38話 『逆転劇』
鉄の匂いが、世界を包みこむ。
埃が雪のように降り、廃れた劇場を真冬の街へと変貌させていた。
風は感じない。
それでも、どこからか吹く息吹だけが、背中を押すように流れていく。
「やっぱり……お前は強いよ。トルヴァ……」
血のにじむ口で、反逆者は静かに息を吐いた。
「こんな世界でずっと……抗い続けてたんだなから……。」
立ち尽くす逆奪者たちの足元には
赤を取り戻したカーペットが、色彩を唱えるように存在を証明し続けている。
ーー世界が呼吸を止めたように
音もなく、光もなく
ただ見えぬ糸が、命を落とすために空間全てを囲う。
目を凝らせば浮かぶ"線"。
それらは生と死の境界を繋ぐように点滅し、
狂気を操る凶器となる。
何度も死を目前にした。
何度も命を失いかけた。
痛み、苦しみ、絶望
全てを深淵の底まで味わったはずなのに……
それでも今ほどーー
『生きたい』と願った時は無い。
「悪いな。
ちゃんと、お前の分まで生きるから……
ーー先に"彼岸"で待っていてくれ。」
優しい瞳で向けられた銃口から
彼の"正義"は放たれた。
ーー時間は遡る。
作戦実行の三分前。
「2分だ。」
リオンが唐突に時間を告げた。
それは、赫迅刀が最大出力となるまでの時間。
「そして、"衝撃"に巻き込まれない為に剣を手放すとなれば、エネルギー供給源である鎧との接続も切れる。
「つまりーー三秒しか全出力は保てない。」
リオンは自分の装備と、ウォーレンスの作戦についての注意点を語る。
作戦の起爆役である反逆者ーー
カナンへ向けて。
「三秒……その僅かな時間で、刀身中央の電熱線を狙うんだ。
ーーカナン、君に全てを託す。」
慎重な趣で、リオンは彼へと目線を合わせた。
「その程度問題ない。
お前こそ、変な方向に投げるんじゃねぇぞ。」
緊迫した空気を解すように、カナンは口元を上げて笑う。
「……やっと軽口が戻ってきたな。」
赫迅刀を握りしめ、彼へとリオンも笑いを返す。
その一瞬だけ、戦場には生の感情が戻っていた。
***
ーー赫迅刀は、展開式装甲フレーム《E.A.F.-Expandadle Armor Frame》との同調によって熱上昇を行う。
〈約四十秒〉
出力ラインが赫迅刀へと接続され、E.A.F.との同調が完了する。
〈約五十秒〉
同調後、内部の流体伝導層がポンプによって高速循環を起こし、刃全体を均一に加熱する。
〈約三十秒〉
E.A.F.による短期集中放出《リミッター解除》が行われ、流体の速度が二倍にあがる。
その後、赫迅刀は800℃の最大出力となり、刀身全体が赤金に発光する。
「出力最大までの間、リオンを援護する!
各位、隊列を組め!」
ウォーレンスの号令が響く。
彼の指示を合図として、逆奪者たちの反撃は始まろうとしていた。
しかしーー
「何を考えてるのかは知らないけれど……」
ーーそれを
演出家が許すはずはない。
「観客が席に居ないなんて、演者が泣いちゃうじゃないか。」
〈スピーカー越しに囁かれた声を境に……〉
「糸が来るぞ!!!」
逆奪者の一人が叫ぶ
〈劇場は再び光の線が瞬く、戦場となる。〉
「姿勢を低くして、観客席を防壁に使え!
足元を掬われたときは、刃を地面に突き立てろ!!」
糸の攻撃を避けながら、ウォーレンスは逆奪者たちへ指示を出す。
その指示を聞いたカナンも、銃形態のレベリアンを片手に、床に落ちていた槍を拾いあげる。
劇場には、仲間だった者たちが落としたとされる武器が散乱していた。
カナンは彼らの痛みと残り香を感じながら、兵士たちの防御網に混ざる。
そんな彼らの中央でリオンは、赫迅刀を握りしめ出力を上げ続ける。
「同調完了……!」
赫迅刀は、事前の戦闘によって摩擦熱を吸収しており、予定よりも早く同調を終了させた。
刃が淡く橙色に光り、手元に熱が伝わってくる。
観客席を壁としながら、彼の周りに配置された逆奪者は影から忍び寄る糸をひたすら断ち切る。
命の軌跡のように光る糸は天井、壁、床
あらゆる角度から無数に伸び
劇場を蜘蛛の巣のように覆う。
吊るされた死体たちは微かに揺れ、
まるでこちらを嘲笑うかの如くカタカタと音を響かせた。
「困ったねぇ……」
誰にも見られぬ影で一人。
ヴァルツは密かに呟いた。
「これでは誰も"劇"を見てくれないじゃないか」
言葉とは裏腹に、その声色には確かな愉悦が混じっていた。
彼にとっては戦場も舞台であり、死へと抗う人間も一つの作品なのだ。
演劇とは、脚本のみで全てが完結しない。
全てが予想外となる娯楽なのだ。
ステージの上では、トルヴァが剣を構えたまま、力なく糸に吊られてぶら下がっていた。
足元には、もう動かない仲間たちが散らばり、舞台の板に広がる鮮血が、古びた樹木へ命を与えるが如く吸い込まれていく。
観客を待つように時間を止めた舞台には、悲哀も歓喜もなく、ただただ静寂だけが満ちていた。
演劇の舞台は、ステージ上から観客席となり、更なる物語を綴り始める。
「見せてもらおうか、君たちの脚本を。」
逆奪者を眺めながら、ヴァルツはまた一つ、糸を手繰り寄せた。
観客席へと空気を裂く糸が無数に飛びかかる。
それらを切り落とし、かわしながら、ウォーレンスは床を叩き割って防壁として設置を行っていた。
「なんて馬鹿力だよ……。」
自然に行われた不自然な行動に、カナンは絶句していた。
だが、他の逆奪者たちは見慣れているのか、それとも余裕が無いのか、そんなことは気にせずにひたすら迫り来る糸へと対処を行っている。
「南側、糸の束が来るぞ!」
「右斜め上! 光が走った!!」
鋭い声が飛び交い、
無数の糸が音もなく突き刺さる。
観客席が砕かれ、煙と粉塵が舞い上がる。
「左側の包囲が薄い!
距離感覚を均等に保て!」
ウォーレンスは逆奪者へと指示しながら、戦場へさらに壁を作り続ける。
だが、戦況を把握しながら攻撃を捌き、更に指示を飛ばすのは、戦術理解を得意とする彼でも厳しいものがある。
(ミネたちと通信が復活しない……
俺一人では、全てを把握し続けるのは無理だ……。
リオン……!まだか……!?)
逆奪者たちは盾や剣を構え、糸を切り、弾き、地を転がって躱す。
その動きはもはや"戦闘"というより"踊り"に近かった。
一歩間違えれば命を落とす。
緊張と精密さが問われる、極限状態での"舞踏"。
「出力ーー八十%!!
短期集中放出《リミッター解除》開始!」
そんな混濁した戦場は、リオンの声と共に戦局を変える。
刃が赤熱を増し、金属が膨張していく音が響く。
「各員!!準備を行え!!」
ウォーレンスが叫び、
カナンが銃を構え直す。
まもなく出力限界へと赫迅刀が熱せられる。
「九十五……!!
残り五秒!!」
リオンの声が震えた。
その声と共にーー
糸が一斉に唸った。
ギィィィィン!!!!
糸とは思えないほどの振動音を響かせ、天井から、壁から、床からーー
必死に生きようとする彼らへ
三百六十度の死が襲いかかる。
「…………ッ!!!」
逆奪者たちが目を見張る。
劇場へ灰が降り
絨毯へと血が混じる。
世界は赤くーー
無慈悲な光に染まった。
*****
ーー爆音が、鼓膜を突き破った。
視界が赤い。
世界が燃えている。
熱風が髪を巻き上げ、劇場に瓦礫と灰が舞っていた。
「カナン!!!」
リオンの声が聞こえて、だんだんと意識が鮮明になる。
床に倒れ伏した身体を起き上げ、周囲を見渡す。
火の粉が糸を焼き切っていく。
目の前の劇場は、地獄のような舞台へと、風景を変えていた。
ーー粉塵爆発
それは、ひとつの火花を火種とし、"空気そのもの"が燃え上がる現象。
空気中に漂う微細な木屑や油脂
長い年月をかけて世界に染み込んだそれらが、
爆薬として起爆剤となり、全ての糸を焼き尽くす燎原の火と化した。
古びた劇場で、"それ"が起こせる事を見抜いたウォーレンス。
彼らは逆奪者たちへ
「"なんとなく"出来ると確信した。」
そう、作戦計画時に呟いていた。
セラの実験に巻き込まれ、幾度も爆発の被害に遭った彼は、その空気の密度や、埃の匂いで"感触"を覚えていた。
「無茶だが、やるしかない……!」
理屈だけでは説明しきれないリスクを伴うが、逆に理屈だけでは届かない一手でもある。
リオンの赫迅刀、そしてカナンの弾丸を使って摩擦熱による火花を生み出す。
作戦自体は簡単なものだったが、それは命を懸けた賭博であった。
爆発に巻き込まれる危険。
リオンが武器《赫迅刀》を手放し、無防備になる危険。
そして、そもそも火花が不発に終わる危険。
どれか一つでも予測が外れれば、全員が命を落とすこととなる。
それでも彼らは、ウォーレンスを信じた。
信頼という名の脚本を胸に刻み、爆発の成功率を上げるため、誰もが舞台を整え、役に徹したのだ。
そして、死を招く糸の寸前。
リオンの投げた赫迅刀へ、カナンが弾丸を撃ち込んだ瞬間ーー
金属が擦れ、閃光が走った。
まるで、火打石と打ち金のように火種を起こした"それら"は、空気中に火花を展開し、世界を燃やす導火線となる。
そしてーー
古びた劇場を、真紅の奔流で包み込みこんだ。
これが〈クイーンの王子〉
ウォーレンス・アストレインの描いた
逆転劇の全てだった。
***
ーー生きている。
転がった逆奪者たちが次々と起き上がり、作戦が成功したことを理解した。
カナンも彼らと共に、熱気と煤の残る空気を吸い込みながら立ち上がる。
観客席を壁に……
ウォーレンスの積み上げた床を壁に……
様々な地形を盾として、逆奪者たちは爆風からの衝撃を耐え忍んだ。
周囲の逆奪者は、顔を黒くしながらも、誰一人として倒れてはいなかった。
逆転劇の考案者ウォーレンスも、さすがに疲れたのか、瓦礫の後ろで膝をつき、息を荒らげていた。
炎は徐々に沈み、焦げた木材の匂いが肺を満たす。
空間に這いまわされた糸が燃え落ち、上空で灰となって舞っていく。
ドサッ……
やがて、天井に吊るされていた仲間たちの糸も燃え尽き、重力に従って数人の死体が落ちてくる。
ドサッ……
地上へ落下する彼らの姿は
まるで、幕の降りた舞台から役者が退場するように、痛ましくも美しい光景だった。
「カナン……。」
リオンが名前を呼ぶ。
要件は分かっていた。
投げた赫迅刀の回収だ。
「……あぁ、行こう。」
カナンは頷き、リオンと共にステージへと足を運ぶ。
段差の上、焦げた木材の舞台では、爆風によって転がされたトルヴァの遺体が、炎の揺らめきに照らされていた。
カナンは少しだけ近寄り、彼へと一言
言葉を飛ばす。
「……悪いなトルヴァ、吹き飛ばしちまった……
苦情ならいくらでも聞いてやるから
今のうちに、考えといてくれよ……。」
呟かれた謝罪の言葉には、悔恨と哀傷が滲んでいた。
二人は、赫迅刀を回収して、舞台を後にする。
操り人形となった彼らにようやく、名誉ある“死”が訪れた……。
誰もがそう思った。
そう、思っていたんだーー
ピシ……
乾いた何かが割れる音がした。
カナンたちは反射的に振り向く。
ステージの上
彼らが見送ったはずのトルヴァは
背中を向けたまま立ち上がり、再び活動を開始していた。
「……ッ!!!!!」
その皮膚は焦げ、糸の焼け跡から黒い光が滲んでいる。
“糸”は焼き切れており、淡い光の線は見えない。
それでも尚、彼は剣を取って再び立ち上がった。
そしてーー
バキッ……
鈍い音を立てて、首が不自然に回す。
瞳孔のないその目が、背後のカナンたちを静かに見据え、黒く光った。
『お待たせしました、"役者"の皆様。』
壊れかけたスピーカーから、ノイズ混じりの声が響く。
『これより第二幕――“失楽園”を開始します!』
その宣言と同時に、焦げた劇場に灯が戻る。
舞台の幕がゆっくりと上がり、吊るされた死体たちの影が、まるで息を吹き返すように揺れ始めた。
ーー再演が始まる。
死者が動き出し、焼け落ちた劇場に再び脈動が巡る。
糸が解け、人形としての役目を終えた彼らは、死体として、“操り手”の意志に応えるように立ち上がった。
脳内を駆け巡る嫌悪と、信じ難い光景を目の前に、逆奪者たちは呼吸を加速させる。
そんな彼らを置き去りに、ヴァルツは"演者"の紹介を始めた。
『今回の主役、堕天使ルシファーを演じるのは――』
焦げた空気を切り裂き、スポットライトがひとつ灯る。
その光は、煙の中に立つ“彼”を照らした。
『反逆者様……ご本人です。』




