騒然の学校
今日もまたいい天気だ
(……いい天気すぎる。ひたすらに暑い。まだ夏ではないんだぞ……)
こんな日は電車から降りたくなくなってくるが、そんな俺の意志とは無関係に、自然と足は灼熱の外へと俺の体を運び、そのまま学校まで歩き始めた。習慣とは恐ろしいものだ。
あれから数日が経った。その後、一度も月乃には会うことはなかった。改めて思い出しても、実に変な女だったと思う………美人だったが。
……連絡先を聞いておけばよかったとか、そんなことは別に思っていないぞ。いやマジで。あれは男の意地の勝利だったのだ。そういうことにしておこう……
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俺が学校に着くと、学校から滲み出る、何か違和感のようなものを感じた。ざわついているというか興奮状態というか、とにかく普段の空気と何かが違っていた。
(まあ、どうせ誰かがバカなことをして噂になったとか、実にどうでもいいことだろう。しょせん俺には関係ないことだ……)
俺は靴を履き替え、二階の教室に向かった。そして階段を上がり、廊下の角を曲がった――なぜかそこには人集りが出来ていた。
「なんだこりゃ…………」
普段の学校では絶対に見ない光景だった。人だかりは完全に廊下を塞いでおり、人の往来ができなくなっている。
(……どうでもいいが、凄まじく邪魔だ。俺の教室はお前らの先にあるんだよ)
その人集りは、二階の面談室の前にできていた。普段は全く使われないところだったので、俺はこの騒ぎの原因はそこにあると見た。
………見れば明らかなんだが。
そこに溜まっていた連中は、よく見ると男ばっかりだった。口々に“ヤバスギル”だとか、“チョウコノミ”だとか呪文を唱えてやがる。
(……俺の精神状態もヤバスギルんだが、その点どうなんだ)
大きく迂回するか、と諦めて引き返そうとすると、面談室のドアが開く音が聞こえ、同時に地響きのような歓声があがった。
うおおおおおおおお!!!!!
もはや狂喜! 狂喜が廊下を駆け巡り、面談室を囲んでいた! そんな狂喜の中、先生の声がかすかに聞こえた。
「あなた達、早く教室に戻りなさい! じゃないと遅刻扱いにするわよ!」
(……いやちょっと待て。このままでは俺も巻き添えじゃあねえか!)
俺は決意を固め、集団の中を強引に突っ切る作戦に出た。俺は体中の力を込めて、一番人が少ないアウトサイドを攻めることにした。
――深く一度息を整え、体中の力をため込んだ。
「――いくぜ!」
俺は突貫し、必死に人の波をかき分ける。男たちの肉厚は凄まじい。バッグが引っかかる。それでも俺は前に進む。必死に進む!
(……ていうか、教室に行くだけで、なんでこんなに頑張らないといけないんだ?)
そして、うねる男どものその先に、俺の教室が……!
……だがしかし、俺は安心して、少し気を抜いてしまった。その時を見計らったかのように、俺は誰かの体に押され、人の波に流され始めた。
うごめく集団に呑まれていた俺は、とにかく一度離脱しようとした。体をモゴモゴ動かしていると、ふいにポンッと何もない空間に出ることに成功した。
そこは、人だかりの中心部――そこには、さっき叫んでいた先生と、見慣れない女子生徒が立って、俺の姿を見ていた。
いや、俺はその生徒を知っていた。その女は、俺の姿に一瞬驚きを見せたが、すぐに微笑んだ表情に戻した。
「……あら晴司。久しぶりね」
「………柊……月乃………」
月乃の顔は笑顔に満ちていた。しかし、その瞳の奥には、隠された何かがあるように感じた。
「な、なんでお前がここにいるんだ!?」
「何言ってるのよ。転校したからに決まってるでしょ?」
月乃はさも当たり前かのように俺に向かって言い捨てた。
「………て、転校?」
「そうよ。私、今日からこの学校の生徒になったの」
「はあ!!??」
俺は唖然とした。月乃の言葉を理解するのに若干の時間を要した。
そんな俺と月乃のやり取りを見ていた先生が、ポンと手をたたき、俺に言った。
「楠原くんと柊さんは知り合いだったのね」
「いや……知り合いってほどじゃ………」
「ちょうどよかったわ。楠原くん、柊さんはあなたのクラスに入ることになってるのよ。仲良くしてあげてね」
「………」
(はいいいいいい!?)
「では柊さん。もう一度職員室にいいかしら?」
「わかりました。――じゃあね晴司、また後で」
月乃は俺に手をヒラヒラ降って、ご機嫌そうに職員室に向かった。男子生徒は廊下の両端に寄り、月乃に道を開けていた。その姿は、さしずめ海を裂いて歩くモーゼスのようだった。
俺はそんなモーゼスをただただ茫然と見つめ立ち尽くしていた。
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朝のホームルーム。先生の言葉通り、月乃は俺のクラスの転校生として紹介されていた。女子たちはキレイキレイを繰り返し、男子たちは狂喜乱舞していた。
月乃は、愕然とする俺のほうを見て一瞬クスリと笑い、悠然とした立ち振る舞いで自分の席に座った。
午前中は、まさに月乃一色だった。授業中は男どもから血に飢えた狼のような視線が送られ、授業と授業の間には女子たちから囲まれ質問攻めを受けていた。
(……まあ、面は超一級品だからな。面は)
しかし、月乃は俺の時とは別人のような性格を見せた。誰にでもフランクに話し、周囲に笑顔を振りまき、謙遜な態度を繰り返した。
(……人間化けようと思えば、いくらでも化けれるもんだな)
俺は人類の可能性を、一人実感していた。
昼休みに入ると、ここぞとばかりにクラスのやつらは本腰を入れて月乃を囲み、さらなる質問攻めをしていた。まるでお祭り騒ぎだ。
そして、騒がしいのは教室だけではなかった。廊下にも、月乃の姿を一度見ようと人集りができていた。学年、クラスを問わず生徒がごった返していた。
その光景は、夕暮れ時、点灯した街灯に集まる虫のようだった。
そんな光景をぼーっと見ていると、いつも通り則之と空音が昼ご飯を持って俺の席に来た。
「すごい人気ね………」
空音も圧倒されていた。
「そりゃあんだけ美人だからな。当然だろ」
則之は意外にも冷静な表情で人だかりを見ていた。
「あれ? 則之、お前どうしてあっちにいかないんだ? お前のことだから、真っ先に行くと思ったんだが………」
「それもそうね………どうしちゃったの則之?」
「バカ言え。ちゃんと昼飯を食べたら参戦するさ。昼飯は、何よりも優先されるのだ!」
「あ、そういうことか………」
(一瞬コイツを見直そうとした。危ない危ない……)
などと、いつも通りの何気ない会話をしていると、急に月乃の席の方から立ち上がる音が聞こえた。一瞬にして静まり返る教室。立ち上がったのは他でもない、月乃だった。
月乃は囲んでいた集団を見ることもなく無表情のままツカツカと俺の方に歩いてきて、俺の目の前で立ち止まった。
「……な、なんだよ……」
俺は、なんとも言えない月乃の迫力に圧倒されていた。
しかし月乃は俺の気持ちとは裏腹にニッコリと笑い、前かがみになりながら俺の顔を覗き、言ってきた。
「ねえ晴司。学校の中、案内してよ」
どよめく教室と廊下。
(――慌てるなお前ら。俺が一番驚いてるんだよ)
「え? なんで俺が?」
「別にいいでしょ? ――ねえあなたたち、ちょっと晴司を借りていくわね」
「は、はい………」
「お、おう………」
則之と空音も圧倒され、簡単な返事しかできていなかった。
(――なんか、身を売られた気分だ……)
「さ、行きましょ」
そう言って、月乃は強引に俺の手を掴み、俺をイスから引っ張り上げ、廊下の方に歩き出した。
(……ヤバい。コイツはまずい!)
俺は瞬時にそう思った。しかし、時すでに遅し。廊下と教室の男からは、殺気に満ちた視線が送られていた…………
女子たちはヒソヒソと話している。おそらく、俺と月乃の関係について、いろいろな推論を出し合っているのだろう。
もはや手遅れと諦めた俺は、数々の俺を刺すような視線に耐えつつ、とりあえず学校案内を普通にした。
(なんだかんだ言って、月乃は学校に来たばかりだし、多少不安に感じているところがあるのかもしれない。そんな中、唯一見知った俺に学校案内を頼むのは、自然な流れなのだろう)
俺のロジカルな脳はそう判断した。……そう思うことにした。
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この学校には特別なものなんてあるはずもなく、食堂だとか体育館だとか、普段の生活で知っておいたほうがいい場所を案内して回った。月乃は、実に興味なさそうに、“ふーん”だとか、“へえ”だとかを繰り返していた。案内冥利に尽きない奴だ。
「――で、ここが最後だけど、この踊場のドアの向こうが屋上だ」
俺は、やっと終わったという安堵感を感じていた。なにせ校内案内する間、なぜか月乃は俺の上着の裾を掴み続けていたからな。通り過ぎる人々からの誤解に満ちた視線を受け続けるのは、もはや限界だった。
帰ろうとする俺に、それまで退屈そうにしていた月乃は、初めてまともな質問をしてきた。
「ねえ、屋上には出られないの?」
「ああ、本来はカギがかかって無理なんだ」
「でも、その窓から出れるんじゃない?」
そう言って、月乃は床から2mくらいの位置にある窓を指さした。
「……ほう。よく気付いたな。あそこは、秘密の出入り口だ。一人になりたいときとか、人の目がないところを所望した生徒は、あの秘密の出入り口を使って屋上に行くんだ」
「へえ………ねえ、屋上に行ってみたいんだけど」
「屋上にか? お前が期待するようなオモシロいものなんてないぞ?」
「いいから。晴司が先に行きなさいよ」
「行くなら一人で行けよ。俺は飯を食いたいんだよ」
俺が立ち去ろうとすると、月乃は体をもじもじさせながら言った。
「………私が今窓によじ登ったら、スカートの中が見られちゃうでしょ……」
「見ねええよ!!」
「………信用できないわね」
月乃は、不信感溢れた目で俺を見ていた。
(コイツの中で、俺は変質者兼覗き魔にでもなってるのか?)
「ツベコベ言わずに、いいから早く行きなさい!」
(理不尽すぎるだろ………)
俺はやむなく屋上に行った。それに続き、月乃も屋上に出たのだった。
屋上には誰もいなかった。日射しはあいかわらず強かったが、吹き抜ける風は涼しく、暑さも全然気にならなかった。
「風が気持ち~!」
そう言いながら背伸びをする月乃に、俺は聞いてみた。
「……で? 何が目的なんだ?」
「目的?」
「とぼけんなよ。お前が俺を連れ出した目的だよ」
「………そんなの、単純に晴司に案内してほしかっただけよ」
(月乃がそんな可愛らしいこと言うキャラか? そんなわけねえだろ!!)
「んなわけがあるか。白状しろよ」
「………」
月乃は黙り込んだ。その顔は何かを考え込むようだった。しばらく考えたあと、月乃はゆっくり顔を向け、話し始めた。
「………実はね、私は晴司に、宣戦布告がしたかったの」
(……は? コイツは、何を言ってるんだ?)
「私はね、今までこの容姿でいろんな人から愛されてきたの。特に男は、みんな私の容姿を見て、私に気に入られようと頼んでもないのに色んなことをしてきたのよ。そして、私からの“ご褒美”をとても嬉しそうに受けていた。
――でも、晴司は違ってた」
「違う?」
「私はね、この数日間、あの日のことを忘れたことはなかったのよ。人からあんな言葉を言われたことなんて、今まで一度もなかったから………」
(……ああ、あの時か。
そりゃ月乃から連絡先を知りたいって言われたら、普通なら喜んで教えるしな。俺だって冷静に考えたら、聞いておけばよかったって後悔しそうになったくらいだ)
「晴司から、あんなことを言われたことに、私は衝撃を受けたの。――アンタなんか、ダサくて、全然カッコよくなくて、モテそうにもないのに………」
(……言いすぎだろ。ちょっとショック受けたぞコラァ)
「だから、決めたのよ」
「決めたって………何を?」
そして、月乃は厳しい表情を見せ、力を込めた目で俺を見てきた。
「私は、必ずあなたを手に入れる。どんな手段を使っても。
――そう、これは、宣戦布告よ」
(……ええと、月乃の言葉を解釈すると、今までの男が泣いて喜んだことに見向きもされなかったことがコイツのプライドを傷付けた。それが許せないから、俺を今までの男と同じ様に自分にホレさせる……
――ということか! ……すっげえ理論……)
月乃は厳しい表情をしたまま続けた。
「最後に、一つ警告しておくわ」
「………警告?」
「私の親って、ちょっといろいろな業界に顔が広いのよ。だから、私がお願いしたら、ある程度のことは叶えてくれるわ」
「………つまり、どういうことだよ」
「もし、アンタがここでの会話を他の人にしゃべったら――私は、アンタを社会的に殺すわ………」
………月乃の目はマジだった。殺意のようなものが迸ってるように見える。
(誰かに余計なことは言うなってことか……)
「私の話はそれだけよ。さ、教室にもどりましょ」
月乃はスカートをひらりと返し、屋上を後にした。
教室までの帰りは、二人とも一言も言葉を発しなかった。
しかし月乃は、さっきまでの表情と打って変わって、なぜか機嫌良さそうだった。
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俺たちが教室に戻ると、それまで何人か組になって話していた男子、女子が、一斉に俺たちを囲んできた。
「な、なんだ?」
俺はその異様な雰囲気にタジタジになっていた。月乃の様子を見る限り、それはコイツも同じだったようだ。驚いた表情のまま、自分に群がる人の顔を右に左に次々と見ていた。
そして、一人の女子が俺たちに切り出してきた。
「……ねえねえ、楠原くんと柊さんってどんな関係なの?」
「どんな関係って…………」
「だって普通と違うでしょ? 引っ越したばかりなのにかなり親しいし、今だってたった二人で校内をまわってきて………
――絶対何かあると思うんだよね!」
(……盛大に勘違いされてる。まあ、普通そうだよな。俺が客観的に見ても、普通に勘違いするだろうし)
とにかく俺は弁解することにした。
「あのな、俺たちは別に…………」
「――付き合ってるの」
俺の隣にいた月乃は、急に大きめな声で、はっきりとした口調で、そう言った。
教室は、さっきまでの雰囲気が嘘のように静まり返った。俺は月乃の発言が理解できなかった。言ってることが何なのかを必死に考えていた。
「…………は?」
「私たち、付き合ってるの」
月乃は、俺の腕にしがみ付いてきた。
「お、おい! お前………!」
その時、俺は月乃の鋭い視線に気付いた。……下手なことを言ったら殺される。俺はそう直感した。
そして、止まっていた教室の時間は、突然動き出した。
……悲鳴とともに。
「えええええええええええええええ!!!???」




