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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之肆 奇縁錯綜
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二人の姫君

 翌日、碧軍は都を出発した。亢郊まではさほど遠くない。私の後ろには、いつも通り漣瑛が居る他、沃縁と函朔も従軍している。

「それにしても、鴻将軍のご帰還が間に合って幸いでした」

 行軍の途次、角容が言った。

「橙軍がもたついていたお陰だな」

「ええ。しかし、一時は戦姫が強引に出陣しようとしたらしく、ひやりとした時もあったのですよ」

 戦姫、の言葉に、私はつい横目で春覇の様子を窺った。特に何も反応せず、春覇は馬を進めていく。

「その時は、庵氏兵団の徴発を諌めに都に戻ってくれたお陰で出立が延ばされたのでしたね」

 檄渓が話に入ってくる。今度は私自身が、庵氏という言葉に反応した。

「庵氏兵団を?」

「ええ。橙政府は当初、彼らを軍に組み込もうとしたようです」

 檄渓が目を細める。

「それを戦姫がわざわざ諌めた裏には、庵氏兵団の意向があったという噂もあります。だとすれば、我々は庵氏に感謝すべきかも知れませんね」

 庵氏が。

 何となく、私はそこに一枚噛んだ人間が居るような気がして口をつぐんだ。

 そういえばあいつ、邸に居なかったけれど……。

「間もなく日没だ。野営地を探そう」

 春覇が声をあげる。私達は一斉に返事をして、兵に指示を出した。



 日没後、私は春覇の幕舎を訪ねた。

「こんな時に悪いけれど」

 そう前置きして、話を切り出す。

「聞かせて欲しいんだ。戦姫と春覇の関わり……私は、春覇の過去について何も知らないから」

 春覇は暫し黙って私の目を見据えていた。私も、まっすぐに見返す。

 先に視線を逸らしたのは、春覇だった。

「……長い話になる」

「構わないよ」

 私が聞く姿勢を示すと、春覇は徐に口を開いた。

「端的に言えば、私と戦姫は血が繋がっている」

「え?」

 思いもよらない言葉に、私は目を見開いた。春覇は動じることなく続ける。

「我が母は現橙王の妹だった。すなわち、戦姫は私の母方の従姉妹にあたる」

 橙王の妹?春覇の母親が?

 目を白黒させる私に、春覇は詳しい事情を説明し始めた。



 今を去ること二十数年前。

 碧と橙は大規模な衝突を起こした。

 結果は、橙の惨敗。橙は大きく領土を削られた挙げ句、和平の誓いを証明するための人質を差し出さなければならなくなった。

 そこで白羽の矢が立ったのが、丁度結婚適齢期にあった王の妹である。


 人質といっても、あからさまに、はい人質です、と差し出されるわけではない。この場合、人質の献上は婚姻という形をとることになった。橙王の妹が当時の碧王の子に嫁いだのである。

 碧に嫁いだ彼女は、やがて女の子を産んだ。それが春覇だ。

 しかし春覇の出生に際しては一騒動あった。

 春覇の生まれ持った、青灰色の髪に青緑の瞳という特徴は、父母いずれとも似ていなかったのだ。方士は加護の強い精霊に色彩を左右される傾向がある。しかし生まれてすぐにそれが原因だと判明する事は稀といえる。

 当然、春覇の母の不義が噂された。

 結局は当時の大宗伯によって春覇に木精霊の強い加護があることが証明され、それが橙王家の血筋に時折見られる灰色系の色彩に影響した結果であろうとして処理されたのだが、不義の疑いが晴れた後も春覇に対する周囲の目は冷たかった。


 所詮、人質の子。

 敵国の血を引く異端児。


 加えて春覇の母はあまり体の強い人ではなく、屡々床に臥せっていた。病弱な彼女ではあったが、それでも体調の良い時を見計らって年に数度の里帰りが認められる。故に、幼い春覇は何度か母に手を引かれ、橙の都へと出向いた。


 そこで、戦姫、牧黎翡と出会ったのだという。


「始め見たとき、なんと目付きの悪い人だろうと思ったのを覚えている」

 母の里帰りに同行してきた春覇が橙の王宮を歩き回っていた時、黎翡は庭の隅に座り込んで石を積み上げては崩し、崩しては積み上げるという事を繰り返していた。


 実をいうと黎翡もまた、王族内で必ずしも高い地位には居なかった。王の実の娘でありながら、彼女の生来のやや狷介な性格や武骨とすら言える態度は、群臣に彼女を敬遠させた。加えて、黎翡の母は身分が賎しい。黎翡は王宮内で非常に肩身の狭い思いをさせられていたのだ。


 春覇はそんな黎翡に興味を覚え、声を掛けてみた。

「何を、しているの」

 途端、鋭い視線が飛んでくる。

「あなた、誰」

 警戒を含んだ問いかけに、春覇は素直に答えた。

「私は春覇。紀春覇」

「……ああ、あなたが」

 何やら納得した黎翡は、石を積み上げる手を止めずに言った。

「私は黎翡。あなたの母上の兄上の娘」

「母上の……」

 頭の中で血縁を辿った春覇は目を瞬かせた。

「公主さま?」

「……そんな大したものじゃないわ」

 黎翡は自嘲まじりに笑った。

「所詮私は賎しい妾腹の娘だもの」

「しょう……?」

 春覇は首を傾げた。黎翡が口にした言葉は、春覇には少し難しかったのである。因みにこの時、春覇は五歳、黎翡は八歳だった。

「あなたにはわからない。あなたはさぞ周りに可愛がられて育ったんでしょうから」

 黎翡は冷たい口調でそう言うと、積み上げた石を崩した。

「そんなこと、ないよ」

 崩れていく石を見ながら、春覇の口からそんな言葉が零れる。

「母上はいつも泣いてるの。私は何もできない」

 黎翡が振り向いた。首を傾げる。

「泣いてる?なぜ」

「わからない。私には」

 春覇は俯いた。事実、幼い春覇には何故母が泣くのかわからない。そしてわからない自分が、余計に歯がゆいのだった。

「あなたの父上はどうしてるの」

「……あまり、会ったことがない」

「兄弟は」

「いない。いとこはいるけど、私から会いに行くと侍従に怒られる」

 黎翡はちょっと考えるような仕種をした。漸く春覇に興味が出てきたようである。

「他の侍女や家臣達は?何か教えてくれないの」

「……みんな、私が嫌いみたい」

 春覇が言うと、黎翡は目を瞬かせた。

「何故?」

「気味が悪い、と言われる」

 春覇は自分の髪を一房つまんだ。どうやらこの髪色はあまり一般的でないようで、父母と似ていない容姿は、しばしば不吉だと陰口を叩かれていた。

「そう?私は綺麗だと思うけれど」

 にこりともせずにそんなことを言って、黎翡はまた石を積み始めた。春覇も、何となく真似をしてみる。

 形の不揃いな石達は、積もうとしてもすぐに転げ落ちてしまった。

「ねぇ」

 春覇が再び黎翡に話しかけようとした時、侍女の呼ぶ声がした。

「行きなさい。でないと叱られるよ」

「でも……」

 渋る春覇に、黎翡は初めて微かに口角を上げた。

「橙へ来たら、またいらっしゃい。あなたは案外気に入ったわ」

 春覇はぱっと顔を輝かせた。

「うん、また来る」


 それが、春覇と牧黎翡の出会いだった。


 それから春覇の母が亡くなって碧と橙の関わりが完全に切れるまでの約二年間のうちに、二人は何度か顔を合わせた。

 黎翡の姉妹にも引き合わされたが春覇は彼女らには親しみを覚えなかったし、あちらも興味がない様子であったという。



「そういう縁だ」

 そう締め括って、春覇は話を終える。

「思うに、私と黎翡は少し境遇が似ていたのだろう。同病相憐れむという事だ」

 私は黙っていた。何も言えなかった。


 今、碧で確固たる地位を築いている春覇も、幼い頃はそんな境遇にあったんだ。そこから這い上がってきたその軋轢はどれほどだっただろう。

 そして、幼い頃に寂しさを分かち合った牧黎翡と、今戦場で向かい合う心境は。


「そんな顔をするな」

 痛ましげな顔をしてしまったのか、春覇にそう言われる。

「あちらの気性からして、敵として相見えた以上は全力で私を討ちにくる。私も礼儀としてそれに応えねばなるまい。それだけだ」

 それだけ、って……。

「春覇」

 私は声を掛けた。振り向いた春覇は一見いつも通りだが、やはり少しだけ寂しそうだ。

「大丈夫か?」

 掛ける言葉を探したけれど、結局そんな言葉しか出てこなかった。気の利いたことの一つも言えない自分が、歯がゆい。

「心配するな」

 春覇から返ってきたのは、当然といえば当然の返事。

 反論しようと顔を上げた私を、ふわりと温かいものが包んだ。

「心配ない。本当に」

 耳元で声が響く。

 春覇が、私を抱き締めていた。

「私は……もう、一人ではないのだから」

 その言葉に、私の肩から力が抜ける。

 春覇に頼りっぱなしだと思っていた。でも私も、ちゃんと彼女の支えになれていたのか。

「……そうだな」

 そっと抱き締め返しながら、私は言った。

「私が傍にいる。蒼凌も味方だ。そして……章軌がいる」

「ああ」

 春覇は頷いて、私の背を軽く叩いた。

「頼りにしているぞ、旦那様」

「はは、何だか変な響きだ」

 軽口を叩きながら、私は決意していた。


 春覇にもう寂しい思いはさせたくない。

 事ここに至っては戦わないというわけにはいかないけれど、せめて必ず、戦姫は生かしたまま捕らえよう。



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