キツネ耳少女、オオカミ耳少女と出会う
メチャクチャ間が空いてしまいました。すみません……!
部屋の外に出ると、廊下には3部屋のドアが並んでいるのが目に入った。下宿屋といっていたからには、ほかにも外部の人たちが長く暮らせるような部屋が複数あるのだろう。時間はもうお昼の1時を回っており、廊下はおろか建物内には人の気配すら感じない。時間帯が時間帯だし、皆出払っているのだろう。
階段を下りてすぐのところには、食事を食べる場所だと思われる広間。大人数でテーブルを囲むのもザラなのであろうテーブルの大きさは、7、8人が悠に使用できるようなサイズだ。
その大広間にひょっこりと顔を覗かせると……椅子に、女の子が腰かけていた。ちょうどヴィクシーと同い年ぐらいの。その体型は細身だけれど、貧相だとか痩せぎすだとかそういった印象は全くない。下品にならない程度に、出るべきところはきちんと出ている。
シャギーがかかったような外ハネ気味のショートカットは、暗い銀色とも濃い灰色ともとれる不思議な色をしている。その髪の毛を掻き分けるようにして、灰色のピンと尖った獣の耳が生えているのを、私はしかと見届けた。
瞳は涼しげな水色で、切れ長のアウトラインによく映えている。
彼女の姿を目にした瞬間、私はハッと息を呑むのを必死に押し殺した。
私は彼女のことを「知っている」。つまり彼女は、ゲーム中で登場していたキャラクターなのだ。あのピンと尖った耳からわかるとおり、彼女はオオカミの獣人だ。名前は確か……シルヴィア。シルヴィア・アイゼンシュタイン。
ゲーム中の彼女は、いわゆる「主人公の友人ポジション」のキャラクターだ。
それも学園に入学したばかりのミレーユとすぐに仲良くなる、親友といってもいい立ち位置の。攻略対象者を落とすにあたって必要なサポートやアドバイスをしてくれる、重要なサポートキャラクターでもある。
その中性的な美貌とオオカミの獣人というキャラ付けから、乙女ゲームにありがちな「可愛く女の子らしいヒロインを過剰に守るイケメン女子」キャラなのかと最初は思っていた。
けれど彼女はその外見とは裏腹に、気弱で自己主張が苦手なキャラクターだったのだ。最初にミレーユに話しかけてきたときも、どこかおどおどしたような口ぶりだった。オオカミ族の獣人に生まれながら、周囲の同胞のように強く好戦的になれない自分をひどく嫌悪しているという一面も、節々に見受けられた。「アタイ」という一人称とハスキーなキャラボイス、ボーイッシュな美貌と照らし合わせると、その自信のなさが見られる振る舞いや覇気に乏しい表情はいかにもアンバランスだった。
彼女のこのギャップにやられたプレイヤーは、私だけではないと信じたい。なんで主人公とシルヴィアの百合ルート……もとい友情エンドがないんだよと、プレイヤーの私は内心で毒づいたこともある。
そんなシルヴィアの華奢な背中には、乙女ゲーム上非常に大事な設定が重くのしかかっている。なんと彼女は、「ウサ耳」の攻略対象のひとりであるオオカミ耳のイケメン「ヴェイツ・アイゼンシュタイン」の妹なのだ。そのため、ゲーム中で彼女とたくさん会話をすればするほど大切な情報を得ることができ、攻略対象者の1人であるヴェイツを落としやすくなる。必然的に、ヴェイツを落としたければシルヴィアとたくさんコミュニケーションを取ることになる、というわけ。まぁどうでもいいけど。
とっても残念なことに、今の私は単なるゲームプレイヤーでなく、ヴィクシー・カークランドという悪役なのだ。主人公じゃない。したがって、今の彼女と私が友達になれる望みは……うん?ちょっと待った。
(確か主人公って、中途半端な時期に学園に転入してきた設定だったはずよね?)
ここにきて私は、ゲームの主人公・ミレーユが転入生という設定であったことを思い出す。確かそう、6月の初め頃というなんとも半端な時期に、ミレーユはこの国の首都に引っ越してくる。それと同時に、人間と獣人が平等に通う学園(実際に両者が平等に仲良くやれてるかは甚だ疑問だったけれど)……ヨークデン・ハイスクールに転入してくるのだ。
部屋を出る前に確認したところによると、今日の日付は5月10日。ということは、シルヴィアはまだミレーユと出会っていないはずだ。
そう思う確信するが早いか、私はとっさにシルヴィアに話しかけていた。もしできることなら、彼女と友達になりたいという希望を抱いて。
「あ、あの~……」
「――ッッ!?」
突然顔を見せた性悪そうなキツネ女に、彼女はひどく驚いた様子だった。声にならない小さな悲鳴をあげて飛びのく彼女。その姿は、とてもじゃないが「凛々しく強い」という設定がなされているオオカミの獣人のそれとは程遠いものだ。
急に声をかけた私も悪いが、そんなに驚かれるとさすがにへこむ。そんなにびっくりしないで!!大丈夫怖くないよ!!私あなたの友達!!
「あ、ごめんね急に話しかけて。私はヴィクシー。ヴィクシー・カークランドよ。あなたは?」
シルヴィアを警戒させないよう、努めて明るく爽やかに自己紹介をする。この顔で刺々しい態度を取ろうものなら、シルヴィアはおろか誰も私に近寄ってこなくなるだろう。焼け石に水の努力なのだろうが、今ここでシルヴィアを怖がらせるわけにはいかない。
運のいいことに、シルヴィアは幾分か緊張を解いてくれたらしい。まだその瞳には緊張や警戒の色が残っていたが、一応自己紹介をされたからには自分も挨拶を返さなくてはならないだろうというマナーが彼女をその場に留まらせたとみえた。
「あ、アタイはシルヴィア。シルヴィア・アイゼンシュタイン、だけど……」
警戒しながらも、きちんと自己紹介を返してくれた。この様子から見るに、シルヴィアは現時点まではやはりヴィクシーと面識がなかったんだ。
「そう、よろしくねシルヴィア。ところで、シルヴィアはここで何してるの?」
言ってしまってから、うわ~さすがに馴れ馴れしすぎるかな……という思いが脳内をかすめたが、もう口に出してしまったことは撤回できない。そんな心配をよそに(内心ではどう思っていたかわからないけれど)、シルヴィアが答える。
「あっ、その……届けもの、しにきたんだ。ここのおばさん、ポーラさんに」
どうやら、この下宿のお母さんはポーラさんというらしい。シルヴィアのこの口ぶりから察するに、彼女は何度かこの下宿屋に足を運んでいるのだろうか。もしそうだったとしても、ヴィクシーのことをよく知らないようなのでそう頻繁にこの下宿屋を訪れているわけでもなさそうだ。
シルヴィアはテーブルの下に置いてあった大きなカゴをよいしょ、と持ち上げて届け物を見せてくれた。カゴに入っていたのはレタスやトマト、キャベツやジャガイモなどの野菜。今日の食事に使うものなのだろうか。
「すごく美味しそうね! 下宿屋のお料理に使うものなの?」
「う、うん。今日の夕飯に使いたいからってポーラさんが言ってたよ」
そう応えるが早いか、シルヴィアはじゃ、じゃあアタイはこれで……そう呟きながら早々に立ち上がった。あれ? そこまで帰りたいオーラ出さなくてもよくないですか!? 私ってそんなに怖い!?
内心でショックを受けている私をよそに、そそくさと帰ろうとするシルヴィア。
だが、ここで食堂にひょっこりと顔を見せた人がいた。
ふっくらとした体形の優しそうな中年女性だ。
「あらあら、シルヴィアちゃん早かったのね! いつもお野菜ありがとう」
「あ、はい。どういたしまして、ポーラさん」
そう、この中年女性こそこの下宿屋のお母さん、ポーラさんだった。栗色の髪の毛をボンネットのような帽子でまとめて、ふんわりとした温かい微笑みを口元に浮かべている。
「ヴィクシーちゃん、ご飯は食べた? お豆のスープとパンがあるわよ」
「ありがとうございます、ポーラさん。今から食べようと思ってたところです」
「あら、そうだわ! シルヴィアちゃんも一緒に食べていったら? 今日は夜までお家に誰もいないんでしょう? お昼ご飯を自分で用意するよりはここで食べるほうが安上がりだと思うんだけど」
思いがけないポーラさんの提案に、「え」と小さく呟くシルヴィア。このキツネ女と気まずい食卓を囲むのを、彼女は内心「地獄」と呼ぶだろう。だが、ポーラさんの親切心を汲み取ったのか、彼女は遠慮がちに呟いた。
「は、はい。じゃあお言葉に甘えて、ご馳走になります……」
かくして私は、オオカミ族の獣人娘・シルヴィアとお昼を食べることになったのであった。