姿なき胴元と、超音速の手札
「……ふむ。鉄クズが敗れたか。だが、なかなかに良い『見世物』であったぞ」
鋼王カルマが灰となって消え去った玉座の間に、黒い霧が立ち昇る。
その霧を裂いて現れたのは、豪奢な漆黒の外套を纏い、威厳に満ちた金糸の髪を揺らす壮年の男だった。
一切の感情を排した、深海のように底知れない蒼い瞳。
ただそこに立っているだけで、玉座の間の大気が重圧でミシミシと軋み、呼吸することすら困難になるほどの『絶対的な支配の神威』が空間を制圧する。
(……なんだ、こいつは。鋼の王とはあまりに次元が違いすぎる)
俺は、震える足に強引に力を込め、セリアを背中で庇うように立ち塞がった。
「誰だか知らねえが……。このふざけた盤面を裏で操ってた『ディーラー』は、テメェだな?」
俺が血みどろの顔で睨みつけると、男はカルマの灰を革靴で無造作に踏み躙りながら、薄く嗤った。
「いかにも。……極東のイレギュラーよ、そのボロボロの体で我が刺客をよくぞ打倒した。褒美として、貴様の首は我が玉座の装飾に、その背後の白銀の騎士は我が小間使いとして迎え入れてやろう」
「……寝言は寝てからホザけよ、糞野郎が」
俺は獰猛に口角を吊り上げたが、内心では最悪の警鐘が鳴り響いていた。
ウロボロスの超再生も、魔力も、すでに限界だ。立っているだけで奇跡に近い。先ほどカルマを葬った原初神の力も、全身の骨と神経が焼き切れるほどの反動があり、今の状態で引き出せば敵を倒す前に俺自身の肉体が自壊する。
「紅刃、雅。セリアを連れて下がってろ。……こいつは、俺が一人で相手をする」
「統!? 無茶です、今のあなたの体では……ッ!」
セリアの悲痛な制止を背中で聞き流し、俺は男に向かってゆっくりと右腕を構えた。
手札は一枚だけ。さっき女神から押し付けられた、ハズレ枠の【2】の権能のみ。
(……見せてやるよ。ゴミみたいな手札が、どう化けるかをな)
俺は、自分の足元の石畳に向けて【2の目】の『微弱な斥力(反発力)』を展開し、同時に【1の目】を発動させた。
「【1の目】……質量『ゼロ』ッ!!」
俺の肉体の質量が、完全に無(羽より軽く)になる。
その瞬間、俺の足元に展開していた『微弱な斥力』が、質量ゼロの俺の体を、空気抵抗も重力も完全に無視して『超音速』で前方へと弾き飛ばした。
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!
音を置き去りにする、文字通りの神速。
一瞬の溜めも予備動作もなく、俺の体は弾丸となって男の懐へと潜り込んだ。
「……ほう?」
男の蒼い瞳が、微かに驚愕に見開かれる。
俺は、男の顔面に右拳が到達するコンマ一秒前。ゼロにしていた質量を、一気に無限大の『特大』へと反転させた。
「【1の目】・特大質量ッ!! ぶっ飛べェェェッ!!」
超音速の加速力に、無限大の質量。そして残された最後のアレスの黄金の炎。
女神が「無価値」と嘲笑った底辺の権能は、俺のイカサマによって、どんな物理法則もぶち抜く『必殺の手札』へと変貌を遂げていた。
俺の会心の、そして最後の一撃が、男の顔面に直撃する——。
ガァァァァァァァァァァンッ!!!!
玉座の間の壁が吹き飛び、山脈の頂上が丸ごと消し飛ぶほどの凄まじい衝撃波が巻き起こった。
「やったか!?」紅刃が爆風を手で庇いながら叫ぶ。
だが。
土煙が晴れた後、俺の視界に映ったのは。
俺の超音速・無限大の質量パンチを、顔面からわずか数センチのところで『見えない光の盾』によって、傷一つなく完全に防ぎ切っている男の姿だった。
「なッ……!?」
俺は愕然と息を呑んだ。カルマの鋼の壁すらも紙くずにする質量だぞ。それを、微動だにせず正面から受け止めたというのか。
「……見事な手品だ、極東の王。低階位の権能を組み合わせ、物理法則をハックしたか」
男は、俺の拳を見据えたまま、冷酷に嗤った。
「だが、思い上がるなよ若造。……複数の権能を組み合わせる盤面操作など、我にとっては息をするのと同じことだ」
男の背後に、俺の理解を遥かに超える、巨大で悍ましい『複数の神威』が立ち昇り始めた。




