74話 勇者の求める薬
「つまり、悪魔の加護ってのはもともと名前のない加護を発生させる薬に制限を掛ける形で、レベルの移動が起こる効果と発生する加護をデーモンの加護にする効果を加えたものなんだ。本来であれば、生来の加護はレベルが下がらないし、呪い耐性がなくてもデーモンの加護は必要ない」
ゴドウィンは最後にそう結論づけた。
俺達は、悪魔の加護に対するゴドウィンの意見を聞いていているところだ。
「加護の衝動を抑えるってのも後付なのか?」
「そこは判断が難しいな。加護レベルが下がらなくても新しい加護によって生来の加護の衝動を抑える可能性はあると思うぜ。だがこの薬の効果は本来、ただルールさんに宿った名前のない加護を作るためのもんなんだ」
「じゃあデーモンがルールに説明した、生来の加護のレベルを一時的に下げることで加護レベルの上昇の効率をあげるってのも本来の用途じゃないのか」
「加護のレベルの移動が起こらないから、本来は1週間程度で移動したレベルが戻って発生した加護が消えることもないだろうな」
ますます不思議だ。
この薬を改良したデーモン達は、この薬の本来の効果をすべて潰すように調合レシピに改良を加えているように思える。
「依存性とか麻薬としての効果は?」
ルーティが尋ねた。薬を使用する当人であるルーティにとっては気になるところだろう。
耐性で無効化できるといっても、薬でレベルを動かし続けると完全耐性を失うレベルまで下がる可能性だってある。
「それは材料の問題だな。使っている材料に中毒性の高いドワーフの黒火胡椒が使われているんだ。ゾルタンでも禁止されているから、ここでもこいつの調達が一番難しい。今はビッグホークさんの隠し貯蔵庫にストックがかなりあるが」
「代用はできないの?」
「俺はもともと盗賊ギルド付きの錬金術師崩れだぞ。調合レシピの改良となるとお手上げだ」
ゴドウィンはスキルを使って薬を分析し、それをコントラクトデーモンや俺達から聞いた情報と合わせて推測を立てているのだ。
ビッグホークの下で盗賊ギルドの幹部をやっていたゴドウィンは、錬金術師の知識という点では決して豊富とはいえない。
俺はゴドウィンから受け取った、スキルによる分析結果が書かれたノートを見ながら考える。
材料の代用はこの情報だけじゃ判断できないな。
とはいえルーティの癒しの手ならば、麻薬中毒すら完全に治癒できる。
他にも薬害を治癒する魔法というのも大都市ならば使える高レベルの治療師もいるものだ。お金はかかるが、勇者の資産からすれば微々たるもの。
当面は無視していいだろう。いつかは解決しておきたいが。
「悪魔の加護の殺戮衝動のように、その名前のない加護のレベルが生来の加護を超えた場合はどうなると思う?」
「確かなことは言えねぇが……あれはアックスデーモンの衝動が原因なんだから、なんの衝動もない加護なら何も起こらないと考えていいんじゃないか」
その点も同じ意見か。
「まとめるとどういうことになるんです?」
ティセが言った。
「そうだな、ひとまず危険性は少なそうだ。加護レベルが下がりすぎないように注意する必要はあるだろうが、殺戮衝動の恐れも少なそうだし」
ルーティは少しだけ目を見開いた。
悪魔の加護を使うことを禁止されたらどうしようと不安だったのだろう。
「そもそも危険性の部分はほとんどデーモンが元の薬に付け足したもののようだ、俺もレシピをもとに改めて調べてみようと思う」
まさかこんな形で、俺の薬の知識がルーティに役立つとは思わなかった。
喜んでいる仕草をしているルーティを見ていると、ちょっと誇らしい。
「あとの問題は、悪魔の加護が起こした騒動のせいでゾルタンでは危険視されていること。材料の調達にしても、ドワーフの黒火胡椒なんて特殊な材料を調達しようものならゾルタン当局からすぐにマークされてしまうな」
「いっそ、材料をこの山で育てるというのは?」
リットが思いついたように言った。
「簡単に言うが、別の土地から持ってきた植物を育てるのって大変なんだぞ。まぁ試してみる価値はあるだろうけど」
「そっか」
「材料の代用についても調べてみるよ、もしかするとデーモンがあえて中毒性のある薬を使ってるのかもしれない」
ルーティの話によればデーモンは、敬虔なデミス信仰を持っているらしい。驚いたが、加護の求める生き方に忠実なデーモン達が至高神デミスの信者になるのは当然なのかもしれない。
そのデーモンが、新しい加護を作るというデミス神への反逆のような効果を持つ薬の技術を保持していた。それは悪魔の加護の効果が、生来の加護を成長させることができる可能性を秘めていたからなのだろうが、同時にデーモン達は悪魔の加護がデミス神への反逆につながる要素をできるかぎり無くしていったと考えられる。
もしかすると中毒性の高い材料や希少な材料を使うのも、この薬が不用意に広まることを防ぐためではないだろうか?
中毒性があれば、高度な魔法を使える者達は別として一般人にとっては致命的な影響を与えることになる。
それにしても、デーモンがデミス信仰だったとは。
いずれゆっくりルーティと議論してみたい。勇者パーティー時代は、睡眠を必要としないルーティと一緒に、夜遅くまで旅の中で分かった、この世界に関する事実について色々と議論したものだ。帰ったら久しぶりにルーティと眠くなるまでずっと話してみようか。
楽しみだ。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
ルーティは俺の視線に気がついたのか、首を傾げた。
なんでもないと俺が笑いかけると、
「そう」
と短く頷いた。
「何かいます!」
その時、ティセが我々だけに聞こえるよう小さく、だが鋭い声を発した。
ゴドウィンを除き、全員が素早く武器を抜き、神経を集中させる。ゴドウィンは、俺が合図をすると、怯えた様子で後ろへと下がった。
「お、お前らがいれば大丈夫だと思うけどさ」
ゴドウィンは不安そうに言った。
ルーティはそんなゴドウィンの様子を気にかける仕草もなく、ゆっくりと入り口に近づく。
『勇者』の加護による超感覚スキルで、ルーティには振動、熱、臭いなど五感すべてが視覚と同等の知覚能力を持つ。
『アサシン』であるティセの広範囲に渡る気配察知能力には距離で劣るが、近距離であれば壁の裏側でも見通せるルーティのスキルの方が優秀だ。
「アイアンスネーク」
ルーティが小さくつぶやいた。
入り口の暗がりから小さな何かが飛び出した。だが飛び出した瞬間、ルーティの剣が鋼鉄の蛇の目の前に振り下ろされており、その牙を使う暇もなく切り裂かれた。
「アイアンスネーク? なんでここに」
リットの表情が曇る。
アイアンスネークとは魔法と錬金術によって作られるゴーレムの一種だ。
体長30センチほどの小さな蛇を模した鋼鉄のゴーレムで、パワーは無いが優れた隠密性能と隙間などから潜入できる行動範囲の広さが売りだ。
さらに、魔法によるマッピング能力と使用者にアイアンスネークの目に映る情報を伝える能力がある。敵地の情報収集などに使われるゴーレムだ。
「古代エルフの遺跡で見かけるのは、歯車と呼ばれるゴーレムとはまた別系統の人造。アイアンスネークがいたという記録はない」
「誰か遺跡に入り込んでいるようですね。魔法で気配を消しているようですが、意識すると微かに気配を感じます」
ティセが言った。カバンの中にいたうげうげさんが、顔を出してティセに何かを伝える。
「うげうげさんが垂らしていた糸をアイアンスネーク以外だと人間が2人踏んだようです」
うげうげさんは間違いないと頷いている。
ティセと共にいるうちに加護のレベルが上がっているうげうげさんは、垂らした糸から伝わる振動で、糸に触れた者の大きさや形状を把握できるらしい。
「2人か」
おそらくは精霊竜を召喚した術者を含む2人組だろう。
今の一瞬で俺達のことを見られたかは微妙なところだろうが、アイアンスネークが破壊されたという情報は相手に伝わったはずだ。
相手の正体は一切不明。
「……シサンダンかな」
リットは、そうであることに昏い期待と不安の入り混じった表情を浮かべながら小声で呟いていた。