49話 ちょっとしたすれ違い
早朝、俺は山へ向かうための準備を終えた。
「じゃ、行ってくるよ」
「いってらっしゃい、はいお弁当」
「ありがとう」
ちなみにこの弁当は9割俺が作ったやつだ。リットはカリカリに両面とも焼いた目玉焼きだけ作った。
早朝、いきなり台所にきたかと思うと、でかける俺に弁当を渡すシチュエーションをやりたいと言い出したのだ。
渡すだけだと物足りないから、何か一つ作らせて、とも言ってきたので目玉焼きだけ作ってもらった。
「むふー」
弁当を渡したリットは満足そうだった。
山へ向かうと、また橋の真ん中に騎士が居座り、橋を渡ろうとしている人を妨害しているらしい。
面倒なので前回と同じように回り道することにした。
あの騎士は暇なのだろうか?
☆☆
いやだ、やりたくない。
目の前には村の生活排水や汚物、さらにはゴミまで投げ込まれたドブ川がある。
そこにデフォルメされた木彫りのワイバーンの玩具がゴミに引っかかって浮かんでいた。
「うあああああん!!」
男の子がドブ川に浮かんだ玩具を指差し泣いている。
落としたのだろう。
ドブ川からは鼻の曲がりそうな臭気が漂い、目を背けたくなるような不快で得体の知れない物体が沈殿している。
諦めてどこかへ行ってくれれば耐えられるのだが、子供はそこを離れずずっと泣き叫んでいた。
もしかしたら私の特性を知っているのかもしれない。打算的に泣いているのかもしれない。
そうではないとは思いつつも、一度芽生えた疑心は膨れ上がり、解放されることのない憎悪となって私の心を灼いた。
私は勇者。勇者は困っている人を見捨てない。
例え私があの男の子より年下であっても。
例え私がこれから遊びに行く所であっても。
例え私がこの前も同じような状況で服を汚し、母から殴られ二度とするなと警告されたとしてもだ。
加護はそんな私の事情など構ってはくれない。
もう耐えられない、私はここから飛び降り、汚物をかき分け、あの銅貨1枚ほどの価値でしかない玩具のために今日一日を台無しにするのだ。
私は力なくドブ川への一歩を踏み出そうとして……肩を掴まれた。
「任せろ」
その人は何の躊躇もなくドブ川へ飛び込んだ。
腰まで汚水で浸かってしまったことに顔をしかめながらも、力強い足取りで玩具へと近づき、それを掴み、戻ってきた。
「ほら、もう落とすなよ、あと汚れているから洗ってこい」
「ギデオン兄ちゃんありがとう!」
さっきまで泣いていた子供は嬉しそうに笑うと、汚れた玩具を持って走り去った。
「ふぅ……」
その人は自分の惨状を見て、苦笑いを浮かべている。
私が近寄ろうとすると、慌ててそれを止めた。
「汚れるぞ」
「……お兄ちゃん」
その人は私のたった1人のお兄ちゃん。
「ごめんなさい」
「なんで謝るんだ。ルーティは何も悪いことしていないんだ」
「でも……」
「俺がやりたいからやっただけだ。だから気にするな」
「分かった……お兄ちゃん」
「なんだ?」
「ごめん、やっぱり無理」
私は服が汚れるのも構わず、お兄ちゃんに抱きついた。
はじめは押しのけようとしたが、私が泣いているのに気がつくと、観念したように、私にされるがままになった。
「一緒に、服を洗いにいくか」
「うん」
きっと、本当の勇者というのはお兄ちゃんのような人のことを言うのだろう。
私のようにやらされているのではない、自分からドブ川に飛び込めるような人のことを。
私が魔王討伐を志すのは、最も困っている人の数の大きい目標を立てることで、こういう細かい人助けに煩わされることがないようにするためだ。
世界の命運だのそんなものは、実はどうでもよかった。
☆☆
ゾルタンに向けて勇者ルーティとティセは、街道を進んでいた。
ルーティはいつもの鎧を身に着けていない。腰に佩いている降魔の聖剣もない。
それは目立ちすぎるとティセに言われると、勇者は素直に装備をアイテムボックスに仕舞い、10分ほどどこかへ消えた。
ティセがどこへ行ったのか考えながら待っていると、剣を持ったルーティが戻ってきた。
「近くにゴブリンの気配がしたから武器を貰ってきた」
「ゴブリンブレードですか?」
穴が3つ空いた両手持ちのゴブリンブレードだ。
振り回せば今にも折れてしまいそうで不安になる。
「まぁ鞘に入れていれば分かりませんね。それで行きましょう」
とはいえ、その薄汚れた鞘と柄は、旅人が持つには合っている気がして、ティセは許可を出した。
「そう」
勇者は自分の考えがティセに認められ、嬉しそうに笑っていたのだが、その笑顔はあまりにも微かすぎて、ティセには気が付かれず、2人は飛空艇を旅立ったのだ。
風が吹き、ゾルタンの草原が波打った。
前にルーティ達がいた森は、もう冬支度を済ませていたが、ゾルタンの草原も緑から褐色へと色を変え、物寂しいものに変わっている。
「でもこっちは暖かいですね」
ティセが言う。
うげうげさんも寒いのはあまり好きでは無いようで、こっちに来てから嬉しいようだ。
ティセの腰に下げた小さな鞄の中でぴょんぴょんと跳ねている。
「そう」
ルーティは無表情のまま答えた。
環境耐性により、ルーティにとっては寒さは気温という情報に過ぎない。
極寒の極北であっても、灼熱の砂漠であっても、ルーティにとっては何の障害にもならない。
同時にかつて冬の寒い時期に、ギデオンが作った暖かいホットミルクの美味しさも、ルーティからは失われている。
それをルーティは心の中で残念に思っていた。
しばらく歩いていると、人だかりができていた。
「どうしたんでしょう? ちょっと様子を見てきますね」
ティセが人だかりを小さな身体でするりと抜け、すぐに戻ってきた。
「騎士が橋を塞いでいるそうです。腕に覚えのある冒険者やらが挑んだそうですが返り討ちにあったようで。少し遠回りになりますが、迂回路もあるそうですが、そちらへ行きますか?」
「いえ、ここを通るわ」
ルーティはまっすぐ人だかりへと向かう。
「どいて」
「なんだ嬢ちゃん、危ねえぞ、ここは変な騎士が……」
声をかけられた男は、途中まで言いかけて、自分の足がガクガクと震えていることに気がついた。
「お、おお……」
男は本能的に道を譲った。
その様子を見ていた他の人々も、自然とルーティの前を遮らないよう移動した。
ルーティが通り過ぎて、彼らはようやく自分が怯えていたことに気がついたのだった。
橋では鎧を身に着け、槍の先に布を巻いて相手を殺さないようにした騎士がいた。
身長2メートル近い大男だ。
「通行料だ。ここを通りたければ100ペリル置いていきな」
男はそう言った。
ルーティは首を傾げる。
「なぜ?」
「なぜって、俺がそうしたいからだ」
「そう、じゃあ払う必要はないのね」
ルーティはまっすぐ騎士のもとへと向かう、剣を抜く気配すらない。
「な、お前、一体……」
にも関わらず、騎士は自分が打ち込める姿を想像できなかった。
どうやっても自分が殺される姿しか思い浮かばない。
その様子を見ていたティセは、そろそろ騎士が武器を投げ降伏するかと予想していた。
だが、
「うおおおおおお!!!!」
騎士は裂帛の気合を叫ぶと、大きく踏み込み、鋭い突きを放った。
「……え?」
騎士は何が起こっているのか分からず、間の抜けた声を上げた。
ルーティは高速で突き出されたはずの槍をいとも容易く右手で掴んでしまった。
片手で無造作に掴んでいるようにしか見えないのに、それだけで騎士がどれだけ力んでも、槍がびくとも動かない。
「邪魔」
ルーティは小さくそうつぶやくと、槍を騎士の身体ごと持ち上げた。
巨漢の騎士がふわりと浮かび、そして宙を舞う。
「おおおおお!?!?!」
ルーティに投げ捨てられ、騎士はそのまま欄干を超え、川へと落下していった。
「ティセ、行こう」
「は、はい」
旅人の振りをしているのにいきなりこんな目立つ勝ち方をしてどうする、とティセは頭を抱えながら勇者の後を追ったのだった。