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【三章/開幕】アーカイヴ・レコーダー ◆-反逆の記録-◇  作者: しゃいんますかっと
第二章 享楽者《ヘドニスター》編

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64話 『命の逆奪者』


享楽者ヘドニスターは言葉を綴っただけだった。


攻撃の素振りも、逃げる反応もない。

ただ、口を開いただけだった。


そうーー


"口"を、動かしたのだ。



ゆっくりと、吊りあがった赤い線。

割れるように広がる皮膚。


人間の限界を越え、耳の付け根へ届くほど、裂け目が伸びた口角は、もはや笑顔とは呼べない。


愉悦に形を歪ませた、悪魔の顔だった。


裂けた口の奥で、蠢いた暗闇。


享楽者ヘドニスターの口へと宿る理層能力。


死体デブリへ命令を飛ばす、"死言操作"。


何気ない会話の一幕が、"終焉"を再開させた。



***



ーー世界の音が、ひとつずつ消えていく。


焦げた匂いも、熱も、体の感覚も

セラが感じた情報全ては、遠い水底に沈んだように、胸の奥で鈍く揺れただけだった。


動かない。


腕も、脚も、指先すら微動だにしない。


(動いて、動いて、動いて動いて動いて……!)


感情を口にすることすらできない。

声帯が、自分の器官ではないかのように沈黙している中ーーただ、瞳だけが生きていた。


灰と影の揺れる視界の先。

こちらへ歩いてくる“影”があった。


見覚えのある背格好。

揺れる髪。

優しく結ってくれた、あの手のひら。


(……お母……さん……)


自分が愛し、自分を愛してくれた存在。


セラが認識したのは、死んだはずの"愛しい影"だった。


けれど焼け焦げた顔は、人と呼ぶことすら躊躇われるほど、おぞましい姿をしていた。


表情の作り方を忘れたような、無表情の母親。

彼女の光なき瞳がーーセラを見下ろしていた。



ーーーーザリ……ザリ……。


乾いた土を削る音が、耳の奥まで響く。


瞼の裏まで震わせるほどに低く、重い音。


視線が、縫いつけられたようにかすかに動き

焼けた地面で引きずられる“それ”を捉えていた。


ーー刃。


母が握る長剣の先端が、まるで地を喰らうように、ズリズリと音を立てていた。


石を削るような音と共に、刃先にまとわりつく灰と血が細かく跳ねる。


ザリ……ザリッ……。


セラは逃げられない。


ただ、迫ってくる死の音を聞き続けることしかできなかった。


ただ、命令された動作を淡々とこなしながら

ーー娘へ刃を向ける母親。


彼女には、震えも、迷いも、命の温度もなかった。


ミネとセラの両親は、死体デブリとして、享楽者ヘドニスターによって支配されている。


ーーやがて

目の前で立ち止まった"元希望"は、絶望として刃を持ち上げた。


ザリ……と音が止まり、沈黙が落ちる。


その静寂が、何よりも恐ろしかった。



ーー殺される。


過去の記憶の中で、セラははっきりと“死”を感じた。


逃げられない。

抵抗もできない。

呼吸すら、自分のものではないように重い。


(……あ……)


瞳が勝手に、ゆっくり閉じる。


受け入れるしかなかった。

死が触れる瞬間を。


覚悟したのはーー

セラだけだった。






ーーズンッ!!!


世界の奥底から殴りつけられたような、生々しい衝撃。


重い肉音が、皮膚越しに伝わってくる。


「……っ!」


セラは、反射のように瞼を開いた。


焼けた髪。

震える肩。

かすれた呼吸。


その全てが、現実だった。


ミネの剣が、デブリの胸を貫いていた。


血が刃を伝い、涙が頬を伝い流れ落ちる。


ミネは背中を向けたまま、感情を噛み殺し震えていた。


母だったものの力が抜けていく。


剣に突き刺さったままーー

彼女たちの"希望だった"存在は静止した。


(……お姉ちゃん……)


己の手で親を殺したミネの肩は、小さく震えた。


押し殺した嗚咽なのか

怒りなのか

悲しみなのかーー


セラには、分からない。


ただ一つだけ分かるのは、


(私を……守ってくれた。)


自分が覚悟した“死”を。

姉が拒絶してくれたという事実だけだった。


彼女は妹を救うためにーー

“愛していた存在を、自らの手で殺した"のだ。



絶望の余韻が流れる。


吹き荒れた火の粉が、段々と落ち着きを取り戻してきていた。



そんな止まった針を進めるがごとくーー


「いやーさすが……リーダー候補様。

ーー容赦なく殺したね〜。」



享楽者ヘドニスター父親デブリを投げて、笑った。



ーーグシャ……。



上下に裂かれた肉塊が、臓物を撒き散らしながら地面へ叩きつけられる。


「…………ッ!!!」


ミネが斬り捨てたのは、母だけではなかった。

彼女は、己の前へと立ち塞がった父親も含め

ーー両親を、斬っていたのだ。



「…………。」


ミネは、肩を上下させながら沈黙していた。

荒らげた呼吸音が、血の霧と共に空気中に漂う。



そんな彼女を見下ろすように、

享楽者ヘドニスターは”空を歩く”ようにふわりと前へ進んだ。


その足取りには生者の重みはなくーー

感情だけが揺れているかのように、軽やかだった。


「誰かを守ったところで……」


楽しげな響きを残しながら、


「ーー自分が死んだら、意味はないじゃないか。」


ぞっとするほど柔らかな声で笑みを深めた。


「もっとも……」


ミネの震える剣先へ視線を落とし、


「今回はその“弱さ”に、私も救われたんだけどね。」


くつくつと笑いながら囁いた。


「もし君が、あの瞬間……

“家族”なんて小さなものを捨てられたのなら

ーー"瞳"も命も、失わなかっただろうね。」


その言葉が落ちた瞬間、

空気がひどく冷たくなった。


セラの視界に映る姉。

背中越しでは見えなかったミネの両目は……


ーー抉り取られていた。



視線が、動かない。


理解が感情に追いつかず、恐怖すら凍りつく。


姉の顔を伝って落ちた鮮血が、土へ落ちる。

焼け焦げた地面の色が、赤へと染まっていった。


(……お姉、ちゃん……!)


"結末"は変わらない。


視覚を失った、彼女はーー


宙へと浮かぶ享楽者ヘドニスターを、認識出来なかった。


ーートス……。


乾いた音が、空気を裂いた。


享楽者ヘドニスターの胸に埋まった赤黒い心臓から、一本の“管”が伸びる。

生き物の腸のように脈打つそれが、まっすぐミネへと向かいーー


刺さった。


「ーーッガ……!!」


短い悲鳴。

その声だけで、どれほどの激痛が貫いたかが分かった。


セラの喉がぴくりと震える。

なのに体は一切動かない。


ミネの肩が跳ね、血飛沫が砂に散った。


彼の足に宿された理層能力、"重力操作"。


隠されていた手札を使い、享楽者ヘドニスターは"終焉"を開始する。


ミネへ接続された管が、赤く脈打ち

心臓が、まるで生きたまま咀嚼するように震えた。


ズズ……ッ。


ミネの体がわずかに沈む。

何かを“吸われる”ように、血の気が薄れた。


横たわったままのセラは、死にいく姉をただ見つめ、懇願することしか行えなかった。


(やめて……やめて……やめて……!)


叫びたいのに、声が出ない。

手を伸ばしたいのに、指一本動かない。


命が吸われ

命が削られ

命が"逆奪"されていく。


ミネの“存在そのもの”が書き換えられるように

赤い光が、彼女の輪郭を飲み込み始めた。


享楽者ヘドニスターは小さく嗤う。


「ようやく手に入れた。

逆奪者のーー王の身体を……!」


悲願を叶えたようなその声は、鼓動よりも冷たく胸へと響いた。




***



ミネの身体へ突き刺さった“管”が、どくん、と脈動する。


「……ッ、あ……が……!!」


管を軸に体が持ち上げられ、彼女は宙へと浮いた。


彼女の指先が震え、剣が地に落ち、甲高い金属音が鳴り響く。


彼女の全身に、“命”そのものが引き抜かれるような痛みが駆け巡った。


首筋が反り返り、白い喉が露わになる。

全身の筋肉が痙攣し、皮膚の下で赤黒い光が脈を打った。


ミネの体内を巡る赤の光が段々と強くなる。

享楽者ヘドニスターの精神操作は、まもなく終了を迎えようとしていた。





(ーー死ぬ……。)


五感が次々と停止していく中ーー命を削られながら、彼女は“結末”を悟った。


依代の肉体を乗っ取り、自身を移植するーー

享楽者ヘドニスターの計画。


今さらながら気づく。

両親も、私たち姉妹も……

最初からーーあいつの“罠”へと誘い込まれていたのだと。


(身体が奪われる。

……逆奪者スティーラーの希望が、断たれる。)


光の失った世界で一人、少女は未来を考えた。


(そしたら……ウォー君が背負う物が

ーー無くなっちゃうね……。)


彼女の心に、ふと浮かんだ孤高の王子。

その姿と共に――胸の奥底に埋もれていた、ささやかな約束が蘇った。


"待っている"。


彼と交わした、口約束。


その何気ない些細な言葉が

ーーミネに自分を"理解させた"。


(あぁ……そっか……

私ーー死にたくなかったんだな……。)


戦いたくない。

ただそれだけの、理由を持たない感情。


ずっと分からなかったその正体が

今になって、やっと……痛いほど分かった。


私は、戦いたくなかったわけじゃない。

死ぬことでーー

誰かの約束を破ることが、嫌だったのだ。




(約束は……守らなきゃね……。)


ミネは左手だけで腰のナイフを抜刀し

震える身体を叱りつけるようにーー刃を振りかざした。


心臓に繋がれた細い管。


彼女が最後の抵抗として、それを切り裂こうとしていると、享楽者ヘドニスターは察知した。


「愚かな……。」


呆れを含む余裕の声。


彼は移植管を膨張させ、硬化させた。


小さなナイフでは、傷を付けれど、切り裂くことは不可能だ。


ーーだが


ミネが狙ったのは管ではなかった。


ーーザシュッ……!!!


薄くなった血とともに、肉片が飛び散る。


彼女が刃を通したのは

ーー"自分自身の右足"だった。


(肉体は……渡さない……!!)


痛みは、もはや感じない。

ミネの行動は、明らかに異質だった。


だからこそーー"敵"の理解も遅れた。


ーーービシィッ……!!!


数秒遅れて

彼女は迷いなく“左足”も断ち切る。


一切の躊躇もない斬撃。


ミネの心に宿っていたのは、

ーー逆奪の意思だけだった。


「……ッ!!!」


彼女の意図を理解したのか、享楽者ヘドニスターは慌てて、身体を引き寄せようと管を引き絞る。


ーーードシャッ……!!!


だがその動作より速く、

ミネは“右腕”すらも切り落とした。


四肢が分断され、色素の薄い赤と共に宙を舞う。


残されたのは、ナイフを握る左腕だけだった。



(左手で左腕は切れない。

ならばーー残る手段はひとつ。


"首を断つ"。

この身体ごと、享楽者の計画を潰すッ……!!)


遠のく意識を叩き起こしながら、

ミネは刃を振りかざした。


銀の光が、円弧を描き、己の命を絶とうと迫る。


震える手が、首筋へ触れ



ーーガッ……!!


彼女の身体が、強引に引き寄せられた。


ナイフが手元からこぼれ落ち、

硬い地面で虚しい金属音を響かせる。


ーー薄い切り傷は残せど、彼女は首を切断出来なかった……。



「驚いた……なんという信念だ……。」


享楽者ヘドニスターは、己を犠牲に“反逆”しようとした少女を見下ろした。


死を恐れるどころか、

“死を使って”目的を果たそうとした依代。


その肉体はすでにーー息を止めていた。


「やってくれたな……。


さすが、私の選んだ"依代"……!」


彼は満足げに嗤った。


肉体は完全に同化し、精神の移植が完了する。


享楽者ヘドニスターは、四肢の三本と、瞳を失った“不完全な体”を

ーー己の魂で満たすこととなった。




焼け焦げた戦場に、ひと欠片の静寂と共に


ーーズン……ッ。


空から一人の少女が落下した。


粉塵を巻き上げながら身体を打ち付け、地面へと倒れ込む。


しばらく停止した後……。


ーーギシッ……。


その頭は、壊れた関節を鳴らすようにゆっくりと回り始める。


そしてーー

同じく動けず横たわった“妹”へ


享楽者ミネは、不敵な笑みを浮かべた。


「これからよろしくね。

ーー私の可愛い、妹ちゃん……」


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