非常識の世界(前編)
蒼真とアルバート、そして私が商談を取り付けた場所。
たった一つの円卓だけが置かれたその部屋に私は通された。
十五個もの椅子がある大きな円卓に向かい合うようにして座る二人。こんなふうに使うのってなんだかもったいないなぁとか思ったり思わなかったり。
「さて、話をしよう」
「はい」
「どちらの話からにしようか。君自身の話か悪魔と言う存在に関する話か」
前者なら私が話す話題で、後者ならアルバート様が話す話題。
ただ、そのどちらもが今の私にとって、重要な話題だ。順番なんてそこまで気にしなくていいのかもしれない。
けど、
「悪魔について聞かせてもらえますか?」
おそらくこちらから聞くべきだ。
私自身のやろうとしていること、それに深く関わるであろうその話題を聞かずして、私のことを話すのは何か違う気がする。
「ふむ、よろしい。私から話させてもらおう。まず最初に、悪魔とは何かについて」
「あくま……」
「そもそもの話だが、悪魔とは、善悪の悪に、魔物の魔で悪魔と書く」
何となく想像はついていたけど、やっぱりそういうふうに書くのね。悪魔なんて聞いたことなかったから、あくまで想像の範疇だったけど、確定か。
悪魔。
悪い魔の者。
文字通りの意味なら、そうなるのだろうが、それは魔物だって同じことだ。
悪魔というのはどこか特別な者のように、実際会った私は感じてる。あんなのが普通にいるなんて信じたくない。
「おそらく、悪魔の存在を知っているのはこの世界でもごく少数の限られた人間だけであろう」
「はい、そんなのがいるなんて聞いたことありません」
「そう、これは常識ではなく、非常識の世界の話だ」
「非常識……」
非常識の世界。
実際に言葉にされると、私は今とんでもない世界に舞いこもうとしているのではないかという気すらしてくる。
ただ、そんな非常識が目の前に現れて、蒼真に害をなしたわけだから、知らなければならない。
「踏み込むにはそれ相応の覚悟がいる。ただ、知った上で知らぬふりをするのも君の自由だし、何か行動するのも君の自由だ」
「覚悟なら、出来てます」
少なくとも、蒼真はそんな非常識の世界にいる。
この世界にとって非常識?
なら、蒼真は?
非常識なんてものじゃない。
この世界の住人ですらないのよ。一条蒼真という人間は。
そんな人間に恋しちゃってるのよ、私。なら、非常識の一つや二つ受け入れて行かなきゃいけないんじゃないかなって思う。
「そうか。なら、話そう。まず、悪魔がどういう者なのかについて」
「お願いします」
「この世界には、エリア”魔界”と呼ばれる場所がある。ただ、この存在を知っているのは、王族や一部の特別な魔法使いなどといった人々のみで、普通は知らされない事実だ」
「何故、そのようなことを?」
「簡単な話、混乱を招かないようにするためだよ。私たちは、幾度となく、魔界攻略を計画し、失敗している」
「それは……」
「そう。魔法使いの中でもトップクラスの連中を率いて、失敗しているのだ。その意味は当然分かるだろう?」
「ええ、そんな集団で無理なら、普通の人には対処など不可能です……」
この世界には数多の遺跡、未開の地、神秘の秘境、すなわちダンジョンと呼ばれる場所が存在していると聞いたことがある。
そこは数多くの物を得られる代わりに、進むのに大変な労力や死のリスクがかかるという。
おそらく、魔界というエリアはそれに当たるのだろう。
「そういうことだ。ただ、我々も魔界へ行って、手土産なしで帰ってきたわけではない」
何か思いつめるような表情を浮かべながら、アルバート様は一息ついて、話を続けた。
「魔界から持ち帰ってきた情報の中の一つが悪魔という存在だ」
「実際に戦ったのですか?」
「ああ、戦ったとも。戦って、幾人もの仲間を失った。あの時、囮になると言い出した青年がいなければ、私もこの世にはいなかっただろう」
青年。
そう言葉にした時、アルバート様の表情が一瞬変わったのを私は見逃さなかった。
それはどこか切ない顔。まるで、今では会えない誰かを憂うような顔。
「青年ってもしかして……?」
全然的外れな答えかもしれないけど、蒼真が一緒だったなら、きっと彼はそうしていただろうって思うから、聞いてみる。
「ああ、それこそが蒼真でもある。最初に出会った頃こそ私の護衛という任務ではあったが、しばらく会わぬうちに私と共に魔界調査へと乗り出せるようにまで強くなっておった」
感慨深い表情でそう語るアルバート様は窓から外に広がるガラス玉のように透き通る青い空を見ていた。
そして、微笑んでいた。
その微笑みは今語った昔のことを振り返って思うことがあったのだろう。
だけど、それは彼だけじゃない。
私も……だ。
彼はいつだってそうだ。
誰かのために自分自身の身を張ってる。
ドラゴンとの戦いでは、私の村を見捨てて逃げるっていう選択肢だってあったはずだ。それなのに、右腕を千切られようとも、彼は戦い続けてくれた。
そう、ドラゴンの攻撃対象が私や村のみんなに移らないように、命がけで。
そして、悪魔の時もそうだ。
私が彼を置いて助けを求めに行くときに躊躇っているのを見て、私が行きやすくなるように敢えて暴言を吐いた。
邪魔だと言い放った。
確かに邪魔かもしれないけど、そんなことを本心から言うような人じゃないってことぐらい、今まで過ごしてきて分かってる。
彼は優しい。
そんな彼に私は惹かれたんだ。
「だが、彼と最後に会ったのはその時でもあった。いくら礼を申しても気が済まない。私や他の仲間は彼に救われたおかげで、今も生きているのだから。そう思っていたが、彼が私たちの目の前にもう一度姿を現すことはなかった、それが十年前の話だ」
先ほどの顔とは一変する。
分厚くのしかかる雷雲のような暗く沈んだ表情。それはアルバート様の後悔なのだろう。蒼真に対する強い気持ちなのだろう。
いくら仲が良くたって、たった一人のためにあのような大人数を率いて捜索を行うようなことはしない。
普通は。
「あろうことか、私はその彼のことすら忘れていた」
罪悪感。
そんな感情にまみれて、苦しむ彼の姿は弱弱しく死を待ち構える老人の顔そのものであった。
「それは……」
そんな彼の姿を見て、私は言いよどむ。
「歳のせいなんて言いはしない。人間失格だよ」
私も、同じなんだ。
彼と同じ記憶を閉じられていた人間なんだ。
「私もです。私も、彼のこと、忘れていたんです」
「……」
いつになく弱弱しい姿を見せたアルバート様は重く閉じた瞼を開き、その瞳で力なくこちらを見る。
「私、彼に一度救ってもらったことをきっかけに、彼の助けになりたいと思って十年前から必死に魔法の修練をしてきたんです。けど、彼に会ってから、しばらく経つまで彼のことすらいつの間にか忘れてたんです」
「君も……」
「だから、自分が許せないです。だから、自分が蒼真の役に立ちたいとさらに強く思ってるんです」
そう、自分が自分を許せない。
私も罪悪感を抱えて生きていた。
「……」
「蒼真の話を聞くに、私たちの記憶は一時的に鍵がかけられていたみたいです」
だが、彼は私に自分の正体を明かしたときに言った。
「鍵?」
「そう、蒼真と出会い、彼と過ごすことによって、彼に関する記憶を思い出すというふうになっていたみたいです」
私が何故彼のことを忘れていたのか。
私が何故不自然なほど綺麗に忘れていたのか。
けど、これだけでは私はきっと自分を許せなかっただろう。
「まさか……」
「自分も信じられないですけど、今それが現状です」
「なら、今の自分の記憶さえも……」
記憶をいじられる。
それはつまり、今ある記憶すら偽りである可能性すらあるということだ。
「蒼真はそれはないだろうと言っていました。そう確信してると」
だが、彼はそう言った。詳しい話はその時聞けなかったけれど、そうは言っていた。
「そこは彼に直接聞かないと分からないことか」
「ええ。そして、彼はこうも言っていました、自分を責めないでくれ。俺のせいで誰かが自分を責めるなんて俺が辛いって」
だからこそ、私は私自身を責めるのをやめた。
責めるのはやめて代わりに、今まで出来なかった分、想い人のために頑張りたいと思った。
けどまぁ、そう簡単に責めるのをやめられるもんじゃないけどね。
「蒼真ってやつは……」
「だから、彼の為にも人間失格だなんて言うのはやめてください」
私はアルバート様にもそれはやめてほしかった。
私個人として見ているのが辛いからではなく、蒼真ならこう言ったと思うから。
「……、ああ。済まない」
私の言葉に一度目を伏せると、アルバート様はそう言って、
「さて、では話を戻そう。魔界に関する情報の中で大きく取り上げるとすれば、二つじゃな」
いつも通りの姿を取り戻して話を戻した。
なら、私もそれに切り替えよう。きちんと聞いて、知ろう。
前後編に分け、それぞれ19時過ぎ、22時過ぎに投稿予定です




