劇名『自分』
次の日の朝、駅を出ると、そこには月乃がいた。駅の柱に寄りかかるようにして立っている月乃を見た俺の脳は、瞬時に警戒モードに入った。
「………何をしてるんだ?」
その声で俺に気付いた月乃は笑顔を見せながら、俺の前に歩いてきた。
「おかしなことを聞くのね。彼女が彼氏を駅で待つことは普通のことでしょ?」
「だから、なんでそうなるんだよ………」
俺の問いに、月乃は何も言わず、微笑みで返してきた。
俺は学校までの道を歩いていた。いつもの通い慣れた道だった。朝の光景はいつも通りに広がる。通勤するおっちゃん、通学する小学生やら中学生。照り付ける太陽。流れる雲。毎日こんな道を歩き、途中コンビニで朝食と昼飯を購入するのが日課だった。
……だが、今日はいつもと違う。俺の隣には月乃がいた。
美少女と登校する男子生徒。傍から見ると、さぞや青春する様子に見えるだろう。俺だって、この光景を第三者的な立場で見ると、おそらく激しい嫉妬心を抱くだろうし、不公平な神様をグーパンチで殴りたくなるだろう………
しかし、実際はラブラブとは程遠い、実に殺伐とした登校であることは、第三者は知る由もない。
沈黙が続く。重い沈黙だった。そんな状況に耐え切れなくなった俺は、その沈黙を破るように率直な質問をすることにした。
「……なあ月乃。昨日教室で、なんであんなことを言ったんだ?」
「なんでって………」
俺の言葉を受け、月乃は少し驚いた顔をして俯いた。かと思うとクスッと笑いながら顔を上げ、答えた。
「理由は、いくつかあるわ」
「理由?」
「一つ目は、今この状況に違和感がなくなることよ」
「……転校初日に、村人A的なポジションの俺と付き合うこと自体に、激しく違和感を感じるのは俺だけか?」
「二つ目は、変な虫が寄り付かなくなること」
(……俺の意見は完全無視かい)
「前の学校でもそうだったんだけど、やたらと男が寄ってくのよ。
普通に話しかけてくるだけならいいんだけど、中にはかなりウザい男もいて、その度に拒否するのが面倒なのよ」
「そんなの、いつもみたいにバッサリいけばいいだろ?」
「あのねえ……私は普段猫を被ってるのよ? そんな私が、相手の男をバッサリいけるわけないじゃない」
(……確かに。学校での月乃では、バッサリいくなんて誰も想像できまい)
「でも、昨日みたいに言っていれば、寄り付く男が減るじゃない? なくなりはしないかもしれないけど、前よりは動きやすいし、都合がいいのよ」
(……俺は虫除けスプレーか? 商標登録してみるか?)
でも、確かに月乃の言うことには一理あった。しかし、だからこそ一点気になることが生まれる。実に素朴な疑問だった。
「前の学校では、彼氏(仮)は作らなかったのか?」
「……その時は、とにかく男がウザかったから……そんなことも考える余裕がなかったのよ」
「そんなに男が寄って来てたのか……」
(まあ、そうだろうけど。コイツの普段の学校生活を見ていたら納得する)
「でも、他の奴が今のお前を見たらゲンナリするかもな。ギャップの落差が激しいし」
「その点は大丈夫よ。私、猫被るのが上手だし、まず今の姿を見せることはないわ。
前の学校でもずっと猫を被ってたし、私はこれまでもずっとそうしてきたのよ。私の本心なんて、周りが知ったらうるさいだけだし」
月乃は笑いながら言った。……だけど、その顔はどこか寂しそうにも見えた。
「………」
「何難しそうな顔をしてるのよ。似合わないわよ?」
「……いや、お前も色々大変だなって思ってな」
「………何が?」
「だってさ、前の学校だけじゃなくて、今までずっと猫被ってたんだろ? 本当の自分を隠して。
でもさ、それって辛くなかったのか?」
「そんなことは………」
「周りはお前が猫被ってることにまったく気付かず、柊月乃はこんな人って決めつけて、お前が何を考えているのかなんて考えもしない。だからお前も自分でつけた仮面を外すこともできない。
それってさ、すごくキツイことだって思う。周りが慕ってる自分は本当の自分じゃない。だけど、長い間つけてた仮面はなかなかとれるもんじゃない。
本当の自分を見てほしいって思っても、本当の自分を出すのが怖くてまた猫を被る。
……人から好かれるために付けた仮面が自分自身を傷付けていく。
そんなジレンマが、お前の中であったんじゃねえか?」
「………」
月乃は黙り込んでしまった。どんよりとした空気が漂っている気がする。
(……ちょっと言い過ぎたかもしれない。まだ会って間もない俺が、月乃のことについてここまで言うのは少し出過ぎたマネなのかもしれない)
「……もっとも、お前が本心だしたところで、お前は面がいいからそこまで人気が落ちるとも思わないけどな」
「………ホント………」
月乃はゴニョゴニョ何か呟いた。声が小さすぎて聞こえなかったが………
「何か言ったか?」
「………別に。アンタには関係ないことよ」
「そうかいそうかい」
……などと話してる間に、いつの間にか学校に着いていた。
「……あ、そうそう。さっきの話の続きなんだけど………」
そう言った月乃は小走りで俺の前に来て、ひらりとスカートと髪を翻し、俺の方を見てきた。
「………3つ目の理由はね、晴司と一緒にいられることよ!」
月乃は満面の笑みで顔を赤く染めながらそう言って、俺を置いて校舎の中に走って行った。
(……不覚にも、ドキッとしたことは封印しておこう……
もれなく、月乃の思い通りになってしまう……)
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教室に着くと、昨日と同じ状況が広がっていた。
女子どもは月乃の席に集まり、ニヤニヤしながら時折こっちをチラチラ見てきた。男子どもは殺意に満ちた眼差しでこちらを見ている。
そんな視線たちには目を合わせず、俺はさっさと席についた。
「大丈夫か?」
則之が心配そうに(は見えないが)聞いてきた。
「今のところは、な。昨日お前が言ってたのは、しばらく俺には無理そうだ……」
「そうかそうか。ま、頑張れ少年!」
則之は俺の背中をバシバシ叩きながら言ってきた。
(コイツ、絶対他人事だからって楽しんでるな。まあ、確かに他人事だが……)
月乃は勉強面でも驚くほど優秀であった。体育でも人並み外れた運動神経を披露し、おまけに性格がよくて奥ゆかしい人間を見事に演じていた。
転校二日目にして、すでにクラス中はおろか、学校全体を虜にしてしまっていた。
でも、俺はそんな破竹の勢いで人気を伸ばす月乃の姿を見て、違うことを考えいた。
アイツは、これでいいのだろうか。
アイツは今まで、本当の意味で人生を過ごしていなかったのかもしれない。常に自分を飾り、偽り、本当に言いたいことを言わない、本当に言いたいことを言えない。
そんな生活を、これまでずっと過ごしてきたのだろうか。
確かに人は少なからず、本当の自分を隠している。むしろそれは自然な、ある種の防衛本能とも言えるだろう。
しかし月乃はどうだ。少しどころか、完全に別人を演じている。それはまるで人形劇のように、自ら設定した人格を、自らをもって演じ続けている。
俺は柊月乃との関係は深くないし、アイツが本当はどんな人間かなんてわからない。
だけど、この数日で見せたアイツは、少なくともまったく違う人間だった。高飛車で自意識過剰、言い寄る男なんてそこら辺の石ころ程度にしか思っていない、なんともある意味人間らしい人間だった。
自分を抑え込むような窮屈な生活。アイツは、そのことを何とも思っていないのだろうか。
もっとも、月乃が好きでしていることなら俺の考えなんてお門違いもいいとこだと思う。
(……でも、もし月乃が、今の自分に苦しんでいるとしたら……)
……いや、ないな。アイツに限ってそんなことはありえないだろう。俺の考えすぎだ。
俺は自分の中に生まれた考えを消すかのように、黒板に書かれた数学の方程式を、一心不乱にノートに書き写した。