13話 『人工生命』
銃声が止まない。
壁一面のタレットは狂ったように火を噴き、地響きのような連射音が空間を支配していた。
粉塵と火花に包まれた中央、ただ一人狙われた男の姿は、もう見えなかった。
「……K……?」
リオンが喉を詰まらせる。
あの弾幕の中で、生き残れるはずがない。誰の目にも、そう映った。
監視者の冷徹な声が響く。
「反逆因子――排除完了。」
その瞬間。
「……っ、あぁ……!」
粉塵の向こうで、かすれた声が上がる。
崩れ落ちるかと思われた影が、膝をつき、血に濡れた身体を支えていた。
反逆者ーー
彼は全身は傷だらけで、口元からも血が滴る。
だが、銃口に焼き付けられた赤い光点の雨を、彼はなおも拒むように顔を上げた。
「……死ぬわけ、ねぇだろ……まだ俺は……」
彼の手は震えながらも、確かに銃を握りしめていた。
その姿にリオンは息を呑み、イヴは震える声で名を呼んだ。
「……K……!」
死滅の雨が降る直前、回避不可能と理解したKは、防御へと意識を割いた。
自身の周りへ、結界のように弾丸を反射させ、タレットからの攻撃を軽減させたのだ。
生き延びた彼を視認した、監視者が再びタレット群を起動させる。
「認識訂正――殲滅再度続行。」
監視者は更なる演算を行い、Kの行動を学習した。
「跳弾で擬似的な防御壁の作成……
瞬間的な判断としては悪くなかった。」
「しかしその深い傷跡
お前にもう戦う力は無い。」
光学センサーが冷徹に輝き、赤いレンズがカナンの全身を走査する。
膝をつくKの足元に、赤黒い滴が石畳を染めて広がっていく。
「反逆因子、ここで終わりだ。」
冷徹な声が、まるで判決の鐘のように響き渡った。
監視者は確かに事実を告げた。
告げていたはずだった。
けれど反逆者は、膝を折っていたはずの体をぐらりと起こす。
口端から血を拭い、銃口を構え直しながら、低く笑った。
「……今、誰が終わったって?」
ーー記録の力による治癒。
それは失われた細胞を“かつての形”として呼び戻し、今の身体に合わせて外側から貼り付けていく。
まるで過去を切り抜いて、未来に無理やり繋ぎ止める絆創膏のようなものだった。
傷は塞がる、しかし、流れ出た血液までは戻らない。
床に広がった赤黒い染みはそのまま残り、彼の体から奪われた分の力も、確かに消えていた。
淡い光の膜がKの肩口を覆い、裂けた肉の上にもう一度“正常だった時の皮膚”が重なっていく。
焼けるような痛みとともに、ズレた記憶を無理やり体に押し込む違和感が走る。
「ッ……!」
奥歯を噛み締め、彼は呻きを飲み込む。
その力の主、記憶の管理者であるイヴの額には細かい汗が浮かんでいた。
彼女の指先から伸びる光の糸が、ひとつ、またひとつとKの傷を縫い合わせていく。
「……無茶は……しないで……」
小さく呟く声は怒りでも嘆きでもなく、ただ必死に命を繋ごうとする祈りのようだった。
ーー淡く残る光が薄れていく頃、Kは膝をゆっくりと伸ばした。
肩の痛みは消えていないが、刃向かうための理性だけは冷たく研ぎ澄まされている。
「ひとつ聞く。」
反逆者は言葉を絞り出すように、しかし確信を持って告げた。
声には血の臭いと鉄の寒さが混じっていた。
「俺が跳弾で擬似の防御壁を張ったとき――
お前、その斧で斬るのをやめたよな?」
監視者は一瞬の間を置いてから、機械めいた抑揚で答えた。
「……判断を変更しただけだ。
状況に応じて最適解を選択する。
それが演算というものだ。」
「ふん、演算か」
カナンは吐き捨てるように笑った。吐息は痛いほど乾いている。
「お前の言う“最適”ってのはつまり、タレットで十分押し潰せるから、近接を敢えて使わない、そういう節約か?」
監視者は以前、揺らがない。
「効率的であることは合理である。斧は有効だが、斧の破損は安寧の継続へと影響を与える。
可能ならば、より低コストで目的を達する手段をーー。」
「嘘だな。」
カナンの声には、怒りとも笑みともつかない苛立ちが滲む。
カナンは銃を構えながら、監視者の手に握られた斧を睨んだ。
「……その斧、この世界のものじゃないな。」
監視者は一瞬だけ静止する。
光学センサーが淡く瞬き、機械的な声が返った。
「肯定。
これは私の記録には存在しない設計思想。
安寧の為に導かれた道具だ。」
「つまり、お前のものじゃない。
誰かに握らされた力ってわけだ。」
カナンは吐き捨てるように言った。
監視者の光が微かに揺れる。
「……違う。これは私の選択だ。
私が守るために選んだ最適解。
私が、私自身が選んだ力なのだ。」
低く響く金属音の中に、人間の呻きにも似たノイズが混じった。
イヴは息を呑んだ。
記録を解析するための眼が、思わず感情を映してしまう。
「――これは……」
彼女の瞳が震える。
イヴはその響きに胸を突かれた。
「……まだ、残っている……」
囁くように零れた声には、敵を見据える鋭さではなく、誰かを抱きしめるような温度が宿っていた。
淡い光がイヴの指先に宿る。
彼女は初めて、記録ではなく“生きた残響”を見たのだと悟った。
イヴの胸の奥に、かすかな記録が反応した。
「……セリオス」
揺らめく光の中から、幼い少女の声が響いた。
『……すごく綺麗……ありがとう……セリオス』
優しく、それでいて切実な響き。
かつてセリオスが護ろうとした存在――
チュアリの声だった。
イヴは指先で、降り注ぐ記憶の欠片を掬い、祈るように抱きしめる。
ーー白い壁、並んだ試験管。
生命を「数える」ための記録簿には、赤い線で消された無数の番号があった。
続けて書かれるのは淡白な実験結果
「生存時間:二時間」「解剖処理済」。
「生存時間:四時間」「解剖処理済」。
「生存時間:42分」「細胞分裂後爆散」。
「生存時間:一時間」「肉体崩壊」。
悲惨な事実が横文字に羅列される。
その中で、ただ一つだけ違う記録がある。
『個体番号:No.13 観察継続』
"人工生命" No.13
そう呼ばれた少女は、ガラスの向こうで小さく瞬きを返した。
ーーある一定の人工水準を超えると、種は自らの繁栄に継続的価値を見出さなくなる。
人間は長く生きすぎた。
文明を築き、星を渡り、あらゆる知を積み上げた。
それ故に――種としての衰退を辿る未来を変えることはできなかった。
人はもはや、命を伸ばすことしか考えられなくなった。
寿命を克服するために、病を避けるために。
その先で行き着いた答えが「人工生命」
造られた命だった。
けれど、"それ"は脆かった。
呼吸を始めても二時間と保たず、どれだけ研究を重ねても、一日を越えて生き延びる個体は現れなかった。
「命を作る」という夢は失敗し続け、やがて研究は歪んでいった。
“人を造る”のではなく、“不死の存在を造る”という方向へ。
そして、より過激に残虐に、実験が進んだ時、人工生命は実験として一つの壁を越えた。
代わりに人工生命は、いつしか人々にとって、道具としか、認識されなくなっていた。
ーー初めて生まれた人工生命は、チュアリと名付けられた。
白い肌、赤く濁った瞳。
人ならざる外見に、加え、彼女は研究者たちの求めた、不死の存在では無かった。
大人に成長する過程で、細胞が死滅し、子供の時点で死んでしまう。
研究者たちは生きてから死ぬまで、子供の姿のまま呪われ続ける彼らを、嫌悪と冷徹を込めて「忌み子」と囁き、記録には番号しか記されなかった。
だが、一人だけ、彼女を「チュアリ」と呼んだ者がいた。
人工管理部の研究員であるセリオス。
彼だけが、その存在を“個”として認めようとしたのだった。
人工管理部
それは言葉良く言い換えると、延命研究の副産物を処理するために設けられた部門だった。
その実態は、ただのゴミ捨て場
日々送られてくるのは、完成に至らなかった命。
二時間で溶け落ちるもの、
一日も持たないもの、
声をあげることすらできずに崩れていくもの。
研究員たちにとって人工管理部とは記録を取り終えた「忌み子」を、処分するだけの場所であった。
セリオスはその現場に立ち会い続けた。
研究者でありながら、新しい未来を築くどころか、ただ終わりを数えるだけの日々。
管理という名の下に、彼の手に残るものは何一つなかった。
――それが変わったのは、一体の少女が送られてきた時だった。
"生きていたもの"が送られてきたのは、その時が初めてであった。
白衣を着た研究員は、挨拶もせずに、箱を台の上に置くと、まるで穢れに触れることを恐れるように背を向けた。
「……任せた」
それだけ言い捨て、逃げるように扉を閉めて去っていく。
錆びた台座の上に置かれたそれは、無骨な金属の箱だった。
蓋には「処理対象」とだけ刻まれている。
セリオスは息を詰め、ためらいながらも留め金を外す。
箱は軋む音とともに、冷たい空気が吹き出した。
またいつもと同じ、肉塊だと思っていた彼は理解が遅れた。
ーー白い肌と赤い瞳を持つ、痩せた少女が丸く身を縮め眠っていた。
まだ呼吸をしている。かすかに胸が上下していた。
「……ッ!!!」
死骸のようでいて、確かに“生きている”。
研究記録でしか見たことのない存在
――人工生命〈忌み子〉。
腰を抜かして、セリオスは後ずさった。
喉が詰まったように声が出ない。
赤い光が煌めく度に、心臓が強張り、背筋を氷の刃でなぞられたような錯覚に陥る。
――危険だ。
頭の奥で警鐘が鳴る。
これが人であってはならない、と。
彼の驚きによってその生命は目を覚ます。
赤い瞳がゆっくりとセリオスを見据えた。
――これは未知のものだ。
彼の胸の奥で、恐怖が溢れ出した。
だが、彼女の瞳に敵意はなかった。
むしろ、ただ怯え、助けを求める子供の色をしていた。
セリオスの喉がごくりと動く。
その音に反応するように、少女は小さく身を縮め、震える唇から掠れた声を漏らした。
「……ごめんなさい……。」
人間ではない存在から放たれたその言葉に、セリオスの思考は一瞬止まった。
そして次の瞬間、胸を締め付けていた恐怖は、別の感情へと姿を変えていった。
人間とは、自分の知らぬ存在と相対した時、無意識に警戒を行い、恐怖を覚えるものだ。
私も恐怖を感じた。
けれど、彼女に対しても、私は見知らぬ存在である。
つまり彼女は
恐怖という"感情"を知っている。
見た目が自分と違えども、この子は
ーー人間だ。
「……謝らなくていい。」
セリオスは静かに繰り返した。
少女の肩が小さく震え、恐る恐る赤い瞳がこちらを見上げる。
命を守る必死な瞳。
彼女の手首に巻かれたタグには、冷たい記号が刻まれていた。
〈被検体No.13〉ーー。
その目と名前……とも言えない番号から、彼女がどんな日常を送っていたのかは想像するに容易であった。
人として扱われず、ただ「被検体」として、消耗品のように数えられていたのだ。
セリオスは喉の奥で言葉を噛み殺した。
彼女に向かって「No.13」と呼ぶなど、耐えられない。
彼は小さく息を吐き、少女を見据える。
「……君には名前が必要だ。」
少女は一瞬きょとんとし、次に小さく首を振った。
拒絶ではなく、慣れていない仕草だった。
「……なまえ……?」
「そうだ。」
セリオスは静かに、しかし揺るがぬ調子で告げる。
「……チュアリ。今日から君をそう呼んでもいいかな。」
少女の瞳が揺れた。
まだ恐れは消えない。
だが、その声を胸に刻もうとするように、小さく唇が震えた。
「……チュアリ……」
それは彼女にとって、生まれて初めて貰った、贈り物であった。
ーーセリオスとチュアリの暮らしは、最初こそぎこちなかった。
彼女は怯えた小動物のように、物音ひとつにも肩をすくめ、食事もほとんど口にできなかった。
だが日が経つごとに少しずつ変わっていく。
彼が差し出すスープを恐る恐る飲み、やがて「……おいしい」と小さく呟くようになった。
赤い瞳は次第に警戒の色を薄め、ほんの僅かに笑みを見せるようになった。
名を呼べば振り返る。
小さな声で返事をする。
その度にセリオスは、自分が「管理者」ではなく「守る者」になっていると気づかされた。
やがて彼女は、施設の白い壁の中で唯一の色彩となった。
孤独を塗り替える存在。
そして彼女自身もまた、番号ではなく、確かな“名”を持つひとりの存在として生き始めていた。
落ち葉が風に攫われ、街路の色彩が少しずつ褪せてる。
少し肌寒さを感じる季節、セリオスは机の上の一枚の書類に目を落とす。
机に置かれた一枚の書類。
〈被検体No.13〉──
備考欄には、冷酷な一文が並んでいた。
「余命推定:第二月・晩冬 末日まで」
白紙の余白が、何よりも重くセリオスを押し潰した。
指先が震え、紙がくしゃりと音を立てる。
まるで計算されたかのように「予定」と記された言葉に、彼は吐き気を覚えた。
ーこの冬の終わり、"彼女は死ぬ"
それは運命ではなく、必然の設計だった。




