第1話
「この世界、あと1年で滅んじまうんだ」
そう言って、龍崎巡は苦いコーヒーを一口飲んだ。
あまりにも突然で荒唐無稽な話題に、私は学生のレポートをめくりながら適当に返事をした。
「そうか。じゃあ今年は何としても花見をしておこう。桜の見納めだ」
花見弁当でも注文しようか。そう言う私を見ながら、巡は顔をグッとしかめた。
「…本当なんだよ」
深刻な表情でそう言う巡。いつものおちゃらけた雰囲気はない、真剣な口調に私は顔を上げた。
「どうした、どこかで頭でもぶつけたか?」
「そうなら良かったんだけどな……」
巡は言いづらそうに、だがどこか確信を持った様子で語り始める。
「……守護龍が落ちてきて……すべてが終わるんだ」
「……は?あの、守護龍のことか?」
「あれだよ、今も空の向こうにうっすらと見える、バカでかい規格外の龍」
そう言いながら巡は窓の外を指し示す。
研究室の大きな窓の外、雲のさらに上空にはぼんやりとした白い輝きが見える。太陽の光を通さぬそれは、確かに物質として空に存在しており、大地に大きな帯状の影を作り出していた。
あの巨体が――落ちてくる?
全長は地球外周半分ものサイズの龍が、落ちてくる――?
何てことを言いだすんだ、この幼馴染は。そんなことになったら地表は跡形も残らないぞ。
この地球守護龍の研究者でもある私-保坂依留は、ありえないとばかりに首を振った。
「馬鹿馬鹿しい、あまりにも――」
「荒唐無稽だ。そもそも龍とは地球重力に縛られない存在であり、落ちてくるなどありえない…だろ?」
私の言葉に被せるように、彼は口を開いた。そして一言一句、私が言いたかったことをそのままなぞらえて見せる。
私は眉間にしわを寄せながらため息をついた。
「わかっているじゃないか。ならば―」
「そんな御託を並べている暇があるならば、そろそろ仕事に戻ったらどうだ…だろ?」
「むっ…」
またしても言いたいことを当てられてしまう。私はなんだかばつが悪くなってしまい、冷めたコーヒーを口に運んだ。
「…わかっているなら、仕事に戻りたまえよ。フリーランスとはいえ、就業時間くらいはちゃんと確保すべきだ」
「いや、仕事はこの1年は休む」
「…は?」
「マジなんだよ。1年後、守護龍が落ちてきて世界は滅ぶ。それを防ぐためにも俺は、やらなきゃいけないことがあるんだ」
巡は言いながら、ポケットから小さなメモ帳を取り出した。
「そのためにはお前の力が必要なんだ」
「…仕事を休むことはお前の勝手だが、その事情に私を巻き込むつもりか?」
「ああ」
私はため息をつきながら、コーヒーカップをデスクに置いた。巡の目をまっすぐに見つめながら、クソ忙しい今後の予定を述べてやろうと口を開く。
「いいか、私は―」
「明日の科学魔法実験、学生の不手際により爆発が起こる。研究室の修繕工事が必要になるぞ」
「…は?」
突然何を言い出すんだ、こいつは。
私はぽかんとしながらも、巡の発言に耳を傾ける。
「さらに明日の昼、お前はコーヒーをこぼして白衣をダメにする。午後一番に提出される学生レポートには誤字が20か所もあり、再提出を言い渡す。夕方には構内に犬が3匹侵入してくるので、捕獲の手伝いを言い渡される。そして夜、寝る前にはジャスミンティーを飲むつもりがミントティーを淹れてしまう」
「…なんだ、それは。予言か?」
メモ帳を閉じてポケットに仕舞い込みながら、巡はソファからゆっくりと立ち上がる。
「そんなとこ。明後日また来るからさ、そしたらもう1回話聞いてくれよ」
訝し気な表情をしたであろう私に、巡はさらにダメ押しをした。
「それからそのレポート、『科学魔法』の『科』が間違ってるぞ」
研究室の扉を静かに開け、へらりとした笑顔で彼は去っていった。安いサンダルの音を鳴らしながら歩く足音が、段々と小さくなっていく。
私は椅子に深く腰掛けながら、彼の予言を思う。
確かに明日、少々危険な実験はするが…爆発まで起こるだろうか?白衣をダメにして?しかもレポートの誤字に犬の侵入?バーブティーの淹れ違いまで?
「…もし本当ならどんな厄日だよ」
私は頭を抱えながら、目の前の学生レポートに目を落とした。
「…誤字、発見」
『科学魔法』の『科』が…『化』になっている。
(……よくある間違いだ、だからどうしたというんだよ)
赤ペンでチェックを入れつつ、簡単に読み進めていく。そのレポートではそれ以上の誤字は見つからなかった。
「20か所とか…どんな猛者だ」
そう呟きながら空を見上げる。ちょうど龍が身震いをしたらしく、小さなうろこのかけらが降ってきた。
白くキラキラと輝き降り注ぐそれは、どこかはかない笑顔の幼馴染と重なった。




