14話 新しい薬
翌日。
俺は二人分の朝食を作りながら、この半月で日常が大きく変わったことに思いを馳せていた。
下町の貧乏長屋に暮らしていた俺が、念願の薬屋を開店し、昔の仲間のお姫様が押しかけてきて同居することになり、こうして俺は自分の家のキッチンで二人分の食事を作っている。
「分からんものだね」
こんな将来を予想していたかと言われたら、まったくしていなかったと答えるしかない。
勇者ルーティと共に魔王と戦う未来、バハムート騎士団副団長として王都の平和を守る未来、俺の生まれた村とその周囲をささやかな領地として貴族となる未来もあった……それが、辺境ゾルタンでお姫様と一緒に薬屋の店主におさまるとは。
「まっ、これも悪くないさ」
二人分並べたお皿に料理を載せる。
匂いにつられて眠そうな顔をしたリットがふらふらと起きてくる。
「ごはんー」
にへらと笑ってそう言うリットがここにいることに、早くも俺は幸福感を感じていたのだった。
☆☆
昨日のうちに買い物はすべて済ませた。
ということで今日は、
「例のレッド薬の許可だね」
「レッド薬っていうなよ、なんかやばい薬みたいじゃないか」
赤い薬、レッドドラッグ、どうも響きが良くない。
「じゃあレッドリット薬ね、ああそうだ、店の看板もやり直さないと」
「本当にレッド&リットの薬草店にするつもりだったのか……店名まで変えると、辞めたくなっても簡単には辞めさせてやれないぞ?」
「それは一生ここに置いてくれるってこと?」
俺の軽口に対していたずらっぽく笑うリットに、俺も笑みを返した。
「分かった、看板屋にも寄ろう。で、まぁ新麻酔薬の許可だったな。贈り物の銀食器は昨日買ったから、あとは訪ねるだけか」
「紹介状があった方がいいけど、そっちは私のツテで手に入るわ」
「さすが。助かるよ」
ここは素直に甘えておこう。ゾルタン1の冒険者であったリットは、顔が利くのだ。
「交渉自体はレッドの方が得意でしょ?」
「任せとけ」
伊達に固有スキルが無いから交渉系とかにスキルを割り振っているわけじゃないのだ。
☆☆
と、自信満々に請け負ったわけだが……。
「ダメだ!」
にべもなく断られてしまった。
というより交渉の余地もないといった様子だ。
薬の許可を担当していたのは、議会で働く官僚のダンという腹の出た中年の男だった。疲れているのか、太っている割には顔がやつれて、目の下にはクマができていた。
「待ってください、私の薬は中毒性の少ない安全な薬でして、まずはお話だけでも」
「いらん、その包みももって帰れ!」
リットの知り合いの高官からの紹介状を受け取ったところまでは、この男は面倒臭さを隠しきれずとも表面上はにこやかに対応していた。
だが、俺が本題の薬の話をしだすと、態度を急変させこのありさまなのだ。
「何か、問題が起こっているのでしょうか?」
「お、お前には関係ないことだ」
この態度の急変の原因は俺たちではないことは分かっている。男が態度を変えたのは俺たちの目的が薬の許可にあると聞いたところからだ。
そこまでは容易に想像ができるのだが、肝心のなぜ断っているのかが分からない。
(こりゃもうちょっと情報収集したほうが良かったかな)
こんなことになるとは思わず、このダンという男についての情報は何もない。交渉しようにも取り付く島もないという状況だ。
(平和ボケしているとはいえ鈍ったな)
薬草取りの毎日にいろいろ鈍っているのは事実だろう。加護が与えるスキルが減ることはないが、それを扱う自身の判断力は使わなければ鈍っていく。
せっかくリットが紹介状を用意してくれたのに、無駄になってしまうとは情けない。
俺たちは仕方なく、応接室を後にした。
「なによあいつ!」
リットは憤慨している。実際、途中で掴みかかろうと殺気立った場面があった。
俺が手で制して無ければ、あと事前に交渉を俺がやると言ってなければリットは腕力による威圧という手段に訴えていたかもしれない。
彼女は元がお姫様な分、交渉で我慢するのが苦手なタイプだ。
「しかし弱ったな。ありゃ交渉じゃ解決しない」
何が原因で断られたのか調べるところから始めなくては。そう時間のかかる調査ではないだろうが……そういう冒険から身を引いたわけだし、正直面倒くさい。
「じゃあ上司に聞いてみようよ」
「上司って……まぁそうだな」
こちらにはリットがいる。この際、ゾルタン1の冒険者の肩書を使えるだけ使わせてもらおう。
☆☆
「いやぁ、英雄リットさんにお越しいただけるとは」
商工関係の法規制を取り仕切る部所の室長であるその男は、初老に差し掛かった白髪交じりの男だった。
ニコニコと人懐っこい笑みを見せ、リットの訪問を喜んでいるようだ。
「実は私は今、こちらのレッドと一緒に活動しているのですけれど、少しお聞きしたいことが有りまして」
「ほぉ、ずっとソロでやって来られたリットさんがコンビを? それは楽しみですな。レッド……さんでしたかな、お会い出来て光栄です」
ここでDランクの冒険者であると身分を明かす必要はない。俺は曖昧な笑顔を浮かべて差し出された手を握った。
「それで、今日はある新麻酔薬販売の許可を頂きにお伺いしたのですが、担当者に断られてしまって」
「あー、なるほど」
室長は申し訳なさそうにうなずいた。
「それは申し訳ないことをした、タイミングが悪かったですな」
「やはり何か」
「さすがリットさん、お気づきになりましたか。ええお察しの通り、問題が起こってましてね、あまり大きな声で言うことではないので、他言無用に願いますが」
「もちろん」
リットと俺がうなずいたのを見て、室長は話を続ける。
「彼が1ヶ月前くらいに許可した薬が、実は用法を少し変えるだけで麻薬として効果があるようでしてね、貴族から下層市民に至るまで裏で広まっているようなんです」
「1ヶ月前くらいに許可した薬?」
俺は首を傾げた。
自前で薬を用意しているとはいえ、新薬がでているならニューマン先生など医者が話にだしていそうなものだが。
「レッドさんはお薬に詳しいのですかな? しかし知らなくて当然。新薬は町の外にあらかじめ大量に準備されており、許可が下りるとすぐに町に搬入し、これまたあらかじめ契約しておいた購入者達に一気に販売したそうで。最初から麻薬のつもりで売りに来たというわけですな」
「分かりませんね、そんな売り方したら最初は莫大な利益がでるでしょうが、すぐに規制されて当然。継続的な収入はもう望めないと思いますが」
「確かに不可解ですな。素人薬師の浅知恵かもしれません。まぁこちらとしてはメンツが潰れて大迷惑というわけでして、担当のダンは連日連夜、対応と叱責に追われているわけです」
なるほどなぁ。さっきまで内心腹が立っていたあの太った担当者に対して、今では少し同情している。
大変だろうな。次来るときは胃薬を贈り物にしよう。
「まっ、今回は他ならぬリットさんからの申請ですからな。間違うことはないでしょう、書類を見せてください、私の方で許可しておきましょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
思わぬことで、あっさりと許可がおりた。
リットの影響力はやはり大きいな。
……分かっていたことだが、ちょっと落ち込んでしまう。旅をしていた頃は交渉も担当していただけに、勇者の仲間の肩書が無いとここまで上手くいかないものかと痛感した。
その後、薬に関する書類を見せ、問題がないことを確認してもらってから、許可証を発行してもらった。
これで俺の薬は問題なく販売できることになる。
☆☆
議会を出て、俺は少し肩を落としながら歩いている。
「ごめんな、色々頼ってしまって」
交渉は自分でやると言っておきながら結局リットに頼りっきりだった。ちょっとだけ自己嫌悪だ。
すると、俺の前を歩いていたリットは振り返り、首を横に振った。
「ねぇレッド。私はあなたに料理を任せっきりだけど、あなたはそれを嫌がっているの? 私に謝って欲しいから料理を作ってるの?」
「……違うな」
「私はね、レッド。あなたの力になれることが嬉しいの。謝る必要なんてこれっぽっちもない。これからも私はあなたをいくらでも手伝うし、あなたの為ならなんだってするつもりよ」
あまりにまっすぐな好意に、俺は思わず立ち止まった。
リットも同じように立ち止まり、俺達は向かい合う。
なぜそこまで、と聞くのはいい加減野暮か。
「ありがとうリット。ま、その、なんだ、これからもよろしくな」
「うん!」
リットの嬉しそうな笑みにつられて、俺も笑みをこぼしていた。