業と力 10
「もう! 年頃の娘を家に封じ込めて外出ってある? 箱入り娘ってやつなの!? ヤダ! そんなお父さんなんて絶対やだもんね! トーチャンでもなんでもないけど! ほぼ同年代かもだけど! いや、でもアイツのが多分私より長く生きてるか。スイレンも親父になったらそうやって子供を叱りつけるのかな……その時はもっと子供がのびのびできるように私が育て上げて見せます! 今流行りの教育ママです! やだ! 私また変なこと言ってる! 誰の子供でもなんでもないのに!」
日が高く登る時間。一人何が楽しくて声を上げているのか、黒髪の少女は頬に手の平を当てたり、身体をくねくねとさせたりしながら繁華街の中央を往く。
人気のない繁華街だった。それでも、なんとなくそういう所を選ばないともしもということを考えた時には、面倒事に成ることも予測できた。
街征く人々は奇怪な視線を少女に向ける。
そして、それ以外の視線を送る者も……
「よォーウ! ネーチャン! そっちも学校サボりかヨ! 俺らと楽しいことしようゼ!」
「もしかして不良さんですか! サボータージュですか! あの時と同じ! 運命!」
そう妙に高いテンションで呼びかけるのは中性的な容姿をして、髪を一本にまとめた少年だった。その後ろに緘黙な風貌で腕組みをしてやってくる大男。
男たちが退くことは無かった。そのそこらにはいない混血のようで人形のような容姿の女が一人でこうやって居るのだ。それも、警戒心が無い。
イケるッ! 陰茎に血液を充填させる男たちは溢れ出る動悸を抑えながら、身長に言葉を紡ぎだす。
「お、俺『神速の斬空刀』! クールでエキサイティングで、ベリーエンジョイなことやろうゼ!」
「ホント! やったー! 私、月詠サラク! 手加減抜きで頼むよ!」
ドシュウッ!
銀色の突風が、コンクリート敷の道を吹き抜ける。
少女の髪色は既に銀髪と成り果て、身体の周囲からは稲妻めいた残光が纏われていた。
「3%……この程度だったら、スイレンの言うネストの索敵型だか、なんだかにもひっから無いだろう」
「ヒィ! なんだコイツ!? ラウンジでもこのクラス見たことねーぞ!?」
男らは、辿々しい足取りを叱咤させてその場を過ぎ去った。
「……結局はこうなるかー」
「成る程……案外散歩って物をしてみるのも悪くはないね」
男たちが過ぎ去るのを遠目で見ていた月詠。その後ろから呼びかけるのは一転して落ち着いた声色の男の声だった。
「どなたさ──!?」
イケメンだった。
月詠サラクはイケメンに目がない。
思わず息がつまり、同時に銀色に靡く髪は黒色へと戻っていた。
「予備校帰りのフリーター、とでも言っておこうかな」
男は暗い色のジーンズにワイシャツを来たシンプルな風貌をしていた。長くサラリとした髪が風に流れている。
「そ、それはダメだわーお兄さん。そこは嘘でもメガバンク勤めですとか、バーテンやってますとかそう言っておかないと」
「生憎、僕は嘘が苦手なんでね」
「ありのままに付いてきてくれる人が良いの?」
「友達とか恋人とか、本当の関係っていつの間にかそう出来ているものじゃない?」
雄弁に語りながら男は歩を進める。月詠の思考は停滞することなく、むしろフル回転で火花をあげていた。
(一般人ではないのか? いや、仮に影使いだったとしてもさっきのつまらん男共のような反応をするのが普通だ。ある程度私は強い。そこらのネストが束になってやってきても返り討ちにできる。そして、してきた。ただの命知らずか──それとも)
銀髪の男は尻ポケットに手を伸ばして長財布を取り出して掲げ上げる。
「話をしよう。今日はオフなんだ。久々に語りたい。聞いてくれるだけでいい。そして、旨い旨いと茶菓子を頬張るだけで君は良いんだ」
「それは、貴方の店選びのセンスがあるかどうかにもよるんじゃない?」
「よく味覚障害って言われるんだよ。亜鉛が足りてないのかな」
乾いた笑いを上げながら、その男は背を向けて歩き出した。
着いて来い。背中でそう呼びかけていると、月詠は読み取った。
「よりにもよってメイド喫茶かよ!」
「一度は行ってみたかったんだ。僕はこう見えてもサブカルチャーには感心がある」
「へぇー! いがーい! ……そう言われることは多くない?」
「君と関わった時間は少ないが、君は、僕が話の長い人間だとは思わないかい?」
「ステレオタイプじゃないの? そういうのは」
二人の笑いが上がる周囲。そこは電気屋街だった。あられもない姿になり目尻に涙を浮かべる少女らが、高々と店の看板となっている。トレーディングカードゲーム。中古のパソコン周辺機器専門店。奇怪な飯をその場で調理して提供するような露店。
「お兄さん名前は?」
「……いや、言っても良いか?」
「え? 何? ボソボソ言っていて聞こえないんだけど!」
「晶叢シナツ。そう読んでくれ」
店内に入ると、金髪グラマラスのゴスロリ風の服装をした美女が出迎え席に誘導する。昼日中はこうして小銭を稼ぎ、夜ではキャバレーにでも勤めているのか。
何も考えていなければ落ち着かない。席に座ったまま邪推を隠し切れないで、その女の胸部にじっとりとした視線を向ける月詠に、ご注文はなんですか? と催促が入った。
「え? あ! 何? アイスティーセット? お兄さんそれでいい?」
「いいよ。なんでも頼んでいいから。今日の僕は気分が良いんだ」
指を汲んで肘をカウンター席に付く晶叢。知らない人間との食事、妙に突き刺さる視線。
月詠サラクは落ち着かない風貌を隠すようにして咳払いをして切り出す。何か口にしておかないと掴めない。何が? ペースがだ!
形容出来ぬ不安を抱きながら月詠は口を開く。
「そ、そう! 今あれなの! 悩み事あるの! 言っていい!?」
「そんな楽しそうに悩み事を切り出す人は初めて見たよ」
「お兄さんホント皮肉屋だね! 友達無くすよ!」
「まあ居ないからね全然。それに晶叢だ。僕の名前は。読んでくれないのは侵害だな」
「元々、数十分前は赤の他人だったのにね」
フィルムに入ったウェットティッシュのお手拭きをくちゃくちゃにしながら月詠は視線を落とす。
「友達がね、構ってくれないの」
「それは同性?」
「……男の子」
「なるほど。思いを寄せているボーイフレンド候補ってところか」
「別にそんなんじゃないし! いや、でも実際その人が何を考えているか最近分からなくなってきていて」
月詠はそう言って憂いを帯びた表情を浮かべる。ただ何気なく細い指で、ラミネート加工されたメニュー表の縁をなぞる少女。晶叢はテーブルに肘を着いて、口元に指を添える。
「段々帰りが遅くなってきているし、遊んでもくれなくなってきているし」
「同棲までしているのか。これは参った。その相手がもしかしたら他の女の子とでもでかけているのではないか、自分は弱みに付け込まれてキープされてるだけではないか。そう疑っているのかい?」
「極端な話……ね。でも私はスイレンのこと疑いたくないし、アイツも、ずっと人を疑って生きてきてそうだから、私だけでも信じられる存在としてそばに居たいの」
「……スイレン」
反芻するように男は小さくその名前をぼやく。途端に顔を真っ赤にして今の取り消し! と声を上げる月詠に、晶叢はハハハと笑って身を後ろに退いた。
「まあそうだな、一度聞いてみるってのも手だ。こういうのは一回自分の思いを伝えて動きを観ないと、ずっと君はこの不安の硬直状態を続けなくちゃならない」
「……どうやって言えばいいの?」
「デートプランでも考えて、強引に休日一緒に来てとでも言えばいいんじゃないかな? 君はルックスも良い。相当無神経な男でもない限り、付き合ってくれるだろう」
「うーん。ちょっと変な奴だから分からないけど動いてみる」
「普段はどんなことしているの?」
晶叢の問いかけに、即座に答えようとしたが、一度思いとどまりそれを口にして良いのか、一般的な十代後半に差し掛かる男女がそういう生活をしているのかと思いとどまる。
唇を軽く噛むようにして、小さくぼやくように答える。
「学校が違うってか、生活リズムも違うから寝床だけ一緒にしてるみたいなってる」
「なるほど。若いね」
「何ニヤニヤしてんの」
「何でもないよ。君は通信通いとかそういったところかい?」
「? なにそれ?」
「無駄な詮索だ。流してくれ」
「後は料理作って帰り待ってる! 最近は美味しい言ってくれて全部食べてくれるの。初めから全部食べてたけど」
「他には?」
「部屋の掃除とか? アイツ男だってのにやましい本一つも無いからどういう娘が趣味か全く分からなくて……一回面向かって聞いたら『やかましく無い女』だとか大仏みたいな顔して言うの! 酷くない!?」
「まあ確かに君はちょっと喧しい」
「お兄さんもそう言うんだ」
互いに軽く笑って、その後も晶叢による事情聴取とアドバイスのような返答は続いた。それらが強く月詠に響くことは無く時は過ぎる。惚気を語る時の月詠は頬に手を付けて身体を左右に振って、次はどんな話をしようかと至高を巡らせて吐いては、晶叢の返答に一喜一憂する。それだけに意識を回していた。
「まあ、聞いた話だと彼は結構臆病なんだろうね」
一段落ついた所で、晶叢はそう切り出す。
「どうして?」
「独りでなんでもやろうとする。そういう人間は他人のミスが許せない。そして、他人に期待を寄せていた自分が許せない。人に希望を必要以上に抱いて、現実との乖離を知って、いつの間にか裏切られたと錯覚する螺旋を繰り返す。たどり着くのは凍えつくような独房だ」
既に運ばれてきていたアイスティーを晶叢は啜る。
「お兄さんは、そういうことある?」
「……あるよ。昔、といってもまだ小さい頃のことだけどね。周りは皆すごい人だと思っていた。何があっても逃げ出さず、正面から課題に取り組む人たちで、そして、心優しく、誰にでも手を伸ばし、苦痛と解決を共有し合える存在であると」
「……」
「でも、そうじゃなかった。今の歳になってそういう人たちを見れば、その全てが、そこに課題があると知りながら取り組もうとせず有耶無耶にして、他者を切り捨ててまで安直な先延ばしを取りたがる。本質と向きあおうとする人間なんて、居なかった」
晶叢は白く艶めいたカップを置く。縁には黒い水滴が薄く横に広がって付着している。
「本質って?」
月詠は平坦な声色でそう聞くが、内心その人の奥に潜む暗い核に触れるような、そんな畏怖めいた物を感じていた。
たかが人間に。たかが、自分の殴打で絶命が容易い男の人間独りに。
「理解」
突き放すように晶叢は目を細めて言う。その声色には憂いも蔑みも哀れみもない。ただ悟ったかのような乾いた表情と言い方だった。
(自分への期待を捨ててしまった人なのかな?)
天井に取り付けられたシーリングファンが二人の毛先を揺らす。
ふと月詠の脳裏にはそんな言葉がよぎった。今までの小難しい話を聞いていたから、それらを整理して、晶叢の背景がぼんやりと浮かんでから浮かんだモノなのか、直感なのか……
「時間を取らせてしまったね。支払いは僕が行うよ。それとももう少し居るかい?」
「そ、そうだね。私はもうちょっと居ようかな。こういう所来たこと無いし」
「わかった。ココに代金とおまけを置いておくよ。付き合って貰って悪かったね」
「い、いや! とんでもない! 美味しかったです」
「そうかい。じゃあケーキひとつ分でもおまけで食べておくれ」
晶叢はハニカミながら、懐から札を数枚取り出してテーブルに置き、伝票立てを文鎮代わりに上に重ねて席を立つ。
「じゃ」
「その、お兄さんは、私のその友達とすごく似てる」
月詠が見上げるように視線を上げて、男に言った。
「それは……顔とかが?」
「いや、その。まあ確かに雰囲気は似てるけど。なんだか分からないけど、その。それ以外の部分もって言っておくべきかな? って思ったっていうか……」
「僕の言葉で、そのスイレン君へ一歩近づくことができれば幸いだ」
「役立てるよ絶対」
「だったら僕も目覚めが良い。若い娘に何かしてあげられるってそうないからね」
片腕を立てて出入り口へ向かう晶叢に、ありがとう、と月詠はぼやくように返す。
ベルが鳴り、ガラスと木材で構築された扉が立てる重く乾いた音が店内に響いた。
「……桃城か?」
携帯端末を取り出して、晶叢がすぐにかけた相手はその男だった。
「どうだった? 調子は?」
「スペアには良い。いや、優先したいくらいだ。彼女は素晴らしい。フェイレン……彼が使い物にならなかったら──」
「よしてくれ。それよりも、今夜のプランにだけ、意識を注いでくれ」
「そうだな。飽きっぽいのは直さなくちゃならない」
オーバー。そう言ってホットラインを切り、晶叢は端末をポケットに入れて都市の中央へと足を向けた。




