65話 『最後の逆奪』
享楽者の"同調操作"。
それは、彼の瞳から散布される"享楽の霧"を媒体として行使されるーー洗脳支配である。
同調した肉体の細胞を操ることで
『襲え』『殺せ』ーーなどの単純な命令から
『特定地点への移動』 や『殺戮対象の設定』
など、具体的な指示まで与えることができる。
また、細胞単位で肉体を操る力を応用し、切断部位の再生や、死体同士の融合なども享楽者は習得した。
ならばーーなぜ享楽者は、不完全なミネの肉体を戻さなかったのか?
その理由は、単純である。
ーー"できなかった"からだ。
彼女は、死体となる直前に、自身の手足を分断した。
享楽者の操作対象となるのは、同調個体のみである。
生前に切り離された肉体部位は、死体になろうとも、"同調操作"の支配領域に入らない。
分離された手足はーーミネの残滓として活動を停止したのだ。
逆奪者の未来をーー
ウォーレンスとセラを護るために、彼女が行った最後の"逆奪"。
その反逆によって、享楽者は
不完全な身体を受け入れるしかなかった。
「ーーあぁ……
逆奪の意志というものは、厄介だね。」
奪った身体の"欠落"を感じながら
享楽者は少女として呟く。
ーーグシャ……!!!
そんな"彼女"の頭上から、移植できなかった体の部位が落ちてきた。
両目。
両脚。
右腕。
居場所を失った肉塊たち。
享楽者は、目の前に転がったそれらを見つめ、新たな遊戯を思案する。
「ふふ……。」
やがてーー彼女は何かを思いついたように笑った。
「これはこれで、面白い盤面に出来そうだね。」
唯一欠けなかった左腕が、壊れた機械のようにぎこちなく持ち上がる。
指先が、かすかに震えながら位置を探るように寄り添いーー
ーーパチンッ。
乾いた破裂音が闇へ弾けた。
開幕を告げるような、不気味な指鳴らし。
ーードッドッドッ……!!
その音と共に、いくつもの足音が近づいてくる。
死体ーー
"死言操作"によって集められた彼らはーー
『ーー混ざれ。』
享楽者の一言によって、身体と身体を打ち付け始めた。
ーーベチャ……ッ!
一人の腕が別の胸へ沈み込み、
皮膚と皮膚の境界が、泡立つように溶けて消える。
ーーグチュゥゥ……!
背骨が折れる音が混ざりーー
押し潰されるように、骨と筋肉が“攪拌”されていく。
表面が波打ち、血がこぼれるたびに、
その赤は別の肉へ吸い込まれ、色と質感を変化させた。
ーーメリメリメリ……!!
複数の肋骨が突き出て、別の死体へ潜り込む。
これはもはや、“死体同士”の合体ではない。
生前の形を無視した、
肉と骨の“混合”作業。
融合でも合成でもなくーー
ただの“塊化”だった。
複数の腕が捻じ曲がりながら一本へまとまり、
その先で、メキメキと新たな指が増殖する。
溶けた顔面が、沈んでは浮かびーー
誰のものかもわからない叫びが、泡のように弾けて消えた。
ーーズブッ……
そうして生まれた……"二つの影"。
それらの巨体へ貼り付けるように、享楽者は己の"瞳"を一つずつ移植した。
「うーむ、我ながら
ーーナイスアイデア……だね。」
愉悦を含めた少女。
彼女によって
ーー"破滅を纏う者"が誕生した。
死体の合体。
霧発生装置の降誕。
そしてーー
王となった享楽者。
終焉が積み上げた記憶が重なり……
過去と未来はーー繋がった。
***
ーー五感が、少しずつ消えていく。
灰色に映った世界だけが、私の心を締め付けた。
鼓動の揺れも、呼吸の脈動も
ーー段々と感じなくなっていく。
(私は、何を見ているのだろう……。)
静かな問いかけ。
胸は震えず、むしろ落ち着いていた。
けれど、感情の在り処がどこにも見つからない。
(この感情は……何なんだろう……。)
次々と疑問が浮かんだ。
でもその問いに、正しい答えを求めているわけではなかった。
ただ誰かに、目の前の"過去"を
ーー否定して欲しかっただけなのだ。
コラプスが、残りゆく享楽者の肉体を持ち去り、戦場が終幕を迎えた。
そしてーー
「…………ミネェ!!!!」
ウォーレンスの声を最後にーー
……深淵は、記録を刻み終えた。
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《 Archive Closed 》
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「……………………」
ーーガキンッッッ!!!!
絶望を迎えた少女。
深淵から目覚めた彼女へーー真実を示すように、金属音は響いた。
ガンッ!! バンッ!! バチィィンッ!!
連続される様々な衝突音が、現実への帰還を否応なしに伝えてくる。
セラ自身も、"過去から現在"へ戻ってきた事は
理解していた。
ーーやるべきことは、わかっている。
(動かなければ……)
頭では、誰よりも理解していた。
(助けに、行かなければ……)
ーーそれなのに。
何一つ、動かせない。
指先が石のように固まり
地面に張り付いたままの膝は、震わせることしかできなかった。
そんな少女を待たずして、戦場は加速する。
刃がぶつかる金属音。
地面から湧き出る熱風。
その音が、壊れかけた心をさらに叩く。
(行か……なきゃ……!)
胸の奥が悲鳴を上げる。
けれど身体は、その声に答えてくれない。
恐怖でも、痛みでもない。
もっと根深い、底なしの何かが
ーー彼女の動きを奪っていた。
「ぁぁ……!!
ーーあぁ……!!!」
悲鳴のようなセラの叫び。
その響きがーー
カナンに、無慈悲な理解を叩き込む。
(ーーッ……当たり前だ……。
一番の"希望が絶望"だったんだ。)
乱打される蔦を払いながら、彼は苦しげに呟く。
(いくらセラでも……
ーーこの"結末"を前に、心を保つ事なんてできない……。)
思考が切れた瞬間、目前の蔦が唸りを上げた。
ーーギャリィィィ!!!
「……ッ!!!」
少女を象った享楽者は、こちらの苦悩を嘲嗤うように、左手を振るわせる。
細胞変化によって硬質化させられた蔦は、簡単に刃を通しはできない。
ーーガンッ! バチィン! ギャリッ!
「クソッ……!
左腕しか無いはずなのに、全然攻め込めねぇ……!」
カナンは後退しながら切先を捌き続けた。
鉄と蔦の衝突音が、途切れることなく雨のように降り注ぐ。
視線を逸らすことはできない。
仲間へ駆け寄るどころか、心配する暇さえ存在しなかった。
ーーだが、その“連撃”が、ふいに止まった。
「……?」
享楽者の腕が、空中で固まる。
動きを止めたというより、思考が一瞬だけ別の方向へ滑ったような、そんな奇妙な“間”。
焦げた風が二人の間を横切る。
そしてーー
「……あぁ〜!
記憶の管理者の力か〜!」
思い出したように彼女は口を開き、狂気じみた笑顔を浮かべる。
「唐突に叫ぶから、"お姉ちゃん"びっくりしちゃったよ〜!」
その”姉”という言葉が、戦場の空気を裂いた。
刹那ーー
「……ッ」
ーーギィィィン!!!
火花が爆ぜ、カナンの憤怒が衝突音となって迸る。
至近距離へと踏み込み、振り下ろした斬撃が、享楽者の蔦と正面から嚙み合った。
「ーー黙れッ!!!」
魂からの叫びとともに
彼の中の”反逆者”が、一層牙を鋭利に磨く。
「お前は、セラの姉じゃねぇ……。
軽々しく、"ミネ"を語るなッ!!!」
咆哮のような否定。
彼は、絶望に浸された少女を守るように
終焉の前へと立ち塞がった。
そんな彼を見つめて、享楽者は嘲笑する。
「おかしなカナンくん〜。
私はミネだよ。
ーー姿形も、声さえぜ〜んぶ“本物”なのに……どうしてそこまで、否定したがるのかな?」
カナンは、焼けた空気を吸い込みながら喉を震わせた。
胸の奥が軋む。
言葉にしようとした感情が、いくつもぶつかり合って形を失っていく。
それでもーー
消えたもの。
失われたもの。
そしてーー奪われたもの。
全てが、ひとつの答えに収束していく。
拳を握りしめ
カナンはゆっくり口を開いた。
「……お前がやっていることは……」
血を呑むような息遣いで言葉を繋ぐ。
「……正しくないからだ……!」
一瞬、周囲の音が消えた。
炎の揺れすら凍りつく静寂の中で、享楽者はわざとらしく小首を傾げた。
「ふむ……正しく、ね。」
やがて彼女の唇は、ひび割れるように吊り上がる。
「だったら……証明してみせてよ。」
耳まで裂けた口は、彼女に見せた"笑顔"と同じだった。
「私が“間違い”だって……君の手で。」
炎が揺らぎ、足元の瓦礫が震える。
空気すら裂けるほどの殺意が、二人の間に沈殿した。
燃え残る火が、カナンの頬を照らす。
握った刃が微かに震え、"覚悟"へと変わった。
短い沈黙の後。
「あぁ……見せてやるよ。」
彼は理応変換機構を構え、炎の奥で嗤う"支配者"を睨み上げた。
「ーー反逆者の“正しさ”ってやつを……!」




