緑葉亭
数多くの旅人が行ったり来たりするこの商業都市。
それ相応の数だけ、宿が存在している。
当然、その宿代もピンからキリまでである。
そして、今目の前にある宿。
そこは、年季の入った宿だった。木で作られたその建物は、地面から生え行く蔓が伸びて、所々を覆っている。
おんぼろなのではないかと思われるかもしれないその建物。だが、本当のおんぼろは、板に穴が開いていたりすらするので、まだおんぼろではない。
そして、アートとして草を家に生やしていると考えれば、まだマシに思える。
「まぁ、見た目はこんなだけど、中は結構しっかりしているから安心して」
怪訝な顔を浮かべるエイダに俺はこう言葉をかける。
ここはβテスト時代にお世話になった宿だ。最初は安さから選んでみたのだが、これが意外や意外、中はしっかりとしていたのである。
一回客になって、宿代に対する宿としての価値、すなわちコストパフォーマンスが他に類を見ないほど良いことを知ると、離れにくくなる。
そう、いわば、常連さん専用の宿といったところだろうか。
と言っても、俺はこの店を安さと何とかなるだろという謎の安心感によって選んだ結果、ここを見つけたわけだから、相当運が良いのだろう。
「そう、なんですか…」
そして、二階建ての建物。
その入り口となる扉は傾いている。開いてみようとするも、それは地面に擦れて、動きが鈍い。
だが、俺はそんな扉を無理やり、少しだけ開く。
床にはそのようにして開けられることによって出来る傷が扇状に描かれている。その有様から、何度も何度もそのようにして開けられたということが見て取れる。
「ごめんください」
正直、この扉が開くことによる木の擦れる音によって、誰かが来たということは分かる。
だが、俺はそう分かっていても、声をかけることにした。
「あいよ。ちょっと待ってな」
その言葉は宿の奥から聞こえる。
だが、その姿は見えない。
まだ半分も開いていないということもあるが、声からして遠くにいるようだ。
どたどたと慌ただしい足音を立てながら、人の気配が近づいて来る。
それに合わせて、俺は扉の取っ手から手を離す。
「ちょっと後ろに下がって」
「えっ…、ええ…?」
俺が出した指示にエイダが疑問を浮かべているのが分かる。だが、それの説明の必要はない。
すぐにわかることだから。
「ふんっ」
もう一度、言葉が聞こえたかと思ったら、扉を蹴り飛ばされた。
半分近くまでしか開いていなかった扉は一気に開く。それと同時に何かにはまる音がして、扉は開いた状態で固定された。
最初に来たときは、この開け方のおかげで、顔面に激痛が走ったものだと、ふと思い出す。
「ようこそ、緑葉亭へ」
扉を蹴飛ばして開いた本人はそんな言葉を口にした。
そこにいたのは老婆。色の抜け落ちた白髪と皺のよった皮膚が目を引く。彼女の腕や足はすでに老化によって、細く心許ないモノへとなっている。
だが、このような容姿であったとしても、俺の元いた世界のような老人と同一視していいかと言うと、これはまた別の話。
魔法。
この世界にはそれがある。
現に先ほど、老婆は地面を擦って固くなった扉を蹴飛ばした。
それは魔法の恩恵によるもの。具体的には身体強化。この魔法はこの世界の住人からしたら、魔法の基礎の基礎。
俺の元いた世界で言うなら、これが出来ないということは歩くことが出来ないと同義であると言ってもいいほど、人々に慣れ親しんだものだ。
ゆえに、エイダも実を言うと、身体強化は出来る。
出来るものの、それは日常生活で必要とされる程度。
だが、それは普段の生活として用いることが出来るという意味であって、戦闘が出来るという意味とは全く異なる。
「今日から泊まらせてもらっていいか?」
「あいよ。期間はどれぐらいだい?」
「そうだな。とりあえず、一ヶ月」
「一泊銀貨二枚の二名か。長期滞在ってことで、安くしといてやるよ。代金は金貨二枚でどうだい?」
銀貨二枚の二人。それが三十日で、計銀貨百二十枚。要するに、本来なら、金貨二枚と銀貨二十枚ほどかかるところを、元々安めだというのにも関わらず、これだけ安くしてくれているのだ。
それに乗らない手はない。
「ありがと。食事つきだよな?」
「もちろん。私はあんたたちみたいな未来ありそうな若もんは好きだからね」
そう、この老婆は良心的だった。
俺は運よく発見したからいいのだが、知らなかったら損だよなぁと思う。普通の宿は一人当たり一泊につき、銀貨三枚ほどかかってしまう。
だが、この宿は一人当たり銀貨二枚である。さらに、長期滞在をするなら、ある程度合計額を減らしてくれるのだ。
そして、驚くべきことはそれだけではない。
内装。
それは綺麗、その一言に限った。
埃一つない廊下。
家の材として用いられている木々はざらついた面が少しもなく、磨かれていることによって、どこか透き通っているという印象すら与える。
そして、そんな木々の与える香りは心地よい。
「な? 言ったろ?」
俺はエイダに耳打ちする。
「ええ…。外観だけで判断しては駄目ですね…」
すると、しみじみとエイダは言葉を口にしたのだった。




