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水鏡五国志 [第二部 烈日之巻]  作者: 子志
章之陸 怨慕交錯
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困惑と疑念と裏切りと

 そんな事とは露知らぬ私は、王宮に辿り着いて王の待つ正殿への階を登っていた。


 何かが、おかしい。

 左右に居並ぶ武装した衛兵達を横目に見ながら、私は内心眉を寄せた。

 この緊張感は、何だ。


 漣瑛を堂の外に待たせ、中に入ろうとする。入り口に控えていた役人が、すっと手を差し出した。

「剣をお預かり致します」

「剣を?」

 思わず鸚鵡返しに問い返してしまう。碧の朝廷の規定はさほど厳しくない。普段の朝会なら、剣は携えたままだ。

「これは内密の謁見。王の御身に万一の事が無きようにするための処置にございます」

「……承知した」

 私は警戒されているという事か。

 どことなく不穏なものを感じながらも剣を預けて、私は堂内に踏み込んだ。座に着いてこちらを見下ろしている王の前に跪拜する。

「面を上げよ」

 王の言葉に従って顔を上げ、姿勢を正した時。

 控えていた男の一人が、あっと声を上げた。

「こ、この男です……間違いありません!」

 私は眉を寄せ、そちらを見た。無作法にも私を指差している男には、どこか見覚えがあるような気がする。

「間違いあるまいな」

 王が問いかける。私ははっとした。この呼び出しは、まさか……。

「相違ございません――この男こそ、朱宿でございます!」

 その言葉を聞くに至って、漸く私は記憶の中からその男を探り当てた。

「然利――」

「朱宿!この化け物め!こやつは一睨みで私の車を燃やした、恐ろしい者です!」

 あれは朱雀の仕業だ、と弁解する暇はない。私はすぐさまその場に片膝をつき、釈明に努めた。もはや朱宿であったことを隠すことはできないが、決して碧に反意など無いことを主張しておかなければならない。

「王よ、確かに私は嘗て朱宿と呼ばれました。しかし……」

「鴻宵よ」

 冷えきった王の声が、私の訴えを遮る。

「そなたが朱宿であったことは、不思議ではない。朱宿は炎狂に拐われた者であると、春覇より聞き及んでいた」

 しかし、と紡がれた言葉は、理不尽なもの。

「そなたが私を裏切り、我が側近を焼き殺そうとは」

「誤解でございます!私は……」

「黙れ!」

 碧王が怒鳴った。これまで聞いたことも無いほど激しい叱責に、私は一瞬言葉に詰まる。

「そなたのことは……信じていたかった」

 王は呟くように言うと、その場から立ち去る素振りを見せた。

「王よ!」

 私は追い縋って弁明しようと、地に突いていた片膝を浮かせた。立ち上がろうと足に力を籠める。


 感じたのは、衝撃だった。腹の辺りに、冷たい違和感。

 私はゆっくりと視線を落とした。

 目に映ったのは、衛兵の矛。

 その鈍色の刃は、私の腹部を深々と刺し貫いていた。


 喉の奥から嘔吐感に似たものが込み上げ、えづいた口許から朱が滴る。赤い水溜まりが、私の足元に広がった。

 信じられない。信じたくない。


 顔を上げた私の滲む視界に、王の背中が映る。

「殺せ」

 冷え冷えとした声が、兵士達に命じる。

「そやつは反逆者だ」

 この冷たい響きを、いつかどこかで聞いたことがある気がした。

「王よ……!」

 私が絞り出した反論の言葉は、その背に届かず。

 去って行く王と私の間を隔てるかのように、無数の矛が振りかざされた。




 堂の外で控えていた漣瑛は、ふと胸騒ぎを覚えて顔を上げた。理由もなく不安になり、堂の方へ一歩踏み出す。

「如何なされた」

 途端に、兵士の矛が彼の動きを止めた。益々押し寄せる不安を押し込めて、漣瑛は言う。

「我が主に火急の用のあることを思い出しました。一言伝令をお許し願いたい」

 無論、嘘である。近衛兵を欺いてでも鴻宵の元へ向かわなければならないような強烈な焦燥を、彼は感じていた。

「なりません」

 しかし近衛も譲らない。

「退朝をお待ちください」

 淡々と拒絶する近衛に対し、漣瑛が更に言葉を重ねようとした時。

「漣瑛!!」

 聞き間違うわけもない、主君の声が、確かに彼の耳に届いた。

 半ば反射的に、漣瑛の腕が衛兵の矛を打ち払う。続いて伸びた足が、衛兵の足を払った。

「進んではならん!王命ですぞ!」

 更に矛を向けてくる兵士達を、漣瑛は真っ直ぐに睨み据える。その唇が、不自然なほど冷静に言葉を紡いだ。

「あなた方が王に忠誠を尽くす、それと全く同様な重さで、私達は主君に仕えているのです」

 衛兵が矛を突き出す。漣瑛は正面からそれを迎え撃った。




 一斉に振り下ろされた矛を、私は辛うじてかわした。何とか一人の兵士の足を払い、矛を奪う。ぼたぼた、と音を立てて、血が床に滴った。呼吸が苦しい。今すぐにでも地に伏して休みたい。けれどもそうしてしまえば全てが終わるのだと、本能が知っていた。

「漣瑛!」

 私は助けを求めた。独力では多分、生き残れない。従者を危地に巻き込んでしまうことはわかっていた。それでも、足掻きたかった。

 矛を構え、荒い呼吸を繰り返しながら兵士達と対峙する私の視界に、ふと精霊が入り込む。

 ――使わないの?

 そう、問いかけられた気がした。


 使ってしまえ。方術を使えば、この場は生き延びられるかもしれない。生き残りたいのだろう――。


 心の奥底から聞こえてくる囁きに、私は必死で首を振った。

 駄目だ。ここで術を使えば、絽宙と涯仇を殺害したという嫌疑を肯定するに等しい罪を犯すことになる。そうなれば、蒼凌や春覇にも累が及びかねない。

 ――だけど、ここで死んで何になる?他に生き残る手だてがあるとでも?

 兵士の矛が迫る。それを弾き返した時、堂に駆け込んできた長身の影が私を庇って前に出た。

「漣瑛……」

「将軍。ご無事ですか」

 無事でないことは一見してわかっているだろうに、型通りの言葉をかけて、彼は兵士達を睨み据えた。

「隙を見てお逃げ下さい。ここは私が引き受けます」

「馬鹿を言うな」

 苦しい息の下から、それでも私は言った。私が逃げ、漣瑛がこの場に残ったなら、まず間違いなく彼は死ぬことになる。


 ふっ、と、冷たい諦めが胸の奥に落ちた。


 もはや八方塞がりだ。逃げれば漣瑛を殺すことになる上に、この傷では逃げおおせる保証も無い。残って戦ったとしても、力尽き討たれるのは時間の問題だ。

 それは恐らく、方術を使ったところで同じこと。敵の数は多く、傷はあまりにも深い。


 撃ちかかってきた兵士の矛を、漣瑛が剣で防いだ。何度も戦いを繰り返すうちに、腕に、足に、腹に、胸に、傷が刻まれていく。

「もう……いいよ、漣瑛」

 片手で傷口を押さえながら、私は力なく言った。

「もう、いい。お前は降れ」

 降伏すれば、彼だけでも助かる道はあるかも知れない。王にはっきりと「殺せ」と命じられた私には、その可能性すら無いけれど。

「嫌です!」

 しかし頑固な従者は、私の命令を撥ね付けた。体のあちこちから血を流しながらも、その背中は依然、私を守るように立っている。

「馬鹿……」

 小さく呟いて、私は咳き込んだ。血が喉に詰まりそうになる。

 ――ここで、死ぬのかな。

 柄にもなく、そんなことを思った。

「覚悟!」

 兵士が、矛を振り上げる。失血で霞む視界は、その白刃のきらめきを最後に、大きくぶれた。



 動きを止めた二人分の体を前に、兵士達は矛を下ろした。

「やった、のか」

 誰かが小さく呟く。彼らの胸中に去来するものは、少々複雑な色を帯びていた。


 王命に従い、反逆者を処刑する。それは彼らの役目であり、大義である。それを果たしたことは、決して悪いことではない筈だ。しかし同時に、目の前に倒れ伏した小柄な体躯は、彼らが多かれ少なかれ尊敬し、憧れてもいた将軍なのだ。その人がこうして弁明の余地も与えられず、押し包まれるようにして命を落としたことは、どこか嘘寒い思いを抱かせた。


「王にご報告申し上げる。それは市にさらすことになろう。車に乗せておけ」

 二人の死亡を確認した近衛の長が言い、立ち去る。兵士達は互いに視線を交わしあった。誰がこの遺骸を運ぶか、無言のうちに押し付け合いが行われる。誰もが、その役目を嫌がった。ただでさえ何となく気が咎めているのである。

「仕方ねえな」

 兵士達の一人が声を上げ、進み出た。

「俺がやる。お前達はここの後片付けを頼む」

 体格のいいその男は、小柄な鴻宵のみならず長身の従者まで一緒くたに肩に担ぎ上げた。

「お、おう、じゃあ、頼む」

「掃除はしておく」

「俺は先に行って車を用意しておこう」

 どこかほっとした様子で、他の兵士達も動き始めた。男は片手をあげて堂を出て行く。

「しかし掃除って俺達の仕事か?」

「仕方ないだろ、極秘裏の処刑みたいなもんだったし、第一ここで殺すって事態が普通じゃないんだから、俺達しかする人間がいない」

「なあ」

 雑談を交わしながら作業をしていた兵士達の中で、ふと一人が呟く。

「さっきの奴、見慣れない奴だったけど、誰だ?」

 一瞬で、沈黙が降りた。

「おい」

 追い討ちをかけるように、車の用意に行った兵士が顔を出す。

「車は用意できたが、まだか?」

 互いの顔を見交わした兵士達が、さぁっと青ざめた。




 碧王は不機嫌だった。鴻宵を処刑したという兵士からの報告を受けたのが、つい一刻前である。それからすぐに遺骸を見せしめに晒すよう命じたというのに、その遺骸が忽然と消えたというのだ。兵士達に事情を問い詰めても、どうも要領を得ない。確かに殺した筈だ、という報告に安堵する気持ちがある一方で、どこか釈然としない、不安が胸中に蟠っている。

「覇姫を東宮に連れて行け。蒼凌ともども東宮から出すな」

 そう側近に厳命して、苛々と腕を組む王の周囲では、臣下達がそっと互いの顔を見交わしていた。

 太子と覇姫が幽閉状態にあるのみならず、鴻宵まで失ったとあっては、国内の混乱は免れない。この大きな隙を昏が見逃すと考えられるほど楽観的な者は少なかった。このまま王の言うなりにしていてよいのか、群臣は迷い始めている。




 困惑と疑念に揺らぐ王宮の屋根に、一つの人影があった。その影は王宮の混乱をつまらなそうに見遣った後、その場に座って都を睥睨する。

「あの程度でおとなしく死んでくれるとも思えないけど」

 呟いて、手を翳した。眩しげに見上げながら、独り、語りかける。

「いずれにせよ、君達の思い通りには、もう、させない」

 声音に酷薄さが滲んだ。翳した手を、きつく握り締める。


「怨むなよ。先に裏切ったのは君の方なんだから。ねえ、




 ――宵藍」




To be continued……

閲覧ありがとうございます。

こんなところで切るの!?という叫びが聞こえそうですが、ひとまずここで第二部完結とさせていただきます。

当作品は全三部構成の予定です。

悪しからず、よろしくお願いいたします。

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