噂した。
スピリタスたちの船の修理が終わり、彼らは出港しようとしたが、村人たちは必死にそれを引き留めた。
村人たちにとって、山と海を鎮めたスピリタスは、既に生き神のような存在であったのだ。
できればずっとここで暮らしていてほしいと願っていた。
村人たちに定住を懇願されたスピリタスは、逡巡した様子でバランを見た。
「バラン、俺たちはここに住んでいいのか?」
バランは満面の笑みを浮かべた。彼にとっても願ってもない事だ。喜んで歓迎するつもりである。
「スピリタスさんたちがここで暮らしてくれるんですか! 嬉しいです!」
スピリタスは同胞たちの顔を見る。全員が笑顔で頷いてくれた。
スピリタスは心を決め、宣言する。
「同胞たちよ、俺は決めたぞ! ここが、このスコルトが! 俺たちの新しい故郷だ!」
浜辺に人々の歓声が響いた。
以降スコルトは気候に恵まれ、豊かに発展を続ける。
そして後に平原の中央に新しく町が作られた。領主館などの行政施設を備えた、領の中心となるその町は『スピリタス』と名付けられた。
補足
スピリタスの二つ名
《山と海を鎮めし者》《海を渡りし始祖》《スコルトの福音》
スピリタスの弟はロス氏族長を名乗ったがテルヌ王の崩御により始まった内乱のさなか死亡、ロス氏族は滅亡した。




