10話 2人の過ごす最初の朝
翌日。
目を覚ました俺は、背中に当たる硬い床の感触や、窮屈な寝袋に包まれた状況に、首を傾げた。
「……ああそうだった」
ベッドで寝息を立てているリットの顔を見て、昨日のやり取りを思い出し、俺は苦笑した。
眠る時間になると、どっちがベッドを使うかで揉めたのだ。
もちろん、リットは自分が床に寝ると言い出し、俺も同じように床に寝ると言い張った。
一時は「じゃあ2人とも床で寝よう」とかいう、意味不明の結論に納得しそうになったが、結局じゃんけんで俺が勝った為、こうして床で眠っている。
「不毛な言い争いだったな」
野営に慣れた俺たちにとって、寝袋で眠るくらい大したことではない。
よく考えなくても、別に俺がベッドで寝て何も問題なかったはずだ。
「まっ、過ぎたことは仕方がない。朝飯を作るか」
ゾルタンの夏は朝からすでに暑い。余所は秋だがゾルタンはまだあと1ヶ月は夏だ。
外では、セミがギャーギャーと鳴いており、俺は鬱陶しさ半分、夏らしい音に風情のようなものを感じることも半分、寝袋から這い出すと洗面所へと向かった。
「うひゃぁ、お湯かよ」
水瓶に溜めてある水は、夜の間で冷えることなど無く、少し熱いお湯になっていた。
「あー、こんな日は家でダラダラするのがゾルタン流だわな」
しかし、こんなお湯で顔を洗っても汗が止まらないばかりだ。面倒だが井戸に水を汲みに行くか。
☆☆
水のたっぷり入った水瓶を4つ、棒の先につけて運ぶ。
基本的にゾルタンの水は、川から引っ張ってきた水道を生活用水に。井戸水は飲用として使われる。
また、水の代わりの飲用水としては薄めたワインやエールなどのアルコール飲料も好まれ、この水の代用品はアルコールでありながら子供にも飲まれている。
「よっと……魔法を使える加護がもっと一般的になれば、いろいろ事情も変わるんだろうがな」
俺は水瓶をキッチンの暗所に置いた。これだけ暑いと、直射日光のあたるところに置いたら、すぐにお湯になってしまうだろう。ゆで卵くらい作れるかもしれない。
「卵か、ベーコンとオムレツ。レタスサラダとポテトスープ。そういえば昨日パンを買いに行ってないな。小麦粉はあるからクレープにしてサラダとオムレツに巻くか」
何を作るのかを決めれば、あとは作るだけだ。
朝食を作っていると頭の中に食事をするリットの笑顔がよぎった。リットが来てから最初の朝だというのに、すでに俺はこの生活を気に入っているようだ。
☆☆
「おはよー」
「起きたか、おはよう」
リットはこちらが声をかけなくとも、料理が終わるくらいに起きてきた。
俺の顔を見ると、ニヘラと笑い、そのまま洗面所に顔を洗いにいく。
「あー、台所に冷たい水があるから、持っていっていいぞ」
「だいじょうぶー」
洗面所から魔法の詠唱が聞こえた。わざわざ魔法を使って水を冷やしたらしい。
「便利だねぇ」
朝、井戸から水を汲んできた手間を思うと、やはり魔法を使える加護は羨ましい。
その間に俺は食事をテーブルに並べた。
「いいねー、おいしそー」
洗面所からリットが戻ってきた。顔を洗ったのにも関わらず、リットはふわふわとした様子で椅子に座る。声も間延びしていて、パジャマもずれ肩があらわになっている。
「リット朝弱かったっけ?」
「うーん、ベッドが替わったからちょっと寝付きが悪かったの」
「リットってそんな繊細だったか?」
「んふー、いただきます」
俺の疑問には答えず美味しそうに朝食を食べ始めたリット。寝付きが悪かったと言う割にはなんだか満足そうだ。俺のベッドが安くて眠れなかったというわけじゃないらしい。
俺は苦笑して、スプーンを手に持った。
世間話をかわしながら、ゾルタンの気怠い晩夏の朝はゆっくりと時間が流れていく。レモンを浮かべた冷たい水をコップに注ぎ、ごくりと喉を鳴らしてそれを飲む。
「美味しい」
セミの鳴き声に混じり、満足げな彼女の言葉に、俺は知らずに微笑を浮かべていた。
☆☆
食事を終え、食器を片付けてから、俺達は冷たいお茶を飲みながら今日の予定を話し合った。
「昨日言ってたアイテムボックスの中身を干すのからやるか」
「あーやっぱり先にやることやろうよ、これはいつでもできるし」
「そうか、じゃまず、ベッドや必要な私物を持ってくるか」
「だめだめ、私のベッドはあの部屋には入らないわ」
「……いいベッドで寝てるんだな、そりゃ寝付きも悪くなるさ」
「眠れなかったのはそういうわけじゃないんだけどなぁ、まぁベッドは新しいの買うわ。でも、私の家にある絵画とかお店に合いそうなものは持ってくるつもり」
「絵画?」
「美術品の効果って結構馬鹿にならないのよ? 適切な美術品をおけば確実に売上は伸びるわ」
「そういうものなのか」
だが確かに、雰囲気の良いお店には立ち寄りたくなる力がある気がするな。
「買い物ついでに麻酔薬の許可を貰うのに、何か贈り物でも買っていくか」
「いいわね」
もちろん申請するときに官僚に贈り物を渡さなければいけないという法はない。ないのだが……何かを決めるのに、厳密なルールがあるという国は珍しい。ましてやここは怠惰な国として知られるゾルタンだ。
新薬が認可されるかどうか、決めるのは担当官僚の判断。印象次第でどうにでも変わる。
「新興の薬屋だから、ちょっと高めの持っていった方がいいかもね。店自体の信用がないから」
「分かってる。こういう交渉にかけてはよく知っているからな」
店の経営面はともかく、その土地の有力者との交渉は旅をしていたときも俺がやっていた。そうだな、30ペリルくらいの贈り物でいいだろう。市価に近い値段で売れる貴金属系が好まれる。銀食器あたりが妥当なところか。
「贈り物だけではなく、リット用の食器も買い足すか」
「別にいいよ。同じの使お」
「ある程度揃えているとはいえ1人分しか考えてなかったからな。皿まで別に分けることはしないけど、単純に数に余裕がない」
「そういうことならいいけど。私の分なんだから私がだすね」
「高級食器なんて買われても困る。俺が出すからいいよ、もしかしたら俺も使うかもしれないし」
貧乏暮しに慣れた今の俺に、高級食器を使っての家事は怖い。
小心者だと笑いたいなら笑うがいい、この手の中にある皿が半年分の収入と同等とかなると、過剰に丁寧な扱いになって家事の能率が下がるのだ。
「高級食器だからって別に丁寧に扱わなくていいのに。食器なんて消耗品よ」
「といってもなぁ」
それに俺は旅をしていたころは、収支管理もしていた。お金にはちょっとシビアなのだ。
「じゃあお言葉に甘えましょう。あと私の給料だけど」
「……うん」
ごくりと俺の喉が鳴った。そう無茶苦茶な額を言い出すとは思えないからそこは安心だが……。
「日給1.5で大体月に30ペリルでどう? これに食事と住む場所が付くんだから、妥当なところだと思うんだけど」
店の従業員の給料としては少し安めなくらいだろうが、彼女の言うとおり食事と住居がつけば十分な額といえる。
だがリットはBランク冒険者。先月までの月収は万を超えているはず……30ペリルというのは、彼女の資産を考えれば、あってないような額だろう。
だが……
「分かった、それで頼む」
ここで給料がいらないと言われてしまうと、それはそれで非常に心苦しい。働いてもらう以上、何かしら報酬をしはらうべきだと俺は思う。もしここで、リットに報酬はいらないと言われてしまえば、俺はなんとしてでもリットに給料を支払おうとするだろう。俺はそういう人間だと自覚している。
おそらくそれは、月30ペリルより多い。
だから、リットがこうして相場通りの額を言ってくれたのは、俺にとっても助かった。
あ、もしかして、この家で暮らしたいといい出したのも、給料で気を使わせないためなのか?
まさかリットのやつ最初からそこまで考えて!
「ありがとうリット」
「え? あ、うん、どういたしまして?」
きょとんとした顔でとぼけているが、さすがはたった一人のパーティーでこのゾルタンの問題を解決している冒険者だ。
俺はそれ以上何も言わず、心の中でもう一度感謝の言葉をリットに告げた。