幕間 その5
6
「じゃあ空木君待っててね。次の着てくるから」
「では空木先輩。少しお待ちください。わたしと笠酒寄先輩の違いを今度こそはっきりさせますから」
両者試着室に入場。
ほんのひととき、僕は安息を得る。
最初はそれぞれに入ろうとしていたのだけど、試着している間に相手がちょっかいかけ放題だということに気付いた二人はどちらからともなく同時に試着するという結論に達していた。
助かる。正直、笠酒寄は試着室から飛び出してきかねないのだから。
しかし、なぜ女子の買い物っていうのはこうも時間がかかるのだろうか。これで五回目の試着だ。
その上、一回一回の試着にも時間がかかる。
いや、そりゃあ色々と事情はあるのだろうけど、それを僕に全部察してくれって言うのは無体じゃないか? サイズさえ合っていればいいようなタイプの人間にそういう何度も何度も試着して、その上で買わないっていう行動を理解するのは難しい。
つらつらとそんなことを考えていると、二つの試着室のカーテンが同時に開く。
……お前ら実は仲いいんじゃないのか?
「どう? 似合う?」
笠酒寄は全体的に白のコーディネート。真っ白なカーディガンとロングのスカートで暖かそうだ。……ついでにねこみみみたいな帽子を被っているのは突っ込むべきか。
「どうでしょうか? 似合います?」
佐奈平君は対照的に黒っぽいコーディネート。皮のジャケットとパンツが似合う中学生っていうのはどうかと思うのだけど、怜悧な彼女の風貌に異常にマッチしている。
静と動、柔と剛、光と闇。そういう対照的な二人。
甲乙つけがたい。そもそものコンセプトが違うのだから当然なのだろうけど。
それでも感想ぐらいは言わないと失礼だろう。
「うん、二人とも似合ってる」
「……引き分け」「……引き分けですね」
これで五度目の引き分けになる。僕もどうやったら勝敗が決するのかわからないし、二人も実はわかっていないんじゃないかと思う。
「いや、そろそろ僕も限界なんだけど」
ぽつりと心情を吐露する。
「限界? なぜですかコダマ先輩。今は女の決戦の最中なんです。この勝敗如何によっては人生の勝者と敗者に分かれるといっても過言ではありませんよ」
僕の彼女になることがそこまで大事だとは全然思えない。むしろ、他のことに労力を費やした方がいくらかは生産的だと思う。
「……空木君、やっぱり……目立つから?」
そうだよ。
女性向け服飾店に未成年とは言え、男がいる。
この状況で人目を引かなかったら、そっちのほうがおかしい。
現にさっきから僕は浮きまくっている。
他の女性客たちは僕にちらちら視線を送ってくるし、店員さんさえもどこか不審げな様子だ。このままだと近いうちに通報されるんじゃないかと気弱な僕は戦々恐々としている。
とどめのように、さっきから試着しまくっている笠酒寄と佐奈平君。
どうも、第三者から見てみたら、僕がこの二人に競わせて楽しんでいる、という風に見えないこともないらしい。
時折、『あの男サイテー』という感じの刺々しい視線が混じっている。更に言うのならば、その割合は上昇傾向を見せている。
針のむしろになるときも近い。
なぜ僕がそんな責め苦を受けないといけないのだろう。僕はただ自分の名誉を守るために妹の頼みを聞いただけなのに。
ああ、神がいるのならば出てくるといい。今ならばきっと最高の右ストレートを叩き込めるはずだから。そしてできれば感想も聞かせてほしい。今の僕がどれだけの不満を抱えているのかわかるはずだから。
「おーい、空木君?」
笠酒寄の呼びかけによって我に返る。
咳ばらいを一つ。
「……そもそもだ。僕が付き合ってるのは笠酒寄なんだから、佐奈平君はどうこう口出しすることじゃないと思うんだ」
いい加減に僕も嫌気がさしていた。
元々、乗り気じゃない頼みだったのに、ここまで疲れるとは思っていなかったのもある。
「コダマ先輩。わたしはあなたを手に入れるためならば、多少の労苦どころか、多大な犠牲もいとわない女ですよ」
だから……もうっ!
「……とにかく、一旦ここから出よう。いい加減にしないと営業妨害で訴えられそうだ」
「わかりました」「わかった」
こういう時だけは素直な二人だ。
場所を移して現在地は再び食事処。
しかしながら、先ほどのフードコートとは違う点もある。
個室だ。
本来ならば僕たちのような一学生程度がおいそれとは利用できないが、百怪対策室でバイトしている僕はそれなりに資金がある。
正直、痛い出費ではあるのだけど、奇異の視線を受け続けることに比べたら幾分かはマシだ。
そう考えないとやってられない。
「さ、て。じゃあそろそろ話をつけよう佐奈平君」
向かいには佐奈平君。笠酒寄はどこにいるのかというと、僕の隣だ。
佐奈平君は大層不満そうだったけど、なんとか説得できた。
「話? コダマ先輩が笠酒寄先輩と別れて、わたしの彼氏になってくれたら話はそれで終了です。それ以外にこの話の終焉はありません」
真っすぐに背筋を伸ばした姿勢で佐奈平君は頑として譲らない姿勢だ。
だけど、本当は彼女もわかっているんじゃないだろうか? 聡明な彼女ならばわかっているはずなんだ。自分がどれだけ無理強いをしているのかを。僕からどれだけの反感を買っているのかを。そして、自分がどれだけ駄々をこねているのかを。
多少先に生まれた程度の僕でしかないけれど、それを断ち切ってあげるぐらいの先輩風を吹かせてもいいだろう。例え僕が恨まれることになろうとも。そういう感情を向けられてしまうのは慣れてしまった。それに、彼女ならばそのうちに気付くはずだ。
息を吸って、吐く。
あんまり気は進まない。だけど、ショック療法というか、ある程度の刺激は必要になってる。
「……笠酒寄、ちょっとこっち向いてくれ」
静かに、なるべく佐奈平君を今は刺激しないように。
「え? うん」
素直に向いてくれるのは助かる。
「目をつぶってくれ」
「うん……って、えぇぇ⁉」
これから行われる行為に予想がついたらしい笠酒寄は大げさに驚いてくれるけど、僕は表情を崩さない。本気であることを伝える。
「…………わかった」
おずおずといった様子で笠酒寄が目を閉じる。
睫毛が震えているのがわかる。
緊張しているのか、少しだけ開いた口も震えている。
僕は、そんな笠酒寄の後頭部に手を添える。
ゆっくり、ゆっくりと笠酒寄の唇が迫る。
触れあう直前、僕も目を閉じる。
緊張のせいか、以前より少しだけ固い感触だったけど、確かにそれはキスだった。
一秒、二秒、三秒……。
大体十秒ほど。
だけど、唇を離した瞬間に目を開いた僕には、きらきらと輝きを放つ笠酒寄の瞳が見えた。
ふぅ。
「わかってくれたかな。僕は笠酒寄と付き合ってるし、好き合ってる。それに対して疑問を抱くような状態じゃないし、そこにちょっかいをかけてくるっていうんなら、僕は君と敵対してもいい。いや、むしろ積極的に戦う」
佐奈平君は何も言わない。
ただ、静かな目で僕の視線を受けているだけだ。
姿勢は全く崩れていないのだけど、なぜかその姿は少しだけ縮んでしまっているかのように見える。
沈黙。
僕から言うことはもう、ない。あとは佐奈平君がちゃんと受け止めてくれるかどうかにかかってくる。これでもダメならば、室長辺りに頼むしかないのだろうけど、それは最終手段にしておきたい。
「……わたしは、コダマ先輩が好きです」
それは、今まで聞いたことがないぐらいに小さな佐奈平君の声だった。
あれほど闊達にしゃべっていた女の子とは思えないぐらいに。
だけど、それは横恋慕になるんだよ。君には僕よりもいい男はいくらでも現れる。
「その好意はうれしい。だけど、僕は君と付き合えない。笠酒寄がいるから。彼女が大事だから。そして、二人でいる時間が大切だから」
逆切れされる、はたかれる、なじられる、色々と想定してみるけど、僕が無傷で終わるエンドは存在しそうもない。
まあ、多少の傷は覚悟の上だ。
今までの『怪』絡みで色々と経験してきた僕なら、どうにかなるだろう。
「……初めて……人を好きになりました。……初……恋だ、だった、んです」
とぎれとぎれだけど、それでも泣き出さないのは立派だと思った。
「わた、し。わたし……今まで、誰にも言え、言えないぐらいに……悩んでて。で、でも、コダマ先輩は、それを解決してくれて。う、うれしくって……好きになっちゃって……わたし、自分でも何をしているのか……」
ああそうか。僕がこの子に対して今まで強く拒絶できなかった理由がわかった。
この子は境遇が笠酒寄に似ているんだ。
狼の呪いに苦しんでいた笠酒寄と、自分のストレスに支配されてしまった少女。
似ている。違いは僕に出会った順番。
だけど、それは決定的な違い。
残酷かもしれないけど、最初かそうでないかの違いっていうのは大きい。
もし、出会ったのが先だったのならば、僕が付き合っていたのは佐奈平君だったのかもしれない。
でも、とか、もしもの話をしてもしょうが無いのはわかっているのだけど考えてしまう。
それでも、僕は笠酒寄を選ぶのかも知れないけど。
僕っていう人間はなんともあやふやで、曖昧で、そしていい加減だ。だから、告白された順番なんてもので結果が変わってしまうのだろうけど、それでいいと思う。
人間なんてそんなもんだ。
「君が僕に好意を寄せてくれたっていうのは素直にうれしいんだ。だけど、僕には譲れないものがある。本当にごめん。悪いのは僕だ。恨んでくれて構わないし、好き放題に言って言い。だけど、諦めてくれ」
痛いのは僕の心か、それとも佐奈平君か。いやいや、もしかしたら笠酒寄が一番傷ついている可能性だってあるじゃないか。
「…………ぅ、……ぅぅぅううううあああああぁぁぁぁぁぁぁん!」
恥も外聞も無く、号泣しだす佐奈平君だったのけど、どこか憑きものが落ちたようにすっきりしているように見えたのは、僕の勘違いだろうか。
7
「それで、モテモテの空木コダマはどうしたんだ? 女子を泣かせてしまうだなんて、とんだドン・ファンだな。いつの間にそんないい男になったんだ? いやいや、この場合は悪い男とでも言った方が正確か? どっちにしろ、意味合いは似ているようなもんだから問題ないな。女子を泣かせてしまったんだから。やーい、泣かせてやんのー」
全然違うだろ、と突っ込みたい。
百怪対策室内、応接室。
いつものようにいつものごとく室長は定位置のソファでタバコを咥えている。
火だけは点いていなかったのだけど、フルーツのような香りが部屋中に満ちている。
「どうしたもこうしたも……佐奈平君は一通り泣いたら自分で帰りましたよ。僕達に気を使ってくれたんじゃないですかね」
「コダマ、キミは女心がわかってないなぁ」
そりゃそうなんだけど、そして確かに室長は女性なんだろうけど、言いたい。すごく言いたい。
(アンタに言われる筋合いはねえ!)
反撃が怖いので言わないけど。この、人をからかうことには常に全力全開の吸血鬼には絶対に言われたくない。アンタは女心どころか人の心があるのかどうかさえも怪しいじゃないか。
「結局、自分が勝手に思慕を寄せているだけで、相手は大層迷惑していた。そういうのはかなり堪えるじゃないか。キミだってそうだろう?」
そりゃそうだ。
勝手に好きになっただけの話なんだろうけど、それでも自分が好意を寄せているのならば相手からも好感情を寄せて欲しい。そのぐらいの機微ぐらいは鈍い僕にだってわかる。
「そんなこと言っても、僕は笠酒寄と付き合っているわけなんですから……まさか二股かけるわけには行かないでしょう」
「場合によってはそれもアリだとは思うだがなぁ」
「ギャルゲーのやり過ぎですよ」
現代日本で二股かけて許されるのはよっぽどの変人か、よっぽどの……やはり変人だ。
僕はそこまで逸脱したくはない。
超能力者でなり損ない吸血鬼という時点で十分逸脱しているのから、人間性という点では平凡でありたい。それだけが、僕を人間に繋ぎ止めている要素なのだから。
「とにかく、この話はこれで終わりですよ。佐奈平君にはこれから僕よりももっといい人が現れるでしょうし……」
「初恋って言うのはな……越えられない壁なんだよ」
「はいはい。一般論をどうもありがとうございます」
この場に笠酒寄がいなくて助かった。
本日の笠酒寄お嬢様はおうちの事情とやらで欠席。
とは言っても、現状百怪対策室に持ち込まれている『怪』はないので開店休業状態。僕や笠酒寄がいてもいなくても変わらない。
優雅な仕草でライターを取り出すと、室長はやっとタバコに火を点ける。
深く吸って、白い煙を吐き出す。
「コダマ、キミの初恋っていつだ?」
突然の話題は、先ほどまでのものと関連性はあるが、別に聞いても聞かなくてもいいようなものだった。
無視する、という選択も出来たのだけど、僕はなぜか素直に答えてしまう。
「小学生の時に、近所のお姉さんだったと思いますけどね。もう社会人になってるし、数年以上会ってないからわかりませんけど」
ごく普通のお姉さんだった。
当時の僕からしてみたら大層大人びて見えてのだけど、それは僕自身がまだまだ小学生というくちばしの黄色い状態だかったからなのだろう。
彼女は普通に高校生で、普通に生活してて、普通に自分より年下の小学生に接していただけだったんじゃないだろうか。
そう考えると、今回の件に似ている部分もなくはない。
僕はいつものように『怪』の解決のために動いて、佐奈平君はそこにありもしない僕の現像を見て、そして惚れてしまったのだから。
別に室長にそこまでの推察が組み上がっていたという保証はないのだけど、もしかしたらあり得るかも知れない。
この人は、未だに計り知れない部分が多いし。
「平凡だ。あまりにも平凡過ぎていじりようがないな。もっと小学生の内から熟女に目覚めているとか、ロリコンだったとか、そういう変態性を隠してないだろうな? あらかじめ言っておくが、私に隠し事はしないほうがいいぞ。後でほじくられたときに恥をかく羽目になるからな。……ああ、BLもありだな」
なぜ初恋の話という、ちょっとばかりの甘酸っぱさを感じさせるようなことから、こういう方向性に持っていこうとするのか。僕には全く理解できない。いや、したくない。
「平凡で悪うございましたね。僕は普通の高校生であることを希望しますから、それでいいんですよ。切った張ったの鉄火場に回されてしまったり、美男美女に言い寄られて爛れた日々を送るのは室長にお任せしておきたいですね」
皮肉、というにはちょっとパンチ力が足りない。けど、今はこれで十分だ。
まだ大分長いタバコを灰皿に押しつけると、室長はイヤな感じの笑みを浮かべた。
「ほうほう、なるほど。キミは平凡でありたい、ね。下手したら私でも手を焼きそうな超能力者の少年は言うことが違うな。おお怖い怖い。私みたいな可憐な少女なんて一ひねりにされてしまいそうだから、用心のために防御用の魔術を更に用意しておくかな」
……多分、用意されるのは防御用の魔術じゃない。おそらくは攻撃用だし、僕が室長に勝てるビジョンなんてのは見えない。
開始の合図と同時にぶん殴られて終了してしまいそうだ。
「ふふ、何を見ているんだコダマ。色々と妄想が捗るお年頃だからしょうが無いかもしれないが、あまりそういう目的に私を使うのはおすすめしないぞ。知られたら一生涯いじられる羽目になるからな」
「……見てません。絶対にそれはありません。誓ってありません。厳密に確立を定義することは出来ないかも知れませんけど、ソレが起こるのならば小唄が理想の妹に変貌する確率のほうが高いと断言できますね」
からからと室長は笑う。
何がおかしいのかはわからない。
これ以上の話は切り上げることにして、僕は室長の対面のソファに腰を下ろす。
「……で、わざわざ僕をからかうためだけにここに留まらせているわけじゃないんでしょう? どういう『怪』が持ち込まれているんですか?」
なにも百怪対策室に持ち込まれる依頼は僕を通してのみじゃない。
室長の知り合いが持ってくることもあれば、貼り紙からもやってくる。
そして、あのうさんくさいホームページからも。
「ちょっとは鋭くなってきたな、コダマ。ちょうど笠酒寄クンもいないことだし今日中に終わらせてしまおう。持ち込まれた『怪』は発生場所が男子校でな。……どうも次々に誘惑をかける美女が出現しているらしい。コダマ、キミは今から潜り込んで調査だ。見つかり次第拘束する」
……やっぱり僕は、頭の痛くなるような事件に関わってしまう運命からは逃れられないようだ。
嬉々として他の学校の制服を取りだした室長を見て、つくづくそう思った。




