78話 『賢者』の選択
戦いはダナンが優勢で進んでいる。
シサンダンは曲刀による攻撃を次々に繰り出すが、その動きは鈍さがある。
ダナンが最初、不意打ちで放った“崩角砕牙”の武技により、シサンダンの両腕は半ば麻痺した状態なのだ。
「オラっ! 隙あり! “暴れ魔脚”!」
気をまとった強烈な後ろ回し蹴りがシサンダンの腹に突き刺さる。
武技の衝撃と共に、シサンダンの身体が宙に浮き、後方の壁に叩きつけられ床に両手をついて倒れた。
「オラオラ!!」
ダナンは獰猛な笑みを浮かべながら、シサンダンに立ち上がる暇を与えることなく、激しい蹴りで攻撃を加える。
倒れた状態のシサンダンは反撃もままならず防戦一方だ。
「アレス!」
シサンダンがアレスの名を叫んだ。
何を求めているかは瞭然だ……助けを求めているのだ。
「…………」
アレスは動けなかった。
一緒に旅をしてきたダナンを、勇者の仲間であるダナンを私が攻撃する?
馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……。アレスの思考は激しくかき乱された。
「アレス!」
再びシサンダンがアレスの名を呼ぶ。アレスは耳をふさいでうずくまりたくなった。何もかも忘れたかった。何も考えたくなかった。
『考えろ、行動しろ、止まるな、進め、お前は賢い、お前の選択は常に正しい、なぜならば賢者だからだ』
アレス自身の感情は、『賢者』の衝動によって塗りつぶされる。アレスには他人に選択を任せる自由はない。いつだって自分で考え、行動する。例え加護が、何を選択すればいいのか教えてくれないとしても。
『賢者』らしく振る舞え。そう加護がアレスに叫ぶ。
「アレス! 助けてくれ!」
シサンダンが三度叫んだ。ダナンの攻撃を何度も浴び、シサンダンは血を流しながら必死に防戦している。
もうすぐ決着が着くだろう。それは追放されたアレスが二度と勇者パーティーに復帰できないことを意味する。
そうか、考えるまでもなかったのか。
「ガルガンチュア・ストームジャベリン!!」
ダナンは単純な男だ。アレスは自分と同じようにシサンダンに騙されていた。だから、シサンダンの正体が分かれば、当然、シサンダンとは敵対するだろう。
そうとしか考えていなかった。あれだけアレスのことを嫌っていながら、アレスの中にある勇者の仲間として善性を信じ切っていたのだ。
「なっ! アレス!? てめぇ!?」
それは大国を丸ごと覆うような巨大な嵐が、一点に凝縮したかのような黒雲の槍だった。上級の魔法使い系加護だけが使える上級魔法。
一瞬、反応の遅れたダナンだったが、反射的に身を反らして直撃を回避する。
だが、槍の纏う雷撃のパワーだけでダナンの身体に百年生きた大樹を引き裂くほどの膨大な電撃が走る。
「うぐああああ!!!!!」
電撃でダナンの身体が硬直した。ダナンは痛みと閃光で一瞬目の前が真っ暗になった。
その刹那、鮮血が飛び散った。
「ぐ……」
ダナンの脇腹にシサンダンのタルワールが深く食い込んでいる。
「爆ぜろ」
シサンダンがそうつぶやくと、シサンダンのタルワールが爆発した。
爆発によって傷口は大きく裂け、熱と衝撃はダナンの身体の中を破壊した。
「さすがの貴様も、身体の内側から爆破されれば耐えられまい」
それでもなおダナンは倒れない。
傷口から、びちゃびちゃと音を立て血が流れ落ちるのも構わず、ダナンは握った左拳を無言で構えた。
「人間とは興味深い。貴様のような『武闘家』は見たこと無いぞ。その強さは加護を超えたところにあるな」
シサンダンはゆっくりと立ち上がり、左手で印を組む。その身体が大きく膨れ上がり、2メートル半ばの巨躯へと変わった。
鍛え上げられた腕が6本。浅黒かった顔は、牙を持つデーモンのものとなる。
シサンダンは腰に佩かれた5本の剣を次々に抜き、アスラデーモン本来の武術スタイルである6刀流の構えを見せた。
ダナンは、右足を大きく引いて迎え撃つ。その目は虚ろだが戦意を失っていない。
6本の剣が竜巻のように次々に襲いかかる。一撃一撃が巨象も両断するかの如き力と殺意が込められていた。
だが満身創痍のダナンは、意識を半ば失ってすら殺意の竜巻に左手一本で応じ、次々に剣をへし折る。
指で鋼を引き裂くとまで言われたダナンの武術は、半死半生の今であっても冴え渡っていた。
「武術の化物め、だが」
シサンダンの右足が蛇のようにうねった。
剣戟を防ぐことで手一杯だったダナンの胸にシサンダンの右足が叩きつけられる。
「が、ふ……」
ダナンは胸に激しい痛みを感じた。
シサンダンの右足が引き戻されると、ダナンの胸にシサンダンの折れた剣先が突き立てられていた。
「私も武術は得意でね。貴様から見たら曲芸のように見えるかも知れないが」
シサンダンはそう言って笑った。蹴りの前に、足の指で宙を舞う折れた剣の先を掴み、そのまま蹴りの勢いでダナンの胸に突き立てたのだ。
「い……んや……武だった……ぜ……」
ダナンはアレスの横槍を気にする様子もなく、まっすぐシサンダンを睨みながら口元を僅かに歪めて言った。
そしてついにダナンは力尽き、崩れ落ちたのだった。
☆☆
ダナンが倒れたのを見たアレスは、自分でも意外な程落ち着いていた。
仲間を手に掛けたのだ、裏切ったのだ、もっと動揺するのではないか、罪悪感で苦しむのではないか、そう思っていたアレスは自身の心理が不可解に思えた。
(いや違うか、慣れている。仲間を裏切るのはこれが最初ではないのですから)
アレスの脳裏にギデオンの顔がよぎる。
(あいつとは長い付き合いでしたね)
アレスはルーティが王都に来てからパーティーに加わった。今のパーティーではギデオンの次に古株だ。ギデオンと冒険した期間もルーティの次に長いことになる。
2人は幾度となく死線をさまようような戦いを生き抜き、お互いに何度も命の危機を救い合った。
アレスはギデオンを嫌いつつも、ギデオンの能力を信頼していた。おそらく、ギデオンの凄さを一番理解していたのはアレスだったのではないだろうか?
(だからこそ、私はギデオンを追い出した)
ギデオンがいたら、アレスは『賢者』ではいられない。ルーティから信頼されることも、仲間から頼られることもない。スキルなど無くとも、ギデオンは自分よりもずっと賢い者だった。
アレスはようやく自分がなぜギデオンを追い出したのか理解していた。
「アレス、助かった」
巨大なアスラデーモンは、アレスに礼を言った。
一度した選択はもう覆すことはできない。アレスはシサンダンと共に進み、奪われた『勇者』を取り戻す裏切りの道を選んだのだ。
「先へ進みましょう。この先にあるんでしょう? 勇者の遺物が」
「ああ、そうとも」
アレスは倒れたダナンを置いたまま、シサンダンと共に奥へと進んでいった。
☆☆
最奥の部屋の手前には、厳重なトラップが仕掛けてあったが、シサンダンはそばにあった古代エルフの制御盤に魔力を流すと、いとも簡単に解除してしまった。
これほど強力なトラップの制御装置がそう簡単に扱えるとは思えない。ただでさえ古代エルフの遺跡の制御盤は“ハエの目を射抜くような”繊細な魔力操作が必要なのだ。
だがそうした疑問は奥に安置された、ウッドエルフによって作られたと思われる黄金の箱の中にあった物を見て吹き飛んだ。
「こ、これは!?」
そこにあったのは5振りのロングソードだ。このロングソードのことをアレスは良く知っている。
「降魔の聖剣!? で、ですがこれは」
ルーティの持っているアーティファクト級のロングソード、降魔の聖剣。神から歴代勇者達へと受け継がれ、幾多の魔王を滅ぼしてきた神聖無敵の剣。
世界にたった1振りしかないはずの聖剣が、ここには5振りも存在する。
「いや違う。これは降魔の聖剣ではない」
だがシサンダンは否定した。
「今の降魔の聖剣は、初代勇者の墓より持ち出された、これら初代勇者の剣の模造品だ。神から与えられたのはこちらのオリジナルの方だ」
「で、では、これが本物の?」
「そうだ。区別するためにこれは真・降魔の聖剣、いや神・降魔の聖剣とでも名付けようか」
シサンダンは自分の腰に佩いた空の鞘を捨て、箱の中から次々に神・降魔の聖剣を取り出し、4振りの剣を自分の腰に佩いた。
そして最後の1振りをアレスに渡す。
「そもそも勇者の加護とは、勇者が今佩いている模造の降魔の聖剣と同じだ。すなわち初代勇者の魂を神が複製したものなのだ」
「魂? 複製?」
「今代の勇者を『勇者』にするためにやるべきことは2つある」
「2つ……」
それこそがアレスの目的だ。アレスは神・降魔の聖剣の柄を握りしめた。
「1つはその神・降魔の聖剣を今代の勇者に渡すこと。降魔の聖剣や勇者の証と同様に、それらには勇者の加護を強化する力がある。加護が強化されれば、同時に加護の衝動も強化される。“悪魔の加護”によって弱められた衝動も回復するだろう」
「で、ではそれでルーティは私の元に戻るのですね!?」
「いや、それだけでは足りんな。そもそも『勇者』とは、正義を体現するだけの装置であるはずなのだ。恐怖も迷いも躊躇も無い。そのために自我など失うほどの強力な衝動が与えられている」
「それじゃあ2つ目とは一体」
「今代が『勇者』ではなくルーティであろうとするのはなぜか。それはルーティでなければ果たせない想いがあるからだ。衝動の苦痛に逆らってまで成し遂げたい希望を持っているからだ」
「……つまりギデオンを」
シサンダンはアレスのつぶやきを聞き満足げに頷いた。
☆☆
その頃、ギデオン、いやレッドは仲間と共にアレスを追って先へと進んでいた。
「遠くで誰かが戦う気配がしました」
ティセの警告を受け、レッド達は先を急ぐ。
だが、もはやアレスとは完全に道を違えたことを、この時まだレッドは知る由もなかった。
2人の対決は避けられない。
け、決着がついたらちゃんと穏やかな日常スローライフに戻るので