幕間 その4
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とっとと事情を説明すべきか、それともこの場限りのごまかしに走るか、もしくは「やってらんねぇよ!」と叫びながらこの場から全力逃走を図るか。
一瞬で浮かんだのは主にその三択だったのだけど、全力逃走は却下。佐奈平君と笠酒寄のバトルが僕なしで勃発してしまう。大惨事だ。
そして、ごまかしも却下。バレたらどうなるからわからない上に、佐奈平君という名の不確定要素が大きい。ほんの小さなほころびからどういう方向に転がってしまうのかわからない。
十分後には僕が佐奈平君と生き別れの兄妹であるという話になってしまっても不思議じゃない。
よって、僕が選択したのは一番最初に思いつき、そして最善だと思われる選択肢だった。
正直に限る。
「小唄から頼まれて、さ。佐奈平君と一緒に遊びに行くことになったんだよ」
「違いますよ、空木先輩。わたし達は『デート』に来ているんですよ。恋人達の甘い蜜月の時間、親愛なる二人によるひとときの逢瀬。そういう状態なんです。物事は正確に、そして迅速に説明してください。特に笠酒寄先輩に対してはそういう対応が望ましいと思いますけど」
割り込んできた佐奈平君によって、事態はより一層混迷を深くした。
一言でここまで事態を厄介に出来るのは、最早才能とか、努力とかいう次元を超越しているような気がするんだけど、どうだろうか?
「でぇと? 空木君が? 佐奈平さんと? なんで? わたしも何回かぐらいしかしてないのに?」
怖い怖い怖い怖い。
普段はやかましいぐらいのテンションの笠酒寄が抑揚のない口調でしゃべるとこんなに恐怖を感じるのか。人のギャップって怖いな。
「待て待て待て待て。佐奈平君と僕では現状認識に隔たりがあるんだよ。僕は単に一緒に遊びに来ている程度の認識なんだけど、佐奈平君は違うというか、そのへんが今回のややこしさというか……」
必死に弁解しようとする僕にはまったく気を払う様子を見せずに笠酒寄は空いている席に座る。四人掛けなのであと一人分は空いているのだけど、好き好んで座る人間はいないだろう。こんな修羅場真っ只中に。
「小唄ちゃんの頼みで、なんで空木君が佐奈平さんとデートしてるの? なんでわたしに言っておいてくれなかったの?」
やべー。怒ってらっしゃる。これは確実に怒ってらっしゃる。
下手な申し開きは人狼パンチどころか人狼キックに人狼タックル、そして最後に僕は八つ裂きにされてしまうことだろう。
ぐ、と腹のあたりに力を込める。負けないように、ヘタレないように。
「笠酒寄」
「なに?」
ご機嫌斜めなのは先刻承知の上だ。そのうえで機嫌を直してもらうにはどうしたいいのか? これまでの人生経験をフル活用するしかない。
真っすぐに僕は笠酒寄と視線を合わせる。
「お前に事情を説明してなかったのは僕のミスだ。悪かった。反省してる。どんなに傷つくか、なんてことはちょっと考えればわかることだったのにな。ごめん」
頭を下げる。
とはいっても座っている状態なのでそこまで下がることはないんだけど、『しっかり謝罪の意を示す』というのが重要なのだ。
笠酒寄はなにも言わない。
「もっとお前のことを考えてやればよかったのに、僕はそれをできてなかった。これからはもうちょっと考えるからさ。機嫌を直してくれないかな?」
「……空木君はさ、わたしとデートしたくないの?」
……そうきたか。いやまあ、僕もあまり外出するよりも引きこもっている方が性に合っているほうだからあまり笠酒寄と一緒に遊んだという事実はない。
だからこそ今、笠酒寄はへそを曲げているんだろうけど。
「今度デートしよう」
「今度っていつ?」
「……次の週末にでも。それでどうでしょうか、お嬢さま」
「……うん」
……くっはぁ。あっぶね。何とか正解だったみたいだ。
これで失敗していたら僕の命さえも危うかったに違いない。
「お二人とも、誰かを忘れていませんか?」
……どうやら次は佐奈平君の手番らしい。
にこにこと笑顔を浮かべてはいるものの、やはり目が笑っていない。
「まず笠酒寄先輩。次のデートはありません。なぜならば、次の週末にはコダマ先輩はわたしの彼氏になっているんですから。他人の彼氏とデートすることを笠酒寄先輩はよしとするんですか?」
爆弾放り込むんじゃねえ! 宣戦布告どころか、先制攻撃じゃねえか!
だけど、笠酒寄も負けていない。
「それを言うなら佐奈平さんも人の彼氏とデートしてるのはどうなの? 現在の空木君はわたしの彼氏なんだけど」
「わたしは別に人の彼氏だろうが夫だろうが、デートしたい人とデートするんです。やりたいように、したいように。そして、そのためには手段を選びません。そういう人間ですから」
そこまで言い切れるのは、あまりにも人間性が欠如しているような気がするのだけど、佐奈平君が言うと変な説得力があるのはなぜだろう。すでに彼女の無茶苦茶ぶりを僕が多少知っているという面もあるのだろうけど。
「ちょっと身勝手過ぎない? 空木君にも空木君の事情があるんだと思うんだけど。それに他人はダメだけど、自分はいい、っていうのはダブルスタンダードじゃない?」
「こういう言葉を知っていますか、先輩。『人は人、自分は自分』」
「自分勝手って言うんだよ、そういうの」
「他人からの評価に興味がないので。わたしは自分の評価を自分で下すタイプなんですよ。だって、馬鹿らしいじゃないですか。なんで他人が定めた基準で評点をつけられないといけないんですか? 結局、それは自分の方が優れているという優越感に浸りたいだけのつまらないプライドだと思いますけど? 他人に点数をつけるって楽しいですからね」
どろっどろだ。すでに戦線は混迷を極めている。
講和は難しい。両軍引くことはできず、かと言って突撃しても目標(僕だ)の奪取には慎重にならざるを得ない。
じりじりとお互いに戦力を削ぎ落して、決定的な一打を放つ機をうかがっている。
巻き込まれている僕にはたまったものじゃないけど。
「空木君はわたしの彼氏なんだから手を出さないで」
「恋愛の自由は保障されていると思うんですけど。それともなんですか、笠酒寄先輩はこうおっしゃるわけですか? 『空木コダマはわたしのモノだ』、と。それはあまりにも傲慢……というか、コダマ先輩の自由意志を完全にないがしろにしている考えだと思います」
両者全く引く気はないらしい。
二人とも声を荒げることはないが、冷たい怒気が店内に充満していくのがわかる。さっきからほかのお客さんからの視線が痛い。ちらちらと店員さんたちの視線も刺さってくる。
「空木君がどうとかじゃなくて、人の彼氏にちょっかいださないで」
「堂々巡りですね。もうちょっと論理的に話をされてみたらどうですか?」
あ、だめだこれ。決着がつかないヤツだ。このままここでうだうだ言っててもしょうがない。
僕は一気に持っていたコーヒーを飲み干す。
そして、わざと二人にも聞こえるような音を立ててテーブルに置く。
反射的に振り向いた二人の顔を見て、注目を集めることには成功したのを確信する。
千載一遇のこのチャンス! 逃してたまるか!
「二人とも。このままここで言い合ってもしょうがないだろ? ちょっと歩きながら話そう。こういう時には気分転換してみるもんだ」
声が震えなかったことを自分でほめてやりたい。
笠酒寄も、佐奈平君もしばらく自分の持っているコーヒーを眺めていたが、ほとんど同時に一気に空ける。
「わかりました。そうしましょうコダマ先輩。わたしのほうが笠酒寄先輩よりも彼女にふさわしいということを証明して見せます」
「わかった空木君。三人でデートだね」
……いろいろと言いたいことはあったのだけど、今だけはぐっと飲み込んで僕は席を立つ。
二人も一緒についてくる。
「で、だ。二人ともどこに行ってみたい? 両者の意見を踏まえて検討しよう」
「ここです」「ここ」
二人が指さしたのは案内板の一か所だった。
それなりに有名な、女性服の専門店だった。
そして、時計の針は冒頭へと追い付く。




