【二十】牢獄に香る
◇◇小町◇◇
桜華と別れ、あたしと神酒で一粒万倍に侵入した。入口は内側から──当たり前だけど──閂がしてあったが、扉が古くて隙間だらけ。故に、あたしの短刀を使えば入るのは簡単。閂に刃の痕が残ったら嫌だから、峰側で傷つけないよう慎重に作業。短刀をゆっくり上げながら扉を押して……開いた。棒の落ちる音が予想以上に響いて驚いたけど、問題は無さそうだ。警戒すべき点は、錠前じゃなくて閂だった事。それはつまり、経営者たちの部屋と賭場が建物の中で繋がっていることを意味する。
「よし、行こう」
神酒が言った。あたしは目線を合わせて頷き、直後に歩き出した彼女の背中を追う。賭場の中はまったき闇だけど、神酒は闘技場までの順路がその身に染み付いているらしい。迷うことなく進み、道を扼している縄を超えた。それから階段を下りて──
「着いた。この先が闘技場だよ」
「袋小路の間違いじゃなくて?」
「あはは。暗くて見えないけど、ここに扉があるんだ」
そう言い、彼女は正面の壁を押した。みしみしと軋む音がして、道が開ける。相変わらず暗いけど、感覚的にその先が広い空間だってことは分かった。
「ここの真ん中に闘いの舞台があって、そのちょうど反対側の立ち入り禁止場所に、囚われた人達が居るみたいだよ。桜華によるとね」
「あいつ、結構な無茶してるな……」
桜華はいつも、夕飯の時に調査の進捗報告をしてくれる。他人事みたいにあっけらかんと語るけど、実際にやっていることは、なかなか大それているみたいだ。
「ここなんだけど……流石に外──つまり、こっち側から施錠されてるみたいだね」
神酒が嘆く。昼間は施錠されていなくて、代わりに立ち入り禁止の表示があるらしい。多分、闘技場関係者の通路になっているのだろう。
「困ったな……向こう側からこの錠前を破壊する手段は無いし、これじゃ朱里さんの自発的な脱走に見せかけられない」
神酒が嘆く。ここの施錠がある限り、闘技場で使われている人たちは脱走のしようがない。囚われたら最後、ここを出る方法は強制捜査の他に……いや、違う。方法は必ずあるはずだ。絶対に出られないなら、夜間警備を一人だけつける——情報通りなら、だけど——意味が無い。だって仮定の通り出られないんだから。だけど警備が居るってことは、間違っているのは「出られない」っていう結論じゃなくて、仮定の方だ。即ち、朱里さんたちが脱走する方法は存在する。じゃあその方法って何なんだよって話だけど。
「神酒。ここ以外に、牢屋に行く方法は無いの?」
「う~ん。少なくとも、私は把握してないかな」
「何か、絶対何かあるはずだよ」
神酒は唸りながら「夜間警備が居るんだもんね」と小さく呟いた。彼女もあたしと同じ結論に至ったと見える。
「桜華の奴は、この先に行ったんだよね?」
「うん、そう言ってたよ」
「あいつがした話、もう少し詳しく教えてよ」
「え~っと確か」
神酒が思い出し思い出し話を進める。桜華はどうやら、闘技場の観客が上げる大声に扉の開閉音を被せてこっそり入ったみたいだ。その先には通路と階段。下りた先には空間があって、牢屋とその空間は、穴から向こうを見る事が可能なくらい朽ちた大扉で隔てられている……らしい。
「桜華はその扉の向こうに、朱里さんが居るのを見たんだって。ちょうど闘い終わって、闘技場の人に囲まれながら戻って来るところを……あはは、小町。聞いてくれてありがとう、扉も何も無い侵入経路を見つけたかも」
「奇遇だね、あたしもだよ」
闘いを終えた朱里さんたちが通り、牢屋に戻される道——つまり、舞台から牢屋へ直通の道があるはず。同時に頷き、あたしらは舞台の方に足を向けた。
観客席と舞台の境まで来た。「入るなよ」と観客に言いつけるための杭と縄がある。その先は人間二人分以上の高さ窪んでいて、下りればいよいよ舞台だ。
「どう? 跳ぶ勇気ある?」
嫌に笑いながら言う神酒。何言ってんの、あるわけないじゃん。そう思い、あたしは黙ったまま懐から縄を取り出した。河童の一件以来、こういう時には縄を持ち歩くようにしている。比較的原始的な道具だけど、これが案外丈夫で役に立つんだよね。具体的には……そう、錠前を壊す怪力の鬼も拘束できるくらいに。あれには鬼の精神的な問題もあったかもしれないけど……とにかく、信頼できる道具だ。それを杭にしっかり結び——
「行くよ、神酒」
舞台に下りた。神酒も続いて下りて来る。縄はそのままにしておこう、帰り困るからね。相変わらず暗くてよく見えないけど、話に聞く限り、ここでは人が死ぬこともあるんだってね。…………い、いい、いや、だだ、だからなな何ってわわわ訳じゃないよ。よよよ。
こっちだよ。そう言いた気に、神酒が親指で後ろを示した。そうだね、ここからは声を出さない方が良い。闘技場常連の記憶を頼りに、入退場口を探す。そんなに広くないからすぐに見つかった。
——やっぱり開いてる
と言うか、そもそも扉が無い。神酒の言った通りだ。互いに顔を見合ったあたしらは首を縦に振り、いざ突入。使われている人たちが通る道を、なるべく足音をたてないように進む。長い——暗くて見えないし歩くのが遅いから、そう感じるだけかもしれないけど——通路を進むと階段があって、下りるに連れて明るくなり始めた。
——人の気配がする。例の夜間警備かな
階段を下りて踊り場。右の方には朽ちた木の扉がある。桜華が言ってたやつかもしれない。左には、奥へ奥へと続く牢屋の列が見られる。桜華の話によると、朱里さんの檻は向かって右側の一番手前らしい。あたしらは今、壁に背中を付けている。その壁の向こうは檻じゃないようだけど、人の気配があった。警備はそこに居るのだろう。さてどうしたものか……そう悩んでいると、神酒が紙と矢立を取り出して何か書き始めた。それとほぼ時を同じくして——
「ふあ~、くそ眠ぃ。何が楽しくて一晩中監視なんてしなきゃならねえんだ」
壁の向こうから、仕事に対する愚痴が聞こえた。なら帰ってもらって結構。神酒が振り返った。渡してきている紙をわずかな灯りに照らしてみると、「あいつを無力化する策は無い?」と書かれている。暫く観察しよう。そう書いて返した。
「ああやばい、寝ちまいそうだ。昼間の賭場遊びが祟ったか……」
警備の男はずっと独り言を呟いている。相当お疲れの様子だ。すると、今度は彼が立ち上がったような物音がした。眠気覚ましに歩くことを決心したのだろうか。あたしは神酒の肩を叩いて、言葉を綴った紙を渡した。
——あいつが奥まで行ったら、そこに鍵が無いか確認しよう
神酒はあたしを見て頷いたから、了解してくれたんだろう。少し待っていると、ざっざっざっと草履を地面に擦って歩く音が聞こえ始める。順調に遠ざかっていた。神酒がこっそり顔を出し、牢屋の方を覗いた。掌をこっちに向けている。待てって事だろうと思う。あたしは犬じゃないんだが。
「私が行く。ここで待ってて」
忍び声で言った彼女は、さっと身を翻して壁の向こうへ。覗いてみる。神酒は物音を極限まで抑えながら、棚や机の下まで隈無く捜索。そこは休憩室だけど道具置き場のようになっていて、金槌とか鋸とか……それと、何だか分からない道具たちが雑に置いてある。……捜索の成果は得られなかったようで、神酒は急いで戻って来た。
「あそこに鍵は無いと思う。もしかすると、あいつが持ってるのかも」
「最悪じゃん」
あいつをどうにかしないと、朱里さんを牢屋から出すのは不可能に近い。ばれないように施錠を壊す方法があるなら話は別だけど……そもそも、一番手前とはいえ見つからずに朱里さんの牢屋まで行くことさえ、この状況じゃ困難を極める。——足音が戻って来た。神酒もそれに気づいたようで、また筆談に戻る。彼女は何やら書き、私へ紙を渡す——その瞬間。かこん……と、あたしらのすぐ傍から音がした。矢立の筒が、神酒の膝から地面に落ちたのだ。本当に運良いのか、この人。
「あん? 何の音だ……? おい、誰か居るのか」
しかも最悪な事に、警備に気付かれた。どうしよう。相手は一人だけど、果たしてあたしの力で勝てるだろうか。神酒は丸腰だし、あたしが持ってるのは短刀。向こうは普通に刀を持ってるから、絶対に無理。
「ったく、勘弁してくれよ。こっちは今にも寝ちまいそうなくらい疲れてんだから……」
そう言いながら、男の声がどんどん近寄って来る。もうすぐ、朱里さんの牢屋の前辺りまで来るだろう。神酒は必死に、引き返そうと身振りで伝えてくる。だけどあたしは、彼女に「待て」をした。この状況を打破する作戦……というか解決策を思いついたからだ。あいつは既に疲れきっている。急激にもっと疲れさせる事が出来れば、耐え難くて気絶するかのように眠るはずだ。そんな事が出来るのかと問われたら……ああ出来るね、あたしなら。
「——梅雪風」
そう呟いた。あたしを中心に淡い光が広がる。驚いたのか、神酒は周りを忙しなく見ている。この梅の香りの出所を探しているようにも見えた。やがて、暗香と共に広がった冷気が警備の男に吸われていく。
「さみぃ……な、何だ、こりゃ……?」
どさっと、倒れる音がした。
「行こう、神酒」
「え、ええ? ……って、警備が倒れてる。小町……何をしたの?」
「うん? ああ、何か分からないんだけど、妙な力を使えるんだよね。対象の体力とかを奪えるって感じかな、一言でいえば」
説明すると、神酒は合点が行ったような顔をした。
「私の故郷にも居たんだよね、不思議な力を使える人。その人は小町のとは違って、戦う系の力だったけど」
「へえ。じゃあ、その人は桜華のと似てるかも」
「……桜華も使えるの?」
「うん。って神酒、今はそれより」
「ああ、そうだね」
男は鼾をかきながら寝ている。思いっきりやってやったから、そう簡単には起きないはずだ。彼の懐を探ると……鍵の束があった。疲れすぎていたこいつが偶然朱里さんの檻の前で眠ってしまい、懐の鍵を奪われた。そういう物語にしよう。
「よし、これで!」
異様なほど嬉しそうに、鍵を持って朱里さんの牢屋に駆けていく神酒。そう言えば、神酒と朱里さんは交流があるんだったね。
「朱里さん、朱里さん、起きて!」
そう呼びかけながら、神酒は迷うことなく鍵束の中から一本使って施錠を解いた。檻を開け、中へ。あたしは男を引き摺りながら彼女を追う。
「朱里さん、起きてってば」
「んん……あれ、神酒ちゃん? 神酒ちゃんよね? どど、どうしてここへ……?!」
「話は後でするから、早くここを出よう!」
「え? ええ?」
謎の状況と寝起きとが重なり、彼女は滅茶苦茶に混乱している様子だ。まあ、無理も無い事だと思うけど。
「警備の奴が起きる前に、さあ! 碧斗くんが待ってるから」
「……っ! あ、碧斗は無事なのね?」
「うん。今は防人が保護してくれてる。朱里さんの帰りを、彼はずっと待ってるよ」
「ええ、分かったわ!」
とりあえず、朱里さんの救出は成功した。次はこの警備の野郎を……檻にぶち込んでやろう!
「神酒、鍵貸して」
「はいよ」
朱里さんと共に牢屋から出た神酒。彼女らと入れ替わりで、引き摺っていた彼を牢屋へ。刀を奪い、そのまま施錠してやった。鍵と刀は道具置き場に放り込んでおいた。そんなあたしを、朱里さんが不思議そうに見る。状況を察したのか、神酒が「私の友達、小町だよ」と紹介してくれたので、「神酒の友達の小町です」と、あたしも簡単に挨拶。
「急いで桜華と合流しよう、小町」
「うん」
最後に、道具置き場から梯子を拝借した。舞台の壁を越えるためだ。これなら、自然に「朱里さんによる脱走だ」と主張できる。縄より断然いいだろう。
「もうすぐ外だよ」
神酒が言った。朱里さんを安心させるためだろうと思う。重厚な扉を越えた。懐かしいとさえ感じられる月明かりを頼りに、あたしたち三人は桜華の待つ一粒万倍の裏へと急いだ……。




