第219話 関節技の訓練
自転車が玄関先に着くと、ジェーンはピョコンと荷台から飛び降り、屋敷を背にして深々とトキオにお辞儀をした。
「ありがとうございました!」
「うん、その様子だと足は大丈夫そうだね」
「はい!大丈夫です!」
そこで、メアリーも到着してジェーンの横に並んだ。
「ありがとうございました!」
今度はメアリーが深々とお辞儀をした。
「楽しかった?」
「はい!」
二人は声を揃えて嬉しそうな顔で答えた。
「この調子ならすぐに一人で乗れるようになるね。一輪車の時のように二人で練習して乗れるようになったら、なるべく多く乗って不具合が出たらどんな細かいことでもいいから報告してね」
「わかりました!」
二人は元気に答えると顔を輝かせた。
「この屋敷の道は整備され過ぎるてるから、外への買い物にも乗って行ってくれた方がいいね。その時は、門を出る手前でタイヤの状態をチェックしてから出て行ってね」
「はい!わかりました!」
「そうだ。小さいものを買う時のためにハンドルの前に籠を付けるといいな。あとで、一緒にやろう」
「そうですか!よろしくお願いします!」
メアリーがそう言って二人で頭を下げた。
そこでトキオは、フーゴとクロアの方を向いて聞いた。
「じゃあ、どっちか練習してみる?」
その言葉で、二人ともビクリと体を震わせてしばらく黙った。
「・・・私は疲れてるから、今度の休みの日でいいわ」
クロアが、少し目を泳がせながら言った。
(メアリーとジェーンが簡単に乗れたもんだから怖気づいたな)
トキオはそう思ったが、そのことには気づいていないふりをした。
「そうか?じゃあ、その気になったら声をかけてくれ」
「メアリーかジェーンに頼むからいいわ・・・大丈夫でしょ?」
クロアは二人の方を向いて聞いた。
「はい!もちろんです!」
メアリーが答え、また、二人で頭を下げた。
「フーゴはどうする?」
「うーん・・・まだ、自転車ってのがなんだかよくわからないから、俺は二人の練習を見て、どういう風に乗ればいいのか要領みたいなものがわかってからにするよ」
そう答えたフーゴは、クロアとは明らかに違った様子で、どちらかというと困惑しているという感じだった。
「そう?でも、それは案外いい考えかもだね」
トキオは本気でそう思い、フーゴの物事に取り組みむ姿勢に感心した。
「じゃあ、私は先にお風呂に入るわよ」
「ああ・・・ちょっと汗かいちゃったから、早めに頼むぞ」
「それはあんたの都合でしょ!・・・まあ、気にしといてあげるわ」
「はいはい、そりゃどうも」
トキオの馬鹿にしたような返事に、クロアはトキオを睨んだが、何も言わずに屋敷に入って行った。
「なんかお前ら、一緒に住んでるせいかアティムにいた頃より仲良くなってないか?」
二人のやり取りを見ていたフーゴが、表情を変えずにぼそりと言った。
「ええっ!?別にそんなことないでしょ」
トキオは反射的にそう答えたものの、今までにこの屋敷、特に自分の部屋のベッドでクロアとの間に起こったことや、動物園でのことが頭をよぎった。
「おや?そんなこと言いながら顔が赤くなったぞ・・・もしかして、やっぱり二人は・・・」
「なんにもないよ!フーゴがいきなり変なこと言うからビックリしただけだよ!・・・もう!部屋に戻るからね!」
「そうか?・・・まあ、そういうことにしとこう」
フーゴは、少し顔がにやけていた。
「・・・まったく」
トキオは不機嫌そうな顔をして屋敷に入って行ったが、それは照れ隠しで別に気分を悪くしたわけではなく、これ以上クロアのことを聞かれると困るという思いからだった。
セバスチャンは、トキオのすぐ後ろから屋敷に入って行った。
フーゴは、メイドの二人がセバスチャンのそばにいないことを不思議に思ってキョロキョロと見回してみたが、どこにも姿はなかった。
それどころか、自転車もなくなっていた。
「自転車をどこかに運んで行ったってことか?いつの間に!?・・・ここの使用人の行動の早さは驚異的だな」
フーゴはそう呟くと、最後に屋敷に入って行った。
次の日、トキオはまた、午前10時からセシル王女のお相手だったが、その前が造兵局での打ち合わせだったこともあり、なんとか2分前に訓練場に入れた。
しかし、
「こっちは準備して待ってるのにギリギリじゃないの!もっと早く来なさい!」
と、怒られた。
「すみません!」
トキオは、少し理不尽だとは思ったが、相手が王女なので素直に謝るしかなかった。
「さあ、今日こそは合気道の技を教えてくれるんでしょうね!」
「それは殿下の様子を見てから決めます。まずは、受け身からです」
「ええっ!?また今日もやるの?もう、随分上達したはずよ!」
「いえ、まだまだです。それに、受け身の練習は毎日やるって言いましたよね?」
「そうだったかしら?」
「基本中の基本ですし、準備運動にもなりますから毎日やるのがいいんです」
「・・・わかったわ!やるわよ!」
そのまま1時間ほど受け身の練習を続けたが、昨日もみっちりやったせいか、随分、様になって来ていた。
「いいですね。じゃあ、今日はこのくらいにしましょう」
「・・・やっと実際の技をやるのね」
「そうですが、その前にお伺いします・・・殿下はフラビアから絞め技と関節技を習いました?」
「聞いたことない技の名前ね。たぶん、習ってないわ」
「やはり、そうですか。そんな気がしてたんです。それじゃ、重要な技なのでそれからいきましょうか」
「でも、柔道の技なんでしょ?それより、合気道を教えなさいよ」
「絞め技と関節技をバカにしちゃいけません。相手の動きを簡単に止められる技ですよ」
「・・・何よそれ。気になるじゃないの」
「やってみます?」
「しょうがないわね。やってみせなさい」
「では、まず関節技から。俺の胸元を掴んでもらえます。本当に逃がさないつもりで力を込めて」
「え?私が掴むの・・・よくわからなけど、いいわ」
王女はそう言うと、右手でトキオの服の胸元をかなり力を込めてしっかりと掴んだ。
「じゃあ行きます。ちょっと痛いですよ」
「なんですって」
トキオは、王女の反応は無視して、アティムで最初に皆に教えた時のように掴まれた腕の袖の肘部分を両手で下に引っ張りながら少ししゃがみこんだ。
「痛い痛い痛い!なにするのよ!」
王女は、激痛に苦悶の表情を浮かべて思わず腰を落としたが、それと同時に右足でトキオの向こうずねを激しく蹴った。
「痛っ!」
今度は、トキオが痛みで手を離した。
「いった~い!」
王女とトキオは同時にそう言い、王女は右手首を、トキオは向こうずねを押さえてうずくまった。
「いきなり何をするのよ!」
王女は、怒りの表情でトキオを怒鳴りつけた。
「これが関節技なんですよ。それにしても、いきなり蹴ることないでしょ」
「お前が変なことをするからよ!こんなに痛いなら先に言いなさい!」
「言ったじゃないですか」
「あんなに直前に言われても何もできないじゃないの!何を考えてるの!」
「先に言ったら警戒するでしょ?相手に不意打ちを食らわせる技ですからね、突然食らったらどうなるかを体感してもらったんですよ」
「何よそれ!そうだとしても、まず、どういう技か説明しなさい!」
「わかりました。次回からそうします・・・で、どうでした?」
「すごく痛くて、思わずしゃがみ込もうとしたじゃない」
「そうでしょ?・・・でも、普通の人なら完全に戦意をなくして動きを止めるんですが、咄嗟に反撃されたのはサスガですね」
「相手に攻撃されたら反射的に反撃するように子供の頃から訓練されているからよ。当然でしょ」
王女はそう言うと、少しどや顔になった。
「・・・でも、面白い技ね。誰に対しても有効なのかしら?」
「はい。体が大きくても、力が強くても関係ないです。関節技とはそういう技です」
「私がやっても同じ効果があるということ?」
「はい、やり方を覚えればそうなります」
「そう・・・では、今から教えなさい」
「そのつもりですが、従者の方に手伝ってもらっていいですか?俺に掛けられると説明しづらいので」
「構わないわよ・・・ベルナー、ちょっと来なさい」
「は!」
壁際に立って控えていたベルナーと呼ばれた従者は、大きな声で返事をすると小走りで王女のところまでやって来た。
「ちょっとそこへ立ってて・・・で、どうやるの?」
王女はとトキオの方を向いて聞いた。
「まず、ベルナーさんに胸元を掴んでもらってください」
「聞いた?言われたとおりに掴みなさい」
王女はベルナーに言った。
「よろしいのですか?」
「いいと言ってるでしょ!早くしなさい!」
「はい!・・・それでは、失礼します!」
ベルナーは、深くお辞儀をしてから右手を伸ばし、王女の服の胸元を掴んだ。
緊張しているせいか、王女を女と意識したせいかはわからなかったが、顔は真っ赤になっていた。
「すみません、もう少ししっかり掴んでもらえます」
「こ、こうですか?」
トキオの言葉に、ベルナーは少し手首を返すように掴んでいる手に力を込めた。
「いいですね・・・では、殿下は両手でベルナーさんの肘のところの袖を掴んでください」
「わかったわ・・・・・これでいいの?」
王女は、言われたとおりにベルナーの袖を掴んだ。
「はい、それでいいです。それじゃ、しっかり掴んだまましゃがみ込んでください」
「え?それだけでいいの?」
「はい、それだけです」
王女は言われたとおりにしゃがみ込んだ。
「ぐうぅぅぅ」
少し遅れて、ベルナーは苦悶の表情を浮かべながら同じようにしゃがみ込んだ。しかし、唸っただけで声は漏らさなかった。
(なるほど~、声を出すと王女様にお目玉を食らうから必死で我慢してるんだな)
トキオはそう思った。
「痛いのか?」
王女がベルナーに聞いた。
「は、はい、かなり。でも、大丈夫です」
ベルナーは、明らかに苦痛を我慢している顔で言った。額には、汗が浮いて来ていた。
「殿下、もう離してもいいですよ」
「ああ、そうか」
トキオの言葉に王女は手を離した。
「どうでしたか?動けそうでしたか?」
トキオがベルナーに聞いた。
「いえ、とても無理でした」
「と、いうことです」
「ふーむ、これはなかなか面白い技ね。しかし、ゴブリンやオークは、上半身はほぼ裸で袖付きの服は着ていないわよ。この技は使えないじゃないの」
「服を着ていない相手に対しては別の関節技があるんです」
「ほう・・・では、早く教えなさい」
「わかりました」
「ベルナー、お前はここにいなさい」
「は!かしこまりました!」
ベルナーは勢いよく返事をしたが、かなり不安そうな顔をしていた。




