#32 「一難去って、また一難」
「なぁ隼人」
「なんだ」
悠未との別れから一夜、いつもの様に学校へと向かう電車の中で、隼人は冬葵と並んで吊り革へと捕まりながら車窓からの景色を見ていると、冬葵に呼び掛けられた。
「昨日、上野に会った」
「お前って結衣の事 苗字呼びしてたって?」
「違う、隼人が忘れてた上野優衣の方だよ」
「あー……そっち」
隼人は、既に初恋相手が居た……らしい。
しかし不思議な事に、その人物の顔を思い出せない上、名前すらも覚えていない。まるで最初からその人間の存在を知らなかった様に。
「隼人は元気か?だって」
名指しで自分の名前を挙げてきた上野優衣に、隼人は驚いた。
名前を忘れていたとは言え、一応は初恋相手。そんな相手が自らの名前を出してくるとは。
「で、お前はなんて答えた」
「元気だけど、上野優衣の事は覚えてない って伝えた」
「お前酷い奴だな」
「覚えてない方が酷いだろ」
冬葵は笑いながら隼人にそう指摘する。
確かに言う通りだと思う。故に、返す言葉も無い。
「ま、上野優衣の方も気にしてなかったけどな。寧ろ、やっぱりー って感じだった」
"やっぱり"?
どういう事だろうか。上野優衣とやらは隼人が覚えてない事を知っている。
上野優衣の記憶が消えている事がまるで当たり前の様に言う本人の言動に、隼人は何処か引っ掛かりを覚えながらも気にしない事にした。
深入りすればする程、何だか厄介な事になりそうな予感がしたから。
◇◆◇◆◇◆◇◆
学校に着いてからは特に変わった事は無い。
普通に授業を四時間受ければ、勝手に昼休みがやって来る。
隼人はいつもの様に時間を潰す為、図書室へと向かおうと教室を出る。
「上坂」
声を掛けられた隼人が後ろを見ると、そこには結衣が居た。
いつもなら結衣の元へと向かう隼人が、今日は結衣に迎えられる。今までにないパターンだが、隼人自身は理由を分かっている。
「珍しいな」
「上坂 昼ご飯は?」
「まだ食べてない」
「なら……一緒に食べよ」
結衣からの提案に乗り、隼人と結衣の二人で別棟を歩きながら、相変わらず誰も居ない図書室の中に入る。
一つの机を挟み真向かいになるように座り、隼人は買ってきたパンを、結衣は弁当を出して食べ始めた。
「昼飯一緒に食べようなんて、どうしたいきなり」
「"カップル"らしい事をしたかったから」
「"カップル"ねぇ…… なんか自覚ないよな、いつも一緒にいたから」
昨日の夜、隼人と結衣は"友人"という枠を超え、"恋人"になった。
キッカケは結衣からの告白。
拒む理由が無かった隼人は結衣からの告白を了承して、恋人同士になったのだが…… 正直な所、こうして付き合う前から、いつも一緒に居たような気がするので心境の変化はそこまでない。
ただ関係性が友達というカテゴリから恋人に進化しただけだと隼人は感じる。
「私も、正直な話 同じ事思った」
卵焼きを口に運び、咀嚼をして飲み込んでから結衣は答える。
隼人だけでなく、どうやら結衣も同じ様に考えていたらしい。
「悲しい事に、この歳になるで恋愛経験が無いから、何すればカップルらしいのかも分からないし」
「……なら……キスする?」
「へ?」
唐突な結衣の言葉に、思わず隼人の身体が固まる。
キス……? 恋人同士が口と口でする、アレ。
「……上坂が相手なら 私は構わない」
酷く動揺する隼人を他所に、結衣の方は随分と乗り気。あの結衣から告白以来に、隼人の心臓は高鳴りを見せる。
「な、なら やるか! 僕達恋人同士だしな……!」
「……うん、いいよ」
結衣は顔を真っ赤にしながらも、ついに目を閉じた。
準備は万端、ということだろうか。ならば、後は隼人が勇気を出すのみ。
キスくらい、今どきの高校生カップルならば一つや二つしている筈だ、何らおかしなことでは無い。
そう自分に言い聞かせてから、隼人は心を落ち着かせる為に大きく深呼吸を一つしてから、ゆっくりと、結衣の顔へと自分の顔を近づけていく。
結衣の吐息が隼人の頬を撫で、何処かくすぐったい。
隼人の唇が結衣の唇に届くまで、あと1cmという所で、授業開始五分前を知らせる予鈴が、二人しか居ない図書室にも鳴り響く。
お互い、驚きの余りビクッとなる程に驚く、ムードは完全に壊れてしまった。
初キスはまた今度にお預けらしい。
急いで昼飯を食べ終え、お互い何処かモヤモヤした雰囲気のまま二人は教室へと戻った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
午後の授業も終わり。
同級生はそれぞれ部活へ向かったり、掃除を始めたりしている中、特に用事のない僕は帰りの支度をしてから走早に教室を出る。
玄関のある一階へと続く階段前には、一足先に帰りのHRを終えた結衣が隼人が教室から出てくるのを待っていた。
「帰ろ」
「だな」
玄関で靴を履き替えてから学校を出て、二人並んで歩きながら駅を目指す。
吹き荒ぶ風は、てんで冷たい。
手を繋ぐには丁度いい理由ではあったが、勇気が出ず繋ぐまでは行かなかった。
「上坂、来週の土曜日暇?」
「早速デートのお誘いか」
「違う、悠未ちゃんの命日だから」
「この時期なのか」
十年前、事故で命を落とした結衣と夏希の親友であり、隼人の六人目の友人。
"友達に別れを告げたい"という願いを叶え、悠未はこの世に残した未練を断ち切り、隼人達の前から消えた。
別れは悲しいが、きっとこれで良かったと隼人は思う。
夏希も結衣も、この悲しさをバネに前へと進めるはずだ。かつて自分がそうだったように。
「にしても、今回ばかりは色々あったなー…… 流石の僕も疲れた」
夏希をストーカーから救ったり、悠未との別れがあったり……結衣と恋人になったり。
今までも散々だったが、振り返ってみれば今回ばかりは色んな事が重なって大変だった。
……とはいえ、これで隼人の肩の荷が降りた訳では無い。
これとは別に、隼人には数年前から解決しようがない事象を抱えているのだ。
「……後は、由希の心臓の病気さえ治ればな」
現在進行形で、妹の由希を蝕む心臓の病。
様々な逆境を越えてきた隼人でさえも、この事ばかりはどうにもならない。
上坂隼人は、どんな病気も治せる医者でもなければ、触れるだけで病気を消せる能力者ではない。
今の上坂隼人に出来ることは現代の医学を信じる事だけだ。
由希が居ない世界なんて、僕は嫌だ
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
瞼の裏に光を感じて目を覚ます。
けたたましく鳴るスマホのアラームを止めて、ベッドから起き上がる。
いつもの日常。目の前に広がるのは、自分の部屋。
それなのに、何だか変な違和感を感じる。
自分の部屋なはずなのに、家のはずなのに、まるで違うみたいな言葉にできない不快感。
「…何なんだ、これ」
心拍が増す。まるで身体が、本能が警告をする様に。
そんな混乱をする隼人が居る部屋へと向かう様に、下の階から階段を登る足音が聞こえた。
由希が起こしに来たのだろうか。
そう考えている内に、足音は部屋の前で止まり、そしてドアが開いた。
「隼人、起きてるー?」
ドアが開くと共に聞こえた声。
それは由希でもなければ、母でもない。
だからこそ、開いたドアから見えた姿を目の当たりにして、隼人はあの時の同じ様に頬をつねった。
ヒリヒリと痛む頬。それが指し示すのは、これが夢ではないと言う現実。
それでもまだ、隼人は自らが夢を見ているのかと思った。
信じられない現実を前にして、そう思う他に無かったから。
だからこそ、震える声で隼人は問う。
──全てを確かめる為に。
「姉ちゃん、だよな…?」
「そうだけど、どうしたの?」
弟の問いかけに、姉は笑顔で答える。
花火大会の夜、消えたはずの姉が。
一難去って、また一難。
この日、上坂隼人が目覚めたのは
昨日までいた世界とは、全く違う世界だった。




