第二十一話 父の願い
それから男はもう私の家に来ることはなかった。死んでしまったのだ。父と山に出かけてその男は死んだ。とても悲しかったことは覚えている。私は男の話を聞くのが好きだった。猛火とともに生まれる鳥、雷とともに走る猛獣、嵐を起こす巨大な空飛ぶ蛇、彼の話はおとぎ話のように美しく、想像が掻き立てられるものだったからだ。
そして、見たことのない動物や場所の話を聞いた後にベッドに潜ると夢の中でその動物が夢の中で生き生きと駆け回り飛び回るのだ。
その楽しい思いが二度と訪れることがないと考えると辛かったのだろう。この本を見るとおとぎ話のような冒険を楽しそうに話す男と父の姿を思い出してしまうから押し入れの中にしまったのだろう。
今までは思い出す必要はなかった。でもいまは違う。机の上に散らばった本を見る。
こちらは私が物理がわかるようにと歩が作ってくれた解説書だ。物理だけではない。数学や化学もある。この本は私のために歩が作ってくれたものだ。思いや作った経緯は違えどどちらの本も私のために私に託されたものだ。
「なんだか私、たくさん自作の本をもらってるんだなぁ。」
何かそのことが奇妙で、でもすごいことのように思えてくすっと笑う。
しかもその本は両方とも私の将来につながることだ。過去からも未来からもそこに行けと背中を押されているように感じる。運命ってこういうことを言うのかもしれない。
いや、でもこれが運命であっても、運命でないとしても、今は私の手でつかまなければいけない。死んでしまったお父さんの友人が私に託した思いも歩がつないでくれた合格への道もすべて私が受け止めてこの壁をみえて見せるんだ。
私は、押し入れの幻獣図鑑と机の上の参考書を抱え、お父さんの部屋に向かった。
◇
いつの間にか私は15年前に書籍の奥にしまい込んだはずの岩で削れ、地切れたザイルを手に持っていた。
「私はどうすればよかったのだろうか。ストークス」
トントントン…ドアがノックされる音が聞こえる。
「入りなさい。」
ドアのほうを向いて私は答えた。
「入るわよ。お父さん。」
娘はそういいながら扉を開いて入ってきた。口を一文字にギュッと占め、目をギラギラ輝かせて入ってきた。
昨日のうろたえた様子とは明らかに違う。おそらくは昨日の話をするつもりだろうが、手に持っている本のおかげで何をするつもりか見当はつかない。
「推薦のことなら何も話すつもりはないぞ。」
昨日は熱くなり歩の口車に乗せられてしまったが、彼がもし、仮に、万に一つもあり得ないだろうが、オーディンを登ったとしても私は娘を神聖秘匿事象究明機関に行かせる気はない。あの組織は危険だ。
「いいえ、話を聞いてもらうわ。やっぱり私は神聖秘匿事象究明機関に入るの。」
「どうしてわからないんだ!あの組織は危険なんだぞ!お前は家の仕事を継いでこれまでの生活を続けていくのが一番いいんだ!どうしてわからない!」
「私がどうして神聖秘匿事象究明機関に行きたいのか、いえ、村から出ていろんなものを見たいと思ったのか、思い出したの。」
そういって娘は抱えている本の中から一冊私の机の上に置いた。表紙を見ると、
『幻獣』著:ストークスと書かれていた。
「ああ。」
それを見た瞬間、14年前に失ったかつての相棒の姿を思い出す。ストークスの顔が目に浮かぶ。あいつは笑うとき白い歯をいっぱいに見せて笑うやつだった。
あいつも勇敢で向こう見ずなやつだった。この大陸の未開の地を発見していった。常に前だけを見て止まることや振り返ることを知らなかった。常に夢だのなんだのがなけりゃ生きている価値はない。そういうやつだった。
「これがその理由よ。」
そもそもなぜ娘がこの本を持っているのだ。
そうだ。確かオーディンに一緒にぼる前に娘に何か話していたな。それでその時にこの本を渡したんだ。海岸の崖にフェンリルがいるかもしれないからそれを見に行くという話なのに、図鑑は置いてきたというから俺が怒鳴ったんだった。それでそのあと言い返されて俺は珍しく口げんかで負けた気がする。
思い出したくもない過去だ。払しょくしたい。でもその本を見ていると記憶がいつまでも流れ込んでくる。
「私、この本に乗っている動物が実際にいるのか確かめるの。」
娘は懸命に語る。
ダメだ。危ないんだ。そうやってロマンを求めてストークスは死んだ。俺は失敗した。
「そして残りのページを動物で埋めてすべて完成させるの。」
有無も言わせぬ勢いで語る。娘の目は情熱で青く燃え盛っているようだ。
わかってくれ、私はお前を危険な目には合わせたくない。相棒だけでなく、大事な一人娘まで失いたくないんだ。
「だから、私は神聖秘匿事象究明機関に行って幻獣を調査するの。その為に私はこの家から出ていくわ。」
「駄目だといっているだろ!!!!」
私は自分でも驚くほどの声を上げた。怒鳴ってしまうのは悪い癖だ。しかし、私は自分を止めることができなかった。このままではまた何か大切なものをうしなってしまうかもしれない。
「駄目だ!!!そんなこと!!!現実を見ろ!!!お前にはもうやるべき仕事があるんだ!!!そうすれば安全にずっと今の暮らしを続けていける!!!幸せが約束されているんだぞ!!!それを捨てて何かいいことがあるというのか!!!」
「うるさい!!!!いい加減にして!!!!」
娘が今まで聞いたことのない大きな声で反論する。その迫力をはじめて見た娘の姿に私は戸惑いひるんだ。
「現実を見ろだとか!!!神聖秘匿事象究明機関に行くなとか!!!今の仕事をやれば幸せになるとか!!!誰が決めたの!!!全部お父さんじゃない!!!お父さんが勝手に決めたんじゃない!!!これは私の人生なの!!!お父さんじゃなくて私の道は私が決めるの!!!邪魔しないで!!!」
娘はうるんだ目を腕でこすり、その力強い視線で私の目をしっかりととらえ、静かにはっきりと話し始めた。
「あまりしっかりは覚えていないけれど昔はお父さんもストークスさんと一緒に長い期間冒険に行ってたじゃない。それがあの日からは一日も冒険に行くことはなくなった。お父さんはストークスさんに罪悪感と責任を感じ冒険に行かないと心に決めたのかもしれない。私にはしっかりとはわからないけどそんな気がする。私は夢を託されたの。これはストークスさんが一生懸命生きて冒険した証でしょう?そんな大事な生きた証を託されたのに私はそれを放っておいたまま、忘れたまま、一生を終えることはできないわ。」
そして一呼吸おいて娘が言う。
「お父さんお願い。私はこれから先ここでずっと生活するより神聖秘匿事象究明機関で学んで図鑑を作る。これがわたしの幸せなの。わかってちょうだい。」
ああ、そうか。ストークス。お前はやっぱり夢を追い続けるんだな。あの時、死ぬ直前の口げんかでストークスが俺に行ったことを思い出した。
『俺たちはロマンを追ってここまで来てるだろう!俺たちを止められないようにパンジーの夢を止められるわけねーだろうが!!!』
お前の言う通りな気がするよ。俺たちも昔はいろいろ無茶やったもんな。
私はぽつぽつと独り言を言うように言葉を漏らした。
「私は今まであんな剣幕でまくし立てるパンジーを見たことがなかった。」
「それは必至だったから。ごめんなさい。」
娘ははっとしてばつが悪そうにゴニョゴニョと言った。
「いいんだ。今まで私はパンジーのすべてを知っている気でいたんだ。本当に家のことを継ぐことがパンジーにとって最大の幸せだと。神聖秘匿事象究明機関に行くなんてのはただの遊びで気の迷いだと。でもそれは違った。本当のパンジーは神聖秘匿事象究明機関で学びたいことがあった。」
今までは本当に娘は家の仕事を継ぎたいのではないかと考えていた。いや、私はそう思いたかったのかもしれない。娘が私にそのようなことを言ってこないことをいいことにして。
娘が本気なら止められない。しかし、私はそうやって夢を追って、そしてそうやって相棒をうしなったからこそ身に染みていることもある。
生きてこそだ。生きていないと夢も意味がない。
「私はパンジーが辛い思いをせず毎日楽しい思いをして過ごすことが一番大事なことだと思っている。今もそう思うよ。それが神聖秘匿事象観測究明機関に行くことならそれでもいい。」
そこでパンジーの顔がパッと明るくなり笑顔になった。ああ、これは止められない。でも、どうしても譲れないことは私の中にある。
「しかし、私は親友の無茶な挑戦を許したがゆえに親友を死なせてしまったんだ。だから、戒めとして決して彼のような無茶は自分の大切な人にはさせないと誓ったんだ。もう大切な人に苦しい思いはしてほしくなかったから。その結果どんどん思考が保守的になってしまい、挑戦すること、自身でコントロールできない物事を恐れた。」
後半の話をパンジーは今度は笑顔を見せずに真剣に聞いた。どうやらこちらの言うことも本気だとわかってくれたようだ。
「パパの考えてたことわかったよ。やっと。今までもパパなりに私のこと思ってくれてたんだ。」
「推薦のことは前向きに考える。しかし、今の私では娘をリスクから守るべきなのかそれとも挑戦を許して大学に通わせるのがいいのかわからない。君の受け継いだ教訓というのはとても重要だとわかっている。でも同時に私の中で彼が死んだときにした誓いもとても重要なことだからだ。だからすまないが2週間考えさせてくれ。これが最短だ。その後に回答はするよ。」
ふがいないがこれが私の精一杯なのだ。しかしそれでも娘は納得してくれたようで、優しくかすかに笑顔を浮かべながら言った
「わかった。話を聞いてくれてありがとうお父さん。」
「ああ。」
「パンジー、ストークスのことを覚えてくれていてありがとう。そんな熱い思いがあるなんて今まで知らなかった。」
「ごめんなさい。お父さん、偉そうなこと言っちゃったけどストークスさんのこと今まで思い出さないようにしてたの。こわくなっちゃうから。本当な大事でなことからは逃げてたの。でも歩がそれじゃダメだって気づかせてくれた。本当に自分でかなえたいのなら自分で行動しなきゃって。彼が支えてくれたから私はここまでこれたの。」
パンジーは他の本を私の机の上に置いた。
「それ見て。歩が私のために作った参考書よ。」
物理や数学、化学についての解説が乗っている。公式屋その定義、そしてそれをどのようなシチュエーションで使うのか、どのような問題が出るのか、引っ掛かりやすいポイント、問題を解くときのコツまで詳しく書かれている。
「あの少年はこんなものを作っていたのか。」
「彼、私のために寝る間も惜しんでここまでのものを作ってくれた。」
「信じられん。」
「それ以外にもいっぱい助けてくれた。私の未来をできる限り切り開いてくれた。でもそれで逆に助けられてばっかりや助けてもらおうとするばかりではダメなんだって、最後には自分で何とかずるしかないんだって気が付いたの。」
「そうだったのか。」
私はどうやら娘だけではなくあの青年のことも誤解していたようだ。あの青年にどうしても伝えなければいけないことが増えた。




