#37 「看病」
上野優衣と遭遇した次の日。
今日は休日だというのに、自然と朝早くに目覚めた隼人は自らの勉強机の椅子に座りながら頭を抱えていた。
由希の居ない世界から抜け出したかと思えば、今度は瑠香と梨花の二人から自分という存在が消えている。
それに、結局結衣とは連絡がつかないままだ。
事態は最悪の状況を迎え、ここまで追い詰められれば自然と目も醒める。
今までも様々な不味い状況には遭遇してきた。
ある時は死が迫った後輩を救い
ある時はアイドルのストーカーと対峙し
またある時は妹だけが存在しない世界に迷い込んだ。
今回は自分と仲がよかった人間から記憶が消えるというもの。だが、これまでと違い原因は何となく分かっている。
上野優衣。
上坂隼人の中学時代の同級生であり、初恋相手。
つい最近まで記憶から抹消されていた少女。だが、昨日遭遇した事で大体の事を思い出した。
「大切な人に忘れられるって、どんな気持ち?」
上野優衣の吐いた言葉が、脳内に響き渡る。
梨花と瑠香から上坂隼人の記憶が消えている原因は間違いなく彼女。だとすれば、次に戦う相手は優衣。
「戦うって言ったって…どうやって」
困惑する隼人を他所に、机に置いていたスマホが振動する。
それに伴い画面が光り、メッセージの通知が見えた。
相手は…上野結衣。
『ごめん上坂、体調崩してた』
画面に表示される結衣からのメッセージ。
それを見て、隼人の中で安堵する気持ちがあった。
上野結衣は記憶を消されたのではなく、体調を崩していたので学校に来なかったのだと。
『大丈夫か?』
『まだちょっと熱っぽい』
『ご飯はちゃんと食べてるの?』
『そんな気力ない』
上野結衣の家庭の事は薄っすら知っている。
共働きで、余り家に居ない事を昔聞いた事があった。
『家行くわ』
『うん』
看病がてら結衣家へ向かう事に決め、隼人は支度をしてから家を出た。
◇◆◇
結衣の自宅へと寄る前にスーパーで簡単に買い物をして、指示された住所を元に向かう。
上坂家がある住宅街より少し離れた場所に上野家はある。目に入る建物は家なのにどれも大きく、地元の人間ならここが高級住宅街である事は周知の事実。
「これか」
上野の表札を見つけ、自宅の前で立ち止まる。
白が基調の如何にもな高級住宅。何となく察してはいたが、良いところのお嬢様らしい。
呼び鈴を鳴らし、ドアの前で待つ。
しばらくすると、ゆっくりと開く扉の先から可愛らしい薄いピンクのパジャマ姿の結衣が出てきた。
「上坂…」
「珍しいな、結衣が風邪引くなんて」
「私も、完全無欠の人間じゃないからね。風邪は引く」
「馬鹿じゃないって事だ」
そんな軽口を言いながら家に入り、靴を脱ぐ。
玄関に並べられた靴の数を見て、この家の事が何となく分かった。
家は見た目の通り広い。玄関だけで上坂家のリビングくらいあるんじゃないかと思う。けれど、広いだけでまるで人の気配がない。まるで、結衣だけがこの家に住んでいるかのように。
リビングへと進めば、その感想は助長される。
綺麗に整った家具や、整理された棚の物達。まるでさながらショールームの様で生活感なんて無かった。
「私の両親は…月に数回帰ってくるだけだからね」
「僕なんか言ったか?」
「顔に書いてある、まるで人が住んでる感じがしないって。でもまあ、私は基本部屋から出ないし間違いではないかも…」
何処か辛そうにしながら、結衣はゆっくりと自分の部屋のある二階へと繋がる階段を昇る。
隼人もそれに続いて階段を昇り、部屋の前で立ち止まった。
「ん?どうかした?」
「いや、一応年頃の女の子の部屋だからドカドカ入るのはまずいだろ。隠したい物とかあるだろうし」
「そんな物ないし、入れば?」
「ならお言葉に甘えて、結衣も早く横になれよ」
「うん…そうさせてもらう」
部屋の扉を開けて、結衣は倒れ込む様にベッドへと入った。
顔はほんのり赤い。熱は昨日に比べて下がったとは聞いたが、それでもまだ風邪の最中だろう。
「とりあえず冷えピタ買ってきた。新しいのつけな」
「うん…」
「食欲は?」
「少しはある」
「なら雑炊作ってやる、キッチン借りるぞ」
取り敢えず新しい冷えピタを結衣の頭に付けさせ、隼人は下へと降りて買ってきた物と共にキッチンに立つ。
人様の家の物を使って何かを作るのは若干気が引けるが、状況が状況なのでそんな事は言っていられない。
隼人は、そうして簡単に雑炊を作り始めた。
◇◆◇
出来た雑炊と共に結衣の元へと向かう。
部屋に入れば結衣はまだ起きていて、ゆっくりと体を起こした。
「さぁお姫様、お口に合うか分かりませんが」
「ご飯くらい、自分で食べられる…」
「病人は黙って施し受けとけ」
「…分かった ん。」
口を開ける結衣へ、しっかり熱くない程度に冷ました雑炊を口に運ぶ。最初は少し熱そうにしながらも、美味しそうに食べた。
「なんか、懐かしい」
「味がか?」
「ううん、こうやって誰かに食べさせて貰うのが。昔、同じ様に風邪引いた時にお母さんが食べさせてくれたから」
「結衣が望むなら今度またやってやる」
「恥ずかしいからいい けど、風邪を引くのも悪くないね、こうやって誰かに甘えられるから」
「結衣はもっと甘えてもいいんだよ」
「じゃあ…」
熱のせいか、はたまた恥ずかしいのか。
頬を少し赤くしながら、結衣は無言で両手を広げる。
「ぎゅって、して欲しい」
「お安い御用」
隼人もまた、結衣からお願いを承諾しそっと結衣の小さな身体を抱きしめる。
熱で体温が高いせいか、温かい。
結衣の方も、今更恥ずかしくなったのか顔を隠すように隼人の胸に埋めた。
「……上坂の事好きになって、よかった。」
「……」
「一生つまらないと思ってた人生が楽しいと思える様になったから。上坂に会ってからそう思う。それに、ちゃんとお別れもできたし。」
「悠未、か。」
春奈と同じ様に消滅した夏希と結衣の幼馴染。
"友達にお別れを言いたい"という願いを叶え、今度こそ悠未は安らかな眠りについた。この世界では。
「なぁ、こんな時に言うのもなんだけどさ」
「どうしたの?」
「大変な事に巻き込まれてる」
「……また」
お互い一度離れ、向き直る。
それからもう一度雑炊を手にして、結衣へと与えた。
「話は飯の後だ。今回は結衣にも影響があるかもしれない」
◇◆◇
「これで完食だ」
「で、私にも影響がありそうって何?」
「……瑠香と梨花が僕の事を忘れた」
「え?」
「原因は何となく分かってる。……上野優衣、お前と同姓同名だ。漢字も性格も違うけどな。」
「知り合いなの?」
「ああ、僕は覚えていないけど初恋相手らしい。だけどさ、普通忘れたい淡い恋の記憶だとしても名前も姿も覚えてるもんだよな」
「その口ぶりからすると、何も覚えていなかったんだ」
「まぁな」
「つまり、上坂はその子が小宮さんや神崎さんの記憶を消したと?」
「僕はそう思ってる、現に、梨花が記憶を無くす先日に上野優衣と会ってるんだよ」
「ふーん」
そう言うと、結衣は何か考える素振りをした。
「どうした?」
「いや、上坂って女難の相ありすぎじゃない?本格的にお祓い行ったらいいと思うよ」
「だよなぁ……」
そろそろ自分でも本腰を入れて探そうか悩んでいた。
このままではいつか女性関連で死ぬ気がする。
「その上野優衣って人は、小宮さんや上坂の同級生だったんでしょ?」
「まぁな、中学の」
「それなら上坂と小宮さんが仲良いのを知ってるのは分かるけど、なんで神崎さんまで?」
「僕も最初はそう思ったが、分かりやすい理由が有った。」
「そうか…… あの映像」
上坂隼人と神崎瑠香が未来と戦った際、隼人がナイフを持った男に刺された動画が拡散された。あれは中々の騒ぎになったし、学校内では隼人と瑠香の二人はデキてるだのある事ない事散々言われまくったが、もしあの映像を上野優衣が見たなら、映っていた神崎瑠香も対象になるかもしれない。
「上野優衣は僕を恨んでるんだろ。"上野優衣のことを忘れた事"を。だから、僕の周辺の人間の記憶を消してる。自分が感じた同じ気持ちを僕に味わせる為に。」
「……じゃあ上野優衣は」
「"記憶を消す目"。僕や結衣、夏希が持っている目が"見えないものが見える"様にする目なら、上野優衣が持っているのは"見えていたものを見えなくする目"に近い。」
「上坂はどうするつもりなの?」
「話し合うしかないよな、でも多分最終的には僕も記憶を消される気がする。今度は全部忘れるかも、自分の事も。だからさ、結衣 頼む。僕が全部忘れたら思い出させてくれ。どんな手を使ってもいい、ビンタでもドロップキックでも。」
「じゃあさ、ノートにとりあえず自分の事書いたら?名前とか友人の名前とか……それがトリガーになって思い出すかも」
「"備忘録"的なやつか。いいかも、帰りにノート買って帰るか。 」
「行動に移すならすぐがいいよ。上坂のおかげでだいぶ楽になった。」
「本当に大丈夫か?べつに1日中ずっと居てもいいんだぞ」
「うん、私なら大丈夫。夜には両親帰ってくるし、それに明日までにはちゃんと治す様に頑張るから、雑炊ご馳走様。」
「……なら帰るけど。なんかあったらすぐ連絡しろよ。見送りはいいから寝とけ」
「うん、今日はありがとう上坂。お陰で元気出た。」
「お大事な」
「うん」
布団の上から結衣に見送られ、隼人は上野家を後にした。
そして家に帰る途中、書店に寄ってから一枚のノートを買った。
来たるべき上野優衣との最終決戦、それに備えた備忘録を作る為に。




