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【二章/最終遊戯 開幕】アーカイヴ・レコーダー ◆-反逆の記録-◇  作者: しゃいんますかっと
第二章 享楽者<ヘドニスター>編

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59話 『兄として』


頭の奥で、過去の幻影が揺れた。


……さま。


ーー兄……様。


ルシェの声だ……。


誰よりも"自分"を必要としてくれた、少女の声。


(……ルシェ……)


ルドは片膝をつき、荒い呼吸を整えようとする。

だが脳裏では、妹の声だけが響き続けていた。


ーーあの日の“願い”が、今も頭から離れない。



……私はずっとーー兄様のお傍に居たいです!


***


「……ッ!!!!」


歯を食いしばり、現実を見据える。

ルドの視界に映る絶望は、選択の余地など与えず、残酷に痛みを伝わせた。


壁に穿たれた、巨大な風穴。

血に濡れた蔦。

静止した"少女"。


そして……折れ曲がった、"自分の右腕"。


「……兄……様……。」


声につられて振り返る。

たった一人の妹、ルシェ。

彼女はイヴの隣で、冷たい床へと腰を落としていた。


ーーその身体に、外傷は無い。


「……よかった。」


聞こえぬほど小さく呟き、ルドは戦場で初めてーー少しだけ微笑んだ。




……間に合った。





だが……その代償は、大きい。


「……ッ……!」


安堵と同時に激痛が走る。

砕けた右腕が痙攣し、握っていた"レイピア"が床へと刺さった。


ーーキィン……。


金属音を放つ銀の針剣。


それは、ルドが腰に携えていたーー

"護身用"の武器だった。


「レイピア《こいつ》を……抜く時が来ようとはな。」


軍師であり、指揮官でもあるルド。

彼は司令塔から戦況を把握し、的確な采配を行うため、戦場に赴くことはない。


つまり、彼が抜刀することなど

ーーあってはならないのだ。


ルドには、ウォーレンスのような怪力も

カナンやセラのような機動力も無い。

戦闘能力だけで見れば、並の兵士にさえ及ばないだろう。


それは、彼自身が一番理解していた。


ーータンッ……タンッ……。


逆方向に折れ曲がった右腕が震え、金属の床へ血が滴り落ちる。


ひき千切られた皮膚から肉が剥き出し、ルドの体に絶え間なく鈍痛が駆け巡っていた。


彼は表情を引きつらせながらも、残る左腕を端末へ掲げ続ける。


痛みと共に、迫り来る"死"の恐怖。

それを必死に抑え込み、ルドは静かに立ち上がった。


「こうなる事は……分かっていた。


それでも――この手を伸ばしたのは……自分だ。」


焦げた金属の匂いが鼻を刺す。

皮膚を伝う熱が、現実を教え込むように刺さってきた。


(この腕では、もう……端末は操作できんな。

ーー軍師としては、実に愚かだ……。)


自虐のような言葉が頭を通る。

だが彼は、自分の行動を悔いてはいなかった。


「ーーけれど、この選択に後悔はない。

むしろ今は……自分が誇らしいとさえ思う。」


視界の端で火花が散り、足元が赤黒く染まっていく。


それでも、口元には微かな笑みが浮かんでいた。


「兄として、大切な妹を守れたのだから。」


ルドは曇りなき言葉で、本心を語った。


***


ーーシュル……


血痕が塗りたくられた蔦が、ゆっくりとミネの元へと戻る。


彼女は勝ちを確信したように嘲笑した。


「素敵な兄妹愛をどうも……

けれど残念ーー采配を間違えたみたいだね。」


分かりやすい挑発。


ルドはそんな煽りに乗るわけがないことを、享楽者ミネはわかっていた。


絶望的な現状を彼らに今一度理解させ、勝者としての余韻を味わうための独り言。

その言葉に、返答など期待していなかった。


ーーだが……


「ーーあぁ、わしの判断ミスだ……。」


返された言葉は、挑発に向けた肯定だった。


壊れた右腕の痛みを感じさせないほど、ルドは落ち着いた声で言葉を綴っている。


その瞳からは、まだ光が消えていなかった。


「毎日見てきたつもりだったが……」


彼はため息のように暖かい声で、慈愛を綴る。


……いつの間にかーー兄へと反発出来るようになっていたのだな。」


ルドは、優しく微笑んだ。


世界へ浸透した笑顔……


その言葉によってーールドの結末が確定する。


確約された記憶が、理層波を通じて、イヴへと流れ込んだ。


悪寒が体を震わせ、心を芯から冷やしていく。


「ーールド……!」

彼女は思わず手を伸ばす。


けれど当然、届きはしない。


手のひらが虚空を描き、イヴはバランスを崩した。

冷えた床が近くなり、痛みを覚悟する。


たが、ルシェが倒れそうな体に手を伸ばし、抱きしめるように支えてくれた。


包まれた彼女の横顔を見上げる。

その表情は苦味を露わにして、蒼白していた。


視線は変わらず前を見据えており

その瞳には、ルドしか映し出していなかった。


ルシェと同じくイヴも彼を見つめ直す。

小さき軍師は、生死の境に立っているとは思えない程ーー整然としていた。


戦況は誰の目にも明らかだ。

こちらが、劣勢。


次々と形状を変化させ、鋭く放たれる蔦の嵐。

それによって破損した防衛装置は、圧倒的な実力差を表していた。


理を超えた支配者の力。


その力を理解し、彼は事前に警告していた。


「ーー命が惜しくば、享楽者ヘドニスターとの単独戦闘は避けろ」と。


忠告を無視して、一人で"神"へと相対した彼は、"死"の寸前まで追い詰められていた。


けれど、その宣告を放ったのは紛れもないルド自身だ。


彼は己の力を過信したわけでも、敵の力を見誤ったわけでもない。


ルシェへと離脱命令を告げた時点で

ーールドは、"結末"を受け入れていたのだ。


だが、その先をーー

彼は予測出来なかった。


ーー違う。

可能性はあれど、選択肢から除外したのだ。


妹が、ルシェが命令をーー拒否する未来を……。


(思えばわしは、ルシェに拒絶されるのが

ーー怖かったのだろうな……。)


照明が落ち、月光だけが差し込む薄暗い空間。


享楽者ミネは、予想外の言葉を向けられたのか、驚いたように止まっていた。


だが、その腕は静かに上げられる。


殺意の波が、司令室へと押し寄せた。



「……ッ!!」

三人を、戦慄する"死の気配"が襲う。


壁に寄り添うイヴとルシェ。

彼女たちはもう、怯えるだけではない。

ルドを救おうと、享楽者へと一太刀を入れようと必死に思案を重ねていた。

けれど、自らを守る術すら存在しない。


ーーザッ……。


そんな二人を守るように、孤独な軍師は静かに歩みを踏みしめる。


右腕は使い物にならない。

防衛装置も手数が減っている。


それでもルドは、命をーー"彼女"を守ると決めたのだ。


兄の背中を見つめ、少女は未だに結末を受け止めらず急き立てられる。

けれど逆転の道具など見つからない。

手元の端末も、通信さえも繋がらず

ただ彼の背中へーー届かない想いを告げることしか出来なかった。


「行か……ないで……兄様……。」


ーー司令室が重たい空気で満たされる。


血潮の甘い腐香が、肺へゆっくり沈み込んでいた。


歩は進み、灰が舞う。


蔦がしなり、複数に先端を分けた。


お互いが、視線を逸らさず"敵"を見据える中で


ーールドが、呟くように言葉を残した。

「ルシェ。お前は、わしの妹だ……。


けれどーーその前に……お前は一人の人間だ。


自分に従いーー自由に"生きろ"。」



ーー最後の命令を合図に……


裂傷が走る。


撒き散らされた鮮血を裂いて、鋭利な棘が壁に深い傷を負わせた。


蔦が暴れ、空気が振動する。


ーーガッ!!!!


軌道を逸らした数機のワイヤーアームが千切れ、基部から火花を散らした。



「……ッ……!」


半数以上の装置が壊れ、警告音すら音が途切れる。


金属音が鳴るたび、

この部屋の“寿命”が削れていくのが分かった。


「ルド!!!!!」


背後で叫び声が聞こえる。


イヴとルシェ、どちらの声かは分からない。


必死にルドを呼ぶ声は、激しい戦闘音を貫いて耳へ届いた。


だが、彼はーー決して振り返らない。


天井から千切れた鉄片が降り注ぎ、

床板が割れ、煙が舞う。


照明が壊れた薄暗い空間に火花が散り続けーー



…………。



床に赤黒い痕が広がった。


ひしゃげたアームが崩れ落ち、司令室から音が途切れていく。


「あ……」


目の前の光景を焼き付けた少女は、呼吸を荒くして、視界を振るわす。




「あぁ……」






視線の先ーー




「あぁ……!!!」



ルドの胴体が、鋭利な蔦に貫かれていた。






「……ッああああああ!!!!」



ルシェの叫び声を聞きながら、享楽者ミネは小さな身体を引き上げる。


垂れ下がったルドを自身の目の前へ運び、彼女は満足そうに微笑んだ。


「生きろと命じた人間が最初に死ぬなんて、とっても悲しいね……」


微かな意識を保つルド。


彼はか細い声で、声を絞り出した。

「命は……生かす、物だ……。

お前にーーその価値は……分からぬ。」


その言葉に、享楽者は否定せず黙り込んだ。


「……図星か」

死を目前にしても、ルドは威厳を保ちながら口角を上げた。


享楽者ミネは表情を変えずに言葉を紡ぐ。

だが、その返答には確かな苛立ちがあった。


「ーーなんとでも言えばいいよ。

どれだけ軽口を叩こうと、君が死ぬ事実は変わらない。

そうだろ?」


挑発に挑発を重ねる。


否定できない絶望。

それを彼自身に理解させることで、享楽者ミネは勝者としての愉悦を得ようとした。


けれど、その油断がーー最後の抗いの時間を作った。



「あぁ……わしは、もうすぐ……死ぬだろう。」


敗北宣言。

ルドから告げられた最後の言葉は、またしても肯定だった。


「ーーだが


……ただでは死なん……」


そうーー享楽者ミネに思わせた。



「……ッ!!!!!」



瞬間ーー


天井の風穴から、紅の残光を纏った球体が

重力に逆らうように降りてきた。


楽園に落ちる、一つの果実。


その赤が、光を飲み込みーー周囲の影を、震わせる。


レイピアの柄。


砕けていたはずの右腕に握られていた、その起動装置は、軍師の最後の足掻きとなって、夜空に夕陽を注ぎ込んだ。


そして、ルドの計算は、その先を行く。


ーーガシィン!!


残存するワイヤーアームが、意思を持つ生物のように暴れ出し、イヴとルシェを囲うように絡み合い、重なり、巨大な“鉄の繭”を形成していった。


「に……兄様……ッ!!」


ルシェの悲鳴が消えるほどに、金属が軋む音が司令塔を満たした。


遮られていく視界の先で、兄は最後に


ーーこちらを見て笑った。



***


紅蓮の爆風が司令塔ノード・ナイトを貫いた。


空に浮かぶ、ノード・ラインから放たれた残光。


戦場に落とされる予定だった爆撃は、ルドの操作によって司令室に落下し、享楽者の目の前で爆発した。




ーーゴォォオオオオオッ!!!!!!




赤い光が、司令塔ノード・ナイトの窓という窓を押し破り、噴き上がる柱のように天へ昇る。


金属が折れ、瓦礫が降り、

紅蓮が闇を照らしながら弾け散る。

煙と火花が流星のように降り注いだ。



崩壊する建屋を目に、セラとカナンは現実を疑った。


「ーーお姉、ちゃん……?」


喉が震え、声が言葉にならない。


爆風がセラの頬を切り、熱が瞳を刺す。


あまりに鮮烈で、

あまりに絶望的でーー理解が遅れてしまった。


不安を募らせ、彼女は司令塔ノード・ナイトへと駆けていく。



その後ろでカナンは、新たな真実を記憶し、膝を付いていた。


「ーールド……。」


立ち尽くす者と駆け出す者。


二人の行動は対照的だったが、その瞳に映る光景を

ーーどちらも真実だと、信じたくはなかった。



***


ーー熱い。


……痛い。


ぼやけたままの視界が揺れる。

赤と黒が混じった“色”だけが、ぼんやりと眼に映った。

形がわからない。

遠い。


曖昧な風景を感じながら、ルシェはゆっくりと意識を取り戻した。


けれど、身体が動かない。


全身が燃えているような痛みが、波のように押し寄せ、皮膚が裂けるように感じた。


倒れたまま、大粒の涙が零れ落ちる。


ーーだがそれは、この怪我によるものではない。


「……兄……さま……」


ちぎれた声で震えながら、彼を呼ぶ。


ルドはーーもう居ない。


焼け焦げた鉄と混じった、忘れたくても忘れられない匂いが、鼻孔を刺す。


(……どう……して……)


ただ兄の傍に居たかった。


そんな一抹の願いすら、世界は残酷に奪い去ってしまう。


喉の奥で震えが漏れる。

恐怖か、痛みか、絶望か。

もう判断できない。


それでも……視界の端に、ぼんやりと“形”が浮かんでいた。


炎に照らされ、赤い影を落とすシルエット。


(……兄様……?)


焼けるような痛みに意識をさらわれながらも、

その“影”だけを追って、ルシェは必死に首を動かした。


視界がまた、赤と黒に滲む。

涙なのか汗なのかも、もう分からない。


「……兄……さま……!」


煙幕の中から、ルドの顔が現れる。


これは、彼女の幻想などではない。


確実に彼の顔だった。


「……ルド、兄様……!!!」



ーー顔だけだった。




ぼやけた視界が、鮮明になる。


"そいつ"はこちらに向かって、狂気で満ちた笑顔を見せた。


「はーい、ルシェちゃーん!

ーー大好きなお兄様だよ〜!」



享楽者ヘドニスター


彼女の片手の上に置かれていたのは……


ーー切り取られた、"兄の生首"だった。



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