彼女たちの誇り
春に起きたトカゲ騒動が収束し、大量に来訪していた武芸者たちはまるで潮が引くようにいなくなった。街中でトラブルを起こす者も減り、スピリタスの町も治安を元通りである。
事後処理に追われているトリス男爵はまだまだ忙しそうであったが、町の人々には関係ないことだ。
スコルト領はいつも通りの風景を取り戻しつつあった。
尚、討ち取ったトカゲは、記念として首だけをスコルト領でキープし、あとの胴体はファーネス商会に売られた。相当な高値がついたらしく、関係者一同はホクホク顔である。
特に喜んでいたのはトミン支店長である。世にも珍しい特異個体のドラゴン(トカゲ)の部位を売り捌けるとあって、ヨダレを垂らさんばかりの笑顔をしていた。
それだけに飽き足らず、捜索隊が使ったバリスタの矢やイングが投げた投擲槍というトカゲの血が付着した武器まで買い取って、ウロコや爪とセットで好事家に高値で売り払っていた。
一番大きく、最も値がつきそうな尻尾部分は、男爵家よりファーネス商会を通じて帝室へと献上された。尻尾は帝都にある国立博物館にて一般にも公開され、多くの見物客を集めたという。
この事により特異個体討伐が広く世に周知され、今更スコルトに行こうなどと考える者もいなくなった。
どっかの誰かが忙しかろうと欲深かろうと季節は巡る。スコルト領は初夏を迎えようとしていた。
昼休憩中の『エミール』にて、レミーリアとスミカは皿洗いをしながら雑談をしている。
その中でスミカが信じられないようなことを言ったので、レミーリアは度肝を抜かれ思わず聞き返してしまった。
「食い逃げですか? このスピリタスで?」
とてもではないが信じられないといった口調である。このスピリタスで食い逃げをするのが、どれほど命知らずなことかよく知っているのである。
だが、レミーリアの聞き間違いなどではなく、本当に起きた事らしい。スミカは困った顔でため息をついた。
「そうなのよ〜。若いクルス人らしくてね。もう何件も被害が起きてるの。昨日はテッドさん所の店に現れたらしいわ。迷惑な話よね〜」
「常習犯なんですか!? 命が惜しくないのかしら……?」
スコルトの飲食店経営者の中には引退した元傭兵が数多くいる。誰もが現役時代には多かれ少なかれ暴れていた連中だ。
そんな血の気の多い彼らに喧嘩を売り続けるなど、レミーリアには正気の沙汰とは思えなかった。
やるとしたらそれを知らない者、つまり犯人は間違いなくヨソ者である。
「でも、いくら犯人がヨソ者でも、常習犯だったら似顔絵とか作れるんじゃないですか?」
レミーリアは不思議そうに首を捻った。
トカゲが討伐され、スピリタスを訪れていた武芸者たちはスコルトを去っている。この町ではヨソ者はとても目立つので、捕まえるのは簡単なはずだ。
「それがね、どうにも記憶に残らないっていうか、すっごくどこにでもいそうな顔らしいのよ。店の人も『あれ? 名前は知らないけど確か町の人だな』って思って注文を受け付けたらしいわ」
予想外の理由にレミーリアは唖然とした。
自分もスコルトの人間の顔を全部知っている訳ではないが、地元民かどうかぐらいなら分かりそうなものである。よっぽど凡庸な容姿の男なのだろう。
「それじゃあ、お店に来たとしてもその食い逃げ犯か判別できないんですか?」
「そうなのよ。ホント困るわ〜。なんでも一昨日はキ『ごめんくださーい!』」
二人が話をしていると、『エミール』の扉が勢いよく開き、若い女性が飛び込んできた。
レミーリアより少し年上の、可愛らしいお仕着せを着た、くせっ毛の美しい女性である。よほど急いで来たのかハァハァと息を荒げている。
スミカは突然の訪問にビックリして危うく皿を落としかける。が、すぐに気を取り直し、息を切らしている女性に声を掛けた。
「あら、『酔猫亭』のソニアちゃんじゃない! そんなに急いでどうしたの?」
ソニアと呼ばれた女性は何度か呼吸して息を整えると、焦った様子で捲し立てた。余程のことが起きたのか酷く深刻そうな表情である。
「スミカさん大変です! 例の食い逃げ犯、今度は『オールトム』でやらかしました! バルベーラさんがカンカンです!」
「そんなッ!」
バルベーラという名前が出た瞬間、スミカは血の気が引いた表情で悲鳴を上げた。愕然とするあまり手がブルブルと震え出している。思わずもう一度皿を落としかけた。
レミーリアやイングなどのリアクションも似たようなものである。誰もが顔を青ざめさせ、引き攣った表情を浮かべていた。
よほど怒らせると恐ろしい人物であるらしい。食い逃げ犯は虎の尾を踏んだようだ。
凍りついた店内でソニアは話を続ける。
「それでバルベーラさんがスコルト飲食店組合婦人部の緊急会合を開くそうです。スミカさんとレミーリアちゃんも招集されています。至急『オールトム』にお願いします」
スミカはともかく、自分も呼ばれるとは思っていなかったので、レミーリアはキョトンとした顔で自分を指差した。
スコルト飲食店組合はスコルトで営業している飲食店の経営者家族が加盟する組合である。レミーリアはまだ嫁入りしていないので組合には入っていないのだ。
「私もですか?」
「何言ってるの! レミーリアちゃんは未来の婦人部の最高戦力でしょ! 今回はレミーリアちゃんにも力を貸してもらうわ!」
ソニアにそう言われ、レミーリアは「そんな〜」と照れている。
なお、イングは照れ臭そうにそっぽを向いた。
「それなら私とレミーリアちゃんは行かないといけないわね」
いよいよ事件はスコルト全飲食店の問題となったようである。
スミカはキリッと表情を引き締めた。
「あなた、ごめんなさい。そういうことだから私たちちょっと出てくるわね」
急遽仕事を抜ける事を謝るスミカだが、ブルーにとっても食い逃げは許しがたい犯罪だ、協力を惜しむつもりはない。それに明日にはこの『エミール』が被害に会うかもしれないのだ、急な会合に目くじらを立てるつもりは毛頭なかった。
ブルーは真剣な表情で妻と未来の嫁を送り出した。
「構わないよ。うちも他人事じゃないからね。行ってきなさい」
レミーリアとスミカはエプロンを外し、ソニアと共に急いで『オールトム』に向かった。
『オールトム』はスピリタスでも老舗の飲食店だ。客席数は『エミール』の倍で、いつも満席の人気店である。
店長は若い男性だが、実質的に店を仕切っているのは彼の祖母である《千枚おろし》のバルベーラである。
レミーリアとスミカが到着した後、続々と他店の女性たちも『オールトム』に集まってきた。
広い店内が女性陣で埋まっていく。華やかそうな字面だが、実際の雰囲気は剣呑極まりない。中には食い逃げ被害にあった店もあるのだろう、普段の会合とは空気の張り詰め方が段違いであった。
程なくして参加者全員が集まると、さっそく会合が始まる。
司会進行は、魚料理が人気の店『マルサンス』の美人女将ローザンヌが行った。ロングヘアーで切れ長の面立ちをした美女で、30歳の若さにしてスコルト飲食店組合婦人部の事務局長に抜擢された才媛である。
ローザンヌは立ち上がると、集まった組合員たちに丁寧に一礼した。背中まで伸びた長い髪がハラリと肩から落ちる。
「本日は急な招集にも関わらずお集まりいただき、誠にありがとうございます。まずは婦人部会長バルベーラさんより、皆様にご挨拶があるそうです」
ローザンヌの言葉を受け、全員が厨房の方を向いた。
カウンターの向こうにある厨房では、先程から顔じゅうに深いシワが刻まれた白髪の老婆が一心にシャコシャコと包丁を研いでいる。彼女こそが婦人部会長バルベーラであった。
バルベーラは包丁を研ぐ手を止めて顔を上げ、ニタっと口の端を吊り上げて笑った。
「こんなことをしながらですまないね。どうも包丁を研いでないと心が落ち着かないのさ。何せここ数十年来、こんな舐めた真似をされたことがなくてね。すっかり頭に血がのぼって、今にもおっ死んじまいそうなんだよ。まったく、歳は取りたくないもんだね」
老齢とは思えないほどハキハキとした声でそう言ったバルベーラ。口調こそ冗談めいているが、目が全く笑っていなかった。包丁を握る彼女の手は、心の奥底から沸々と湧き上がる憎悪を堪えるかのようにプルプルと震えている。
きっと犯人が目の前に居たら、躊躇わずその包丁を振り下ろすのだろう。そう思わせる凄みがあった。
「さて、あんた達――」
バルベーラは包丁を日光に当て、研ぎ加減を確かめた。照らされた包丁と彼女の瞳が怪しく光っている。
「今回はスピリタス全飲食店の問題だ。この中にも煮え湯を飲まされた店もある。食い逃げは私たち飲食店が心を込めて提供した料理を冒涜し、料理人を侮辱する最低のおこないだ。この落とし前はつけてもらわなきゃあならない」
バルベーラの目がクワッと見開かれ、その口から檄が放たれた。包丁を持つ手にも力がこもる。
「皆の衆、食い逃げしたクソガキをとっ捕まえて切り刻み、家畜のエサにしてやろうじゃないかッ!」
「「「はいっ!」」」
バルベーラの言葉に女性たちは大いに賛同した。女性陣は本気で犯人をエサにする気満々である。飲食店経営者の中には元女傭兵も多くいるので血の気が多いのだ。
気勢をあげる店内でレミーリアは、
(ネーロに変なものを食べさせたくないから魚のエサにして欲しいわ)
とズレたことを考えていた。
意思が統一されたところで作戦会議が始まった。進行はローザンヌが引き続き務めている。
「犯人は20代くらいのキルト人男性です。皆様ご存知の通り凡庸な顔つきです。髪と目の色、服装はお手元の資料をご覧ください」
レミーリアも配布資料に目を通す。似顔絵もあったが、見事にどこにでもいそうな男性であった。服装も特徴の無い平民の服で、目立つ物ではない。
「そして犯人ですが、『来福堂』さんの証言では言葉に少々マーティン西部の訛りがあるらしく、よそ者である可能性が高いです。身体能力は高く、被害にあった店の店員のことごとくを振り切ってます。特に『パーティボトル』店主である元傭兵のテッドさんの追跡も撒いることから、逃走技術はかなりのものであると思われます」
一人の女性が手を挙げた。
「ヨソ者なら寝ぐらを押さえればよくないですか?」
もっともな意見ではあるが、ローザンヌは残念そうに首を横に振った。
「既に町中の宿泊施設に回状を回しましたが該当するような客はいませんでした。おそらく空き家などに潜伏しているのだと思います。騎士団に空き家捜査の依頼を出す予定ですが、捜査に時間がかかること、途中で寝ぐらを変えることが危惧されます」
先程とは別の女性が挙手をした。
「そうなると、やっぱり犯行時にとっ捕まえるのが一番手っ取り早いんだね? 逃げ足が速いってんだったら、あたしらの他に誰か助っ人を雇えないかい?」
ローザンヌは「当てはあります」と頷く。助け立ちを呼ぶことについても、もう算段はついていた。
「ちょうど今、盗賊退治で活躍しているクルス人傭兵団〈朝日の涙〉がスピリタスに戻ってきていますので、彼らに協力を打診します。また犯人確保に協力してくれた方に謝礼を支払う旨を町の掲示板に貼っておきます」
そこでバルベーラがニヤリと不敵な笑みを浮かべて手を上げる。
「助っ人ならあたしにも考えがあるよ」
そう言うとバルベーラは、レミーリアに優しげな口調で話しかけた。
「レミーリア嬢ちゃんや、この婆ぁの頼みを聞いてくれるかい?」
「? はい、もちろんです」
レミーリアは内容を聞く前に了承した。
何を要求されるかわかったものではないが、バルベーラの頼みを断るなどという恐ろしいことはレミーリアには出来ないのだ。
その後も話し合いが続き、今後の方針と対策が決まったところで、『オールトム』の店主であるレイバンがワイン数本と沢山のグラスを持って店の奥から姿を現した。
レイバンは女性たちにグラスを渡し、見惚れるほど鮮やかな所作でワインを注いでいった。バルベーラとは似ても似付かぬ爽やかな風貌の好青年である。ワイン一つ注ぐだけでもサマになっていた。
女性ファンも多く、『オールトム』が人気である理由の一つであったりする。
ワインが全員に行き渡ったところでバルベーラがグラスを掲げ乾杯の音頭を取る。
「さあ、作戦成功を祈願して乾杯だ! 皆の衆、帰ったら旦那と息子の尻を蹴っ飛ばしなっ! どんな手段を使ってでも食い逃げ犯を地獄の底に叩き落とすんだよっ! あたしらの誇りにかけて!」
「「「誇りにかけて!」」」
この日より、スピリタス全体を巻き込んだ食い逃げ犯捕縛作戦(ただし生死問わず)が開始されたのである。
補足
バルベーラの二つ名
《煮込み達人》《千枚おろし》
スコルト女性陣の長老の一人。料理の腕は超一流で特に煮込み料理が絶品。
彼女の料理と孫の選んだワインの組み合わせは奇跡的ですらある。




