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人間批評  作者: 八雲 辰毘古
2015年
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10/15

いったい何を怖れているのか?

 訳あって英語の授業をしたことがあるのだが、あらかじめ予習していたはずなのに、質問を投げて「わからないです」と言われたことがある。「色彩のある英文和訳」というテーマだったのだが、そもそも英文が訳せなかったというのだ。そこでヒントを出して、構文の解体や単語の意味まで掘り下げてみたのであるが、「わからないです」の一点張りで、結局そのときは解説に方向転換せざるを得なかった。ただ、私は講義の形式で一方通行的な教授というものを好まないし、そもそもあの手の類いは眠くなる。話を聞こうと聞かなかろうと自動的に講義が進んでいくし、もし、それで成り立つのであれば、わざわざ身体をそっちに持って行く必要がないのでは、と思ってしまうタチなのだ。授業というのはある種の体験であって、参加できる要素を持っていた方が生き生きとするだろう。唯の知識の伝授であるならば、本を読んだり、問題演習をさせた方がずっと体系的に理解できるし、学習塾がやってるような映像授業でも、なんら問題ないわけだ。

 そもそもやってみてわかるのであるが、高校までの授業五十分、大学でも九十分がせいぜいの講義を十数回受けたところで、どこまでの知識が身につくというのだろう。よほど綿密な段取り・構成を持っていない限り、ああした授業は首尾一貫しないダラけた構造を持ってしまう。一回一回の授業にきちんとした構造とテーマがないと、その時間を唯ひたすら無駄に過ごす大惨事が起きてしまうのだ。


 私は先ほど授業は体験であった方が望ましい、と述べたが、この観点からすると、教師側だけではなく、学生側からも溌剌とした発言や回答が出てくれることがなお望ましい。教える側と教わる側とが丁々発止と意見を遣り取りし、アイディアや考え方を養っていけるのは双方にとってもプラスだろう。だが、このシステムには一つ欠点があって、圧倒的にやる気のない人間が、これを壊してしまうことだ。「わからないです」という言葉が繰り返されてしまうことで、時間が徒らに過ぎてしまう。これは、ちょっと、虚しい。

 実のところわからなくても全く問題なかったのだ。そもそも学習自体が未知のものに触れるのだから、知らない、わからない方がむしろ当然だと言っていい。私が求めているのは正解ではない。これは翻訳レベルの問題で、出された英文をいかに日本語の文章として生き生きとした言葉に変えるか、という主題なので、各人の語彙や解釈次第では、どんな訳が現れても良かった。たとえ誤訳であったとしても、私は構わなかったのである。実際、私は当授業内での回答にあった誤訳をあえてスルーした。その解説は別に設けたので、そちらを読めば済むことだ。本題はそっちではない。何かを通じて、世界観を出して欲しかったのだ。本当は。


 さて本題に入ろう。「わからないです」の一言は、もちろん「全力を尽くしたけど理解することができなかった」という意味がある。しかしその裏には「私は間違いたくありません」「私は考えたくありません」という意思を押し隠しているような気がしてならない。自分を出すのを怖れているのならまだ可愛い方ではあるが、間違いを怖れて行動を躊躇い、正解の甘い汁だけを座して啜ろうなんて魂胆ならさすがに物の一つや二つも言ってみたくなる。むろん間違えてはならないところはあるだろう。受験なんかの重要な課題は、間違えたくないものだ。しかし、間違えてもペナルティのない筈のものを怖れているのはどういうことなのか。打たれるような出る杭になりたくないのだろうか。これはひょっとすると相互評価で縛られているからなのだろうか? ……よくその辺はわからない。しかし、間違いが許される時期があるとするなら学生時代なのではないだろうか。さすがに道徳的倫理的なことは法に触れるのでなんだが、たかだか英文和訳である。間違えても命は愚か、成績に響くことがないとするならば、もっと挑戦しても良いはずだ。挑戦が許される場ではもっと挑戦していかなければ、「体験としての学習」ができなくなってしまう。それならばいっそ映像授業となんら変わりのないものになってしまうではないか。


 我々はいったい何に怯えているのだろう。自分を出すのが怖いのか。それとも周囲から白い目で見られるのが怖いのか。それとも、単に失敗したり間違ったりすることが自分の矜持を傷つけるのか。むろん、挑戦すべき場を見極めるのは重要なことではあるが、許される場があるなら、挑戦してみるのもまた一つの選択肢ではだろうか。自分から何かしなければ、何も自分に返ってこないのだから。

「わからない」と言って、笑って逃げた先で守ったのは果たして何だったのだろう。私にはそこのあたりがイマイチわからなくて、今も時々そういうことを考えるようにしている。

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