セリナの本心 4
セリナは呆然としてそれを見送った。セリナを助けるために命がけで我慢した。ヴァドサ隊長は命令があれば、セリナを殺せるということだ。いや、なくても己の判断でそれができる立場にある人だ。彼の判断でセリナが殺されないように、そのためだけに毒の苦痛に耐えた。
その事実にセリナは呆然とした。涙が溢れて止まらない。その時、若様が君は大丈夫?と聞いてきたことを思い出した。毒を口にしていないか、あの時、さりげなく聞いて確かめていたのだ。
若様が殺されそうだという事実に怒り、その明確な殺意に怯え、パンを作らなければ良かったと、ただ、その事だけに押しつぶされそうになっていた。
よく考えればそうだ。だって、セリナが毒入りのパンを口にしたとき、一口押し込んだだけなのに、物凄く苦かった。重曹の味じゃないとすぐに分かるはずなのに、黙っていた。
胸が痛かった。若様の優しさが胸にしみた。セリナの方はただ、若様と一緒にいたくて、ただ、ベリー医師の言うとおり、宝石のように綺麗な若様を自分の隣に並べて、自慢したかっただけなのに。
「セリナ、行こう。」
リカンナが言って促した。促されるまま、自分達の控え室に入る。今はみんな仕事中で誰もいない。シルネとエルナもジリナの監視の下で、洗濯か何かをしている。
「…セリナ、大丈夫?」
リカンナが心配そうに聞いてくる。でも、一言も答えられなかった。
「……どうしよう、リカンナ。わたし、ひどい女だよ…!だって、こんなことになるなんて思ってなかったから!わたし、若様を傷つけてたんだ!きっと、知ってる!」
「みんな、そんなことになるなんて、思ってないよ。村の子達はみんなそんなことになるとは、考えてもいなかった。わたしだってそうだもん。
それに、若様があんたの本当の気持ちを知ってるかどうか分からないよ。言わなければ分からないし、わたしだって同じだよ。あんたにひっついていれば、若様が声をかけてくれるんだから。自慢にならないって言ったら嘘になる。」
「…でも、リカンナ。若様は鋭いの。わたしの気持ちをきっと知ってる。それなのに、わたしを命がけで助けてくれて。自分の命の方が危ないっていうのに…!」
「…うん、そうだね。わたしも聞いてびっくりしたよ。本当にあの若様は優しい方だ。」
おいおい泣くセリナをリカンナはしばらく、背中をなでて慰めてくれた。
「…ねえ、セリナ。わたし、思うんだけどね、あんたが若様に恩を返す方法は、一つしかないと思う。若様があんたを友達だって言うのなら、あんたは若様の友達でいなきゃ。どんなことがあっても、友達でいてあげればいいんじゃないの?だって、あんなに命を狙われているのなら、そう簡単に友達なんてできないもんね。」
リカンナの言葉が胸にしみる。
「わたしが…友達でいていいのかな?いいかげんだったのに。いいかげんな気持ちだったのに。」
「これから、いいかげんでなければいいんじゃない?これから、本気で友達でいてあげたらいいんじゃない?たぶん、フォーリさんもベリー先生もそういうことを言いたいんだと思うよ。覚悟ってそういうことだと思う。」
「…リカンナがわたしのかわりになってあげてよ。わたし、自信ない。」
リカンナが笑った。
「わたしじゃ無理よ。だって、若様はあんただって言ってるんだから。わたしはあんたの次なの。あんたといつもいるから、わたしは若様に覚えて貰っているだけ。わたしも分かってる。
だからね、覚悟を決めなさいよ。このまま若様の気持ちを踏みにじったままでいいの?あんたらしくないじゃないの。このまま逃げるなら、わたし、あんたと絶交するよ。だって、人でなしとは友達でいたくない。
でもね、覚悟を決めて若様の真心に答えるつもりなら、わたしも一緒に友達でいてあげる。」
「……。」
リカンナは怖がりだが正義感も強い。だから、村でも拾われ子だという事で馬鹿にされているセリナと、友達でいてくれているのだ。リカンナという友達を失いたくない。それに、若様にも申し訳なかった。
「ねえ、セリナ。あんた、本当の気持ちはどうなの?ただ、自慢したかっただけじゃないでしょ。本当は好きだって分かってる。若様のこと、好きでしょ?その程度で消えちゃうような簡単な気持ちなの?」
セリナは、はっと胸をつかれた。その事を言われると胸がぐっと痛む。好きになっちゃいけないから、押し殺そうとして。でも、少しは一緒にいたくて。パンだって純粋に食べて貰いたかっただけだ。一言、おいしいって言って欲しかっただけだ。
「……好き。若様のこと、好き。だって、生まれて初めてわたしのこと、綺麗だって言ってくれたの。べっぴんさんだって、言ってくれたの…!すっごく嬉しかった。だから、一緒にいたかったの。わたしの作った物を食べて貰いたかったの。それだけだったの。そして、みんなに仲がいいのよって自慢して。見返してやりたかったの。」
「このままでいいの?若様に謝らなくていいの?」
セリナは首をふった。
「…良くない。若様のこと、忘れられないよ…!死んじゃうかと思うと恐くて、たまらなかった!真っ青で手も冷たくて。純粋できらきらしたあの笑顔がもう見れなくなるかと思うと、胸が痛くてたまらなかった!
好きなんだもん!どうにもならないよ…!今までこんなに好きになったことがないって言うくらい、好きなの…!だから、怖くて。怖じ気づいて逃げようとしたの。どうしたら、いい?」
「もう、馬鹿ね。だから、言ってるじゃないの。同じこと。」
「……。うん。分かってる。友達って言ってくれるなら、ここにいる間だけでも、友達でいてあげたい。」
「それでいいのよ。わたしも一緒にいてあげるからさ。」
「…うん。ありがとう、リカンナ。」
「ほら、顔、洗わなきゃ。みっともないわよ、鼻水だらだらで。」
「!もー、言わないでよ、分かってるって!こういう時に限って、若様に出会ったりするのよねー。ちょっと、様子覗ってよ。」
「はいはい。」
リカンナは扉を開けてきょろきょろと見回し、セリナを手招いた。
「大丈夫よ、行こう。」
ようやく、調子を取り戻したセリナは、リカンナと外に出て行った。
その後ろ姿をフォーリとグイニスは見守った。セリナを元気づけようと、彼女たちのいる部屋にやってきたのだ。話を聞くつもりはなかった。だが、聞こえてきてしまって、入ることができなかった。リカンナが出てくる気配に、フォーリがグイニスを抱えて素早く物陰に隠れてやり過ごしたのだ。
「若様。大丈夫ですか?」
グイニスはぽろぽろと涙を流した。
「大丈夫。…ただ、嬉しくて。私のことを好きになってくれる人がいて、とても嬉しい。私には、そんな機会は決して訪れないと思っていたから。」
王である叔父の心変わりしない間は、生きていられる。だが、誰かが明確に殺したがっているのだ。その誰かとは分かってはいるけれど、でも、辛かった。知っている人だから。
いつまで生きられるか、分からない自分に心を寄せてくれる人がいる。それは、グイニスの心の傷に優しくしみた。




