33話 アルは名剣を手に入れる
「大変だろうけど、頑張りなよ」
「ありがとうございました」
アルは帰っていく客にペコリと頭を下げた。
今、アルはレッドの店のカウンターに座り、店番をしている。
この一週間、レッドもリットも店にいないことが多い。
基本的にはどちらかが店に残るようにしているようだが、今日はどちらもおらず、アルが店番をしていた。
薬についてアルにはほとんど知識がないため、どの薬がいいかなどの質問があったら、症状だけ書いてもらってあとでレッドが届けに行くと言う形にしている。
客の数はひっきりなしにくるほど多くはない。
だが、アルが思っていたよりはずっと頻繁に客が訪れ、アルは薬を探すのに四苦八苦していた。
「ホワイトベリーのペーストを一瓶たのむ」
「は、はい!」
陳列棚を指差してこの薬が欲しいと言ってくれる人もいれば、こうして薬の名前を告げる人もいる。
棚には何の薬なのかちゃんとラベルがしてあるが、それでもお客を待たせながら探すのはプレッシャーだ。
「ええっと、ありました、ホワイトベリーのペーストですね」
ようやく見つけてホット一息。
無事に渡せた安堵もあり、アルは笑顔で商品を渡す。
「2ペリルになります!」
魔法使い風の男はクオーターペリル銀貨を8枚カウンターに置いた
「衛兵からは何か酷いことされなかったか?」
「え?」
銀貨を置いた男がつぶやいた。
シミだらけの汚れた服を着た魔術師風で背丈の小さい男で。背中に細長い布の袋を背負っている。アルはこの男をサウスマーシュ区で見た気がした。
「衛兵は俺たちサウスマーシュ区の者を嫌っているからな。犯人を捕まえる気なんざないよ。それよりもアル、お前が嘘付いたという形にしてとっ捕まえるつもりだろうさ」
アルの脳裏に、一週間前のタンタが捕まった時の光景がよぎった。
あの時、衛兵隊長のモーエンは謝ってはいたが……。
「何かあったら、ビッグホークさんを頼りな。あの人は敵には容赦しないが、サウスマーシュの仲間にゃ優しいんだ。お前さんの両親も、今はビッグホークさんのところにいる」
「……でも、お父さんからここにいろって言われていますし」
「親父さんの気持ちもわかる。衛兵達はいつもビッグホークさんや俺たちを痛い目に合わせようと狙っているからな。離れた方が安全だと思ったんだろう」
男は身を乗り出し、アルの肩を掴んだ。
アルは思わず身を強張らせる。
「だがそれは違うんだ。アル、お前は衛兵に狙われている。この店だって監視されている」
「監視? そんな馬鹿な……」
「してないなんてどうして言い切れる? 衛兵どもにとって一番の解決は、アル、お前が嘘をついたってことなんだぜ?」
「…………」
アルの肩をつかむ男の手に力が入った。
肩に少し痛みが走る。
「おっと、すまねぇ。別に怖がらせるつもりはなかったんだ。俺はただお前のことが心配でな」
男はへへっと口元を歪めた。
安心させるようにアルの肩を撫でると、手を離す。
「まっ、とにかくビッグホークさんはお前さんのことを気にかけている。身の危険を感じたり……あとはまぁ、やられっぱなしなのがムカついていたら屋敷に来な。場所はわかってるだろ?」
「僕もサウスマーシュ区の住民なので」
あばら家の並ぶサウスマーシュ区にそびえ立つ場違いなお屋敷。
サウスマーシュ区の顔役にして盗賊ギルドナンバー2、ビッグホークの名を知らないサウスマーシュ住民などいるはずがない。
サウスマーシュ区で暮らすものは、僅かな稼ぎを天引きされ、ビッグホークに収めることになっている。その代わり、衛兵も嫌うほど治安の悪いサウスマーシュ区の自警活動を行っている……という名目だ。
正直なところ、アルはあまり良い印象を持っている相手ではなかった。
「屋敷の守衛に、“僕はアルです”って言ってみな。お前さんの頬にキスをして、屋敷の中で温かいスープを振る舞ってくれるさ」
「あ、ありがとうございます」
カランとドアのベルが鳴った。
ニューマン診療所の看護師だ。薬を買いに来たのだろう。
「おっと、商売の邪魔をしちゃいけねぇ。長々と悪かったな。それじゃ。待ってるぜ……あ、そうだ」
男は背負っていた袋をカウンターに置いた。
「最近加護に目覚めたんだって? 親父さんから聞いたよ。ウェポンマスターだってな。大したもんだ。俺達の間じゃ、年齢関係なく加護に目覚めた時、自分勝手な子供の生き方から、神様から与えられた役割を果たす大人へと認められる。そういう決まりになってるんだ」
「大人ですか?」
「これはその餞別だ。サウスマーシュから現れた期待の星へのな。サウスマーシュで育ったのなら、その力をサウスマーシュのために使ってくれ。そうやって、俺たちは悲惨な境遇を生き抜いてきたんだ」
袋を開けると、中には一振りのショーテルが入っていた。
「こ、これは!?」
鞘から僅かに刀身を抜き、その輝きを見た時、アルは思わず声を上げた。
「強化の魔法のかけられた、紅鋼の業物だ。刃の町であるイーゴス島の行商人から手に入れたんだ」
「こ、こんな高価なものいただけません!」
価値はおそらくは3000ペリル以上するだろう。
修羅場をくぐり抜けたCランク冒険者がようやく手にする名剣の類だ。
「いいんだよ。未来のウェポンマスターへの祝福だ。お前さんに神のご加護を」
アルが武器を突き返すより早く、男は口元を歪ませて笑うと、さっと店を出ていってしまった。
男が出ていくと、カウンターにニューマン診療所で働く看護師が心配そうに近づいてきた。
「大丈夫? あの人って知り合いなの?」
「……僕と同じ町に住んでいる人みたいです」
アルはなんとかそれだけ説明することができたのだった。
☆☆
しばらくすると、レッドが帰ってきた。
「おかえりなさいレッドさん」
「ふぅ、ただいま」
「リットさんは?」
「もうしばらくは帰ってこないじゃないかな」
それを聞いてアルは残念そうな顔をした。
夕方にリットから剣を教えてもらうのが、今のアルには何よりの楽しみだった。
「今日はリットと練習はできないだろうな……そうだな、よし、今日は俺が相手をしよう」
「レッドさんが?」
「俺はショーテルを使わないからリットのように剣の使い方自体を教えられるわけじゃないが……別の武器と戦うとどうなるか、それを体験するのもいいだろう」
「は、はい」
とはいえ、アルの中にレッドに対する侮りがあるのは確かだ。
なにせ普段の練習相手は英雄リット。
レッドもどうやらDランクの枠には留まらない剣の使い手だと、なんとなく分かってはいるのだが、それでも英雄との格差は大きい。
(それに、レッドさんはショーテル使いじゃない)
今も腰に佩いている銅の剣。
武器にこだわりがあるなら選ぶはずのない安物。
価格は5ペリルといったところだろう。
今日貰った3000ペリルを越える、あの業物のショーテルに比べることもできない。
気がつけば、アルはそんな思考にとらわれていた。
裏庭に移動したレッドは、壁に立てかけてあった箒を取った。
「よし、じゃあやるぞ」
「え?」
レッドの手には箒が一本。
木剣すら持っていない。
「どうした?」
「い、いや、その、武器は?」
「お前の武器は腰にあるだろ」
「そうじゃなくて! レッドさんの!」
レッドはニヤリと笑った。
「箒一本あれば十分さ」
カッとアルの頭に血が登った。
自分でもなぜこんなに頭に来たのか分からない。ただ、これが加護の衝動なのかと、遠いところで理解していた。
自分はショーテル使いのウェポンマスター。この武器が最強だと信じている。
なのに、相手は武器ですらないただの箒で十分だという。
そんなことが許されるのか? ショーテルを馬鹿にしている!
そう、ウェポンマスターの加護はアルに囁きかけていた。
開始の合図も待たず、アルは走りながら剣を抜く。
練習用の柔らかい軟鉄に刃を潰したショーテルとはいえ、金属の塊だ。思いっきり殴られると怪我をする。
だが、この時アルは、ショーテルを迷わず全力で振り抜こうという欲求に襲われていた。
「え?」
レッドへ飛びかかったはずのアルは、気がつけば夕焼けで赤くなった空を見上げていた。
どうやらいつのまにか地面に倒れてしまったようだ。
一体何が、アルは混乱する頭で倒れたままレッドを見上げた。驚きで加護の欲求も吹き飛んでいた。
「ウェポンマスターは恐怖や混乱には強いが、怒りの感情には弱い。まずは自分を律することだな」
「え、あ、え?」
「何も考えずまっすぐ突っ込んできたお前の足を払ったんだ」
何も見えなかった。
アルは説明されてなお、自分がどうやって転ばされたのか思い出せない。
「たしかに箒は武器としては三流以下の代用品だ。だが、ショーテルよりリーチが長い。無策に突っ込んできたら、先に箒の方がお前に触れるのは道理だろう」
アルは跳ね起きた。
「ほぉ」
楽しそうにレッドが笑う。
アルの顔にはすでに先程の浮ついた怒りはなく、激情を心の中に燃やしつつ、研ぎ澄まされた鋼のような冷徹さで、レッドに剣を向けた。
「いいね、そういうやつは伸びるよ」
今度はじっくりと構えて向かってくるアルに対し、レッドは箒を構えた。
☆☆
「武技! 衝撃剣!」
アルが叫び、剣を振るうと、剣気が刃となってほとばしった。
「ありゃ、もう武技取ったのか」
レッドが箒を軽く振ると、アルの衝撃剣は簡単に弾かれ、消えてしまった。
「よっと」
アルは十分間合いを取ったつもりだったのだが、衝撃剣を使った隙をつかれ、レッドにすぐに接近され、眼前に箒の先端を突きつけられた。もう何度目か分からない。
「参りました」
「これ以上武技スキルを取るのは、まだやめとけ。武技はそりゃ派手だが、まず基礎能力があってこそのものだ。たしかに弓も何も使えないウェポンマスターにとって、遠隔攻撃できる手段は貴重だろうが、今は安全に接近し、戦うための技術を優先するほうがメリットが大きい」
「はい……」
どうしてもレッドの間合いを超えることができず、ついに武技まで使ったのだが、これも軽々と防がれてしまった。
「よし、今日はこんなところにするか」
「あの……」
「なんだ、質問か?」
「なんでそんな強いのにDランク冒険者なんですか?」
リットも舌を巻くほどの達人だったが、レッドの強さは底が知れない。
アルはまだ素人に毛が生えたほどとはいえ、レッドがリットにも匹敵する超絶の戦士であることを、直接対峙したことで理解していた。
「うーん、そうだな。別に強いから偉くならなくちゃいけないってことはないんじゃなかって思ってさ」
「え?」
「俺は今が楽しい。リットと一緒にお店をやって、たまにアルみたいな子に少し手ほどきしたりして、身近な人が困っているなら手を差し伸べて……そんな感じの今が楽しいんだ」
「で、でも、色んな人から尊敬されて、加護の役割を果たして、すごく大きな歴史に名を残すような、大英雄になる……そんな人生の方がいいんじゃないですか!?」
レッドは面白そうに笑っている。
「ちょっと前まで加護を不安がって、闘士の加護の方が良かったって言ってたお前が、もうすっかり加護に順応したみたいだな」
「え、あ……そうですね」
アルは自分の思考の変化に気が付き愕然とした。
いつのまにか、アルは英雄になりたがっていたのだ。
「いいさ、それも人生だ。剣に生きて名を成し、剣に死んで名を残す。それもまた悪くないだろう」
「…………」
「でも、俺は違った。それだけの話だ」
「僕は、今日、ある人……ビッグホークの関係者だと思います。その人から剣を一振りもらいました」
「剣を?」
「すごい高価な名剣で、これがあれば僕はリットさんのような英雄にだって成れる。そう思ったんです……でも、それって本当に僕が思ったことだったのか、それとも加護に思わされたことだったのか……分からなくなりました」
「俺も他人の心の中までは分からないからなぁ。だが、そうだな……悩んだら自分の剣に聞いてみろ」
「剣に聞くって?」
「もっと沢山の敵を斬りたいのか、それとも大切な人を守れるだけ斬れればいいのか……これは昔の槍が得意だった知り合いからの受け売りだけどな」
「……そうですね、ありがとうございます!」
「おう。それじゃあそろそろ夕食にしようぜ」
「はい!」
使っている練習用の剣を見つめ、アルは力強く頷いた。
☆☆
刃は自分の心を写す鏡。
刃を通じて、自分の本心と対話する。
加護の衝動に対して、困ったときはそうするようにとクルセイダーで槍術師範代のテオドラは聖堂騎士達に教えていたそうだ。
禁欲的な聖堂騎士の生活と、各自バラバラの加護の衝動は相反することも多い。
『野生児』の加護を持った少女を教えた苦労話をしていた時、あのいつも模範的武人っぽい顔をしているテオドラが、思い出し笑いを始めた時は、俺もハイエルフのヤランドララも驚いたものだ。
「散々苦労させられたが、最後には私が誇りに思うほどの聖堂騎士になれたよ」 と言っていたテオドラの顔が、とても楽しそうだったのをよく憶えている。
にしても、
「剣をプレゼントねぇ……」
あとでその剣を調べてみるか。