27話 勇者といつかの嵐の日
嵐の日だった。
この村に嵐が来るのは珍しい。
ゆえに嵐に耐えられるほど頑丈でない家が多く、俺たちはみな集まって、村長の家でもある集会所に避難していた。
ゴウゴウと吹く風の音。外で何かが飛ばされ音を立てる。激しい雷鳴が轟き、同じように避難していた子供たちが悲鳴をあげた。
俺はこのとき8歳。妹のルーティは6歳だった。
二人とも特殊な加護により同世代の子供たちよりずっと大人びていた。
「おかあさああああ!」
少し離れたところに座っていたルーティと同い歳の女の子が泣き出し、母親にすがった。母親は「もう6歳なんだから!」と周りの目を少し気にしたようだったが、腕にすがりついた女の子の頭を優しく撫でていた。
「…………」
ルーティはその様子をいつもの目……周りからは冷たい目と言われているが、そんなことはない、ただ感情表現が分かりにくいだけだ……でその様子をじっと見つめていた。
俺も周りを見渡すと、同じように親や兄弟で手を取り合っている子は少なくなかった。
みんな怖いのだ。
「ルーティ」
「なに?」
「怖くはないか?」
「……嵐のこと? 雷のこと? それとも建物が壊れて全員潰れてしまう可能性について?」
淡々と、何のことを聞いたか確認する、静かで綺麗な目をした妹の頭を、俺はゆっくりと撫でた。
「どれでもさ、今怖いものはある?」
「ないわ、だって私に怖いものはないもの」
「私に怖いものはない」 これと全く同じ台詞を13歳のガキ大将にぶつけ、ルーティは一度大喧嘩をしたことがある。
勇者の加護を持っているとはいえ、加護レベル1で武装も戦闘経験すらない子供のルーティでは加護レベル3の『戦士』となった早熟の少年、さらに手にはただの棒とはいえ武器に、分厚い布の鎧、古びているとはいえ木の盾まで持っていたガキ大将の相手は難しく、棒で殴られて帰ってきた。
ルーティはただ、自分は生まれつき恐怖への完全耐性を持っているから怖いものがないという意味で言っただけだったのだが。
……もちろん俺はその後、ガキ大将を同じくらい痛めつけて……まぁ1.5倍くらい痛めつけたかな……2、いや2.2倍くらいか、うん多分それくらいですませて、ルーティの目の前で謝らせた。
そのせいでしばらくは俺がガキ大将の扱いをうけるはめになった。面倒なので別の『騎兵』の加護を持つ11歳の男の子に命令して元の状態に戻した。
あれ以来、元のガキ大将は大人しくなり、暴力を振るわないようになったようだ。彼が暴力を振るったことは加護の衝動ではない、ただ喧嘩で負けた経験が無かっただけだ。
「ルーティに怖いものはないか」
「お兄ちゃんも知ってるでしょう」
「うん」
ルーティは首をかしげ、意図が分からないと表情で俺に伝えた。
「実はな」
「?」
「俺が怖いんだ」
「そうなの?」
「うん。びっくりしたか?」
ルーティは少し悩む素振りを見せる。
まだこの時は混乱への完全耐性は無かった。だから驚くこともあったと思う。
「びっくりはしてない」
「そうか、びっくりはしていないか」
「うん」
「でな、本題に入るとな、俺が怖いから……手を握っていいか?」
「私の?」
「ああ、ルーティの手」
「いいよ」
俺はルーティの手を握る。
どんなに絶大な加護をその身に宿そうとも、それは小さな女の子の手だ。
「怖くなくなった?」
「うん、もう怖くない」
「良かった」
ルーティは微笑んだ。もっとも、他の人には……母さんや父さんですら、この可愛い笑顔が分からないらしい。もったいないことだ。
だから俺が独り占めさせてもらっている。いつかこの笑顔が分かる人にルーティが出会えるまでは。
「ごめん、怖いってのは嘘なんだ」
「嘘なの?」
「全然怖くない」
「そう」
ルーティはますます意味がわからないと首を傾げた。
「ただな、ルーティの手を握りたかったんだよ」
「私の?」
「嫌だった?」
「嫌じゃないよ。でもなぜ?」
「意味は無いな」
「無いの?」
「そうだ、俺は意味もなくルーティの手を握りたくなる時があるんだ」
「……どうして?」
「意味はない……が、人間は意味のない行動をするものだ」
「意味の無い行動」
「そう、俺は特に意味もなくルーティの手を握った。だからな、お前も意味もなく俺の手を握りたくなったりしたときは、いつでもやっていいぞ」
「そう……」
ルーティはつながれた俺の手をじっと見つめる。
「お兄ちゃん」
「うん?」
「私、お兄ちゃんのこと好きだよ」
珍しい。
ルーティが何かに対して言葉で好意を示すのは、これが初めてじゃないだろうか。
「ありがとう、嬉しいよ」
「なんで?」
「え?」
「お兄ちゃんのことを好きなのは私だよ? なんでお兄ちゃんがお礼を言うの?」
俺はルーティの髪を優しく撫でた。
彼女の目の覚めるような青い髪は、撫でると蝋燭の光を反射してキラキラと輝く。
「ルーティ、俺はお前のこと好きだぞ」
「うん」
俺がルーティに好きだというのは、これまで何度も繰り返した言葉だ。
実際、俺はこの妹が可愛くてたまらない。
「ルーティってさ、俺にそう言われると笑うよな」
ルーティは驚いたように、自分の顔をペタペタと触る。
その仕草がまた可愛くて、俺は微笑んだ。
「笑うってことは嬉しいってことだろ?」
「多分そう」
「つまり俺もそうなんだよ、ルーティに好きだって言われたら嬉しい。今俺、笑ってるだろ」
「うん」
「だからありがとうなんだ」
ルーティは言葉の意味をじっくり理解するように考え込んだ。
「分かった」
「分かってくれたか」
「お兄ちゃん、私も意味のない事してもいいかな?」
「おういいぞ」
ルーティは俺の手を離した。
あら? お気に召さなかったかな。
だが、ルーティは俺の後ろに回ると、首に抱きつき背中にぺたりとくっついた。
「こっちの方がいい……大丈夫だった?」
「おう、これくらいいつでもいいぞ」
「そう」
ぎゅっと腕に力が入る。ルーティの温かい体温が背中から感じられた。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
俺が首を回して振り返ると、当たり前だがそこにはルーティの顔がある。
「ありがとう」
俺にしか分からない、“満面の笑顔”をルーティは見せた。
この笑顔が分かるやつなら、絶対に惚れてしまうと思えるほど可愛い笑顔だった。
ルーティと結婚するやつは幸せものだ。今から嫉妬してやる。
「お兄ちゃんは、ずっと私と一緒にいてくれる?」
「……ごめん、そういうわけにはいかないんだ」
「そう」
この嵐が通り過ぎたら。俺は騎士になるために俺をスカウトした騎士の待つアンダールの町へ向かう。
分かっていたことだが、この村の周囲のモンスターではまともに加護を成長させることができない。6歳の頃から本格的にモンスターを狩るようになったのだが、それでもレベルは31から33にあがっただけ。アウルベア程度では話にならないのだ。
いつかルーティと共に旅立つ時のため、俺はもっと強くならなくてはならない。
いつまで一緒に戦えるかは分からないが……ルーティが沢山の仲間に囲まれて歩けるようになるまで。例え相手が最上級のデーモンであっても俺は戦えなければならないんだ。
「でもな、ルーティが“やりたくないこと”があったらいつでも俺を呼べよ。俺が代わりにやってやるから」
「それは知ってる」
「そうだったか」
「なんども言ってくれた」
「忘れられたら困るだろ?」
俺の背中に小さな耳をくっつけて、ルーティはじっと動かなくなった。
「休みもらえたら帰ってくるからな。おみやげは何が良い?」
「蜂蜜ミルク」
俺の背中でルーティは、そうつぶやいた。
☆☆
魔王への旅と辺境ゾルタンでのスローライフ。
2人の進む道はもう二度と交差しないかと思えた。だが、
☆☆
「ギデオンを探しているんですか?」
黒い髪に浅黒い肌をした青年は、そうダナンに言った。
もともと追跡など得意ではないダナンは、何の足取りも掴めず途方に暮れて、ギデオンと別れた町の酒場で飲んでいるところだ。ギデオンの情報は何も見つからなかった。
「なんだぁ?」
いい感じに酔っ払っているダナンはギロリと青年を睨む。いや睨んでいるつもりはないのだ、ダナンの『威圧の眼光』スキルが、よく暴発してしまうのだ。というより意識して使わないようにしないと、『威圧の眼光』は自動発動してしまうものだった。
だが青年は平然としていた。
「おめぇ、つえぇな!」
「あなたほどではありませんよ、ですが少しだけ刀を遣えまして」
「ほぉぉぉ」
「それより、ギデオンを探しているんですよね?」
「だったら何だってんだ、ギデオンの居場所でも知っているのか?」
「いえいえ、どちらでもありません。ただ私もギデオンを探していましてね」
「なに?」
ダナンの酔いが醒めた。
拳を軽く振り、臨戦態勢で青年を睨みつける。
「一緒に探しませんか? 2人で探す方が効率良いかと思いますが」
青年は笑顔を浮かべたままだった。