21話 ゾルタンを覆う影
それから翌日。
今日からまた仕事だ、日常だ。
「さあ、働くぞ」
「勢い付けるのはいいけど、とくにやることないでしょ」
リットが苦笑した。実際そうなんだよなぁ。
「薬屋って暇なのな」
「薄利多売の商売の反対だものね。かといって、ストっちの家具屋のように1つ作るのに長い時間がかかるわけでもないし、ニューマン先生のような医者のように患者の記録とかつけるわけでもないし」
1日に少数売れれば十分な利益になる。
あとはニューマンが紹介してくれた各病院への定期的な薬の補充もあるので安心だ。
「そういえばレッドの麻酔薬の方はどう?」
「とりあえず資料つけて診療所に配ってみるつもり」
「新薬だから、認められるにはまだ時間がかかるわね。例の麻薬の解毒剤は?」
「そっちはまだ動きはないな。リットが店番してたときも、注文が増えたりはしてなかっただろ」
「うん、中毒騒動もレッドが応急処置した人とは別に1件だけ」
1件起きていたのか。
「でも麻薬自体はかなり広まってるって、冒険者が噂してたわ」
ゾルタンにかぎらず、麻薬はあらゆる都市で広がる病だろう。
誰もが戦いに明け暮れるこの大陸で、痛みを消すために薬を使うのはありふれている。そうした薬には依存性があり、適量なら問題ないのだが、連日に渡る戦いでの使用で中毒となり、必要のない時も薬を求めてしまう。
比較的安価な鎮痛剤であるアヘンを使った薬が、中流以上の家庭ならどこでも常備されているあたり、薬の誤った用法を止めるのは難しいことなのかもしれない。
「それで、その麻薬ってどういう効果なんだ?」
「レッドの薬と同じく痛みを消す麻酔薬として使うのが申請された用途だったんだけど、通常の3倍の量を、飲み込まず舌下すると多幸感や解放感が得られるらしいわ」
さすがはBランク冒険者。片手間だろうに随分詳しく調べ上げている。
「あと、聞いてもよくわからなかったんだけど……新しい自分になれるって言ってたわね」
「新しい自分? 解放感とはまた違うのか?」
「うん、売り込みの売人は新しい自分ってのを強調してたって」
新しい自分になれる麻薬?
なんだそれは。
「マジックポーションなのか? いやでもマジックポーションなら液状でないといけないし」
そもそも魔法を再現するマジックポーションは、一つ一つに魔法使いが手作業で魔法を吹き込むという手順があるため大量生産はできない。
今回の、あらかじめ大量に準備しておいて、一気に売るというのとは相性が悪いはずだ。
「というか、マジックポーションは新薬扱いされないから、許可取る必要ないか」
やはり俺の作る薬と同じように、薬草の作用によって効果を発揮する薬なのだろう。新しい自分というのはよく分からないが。
「もしかしてワイルドエルフから麻薬のレシピがもたらされたとかじゃない?」
「ないない、もしそんな大発見があるなら、ゾルタンじゃなくてもっと経済規模が大きいところでやってるし、錬金術師ギルドに持ち込めばそれだけで大金が手に入るよ」
ワイルドエルフは、文明になじまず山の奥地で暮らすエルフ達だ。ウッドエルフの時代からすでにワイルドエルフと呼ばれていたようで、古代エルフ直系の末裔と考える学者もいる。
一度だけ、ワイルドエルフの集落に潜入したことがあったが、小屋すらなく、獣のように野ざらしで眠るワイルドエルフ達を見たときは流石に衝撃を受けた。もちろん全裸だった。
そんな状態でも、体臭は少なく、顔や身体も汚れてはいるが、それがエルフの強い生命力を際立たせ、美しくすら見えるのだから、エルフって種族はすごい。
そういえば、ついエルフの胸を見ていたら、珍しくルーティが俺を怒ったっけ。ふと思い出して懐かしくなった。
ワイルドエルフは、そういう獣並の暮らしをしているのだが、文字を持たないにも関わらず知識は豊富で、その知識の一端を人間の世界に持ち帰るだけで一財産作れるほどだ。
今回の麻薬も、ワイルドエルフからもたらされた……と疑うことはできるが、それをわざわざ辺境ゾルタンで売る意味がわからない。
「どこかで売って、追い出された後なのか」
「ゾルタンじゃ情報入ってこないものね」
まっ、悩むのはこれくらいにしておこう。どうせ答えなんてでないし。
その時、店のドアが悲鳴をあげた。
転がり込むようにして血だらけの男が店内に飛び込んでくる。
「リット!」
俺が声をかけるまでもなく、リットはすでに薬と包帯を取りに向かっている。さすがはリット、俺は安心して男に近寄った。
「大丈夫か? 診せてもらうぞ」
男は何かを伝えようとしているが、パニックを起こしているようで言葉がでてこず、ただ手足を振り回して暴れている。
「レッド、鎮静剤!」
リットが奥から薬の入った小瓶を投げた。普通の薬屋なら絶対にしない暴挙だろうが、俺とリットなら、絶対に外すことはない。
俺は男から目を離すこと無く右手で押さえ込んだまま、左手で薬を受け止めた。すぐに蓋をあけ、男の鼻に近づける。
男の視点が一瞬ゆらめき、脱力したようにおとなしくなった。
「よし」
手早く男の怪我の具合を見る。見るからにひどい怪我が三箇所。どれも分厚い刃物で深くえぐられている。
まずいな、すぐに処置しないと手遅れになる。
しかし……外で何が起きたのか、調べなくてはならないだろう。
「リット、止血剤と包帯だけ持ってきてくれ。そしたら武器を持って外の様子を見て来てくれないか」
「事故による怪我じゃないんだね。分かった」
リットは俺に薬を渡すと、愛用しているショーテルを手に取り、油断なく警戒しながら外へと出ていった。