命の恩人
店を出て、すぐ横の区画に小さい公園こと緑地があるので、そこのブランコに俺は腰かけた。南野は
「やはり、干渉するのは間違いでした」
そういって、隣のブランコに腰かけると「うっうっ」と抑えながらまた泣いた。
一体その画面には何が映っていたのだろう。
南野が少し落ち着いてきたので、念のため訊ねた。
「無茶をお願いして本当に申し訳なかった。干渉させてしまったのは頼みすぎたよ」
「いえ、いいんです」
「ところで、携帯には何が映ってたの?」
深呼吸をして、
「北原さんとの、メールのやり取りですよ」
一言、告げた。続けて
「北原さんが亡くなってからも、というか連絡が取れなくなってからも、木村さんはまめに北原さんにメールを送っていたみたいなんです。『大丈夫か?』とか『飲み来いよ、待ってるぞ』とか。それを見て思わずウルッと…私、謝らないといけませんね」
ん?なんで?
「もし木村さんが北原さんのことをよく思ってなくて、接触したせいで北原さんが傷ついたらかわいそうだなって、そういうことしか考えていませんでした。本当にすみません」
「そんな、別にいいよ」
俺だって、本当はみんながどう思ってるかなんてわからないし、正直知りたくもなかったからな。でも、木村は俺のこと本当に友達だと思ってくれていたんだな。
あ、なるほど。そういう『報われた』ようなことで満足感のゲージが増える感覚、よくわかるな。
「おかげで、すっきりと黄泉の国?へ行けそうだ。南野さんのおかげだよ」
その一言は、南野を喜ばせるためと、感謝の意を込めて伝えた。
しかし、南野はこちらをじっと見たのちに、また泣きだした。
「ど、どうしたんだ本当」
「こ、これは別に気にしないでください。すぐに元に戻ります」
しばらくすんすん鼻を鳴らしていたが、5分もしたら落ち着いたようだ。
ほどなくして木村が荷物を抱えてこちらへやってきた。ブランコに腰かけている自分と南野さんのほうを確認し、
「ごめん、待っててくれたんだね」
木村はそういうと、俺の座っているほうのブランコを見て
「僕はどこに腰かけようかな。ブランコは埋まってるし」
なんとなく悲しそうに言った。見えているのか?いや、見えてはいないのか。不思議パワー。空しい。俺はそっとブランコをどいた。
「ん?ああ、ブランコ、空いてたね。隣に失礼するよ」
そういって、俺のいたところに木村が腰かけなおした。
「まず、僕に北原のことを教えてくれてありがとう。ご実家の連絡先とは知っているの?」
南野は小さく首を横に振る。
「そっか。大丈夫。大学とかに問い合わせてみるよ。もう部外者だけど、取り合ってくれるかな」
はは、と乾いた声で笑い、木村はまた空を仰いだ。
「北原かあ。もう会って飲めないと思うと、僕は相当でかいものを失ってしまったんだろうなと実感するねえ」
そういって、空に手を伸ばした。南野が口を開く。
「木村さんにとって、北原さんってどんな人だったんですか?」
「そうだなあ…思い出話として、ちょっと聞いてくれるか?」
――
僕は大学2年の終わる時、学校をやめたんだ。理由は簡単で、学校がクソだったから。そこにいても自分が見つけられないし、自分が何者かわからなくて、どんどん埋もれていくような感覚。人ごみに押しつぶされるような淘汰感をとにかく感じながら通っていた。
1年の時からの仲だった友人の一人が北原だったんだけど、当時はまだ健全という感じで、普通に楽しそうにしていた。僕もよく一緒に遊んでたし、あいつも比較的交友の広い学生だったと思うよ。それがさ、2年になってから付き合いが悪くなってきて「どうした?」って聞いても、「なんかだるい」くらいでとりわけ悩みを聞いてやれなかったんだよね。そこまで信頼されてないのかなってくらいで、まあ大学の友人なんて人によっちゃ地元より付き合いも短いし仕方ないとは思うけどさ。
相変わらず付き合いが悪くなっていたときに、もともとグループになってた何人かで飲みに行ったんだ。その時に北原のことが心配だって話をしたんだけど、場がさ。サーッとしらけちゃって。みんな「あー、まあ、知らね」「別にいいんじゃね?知らないけど」みたいな感じで。え?え?そんな変な話してるか?ってびっくりしちゃってみんなに問いただした。悪気はないんだけど、正直に言うとみんな北原のことにまったく興味がなかったんだ。別に嫌われてるとかそういうのは一切なくて。僕は思わずその場にいないグループのやつの話題も出してみたけどやっぱり似たような反応でさ。つまり逆を返すと、僕に対しても同じだったと思うし、隣通しで座ってるあいつとこいつもあっちのあいつとそっちのこいつも、みんな「対個人」に於いて感情があまりに薄かった。個人的な仲のいいつながりはもちろんあると思うけど、広域的に見たときにはこの取り巻きの交友関係は、かなり薄弱だと僕は感じた。その時にとにかく寒気がしちゃって。怖くなってね。僕もその飲み会を最後に大人数の集まりへ顔を出すことをやめたんだよ。
そんで、別の日に北原を呼び出して二人で飲んだんだ。その時に恐る恐る似たように友人らの話を振ってみた。「あいつ最近彼女に振られたらしい」とか「あいつ単位がやばいらしい」とか。北原はちゃんとみんなのことを見てはいたようで「あいつに彼女か~。彼女かわいそうじゃね?それかあいつがまともに変わっていくのかな?」とか「単位足りないのはさぼりすぎなんだよ!親に申し訳なくないのかね!」って、うわべだけじゃない感情のこもった返答が返ってきたとき、僕はたいそう安堵した。北原は「何当たり前のこと言ってんだ?」ってあっけらかんとしてたけどね。それで「こいつは今後も仲良くしていけるやつだ」って、僕は勝手に親友認定したんだよ。本人には特別思い入れがあっての発言ではなかったと思うんだけどね。当たり前の会話の一部。
――
南野はかなり真剣に聞いていた。木村は
「別に、そんなに面白い話じゃないでしょ」
と笑いながら聞くも
「いえ、続きをどうぞ」
と真剣なまなざしで聞き入る。
「じ、じゃあ続けるね」
そういうと木村は目を閉じた。
――
それで、僕も大学の友人関係の整理を無意識にしながら、ある日また北原と個人の居酒屋さんに飲みに行ったんだ。すげー強面の大将のお店でね。こんな若造が調子に乗ってお酒飲むような店じゃないな~ってなって店変えるか話してたんだけど、その大将が口を開けば面白くてフランクで、料理もお酒もおいしいし、とにかく聞き上手だった。感動しちゃったよ。北原も僕も周囲の人間に対して冷たい感情を抱いていたから、この居酒屋さんでの出来事はまさに雷に打たれたみたいに衝撃だった。特に僕は自分の中に「これだ!」っていう何か漠然とした思いが芽生えて、その話も北原にしたんだよ。そしたら「やりたいことが大学の延長線上にないなら、やめちまいなよ」って一言背中を押してくれてね。それで僕は親に謝って大学をやめて、そこの大将のところで働き始めたんだ。
誰かに背中を押されるってことは、意外と滅茶苦茶大切だよ。歩き出しちゃえば簡単なんだけど、やっぱりその1歩というか、0から1を踏み出すのには、誰かのサポートが必要だ。それをやってくれたのが北原だった。
――
「だから、僕にとって北原は、超極端に言うと命の恩人に値するかもしれないな。あのまま暗い気持ちで大学に通い続けてたらどこかでよっぽど死んでたかもしれない…おっと、不謹慎だったね。すまない」
木村は一通りしゃべり終え、ふうと息をついた。
「北原さんって、いい人だったんですねえ」
南野はそういうと、こちらをじっと見つめてきた。恥ずかしいな。やめてくれよ。
しかし、木村と話のやり取りをしたことは覚えているが、大学辞めろってのは出過ぎたことを言ったかと思ったが、それの「せいで」ではなくそれの「おかげで」今の自分があると思ってくれているのだ。こんなに嬉しいことはない。俺がグダグダになってからは酒飲んでネガティブに絡むばかりだったが、思い返せばまともだった時期はそれなりにまあまあまともだったんだなあ。
どうせ誰からも見えないだろうし路上喫煙を天に謝りながら、タバコに火をつけた。
「で、南野さんは北原の友達?大学に君みたいな子いたっけ?」
ふいに質問をする。本性を明かすことはありえないだろうが、なんと返すんだろう。
「私は北原さんの…えーっと、ビジネスパートナーですか?」
「ですか?って僕に聞かれても困るよ」
「ですよね…」
「恋人じゃないの?」
「い、いえ…そういう関係ではないです」
「でも、南野さんは北原のこと、気に入ってるみたいに見えるけどね…っと。亡くなった人のことをこうやって話すのはお互い酷だね。ごめん。聞かなかったことにしてくれ」
木村、お前こんなにかっこいい奴だったか?環境は人を成長させるネェ…
「お気遣いありがとうございます。ちょっとすみません」
そういって立ち上がると、こちらに目線をやって何やらアイコンタクトを送ってきた。
「な、なんか伝えることあるかってことか?」
頷く。
「うーん、そうだな…自分を全うして、楽しく生きろよって伝えて。あと、忘れかけるギリギリくらいで墓参り来てって」
小さく了解のジェスチャーをして、彼女は木村に向き直った。
「あの、北原さんですが、自分を全うして、楽しく生きられればそれで幸せだ、と確か昔言っていました」
「あーあいつ、言いそうだね。自分より他人の幸せ願っちゃう系だからなあ」
「だから木村さんも、ぜひそうしてください!」
「わかったよ」
「あ、あと忘れかけるギリギリくらいでお墓参りに来てくださいと」
「え、それも昔言ってたの?」
えー、違いましてそうではなく今…ではなくとテンパりだした。
「北原」
突然木村が俺を呼んだ。え、見えてんの?
「おまえ、そこら辺にいるのか?地縛霊みたいに。大丈夫だよ。忘れることはないし、毎年墓参りに行ってやる。だから安心して成仏しろよ」
きょろきょろと見まわしながら、確かに一瞬木村と目が合った。ような気がした。
「絶対来いよ」
そう返したが、会話のキャッチボールは成立しなかった。木村は南野のほうを向き直って
「それじゃあ、僕は仕込みがあるから行くよ。北原のこと、いろいろと教えてくれてありがとう」
連絡先交換する?と取り敢えずふたりは連絡先を交換し、木村はその場を去った。