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【二十三】人生を揺るがす大負け

◇◇神酒◇◇


 金切り声を聞いた。四斗の酒樽を掃除している時だった。今日は村で()()()()()()()()()()()()()があって、みんな盛り上がって楽しんでいるはず。だからこそ、酒屋も忙しかった。なのに、そんな村の雰囲気とは真逆の金切り声を聞いたのだ。急に怖くなってきた。お母さんはお祭りに参加しているし、お父さんは会場にお酒を届けに行った。一人がこんなにも心細いと感じたのは、十九年で初めての事だ。


「いったい、なに?」


 声として現れた不安な気持ちは、誰にも届かず只現世(うつしよ)に霧散するのみ。窓から外の様子を窺うと、暗くなり始めていた。今日は月食があると、村長が言ってたっけ。そう言えば昨日、勾玉のお祭りと月食が重なるのは本当に希少な出来事だと、彼は狂喜乱舞していた。その()()と、金切り声という一種の()()的なもの。二つの落差で、それこそ気が狂いそうになる。窓から見える景色は平生の村と変わらず、その事もまた恐怖を引き立てていた。


「逃げろ、早く逃げろ!」


 ふと、何処からか忍び声が聞こえた。空から視線を落とすと、窓の真下に立って私にそう言っていたのはお父さんだと分かった。何が何だか分からなかった私は、とりあえず彼に従う。樽の掃除を放り出して、お勝手口から外へ。


「お父さん、いったい何が起きてるの?」

「俺にも分からん。ただ、賊が人を殺して歩いているのは事実だ。だから逃げろ、奴らに見つからないよう逃げろ」


 意味が分からなかった。分かりたくなかった。続けて私は、お母さんの安否を聞いた。お父さんは俯くだけで、何も答えてくれない。その沈黙は、明確な答えだった。言いにくい状態——だからそれは、母が死んだことを意味するのだと、私は理解した。


「奴らはどんどんこっちに来ている。お前だけでも、早く逃げてくれ」

「お父さんは? お父さんはどうするの?」

「俺も後から行く。(まと)まって逃げるより、散った方が発見されにくいだろう? そうだ、町で合流しよう。大きなお城のある町だ」


 お父さんの策は、確かに合理的かもしれない。でも、それでも、私はそれに同意しかねた。先刻から感じている恐怖に独りで——丸腰で、太刀打ちできるはずが無かったからだ。


「そんな……。でも怖いよ、一人は怖いよ」

「そうだな、怖いな……」


 恐怖を吐露した私を、お父さんは強く抱きしめた。


「だが、それでも大丈夫だ。お前は運の良い子だ。神に愛された子だ。きっと、幸運はお前を助けてくれる。必ず()()()。だから、先に行け」

「お父さん、お父さん……!」

「行け! 早く行くんだ!」


 今にも零れそうだった涙を、私は袖で拭った。そして走った。無我夢中で丘を下り、再会を誓った城下町へと向かう。最後に一度振り返る。村の道を我が物顔で闊歩するそいつらは、巫山戯た仮面で顔を隠す黒だった。この後の逃避行については、正直あまり覚えていない。夢遊状態というか何というか、とにかく、極限まで無意識だったのだ。


 城下町に着いた私は、お父さんを愚直に待ち続けた。食べる物も飲むものも、寝る場所も無かったけれど、私は何日も待った。でもついに、お父さんと会うことは出来なかった。


 事情を知ったのは、町に防人の掲示が出てからだ。どうやら私の故郷は、謎の集団によって襲われたらしい。生存者はわずか数名との報せであった。その数名のうち、一人は父親であろう。そう考えた私は回収された遺体の確認場所へ向かった。そこでなら、お父さんと再会できるだろうと思ったからだ。お父さんも同じことを考えていると踏んだからだ。結果的には、私はお父さんと再会できた。変わり果てた姿——つまり、遺体とだったけど。町を歩いていると、掲示を見たのであろう人たちの声が聞こえてくる。


「まあ、酷い事件だこと。村人の殆どが亡くなったなんて」

「そうね。でも、何人かは逃げ果せたらしいじゃないの。こんな状況なのに、()()()()わねえ」


 腹が立った。これのどこが()()()()のだと。確かに私は生き残った。果たしてそれは勝利か? 故郷も家族も友人も、全部失くして私だけ生きている。こんなものが勝ちなのか。運が良いと言えるのか。いいや、言えない。言えるわけがない。負けだ負けだ、大負けだ。超が付くほどの不運だ。


「こんなのは、勝ちじゃない。勝ちじゃ、ない……」


 呪言のようにぶつぶつ言いながら、私は城下町を出た。()()()()を求めて、私は川がある南へ。もう前も碌に見えない。足元も覚束ない。先ほどから何人かと肩がぶつかっている。その度に謝っていたけど、誰もかれもが私を見ると怯えたように去っていく。あはは。私はきっと、幽霊みたいな顔をしていた事だろう。お腹が空いた。喉が渇いた。死にそうだった。そんな私に、たった一人、声を掛けてくれる女の人が居た。


「あなた、大丈夫? 凄く顔色が悪いわよ」

「……どうか、お構いなく」

「駄目よ、このままじゃ倒れちゃうわ」


 そうなったなら、それでいい。いっそのこと眠ってしまえば、勝ちをもぎ取ることが出来るかもしれない。だけど彼女は、それを許してくれなかった。気付いた時には甘味処の椅子に座らされていて、目の前にはお茶とお団子の山があった。


「好きなだけ食べてね」


 彼女は優しい声色で言った。私は只管に困惑していた。何も考えず、反射的にお団子を食べる自分にね。だって勝ちたかったはずなのに。だって真の勝利を手に入れたいと思っていたはずなのに。どうして私は、こんなにも必死に餓死を免れようとしているのだろう。勝ちから遠ざかるような事をしているのだろう。私は、自分で自分が分からなくなった。それと同時に、()()()()()()などと負けを望む自分が、心の奥底に居ることを知った。


「じゃあ神酒ちゃん。私はここの二階、一番西側の部屋に住んでいるから、困ったことがあったら相談に来てね。仕事で居ない事もあるけれど」


 朱里と名乗った彼女は、お菓子屋の勘定をしてくれただけでなく、そう言ってくれた。私を生かそうとしてくれたのだ。……だから私は、勝ちを保留することに決めた。朱里さんに恩返しがしたいと、勝つのはその後でいいと、そう思うようになったのだ。矛盾していることも、私は当然理解していた。命を救ってもらった恩返しを成した後で死のうなどと、ちゃんちゃらおかしな話だしね。


「ごめんください、この髪飾りを売りたいんですけど」


 恩返しをするには、先ずは生きないと。そう思い、古道具屋を訪ねた。大した額にはならなかったけど、無いよりずっといい。故郷と私とを繋ぐ唯一の品を二束三文で売り飛ばし、さてこのお金で何をしようか……。これを元手に、お金を増やせればいいんだけど。そう思って町を歩いていると、何やら怒号が聞こえた。怒りと絶望に満ちた、おじさんの声だ。


「くそ、あの賭場! 如何様(いかさま)だ、絶対に如何様してやがる!」


 賭場か。賭け事は故郷にもあったし、負けたことがない。私に大負けを(もたら)した憎い運だけど、試してみる価値はあるだろう。そう思って、私は一粒万倍に足を運んだ。その結果、大勝利に大勝利を重ねることとなる。全賭けと勝利の繰り返し。髪飾りを売って手に入れた端金はあれよあれよと増えていき、数日経った頃には、暫く遊んで暮らせるだけの額に膨れ上がっていたのだ。


 生活に余裕ができて、家は路上から長屋へ。身なりを整えて、朱里さんに恩返しをしに行こうと決意。この時に初めて、彼女の家族はちょっとした訳ありなのだと知る。即ち、旦那さんが賭け狂いだということをだ。碧斗くんという子供が居るのに、旦那さんは家のお金を博打で溶かし続けているらしい。おかげで朱里さんは毎日毎日仕事漬け。心配になった私は、彼女の家を訪ねて碧斗くんの面倒を見るようになった。


「知らないお姉さんが来た?」

「うん。お母さん居ますかって。神酒お姉さんが来てくれる少し前に」

「へえ、怖い人?」

「ううん、刀を持ってたけど、すごく優しそうなお姉さんだった」

「そっか。あはは、なら良かった」


 正直、碧斗くんの事は勝手に弟のように思っていた。元々は一人っ子だったけど、失った家族の穴を埋めるには十分だ。だからこそ、旦那さんの事はちょっと許せない。「家族を大切にしろ」と一喝してやりたいと思った。一粒万倍で殺人事件に遭遇したのは、そんな矢先だ。


「この中に、犯行を目撃した者は!」


 防人が言った。誰も名乗り出ないが、犯行を見た人間は存在する。……私だ。だから下手人が誰なのかも凶器が何なのかも分かっていた。だけど、下手に名乗り出られない。何故と言って、その人物が私の背後に居るからだ。報復されたらたまったものじゃない。このまま、知らぬ存ぜぬを貫こう。そう思っていたが——


「ううむ……ん?  君、少しいいかい?」

「なに?」

「どうして目を逸らしたのかな? 何か(やま)しい事でもあるのかい?」

「別に。只、人と長く目を合わせとくのが苦手なだけ」

「そんな得物を提げて、どうも怪しい」

「いやいや、私はやってないよ」

「下手人はみんなそう言うんだ」


 ——事件が起きた後で賭場に入って来た、全然関係ない子が疑われ始めたのだ。何とかして彼女を助けなければ。そう思い、咄嗟に動いた。


「ただでさえ、賭場で楽しんでる時に殺人が起きて気分が悪いのに……」


 話を逸らしつつ後ろの下手人から離れ、防人を盾にするように動いてから真犯人を告発。案の定彼は私を睨んだけど、無事に逮捕された。……これは後で知った事だけど、まさかあの下手人が碧斗くんのお父さんだったとはね。まったく、運が悪い。いや、酷い男から朱里さんと碧斗くんを解放できたと思えば、寧ろ良かったのかも。


 それから数日経って、町で掲示を見かけた。朱里さんが行方不明との報せだ。碧斗くんはいつの間にか防人に保護されていて、心配は要らない。探さなければ。恩人である朱里さんを、何としても無事で碧斗くんの元に送ってあげないと。もはや私の使命だとさえ感じていた。何故と言って、あの親子に幸せになってもらう事は、私の()()()()()だったから。真の勝利を保留に出来る——だから恐ろしい死から逃れられる——()()だったからだ。


 掲示を見たその日に、私は早速朱里さんを捜し始めた。もちろん無策ではない。彼女の行方に関して、僅かながら心当たりがあったのだ。それが、一粒万倍の裏闘技である。()()()()その噂を耳にしたことがあった。それと、彼女の旦那さんが殺したのは、賭場経営者の仲間。だからその報復——もしくは賭場が失ったものの埋め合わせとして、闘技場で使われているんじゃないか。《《楽観的》》な予想だけど、少なくとも結論部分は大当たりだった。


「へえ、対戦表か。次の試合は……東、朱里……?!」

「さあさあ、間もなく札の購入は締め切りとなります。御買い忘れございませんか~?」

「十口……! 東の札、十口ください!」


 私が賭ければ、朱里さんは試合に勝てる。そう確信し、急いで買った。前口上によれば、朱里さんはこの時が初陣。相手は当時花形の男だった。逆に心臓が止まりそうなくらい緊張したが、やっぱり私が勝った——つまり朱里さんが勝ったのだ。


 それから毎日、私は朱里さんに賭けるだけの為に裏闘技へ足を運んだ。その中で、長期間にわたって花形を維持すると、景品と共に解放される……そんな話を聞いた。今期の景品は八咫鏡という秘宝らしい。それを朱里さんが手に入れて闘技場を出れば、売ったお金で、碧斗くん共々幸せに暮らせる。そして私が賭け続ければ、朱里さんは必ずここを出られる。時間はかかるけど、これが二人を幸せにする一番簡単な方法だ。故にこそ私は、明くる日も、明くる日も、彼女に賭けていた。


 そんな私の日々に、変化が訪れる。


「実はさ、訳あって私も裏闘技に行きたいの。今度行くとき、私も一緒に連れて行ってよ」


 以前、一粒万倍の殺人事件で庇った少女、桜華がそんな事を言い始めたのだ。勿論、私は断った。理由は単純で、裏闘技は違法だから。常に刀を携えているのは奇妙だけど、何かあったらきちんとお礼を言いに来るようないい子だ。そんな子を違法賭博が行われている場所には連れていけない。だけど彼女は、どうしても行きたいと懇願してきた。


「そんなに知りたいわけ? どうしても頼みたいって顔してるけど」

「知りたいよ。そのために、ここ数日あっちこっち奔走してるわけだし」

「う~ん、しょうがないな……。じゃあ条件付きでなら教えてあげてもいいよ」


 だから絶対教えなくて済むように、「私に勝負で勝つ」というほぼ不可能な条件を突きつけた。それでも桜華はあの手この手で挑んできて、終には私に勝って見せた。驚くべき執念だ。結局彼女の熱意に負けて、裏闘技を教えてしまった。


 そして、なんやかんやで桜華と、彼女のお友達の小町と協力して、闘技場から朱里さんを助け出すことになる。作戦と言うにはあまりにもお粗末な行動計画だったけど……心配はしていなかった。なぜなら、無事に朱里さんを連れ出すことは、私にとって()()だったからね。


 救出作戦の日以降、桜華にも小町にも、朱里さんにも碧斗くんにも会わないようにしていた。もう良いから。朱里さんへの借りは返したし、恩だなんだと言わず、自分たちの幸せのために生きてほしい。未練はない。つまるところ、()()()()()()()()()()んだ。立派な事だと、自分でも思う。故に私は今度こそ、保留していた()()()()()を目指す。


 ——川で身投げを考えた。袖や懐にありったけの石を詰め込み、いざ。このまま水に潜れば、浮くことが出来ずに黄泉へ行けるはず。それは私が望むこと。なのに、入水出来なかった。「きっと、すごく苦しいだろうな」と躊躇ってしまったのだ。情けない。


 ——短刀を買って、腹でも斬ってやろうか。そう考え、刀を買った。幸い、お金は山ほどある。人目につかない所で抜刀してみた。赫奕(かくやく)として刀身を照らす太陽。それと一緒に反射して見えた私の顔は、今にも泣きだしそうだった。遂に悲願が叶うからではない。怖かったんだ。今からこれを自分のお腹に突き刺して、さらに斬り裂く。そんな事出来るわけがない。割腹するなら、介錯してくれる人が居ないと痛く苦しい時間が長い。駄目だ……と、私はこれも断念した。


 ——滝の上に立った。ここから落ちれば、さすがに即死できるはず。さっさと飛び降りて、全て終わりにしよう。そう思って、滝つぼを覗き込んだ。水が轟々と音を立てている。風が吹いた。私の身体が一瞬にして冷えたのは、その所為ではないだろう。足が竦み、何時間も粘ったけど、結局私は飛べなかった。


 ——自分の情けなさには、ほとほと愛想が尽きた。何なの。何で死なないの。何で。家族にも友達にも先んじて逝かれた。そんな大敗北を喫した世界で、殊更この世に居続ける道理は無い。だからみんなの待つ黄泉へ行こうというのに、私は恐怖のあまりそう出来ない。これは矛盾だ。死にたいのに死にたくない。もはや生きる理由さえ無いはずなのに。何をそんなに怖がっているのだろう。死に際の苦痛か、それとも——。


 ふと、良い事を思いついた。自らの手で死ねないなら、いっそ殺してもらえばいい。こちらから殺意を向ければ、相手は私を斬ってくれるはず。


………………だから私は、()()()()()()()()

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