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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
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諦めるには、まだ

 振り向きもせずにすたすたと回廊を進んだ春覇は、客間の戸を開けて私達に入るよう促した。黎翡はさっさと中に入ってしまい、私も重い足取りで続く。春覇は自分も部屋に入ると、戸を閉める前に、私達の後ろについて来ていた漣瑛と章軌に人払いを命じた。

「さて、鴻宵」

 こちらに向き直った春覇は、厳しい表情で私を見据えた。

「言いたい事は幾つかあるが、まずは函朔の件を説明するのが筋だろうな」

 そう前置きして、話し出す。

「函朔が昏に行った事は、お前以外は皆知っていた。お前に教えなかったのは、本人がそう望んだからだ」

 私は俯いた。理由なら、わかる。きっと私がそれを知れば心配するし止めるかも知れない事を、函朔はわかっていたんだろう。

「何を落ち込んでいるんですの?」

 唐突に、黎翡が口を挟んだ。

「部下の一人や二人、いなくなったからといって一々落ち込んでいては軍人としてやっていけませんわよ」

 彼女の言う事もわかる。将としての基本的な心得だ。けれど。

「……函朔は、部下じゃない」

 呟くように、私は言った。

 函朔は私の部下じゃない。私の為に命を賭ける必要なんて、無かった筈だ。それなのに。

「関係ありませんわ」

 私の言葉を、黎翡はばっさりと切って捨てた。

「何にせよ、貴方の進む道を拓く為に働いたのでしょう。だったら同じ事ですわ」

 進むべき道を切り開く為に何かを犠牲にする事を躊躇ってはならない。将たる者は、常に部下や敵兵を礎にして前に進んでいるのだから。

「貴方も将なら、よく覚えておおきなさい」

 威圧するように腕を組んで、黎翡はきっぱりと言い放つ。

「礎となった者達を悼む心は必要ですわ。けれど、同情や悲しみで進む足を止めてしまう事は、彼らへの冒涜に他なりませんわよ」

 私は黙って拳を握り締めた。


 わかっているんだ。暫く前、昏に使いに行って兵士を死なせてしまった時に悟った。踏み越えたものを無駄にしない為に、私は前に進み続けなければならない。

 それでも、函朔を失ったことは大きすぎて。

 頭でわかっていても、感情がついていかない。


「……心情は、わからんとは言わん」

 不意に、春覇が口を開いた。

「況してお前は何も知らなかった。尚更痛みは大きいのだろう」

 皆が隠していたとはいえ、気付く事もできずにのうのうとしていた自分が赦せない。

 そんな私の心情を、春覇は的確に見抜いていた。

「しかし」

 鋭い声が、重苦しい空気を切り裂く。

「らしくないぞ、鴻宵」

 続いた言葉は、同じ口調で放たれた筈なのに。

 どこか、柔らかく響いた。

「いつものお前なら恐らくこう言うのではないか。――嘆くのはまだ早い」

 はっ、と私は顔を上げた。春覇は真っ直ぐにこちらを見ている。

「状況がどんなに絶望的でも、最後の最後、一点の希望すら塗り潰されてしまうまで足掻くのをやめない。それがお前の覚悟の在り方だと、私は思っているのだが」


 仕官して一年で、大将軍に登り詰めた。

 どんなに過酷な乱戦の中でも、決して殺さずに生き残り続けた。

 昏で重傷を負わされてなお、戦姫と戦い自らの命を勝ち取った。

 それは全て、最後まで足掻く覚悟を決めていたからこそ不可能を可能にできた事柄。


 そう、だ。

 この目で決定的な証拠を見るまで、私は諦めない。


 私は一度俯いて掌で顔を覆った。それから両手でぱん、と頬を叩いて顔を上げる。

「ありがとう、春覇」

 見失っていた私に、気づかせてくれた。

「確かに私らしくなかった。まだ諦めるべき時じゃない」

 しっかりと春覇と目を合わせ、少しだけ頬を緩める。

「私は――函朔を信じるよ」

 信じる。

 あいつはそう簡単に死なない。

 犬死には絶対にしないと、約束したから。

「……よかろう」

 春覇の目元が、微かに和らぐ。私は黎翡に視線を転じた。

「黎翡も、ありがとう」

「はい?」

 怪訝そうな顔をする彼女に、私は淡く笑いかける。

「確かに、私は将としての在り方を見失っていた。函朔は部下ではないが、だからこそ嘆く前にすべき事があった。それを教えてくれたから」

 だから、ありがとう。

 私が言うと、黎翡は何故かそっぽを向いた。

「礼を言うくらいなら、自分で気づいたらどうなんですの」

 その内容は確かに憎まれ口なのに。

 彼女の耳がほんのり赤くなっているのを見て、私はくすりと笑った。




 一悶着あったけれど、函朔の捜索は庵氏が伝を使って行うことになった。

 事は昏の中枢部に関わる為、私が手を出すと却って面倒を引き起こしかねないからだ。

 しかし、何もできないというのも辛いもので。

 宗伯府で仕事している間も気もそぞろな私を見かねたのか、つかつかとやって来た漣瑛が私の処理していた書類を取り上げた。

「何をするんだ」

 抗議する私に、漣瑛は溜息を吐いた。

「何をするんだ、ではありません」

 取り上げた書類を私の目の前に突きつけ、軽く振る。固い紙はぺらぺらとなびくことなく小さな風を起こし、傍にいた風精霊が弾かれて私の額にぶつかった。

「将軍、これは何ですか?」

「宗伯府の書類だ。冬の祭祀に関する」

「そうですね」

 頷いた漣瑛は、びしっと書面を指差した。つい今しがたまで私が書き込んでいた部分だ。

「読んでください」

 何で?

 首を傾げながらも、私は自分の文字を目で追った。

「宗伯より下命す。各役所は職分に従い、以下のごとくせよ。一、卜占により吉日を占え。二、神殿に祭祀の報告をせよ。三、北郊の丘にて北に向かった時点ではまだ危険域に踏み込んだとは思えないのに……あれ?」

 あれ、なんか途中から変なことに。

 私が言葉を失っていると、漣瑛が深い溜息を吐いた。

「現状では集中して執務がおできにならない事はよっくわかりました」

「……済まん」

 私は小さく謝って、目を伏せる。

 実際、もしも許されるなら自分で昏へ出向いて函朔を探したい気持ちで一杯だった。それでなくとも、昏の四将軍の近辺は不気味過ぎる。例の獣の件といい、橙が碧に敗れてからも目立った動きを見せない点といい、読めない部分が多い。

「……気になるのは、わかりますが」

 少し歯切れの悪い口調で呟いた漣瑛は、私が書き損じた書類を握り潰して机の上の筆記用具を片付け始めた。

「おい、まだ仕事が……」

「その有り様ではまた支離滅裂な書類を作るのがオチでしょう」

 う。

 言葉に詰まる私に構わず、漣瑛は続ける。

「幸い残りの書類は丞でも代理可能なものばかりです。既に暦監様にお願いしておきました」

 さらりと言われた言葉に、私は目を見開いた。

 いつの間に。

 というか、それじゃあ私の仕事を暦監に押し付ける形になってしまうのではなかろうか。

「因みに暦監様は二つ返事でお引き受け下さいました。それから、『軍務がお忙しいのですから、我々に出来ることはお任せください』とのことです」

 それは、助かるけれど……。

 何だか気分の晴れない私に、漣瑛は立ち上がるように促した。

「どのみち今は仕事にならないのですから、書類はお任せしましょう」

 そう言って、剣を携える。どう見ても外出する支度だ。

「どこへ行くつもりだ?」

 私が尋ねると、漣瑛は懐から何かの書類を取り出してふわりと笑った。

「右軍の視察に参りましょう。気分転換に良いと思って、檄将軍に許可をいただいてあります」

 私は呆気にとられた。

 主君が腑抜けている間に全て根回し済みとは、なんと出来た従者だ。

「漣瑛」

 さぁ、と扉を開ける漣瑛に、私は微笑みかけた。

「ありがとう」

 彼は少し頬を染め、困ったように笑っていた。




「整列!」

 ざっ、と音が聞こえるほど機敏に揃った動きで、兵士達が乱れの無い隊列を組み上げる。

 ここは翠の郊外に設えられた演習場だ。今日、右軍はここで訓練を行っているらしい。私は檄渓と一緒に櫓のような観戦台に登り、その様子を見学している。下で実際に兵を仕切っているのは襄斉と汪帛だ。

「これから二組に別れて模擬戦を行います。赤い旗が襄斉の陣、白が汪帛です」

 そう解説した檄渓が、さっと手を挙げる。櫓の上で鼓が鳴り旗が打ち振られると、兵士達が紅白の陣に別れた。檄渓が腕を振り下ろし、今度は両陣営の鼓と旗が動く。喚声を上げて兵士達が走り出した。

「如何ですか、将軍」

 訓練用の武器で撃ち合う兵士達を見下ろしながら、檄渓が微笑む。私は頷いた。

「両陣営とも良い動きだ。兵士の訓練が行き届いているな」

「ありがとうございます」

 檄渓は涼しい顔をしているが、私は正直驚いていた。軍制が改められ右軍が編成されてから、まだ数ヵ月しか経っていない。その僅かな時間でここまで軍を一つにするのは、並大抵の訓練ではできない筈だ。一度実戦を経験したとはいえ、驚くべき纏まり方だ。

「済まないな、任せきりで」

 私は慚愧の念を覚えて俯いた。本来右軍の将は私である筈が、他の職務に追われて直接右軍の鍛練に携われた事は殆ど無い。全て檄渓達に任せきりだった。

「何を仰います」

 檄渓はからりと笑った。

「卿の方々は皆様お忙しいので、直に兵を纏めておられる方などいませんよ」

 左軍などは佐将もあまり積極的でないので事実上放置状態です、とこれは悪戯っぽく声を潜めて言われ、私は苦笑した。

「それは困ったことだな」

「ええ。その点右軍はしっかり将軍の手足となれるよう鍛えておりますので、ご安心ください」

 少しばかり軽薄な笑みとともに、檄渓は冗談ぽくそう言った。

「そう、か……私は部下に恵まれたな」

 しみじみと私は呟いた。暦監にせよ檄渓にせよ、漣瑛や他の家臣達にせよ、皆私の命令を受けるまでもなく私の為に働こうとしてくれている。

 それに比べて、今の私は他の事に気を取られて仕事も満足にこなせないとは……。

「私も、しっかりしなければ」

 私がそう言うと、檄渓の紫色の瞳がすっと細まった。

「気を張りすぎてはいけません」

 眼下では、汪帛の兵の突撃を受けた襄斉の軍がさっと拡散し、相手の周囲を取り巻くように回り込んでいる。

「将には余裕が必要です。それではじめて、広範囲に目を配ることができる」

 囲まれた汪帛の隊が身動きできなくなり、襄斉が呵呵と大笑いした。

「見たか汪帛!お前はまだまだ青いわ!」

 結局決着がつくまで微動だにしなかった本陣から敗者の汪帛を笑う声が台上まで届く。

「……あそこまで余裕を持てとは申しませんが」

「……ああ」

 苦笑しながら、檄渓は終了の鐘を打たせた。

「失礼ながら、今の将軍は余裕が無いように見受けられます。そういう時は、些事は我々にお任せくだされば良いのです」

 にっこりと笑って、檄渓は一礼した。

「さぁ、下へ降りましょう。右軍の兵士達は将軍にお目にかかりたくてうずうずしています」

「ああ」

 その言葉に従って台から下りながら、私は呟いた。

「……ありがとう」




 その頃、とある山賊の砦では恵玲という少女と函朔が睨み合っていた。とはいえ函朔の方はまだ動けず、剣を抱えて壁に凭れたまま肩で息をしている。函朔の面倒を見ていた男は今は席を外していた。

「強情な奴だね!」

 苛立ったように、恵玲は腕を組んで地面を蹴った。

「いい加減名前くらい答えたらどうなんだい!でないとこっちもあんたをどう扱うか判断がつかないって言ってるだろ!」

 もっともな恵玲の言い分にも、函朔は口を開かない。

 理由は一つ。ここで名乗って万一鴻宵が函朔を生かしたことが明るみに出れば鴻宵の碧での立場に影響しかねないからである。

「言っとくけど!」

 苛立ちが限界に達したらしく、恵玲が怒鳴る。

「あたしらは盗賊だけど、庵氏みたいな真っ当な商人の荷には手出ししてないよ!」

 意外な名が出た事に、函朔は目を見開いた。

「な……んで、庵氏……?」

 苦しい息の下から問いかける。痛み止めの薬草の効果が切れたらしく、喋ると激痛が走った。

「最近庵氏が密かに動いてる。どうやら誰か探してるらしいって……」

「こら」

 恵玲の言葉の半ばで、部屋に入ってきた男が彼女の襟首を掴んだ。

「なにこっちの手の内さらしてんだ。だからお前は餓鬼だって……」

「うるさい!だって庵氏が探してんのがこいつだったらまずいじゃないか!あたしはやだよ、あの私兵団相手にすんの!」

 男と恵玲が言い合いを始める。函朔は目を瞬かせた。


 ――庵氏が探してる?俺を?


 何故、という疑問が湧いた。確かに函朔は庵氏兵団の常連の一人で古株に属するが、仲間の一人や二人、いなくなったところでわざわざ捜索するほど庵氏兵団は甘い場所ではない。庵識なら個人的に探して回るくらいはやりそうだが、庵覚はただでそれに手を貸してやるほど甘い男ではないのだ。しかし恵玲の口ぶりからすれば、動いているのは一人二人ではない。

 となれば、その後ろに居るのは――。


 ――ああ、「ばれた」のか。


 函朔は内心苦笑した。心配をかけまいとしてついた嘘はあまりに呆気なく露見したらしい。


 ――あいつのことだ。今頃自分を責めてるんだろうな。


 悪いことをした、と函朔は思った。そして、早くその傍らに帰りたい、とも。


 函朔は言い合いを続ける二人に目を遣った。

 先程の口ぶりからして、この盗賊達は庵氏と敵対はしていない。名乗れば、たぶん庵氏に引き渡されるだろう。そして、鴻宵の元へ帰れる。


 しかしそれでいいのか、と函朔の胸中には迷いが生じた。


 庵氏兵団は今や大陸に知らない者はない武装集団だ。大陸の情勢が不安定な今、庵氏の動きは密かに注目されていると言っていい。その庵氏を経由して碧に戻れば、自力で戻るよりも露見する危険が遥かに大きい。


 鴻宵と庵氏兵団、或いは庵氏兵団と函朔の繋がりが悟られるのはまだいい。

 万が一、鴻宵と秋伊の繋がりが露見するようなことになれば、鴻宵は間違いなく反逆者と糾弾される。秋伊にも危険が及びかねない。


 ――やっぱり今は、黙っておくしかない。


 函朔はそう判断して口をつぐんだ。

 どのみち、もう少し傷を癒さなければ移動は出来ない。

 せめて、動けるようになるまで。

 函朔は沈黙を守ることを選択した。


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