初まりの夜
日を跨ごうとしたその夜。鴉丸スイレンはある事件を追って街のコンクリートを踏みしめて進んでいた。月光が降りるその歓楽街はまだ寝静まろうとすることもなく、不健康なネオンがあちらこちらで光を煌々と放ち、法則性のない雑踏が周囲の飲食店に入り乱れては逆流する。
コグネと呼ばれる影使いの話では、ここら近辺の『高層区A-(エーマイナス)』にその『月影』が現れたということだった。死者が数名。極秘に脳組織の断片を複製し、読み解いた時僅かに得られた情報がそれだけだった。
「ここがそれの境界……か」
鴉丸の切れ長の目つきの前に広がるのは歓楽街の隅だった。墨のようなもので漢字を書き留めたどでかい看板や、ハリボテのオブジェ。それが地面に落下して朽ちかけており、同時にそれを気にする人気すら感じられない無人の領域。
人の無意識の防衛本能がいつの間にか共有され、その先を冒してはならないと判断された境界の中、あるいは奥。鴉丸は一つ深呼吸をして喉元に指先を当てる。
鋭い眼光で周囲を一瞥しながら歩を進めて数分。少し開けた広場に出た。煉瓦敷のその楕円を組む一帯の中心に、今はもう水滴一つ巻き上げない噴水があるのみで、代わりにあるのは赤黒い地の後や、乾燥した脳漿が辺りに散乱していた。
「……ッ」
そして、その噴水の頂点。まるで猛禽類が巨木の枝に佇む様に腰を落とし、鎮座する白銀の影があった。月光を背にしてただ無遠慮に殺意の眼光を光らせる低温の視線が、鴉丸を捉え、それはゆるぎはしなかった。
人の踏み込むべきでは無い領域の主──
鴉丸の知っているその視線は、紛れも無く『月影』
意味もなく、ただ人という生命体を抹殺することにのみ執着を持つ有機生命体に限りなく近い存在……
「──やろうかァ!」
鴉丸は上着のコートを脱ぎ捨て、夜空に跳躍する。
「……シュリュリァァアァァァアァァアアアア!!」