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交響楽団の章〜最終話

挿絵(By みてみん)


 笑い声が聞こえた。不愉快に響くその声で、頭の奥がはじけ飛びそうになる。

 ゆがんだ光景が目の前を緑色に染め、意識がねじ曲がりそうだった。


挿絵(By みてみん)


「どうしても、みんなを助けたいんです」

 ぼんやりと誰かの姿が浮かんだ。

どこか誠実そうな青年が、そうやって力強く言った。そんな光景が脳裏をよぎる。これは、なんだ?


「貧困や、争いが許せないんです」

「だから、僕は音楽の力で、みんなを救いたい」


 この青年は誰だ?


「だから俺が音にしてやる。何もかもを純粋で、混じりけなく。決して止まらぬ心臓を持つ音にしてやる」

 僕を幻想から引き戻すように絶望の声がする。

「五年前の、この日この場所で、何もかもを失った。こんな思いでまで引きずり出すことになろうとは」

 トパーズ隊長を、力づくでひきはがし、折れた腕、焼けた喉、殴られた顔のまま、絶望が立ち上がる。

 幻想的な音が、絶望の細い体を無理やりに動かし、自分自身を人形のように操る。

「もう誰にも交響楽は止められない。過去の思い出を血肉として、今再び俺は、歩きだそう」

 

 頭の中で耳鳴りがして、視界が安定しなかった。声はどこか遠くから響く。

 言葉をゆっくりと切り、ボロボロの体で歩く。

「無様な足跡はすべて消して、何もかもを純粋な音楽へと昇華させよう。不甲斐無く、無力で、恥じた思い出に浸るのもこれが最後だ」


 「貴様らの亡骸を寝床にして、新しい世界を始めよう」


 絶望の言葉、そして音楽。交響楽の第六章が今終り始まりを告げようとしていた。

 僕らの周りの世界、目に映るものが全て変わっていく。

ぶわりと景色がゆがみ、城が一瞬にして、真新しくなる。

鳥のさえずりが聞こえた。

ここは?

 五年前のあの日だ。

 静かな声がする。先ほど聞こえた。青年のものと同じ澄んだ声だ。

 見降ろす先に、絶望が城の広間をゆっくりと歩く。


「困っている人たちを助けたいんです」

 そうささやく青年の声がまた聞こえた。

 青臭い理想や希望を抱いて、最初は何もかもを始めるのだ。いつしか破れたその思いは憎しみへと変化していく。


 今にも崩れそうなほど朽ち果てかけていた城は、見違え、何もかもが違って見えた。

 尖塔の小さな窓から絶望を狙っていたジャスパーさんも動揺を隠しきれない。

 みんなは同じ場所にいた、けれどその城の、石畳、壁、身の周りの空気がどこか違ったものになっていた。

 これは?過去の光景、幻?

 過去の映像と、今の僕らが入り混じる。

「何もない人たちを助けるために、音楽があるんだ」

 力強い声が聞こえる。

 いつかの過去に、弦の街中央の城。

 まだ若い、絶望の姿が夢のように、そこにいた。隣にはきれいな黒髪の女性が立っていた。虚無と呼んでいた女性だろうか。


 そして、その二人の傍に座っているのは。

 思わず息をのむ。呼吸が止まりそうだ。

 父さんだ。幼いころの思い出に微かに残る姿。大切な記憶に、すがりつくように思いだし、忘れないように必死になった。父さんの姿だ。

「父さん!!!!」


 いろんな疑問もすべて頭から吹き飛ぶ。思わず叫び、尖塔からつながる螺旋階段を駆け降りる。

 おいバカ何やってるんだ。そう叫ぶ結晶の声も、ジャスパーさんの叫び声ももうどうでもよかった。


 何もかも捨てるように、駆け降りた。待ちわびた何かの姿を見るように、僕も死者に囚われた一人にすぎない。

 

 僕が駆けおり、城のテラスに足を踏み入れたとき、またしても風景がガラリと変わった。全てが走馬灯のようだ。

「もうすぐ魔導交響楽が始まるんです。音樂の力でみんなを幸せにできるんです」

 まだ若い絶望が、無邪気にそう言い。

 となりの女性が、嬉しそうにほほ笑んだ。

 父さんは渋い顔だ。


「お前にはまだ無理だ、この公演は中止すべきだと思う」

 沈んだ声で、絶望を諌める。あの服は教徒の物なのだろうか、父さんの服にも絶望と同じような模様が刺しゅうされていた。


 

「そんな、そんなことないです」

絶望が無念そうに言う。

「僕の決意は本物です。誰かのためになら、この身なんてどうなっても構わない」

 そう言って絶望が真摯な瞳で父さんを見つめた。絶望と虚無が手をつなぎ、嬉しそうに笑う。軽やかに、優雅に。

風景は次々と移り変わっていく。僕を中心に目まぐるしく。


 計算されつくしたような配置で城に

 教徒が並ぶ。城の下には、街の人たちだろうか。

 大勢の姿が弦の街に集まっているのが見えた。

 絶望が尖塔の窓から身を乗り出す。

 そんな絶望を、少し離れたところから虚無が見上げる。

 城の周りに広がる街には、旗や露店が広がりお祭りの雰囲気を、醸し出していた。

 その中、教徒達が優雅な音を奏でる。各々が手にしているのは、不思議な形状をした。僕が見たこともないような楽器だ。


 城には、球体や管のようなものが取り付けられ、怪音を立て、何かが始まろうとしていた。

 奇妙な突起や何かから、時折青い稲妻や火花が飛ぶ。実験なのだろうか?

「さあ、いよいよです」

「これより魔導交響楽を開始致します」

 割れんばかりの拍手。

 歓声

 交響楽を始めようとする絶望の瞳には一点の曇りもない。

さあ、これから世の中はどんどん良くなるんだと、自分の未来への自信と希望に満ちていた。


 そんな絶望を虚無や若き日の騎士団の面々が晴れがましく見上げる。

 あれはジャスパーさん?若いな

 クリソコアさんは昔も不機嫌そうだ。

 トパーズさんは嬉しそうに拍手をしている。まるで、自分の晴れ舞台のよう。無邪気な子供のようにワクワクしているのが、ぼやけた過去の映像でも分かった。

 ひと呼吸を置いた絶望が、指揮するかの様に手を振り上げた。そして……

 最初の章が始まる。


 聞き覚えがある音だ。

 章は次々と変わり、教徒の手にした楽器と、城中の奇妙な器具が震えるかのようにして、音を紡ぐ。

 みんながうっとりと聞きほれるのが見えた。

 ゆっくりとした音が流れ、僕の気持を落ち着かせてくれるかのよう。

 けれど城の器具の一つが妙に震え、そして砕けた。楽器と器具の発する音がやがて徐々にずれてきた。


 絶望が、眉をひそめた。

 次の瞬間に起きたのは、轟音だった。

球体の一つが、突然破裂し、聴衆の周りに無数のガラスのかけらが降りそそいた。逃げ惑う人々、それから悲鳴。

 悲鳴、悲鳴、悲鳴。

 あちこちで連鎖的に青白い球体が破裂して、飛び散る瓦礫と恐怖の声。それから千切れた弦の音。

 惨劇が始まった。

 あわてる絶望が、何か必死に制御しようとしても、何も変わらなかった。

 ああ、これが、五年前の科芸祭なのか。青白く光る、魔導の力が暴走するように、何もかもを破壊し始めた。


 破片が宙を舞い、周囲の物が粉々になる。

人知を超えた力が、街中を荒れ狂っていた。

 めちゃくちゃになった交響楽を前に絶望が悲鳴を上げる。

 爆発が、城の一角をなぎ倒し、巨大な瓦礫がれきが崩れ落ち出したその下には。

 虚無の瞳に恐怖が宿る。

 絶望が叫び、身を捻るようにその体から伸びた弦を操り、ねじれ狂う音の制御を必死に試みる。細い腕にはじけ飛びそうなぐらいの力がこもり、骨がきしむ音が聞こえるようだった。


 何かに引きずられるように弦が伸び切り、そして千切れた。支えを失った巨大な瓦礫の塊が虚無の上に降り注いだ。

 絶望の瞳が闇に染まる。なにか大事な物を失ってしまったかのように、泣き出しそうな顔で、自分の引き起こした惨劇をただ眺めていた。

 

 視界が暗転し、また場面が移り変わる。

次の瞬間、誰かが、捕縛され、まるで中世の異端審問を見るかのように

おどろおどろしい光景だ。


 うなだれ、ボサボサの髪をした、絶望に以前の輝きはもうどこにもなかった。

「追放だ。教徒もお前も」

「本来なら処刑だが、〝夜空〟の犠牲で、科芸祭はかろうじて収まった」

「あの、失敗、あの体たらくで、よくぞこれだけの犠牲で」

「いいか、絶望?これは情けなのだ」

 誇りも恋人も、大事な物を何もかもを失って、下唇を血が滲むほど噛みしめ、それだけしかできない絶望の姿がそこにはあった。


 この街に、もう教徒も交響楽も必要はない。


 お前は追放だ。

 冷たい声が無慈悲に響き渡った。


 場面は変わり続ける。崩れ落ちた街の中、小さな女の子が一人で泣いていた。絶望が、うなだれたたまま近づく。


 魔法の言葉を教えてあげるよ。

 まほう?


 そう、もう一度大事な人に会いに行こう。そのために、この街中に言葉を描くんだ。

 ほんとうに?

 今度はもう嘘はつかない。必ず実現してみせる。

 もう一度だけ何もかもをやり直すんだ。


 この場所に再び。 

 現世の絶望が過去の城を歩き、幻影の中、りんと言葉を発する。

 この場所に再び立てた。


 

 見違えるように、雑草と苔にまみれた瓦礫から、磨き切ったピカピカの面に生まれ変わった。テラスの上を。一歩ずつ歩きながら言葉を紡ぐ。

 その姿は、次第に若返り、傷は癒え、徐々に過去の光景に近付いていくかのようだった。

 そばにはトパーズ隊長が膝をつくようにして倒れ、肩で荒く息をしていた。

「長くはもつまい、トパーズ。あの傷でよく、ここまで持ったものだ。交響楽の発動中とはいえ、魔導の力はお前には重すぎる」

「もう休め」


 何かを言いかけたトパーズ隊長の首筋に、そっとやさしく、冷たい爪があたる。

 尖塔から、連続で射撃音がする。

つい先ほどまで絶望がいた、瓦礫を穿ち、銃撃が正確に狙いをつける。

信じられないような身軽さで、絶望がそれをかわし跳躍した。

ジャスパーさんが尖塔から、弦を伝い、一瞬で駆け寄る。二発目の銃弾は弦ごと靴底で蹴られるように、軌道をそれた。


殴りつけた銃の柄がそのままへし折れる。

それでも、絶望の右腕をつかんだ。

「クソったれが」

 体に巻きつけられた火薬と弾薬帯に二人まとめて火花を押しあてようと。

 

 背にした弦にかぶさるように、先ほど絶望が蹴飛ばしたもう一本の弦が大きくしなり、ジャスパーさんを圧迫するかのように挟みこんだ。

「うぐっ」

「逝くのはお前一人で十分だ!」


 光の柱が尖塔から上がる。

 爆発音と共に、崩れ落ちる尖塔が粉々になり、僕と、僕を追いかけていた結晶の頭に、瓦礫が雨のように降り注いだ。


「ジャスパー」

 ははははははははははははははは。

 両手を振りかざし、焼け落ちた大聖堂の時と同じように、絶望が笑う。

 笑い続ける。

 過去の幻影は、どこへと行く。


「貴婦人の、構え…」

 全身傷つきながらも、トパーズ隊長が、身を起こし半死半生の体で、刺突剣レイピアを構える。体がしなりタメを作った。振るう弦を左の腕が操作する。

 波のように揺れる体。


「トパーズ」

 そのまま眠るように倒れた。その横で、絶望がそうささやいた。

「もう騎士団は誰もいない」


「逃げるぞ」

「もうとにかくなんだっていい」

「はやく!!!」

 二人で、地面を蹴った。

 転がるように走りだす。弦を伝って、尖塔から離れるように一目散に。

 暗い橋を抜け、逃げきれるとは思えなかった。それでも僕は。

「もう騎士団は誰もいない」


 何かがきらめいて、僕の足を貫いた。

「あっ」

 悲鳴を上げてその場に転んだ。倒れた拍子に口の中が切れて、血の味がする。肘と足は、乾いた地面にこすれ、ヒリヒリと痛んだ。

 身を起して足元を見れば、僕の足に光る弦が、突き刺さっていた。


 ゆらりと闇がうごめく。

「子供が最後か」

 その前に、結晶が立ちはだかった。

「僕は今まで、ずっと一人でさ、姉さんぐらいしか信用できる人なんていなかったんだ」

 こんな時に何を言うんだよ。

 もう嫌だよ、一体何度目なんだ。こうやって大事な人を目の前で失うのは。


「お前がそんな顔をするなよ」

 結晶が剣を構え、目の前に迫る絶望をにらむ。

「始めてできた友達なんだ。もうこれ以上僕からなにも奪わせやしない!」

「思いだけでは、何もできないぞ」

 冷たい声が、何もかもを奪い去り、破壊を続ける。


 絶望の一撃を受け止めた結晶は壁まで軽々と、弾き飛ばされた。

 酷く衝突し、よろめきながらも何かを呟いた。


「分かったんだ、何もかもが分かりつつある。僕は何もかもを解いたぞ」

「交響楽が始まり人の体を、音に変えて、より強く、壮大な音を紡いでいく」

 その光景を何度も目にした。

 けど、その前が大事なんだ。

 その前が。

 肋骨が折れたのだろうか、腹部に血が滲み、苦しそうに咳込みながら結晶がぶつぶつと呟く。

「文字だ。女の子は街へと巨大な文字を刻んだ。何もかもがあれが、発端だ」

 咳をする結晶。


「それならなぜあの女の子は、蝶へと姿を変えた?交響樂が始まる前に、何の言葉を叫んだ?」

「音になる前に、体は何かに再構成されるのか?」


 これはきっと、僕の決意を乗せた最後の…結晶が叫んだ。

 願いだ、音を形へと再構成する。お前が叫んだ言葉の意味を姉さんの研究が解き明かす!

 結晶が死相の浮かんだ眼で、叫び続ける。お前と女の子があの時叫んだ言葉の意味は〝願望〟願いの言葉だ。

 強い感情と言葉が、僕らの存在すらを変える。それならば、僕はこの身に何を刻む?


「大切なものを、守るために」

 結晶が剣を取り、自分のはだけた胸元へと文字を彫り込んだ。赤い血が滲み、言葉と同時にその傷が光輝く。


「Te 「大切なものを、守るために」

結晶が剣を取り、自分のはだけた胸元へと文字を彫り込んだ。赤い血が滲み、言葉と同時にその傷が光輝く。


挿絵(By みてみん)


 地面に亀裂が走り、壁が一瞬にして割れた。空間に圧力が広がる。

 結晶の肉体を、石のようなもの白い何かが覆っていた。体中の皮膚が何か硬質化していく。

 肉体が再構成され、むき出しになった骨がねじれるかの様に、組み立て直された。

 あの女の子と同じだ、裏側から違うものへと変異していく。震えが止まらなかった。


 人の姿を越えて、それでもなお、結晶は僕に向かってこう言った。


「君に会えてよかった」


 まともな言葉はそれが最後だった。

獣とも壊れた楽器ともつかない吠え声をあげて、透きとおった白い石の塊が鎧のように跳ねる。

 はじけるように地面を蹴り、そのまま猛然と剣を振るって、突き立てた。

 絶望の防御はそれをも阻んだ。

 それでも。


 騎士団と同じ門の構えから、鍵へ、鍵から愚者へそして最後は、憤怒の構えへと七つの構えが変化して、流れるように結晶の剣が絶望を追い詰める。

 光の糸が走るようだ。


 絶望の防御を圧倒する、結晶の剣は、足を切り、体を切りつけ、その勢いは止まらない。

 防御が弾かれ、剣の切っ先が絶望ののど元をかすめた。

 そのままガラ空きの胸元を結晶が切り裂いた。

「ぐっ」

 絶望がのけ反り、鮮血が飛び散る。

 それでも浅いか!

 追撃をかけるため、さらに踏み込んだ結晶を身で覆うように、絶望がふらりと動く。


 まるで抱きしめるかのように。

「虚無、君にもう一度会いたい」

 同時に無数の剣撃を超えて、結晶の顔に爪が深く突き刺さった。ガラスが砕け散るような音がした。

 けれど結晶は一歩もそこからは引かなかった。

 僕は震えるようにしてそこから、逃げだそうと、逃げなくちゃ。それでも体が動かなかった。


 顔を砕かれても逆に結晶は絶望の右肩に剣を突き刺し、そこから赤い血が、噴水のように吹きだした。

 二人が同時に叫んだ。滅茶苦茶な軌道で繰り出される斬撃が、絶望の全身を切り刻む。

 人の姿を越え、全身に返り血を浴びて、がらんどうの声をあげながら気が狂ったように結晶の塊が笑う。

 ガラスのように透きとおる、結晶の全身が血で赤く染まり、宝石のようにキラキラと光った。


 そして。

 そのまま砕け散った。

 僕の方を向いた眼が、何かを言いたそうに、そしてそのまま粉々になった。

 結晶?


 返事をしろよ、おい。

 どうして僕は逃げ出さなかったのだろう、必死になって時間を稼いでくれて、ネズミのように、逃げ回って城のどこかに隠れることぐらいなら、できたかもしれない。

 それでも心のどこかで、結晶が勝ってこの惨劇が止むことを期待していたのだろうか。

 僕はバカだ、大バカだ、なんでこんなことに、なんで……


 最後の一人だな

 遠くから、僕にかけられる声がする。

 傷だらけの絶望が、揺れるように歩く。

 ああ、お前が、何もかもお前が悪いのか、僕の全てを

 何もかもを返せ!!!


 僕も女の子、結晶、絶望と同じ言葉を叫んだ。願うことは一つ。

 力を僕に。歪みでも、呪いでももう何もかもがどうでもよかった。 

 自分の力ではどうにもならない、何かが憎らしかった。ただそれを呪った。

 何もできない自分と、そんな自分をめちゃくちゃにしてくる良く分からない運命みたいなものを、激しく嫌悪した。


 

 散った騎士たちの体が、音になり、僕の周りに漂う。

 ぜんまい仕掛けの人形みたいに何か色んな人の意思が交錯し僕の頭の中が、ぐちゃぐちゃになった。

 強い感情が次々と流れ込んでくる。全身の血液が沸騰するかのように熱く、体がバラバラに糸のように解け、再構成された。

 もう何も良く分らなかった。

「Aa A」

 何かうめき声のような音を発した。

 ずるりと蠢く僕の姿を見た絶望の目に宿るのは、恐怖だろうか。


 僕の中へ色々なものが流れ込み、この世界に定着する前に、絶望が僕を襲う。

 それを軽々と僕ははじいた。

 砕け散った金属の欠片が石畳に落下して乾いた音がする。


 何かを必死に叫ぼうとした。

 発した言葉は、何だったのだろう。

 ああ、そうか。

 心の底で叫んだ、汚れた自分の言葉、でも、もうそれだけでいい。


「Si Se Ra De A S」


  こいつを……


 僕の目線からそれるように、絶望が大きく後ろに跳ね、距離を取った。

 跳躍し、壁を蹴り、弦を走る。

 あっという間に遥か上空まで登りの最頂点、尖塔の先端から、僕の方を睨む。

 

 

 そのまま右手を大きく振りかぶった。一段と音の密度が深くなる。音圧だけで何もかも排除できそうなぐらいに濃い。

 振り上げた手に全ての力を集中させるかのようにして。


 魔導交響楽 最終章

 魔王


 五月蝿うるさい!!!

 うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!

 僕の言葉にならない叫び声が、周りの音ごと、何もかもをかき消した。

 はじけ飛ぶように跳ねた僕は、一瞬で塔まで距離を詰め、絶望に迫る。

 空中に舞う瓦礫を僕は蹴った。

 空を飛ぶようにそのまま軌道を捻じ曲げ、到底相手が知覚できない速度と角度で背後から強襲する。


 絶望の左半身がはじけ飛んだ。

 それでも、まだ立ちあがった。

 ふらりと倒れそうになりながらも、絶望はまだ意識も気迫も衰えていない。


 景色が歪む。まただ。

 過去の記憶が再び、幻想のように蘇る。城中に青い球体が満ちて、若き日の絶望が、絶叫を上げている。

 必死に騎士たちが、城の外へと人々を誘導する。到底間に合わない。

 頭をかきむしり、髪の毛を振りみだし、きれいな顔がただひたすら、ゆがんでいた。

「もう嫌だ、やめてくれよ」

「やめてくれ、もうやめてくれ!」

 神様……

 何かに向かって叶わない祈りを捧げても、力及ばず、夢は絶望へと変わる。  

 大事なものも守れず、ただ全てを失っていくだけの絶望の無様な姿がそこにあった。


 瓦礫が落ち切る中、絶望の方を、石に挟まれ、苦しそうな虚無が、精一杯笑う。つぶれかけた体のまま。痛みも何もかも、越えるようにして、最後に呟いた。


 絶叫が世界を覆った。

 つぶれかけた半身が最後の言葉を残して息絶える。


 何もかもを失った日の思い出が、再び世界に降臨する。

 僕はそれを見て何を思う。

「こんな、思いは!!」

 ボロボロになった現世の絶望が、叫ぶ。自分の背負った何もかもを、払拭するかのように。

「もう二度と、嫌だ!!」

 どれほど傷ついても、何もかもを失っても、折れそうな心と体を音楽が再生する。


 幻想が蘇り、過去と現世とが、入り混じった。 

「まだだ、まだ終われない、まだ負けられないんだ」

 凄惨な瞳で、僕を見た。

「何もかもを、俺は塗り替える。過去を、現世を、未来をも」

「何もかもをもう一度、望んだ形に」

 呆けたような表情で、弦を全力で蹴った。


 千切れかけた弦全てが同時に共振した。

 消えない音が僕の全身を蝕む。

 何もかもがバラバラになりそうで、体中が軋んだ。

 それでも、まだいける。と僕は思った。

 もっとだ、もっと僕に力を、何もかもを。

 こいつを倒す、何か決定的なものが欲しい。ただそれだけが欲しい。

 僕の姿が、再び形を変えた、その余波は何もかもをはじけ飛ばした。過去からの亡霊がまとわりつくように、思い出が形を作る。

 

 吹き飛ばされた絶望が、驚いたように顔を上げる。

「虚無?」

 放心したような表情で、僕の方を見つめる。

「虚無、君なのか!」

 僕の体は、今ほっそりとした黒髪の女性へと姿を変え。

「君に会いたかったんだ、ずっと」

「もう一度失敗した音楽を、成功させ、過去を変えて、もう一度君に」

「言えなかった言葉を」

 静かに続ける。

「君はきれいだ。だから……」


 銃声が弦の街に鳴り響き、言葉は途中で途切れた。

 僕の体と一体化した銃が絶望の眉間を正確に射抜いていた。


 弦の街から音が失われた。

 もう何も聞こえない。


 視点が定まらない絶望が、ぐるりと回り、風にあおられた。服がめくれ、焼け焦げたその下には、穴だらけの体があった。あっけにとられ、事態がうまく飲み込めないようだ。

 ふらふらと揺れて、尖塔の上を、無秩序に後ずさる。

 何か宙を見つめ、それから僕の方を見て、僕ではない誰かに向かって、何かを言おうと必死になる。震える唇がやっとのことで、言葉を紡いだ。

 まるで世界で最愛の一番大切な人に贈る言葉のように、最後に。


「Mu Ni Ca」


 くらやみと同じ言葉を。

 天を仰ぐようにして、目を閉じた。

 その一言を最後に、絶望は塔の上から、足を踏み外し落下した。体にもう力が入らないのだろう。

 遥か下の地面まで落ちるときに、穴だらけの体を、風が吹き抜け、笛のような音をたてた。

 今再び、弦の街に音が戻る。

 最後の鎮魂歌のように、物悲しい笛と弦の音が鳴り響いていた。


 風が鳴りやまない。強風が一層増した。風の音が笛となり弦を揺らす。弦はさらに風を起こし、恐ろしい勢いで増幅していった。

 失われた古代の技術。六本の巨大な弦が全て鳴り始め。

 音の粒子が街中に降り注いだ。

 それと同時に城を覆う過去の幻影が徐々に薄れていく。


 過去が消える前に、最後に僕は見た。

 父さんが、何か、長い、長い呪いのような音をつぶやき、空に絵を描いた。暴走する魔導の力が少しの間だけ止まる。

 逃げろ。

 父さんはそう絶望や、騎士たちに叫んだ。教徒が、人から粒子へと姿を変えて空の絵を彩る。


「それじゃあ、あんたはどうなる!!」

 絶望が叫んだ。

「これをどうにかできるわけがない、不協和音はもう止められないんだ!

無駄死にだ」


「誰かがやるしかないだろう、無理は承知だよ」

 そうやって父さんは最後に微笑んだ。


 お前の、そんな気持ちは悪くないな。そうやって誰かをまた助けてやれよ。

そう父さんが言った。手が高質化し黒い獣のように異質な姿へと。

 人は獣へ、言葉を失い、意識を失い。それでもなお、強い感情だけは残る。深い呪いのように。

 父さんの姿は、黒い黒い獣のような姿になり、滅茶苦茶になる城と一緒に、どこかに消えた。






 僕が我に帰った時には、時間が随分と過ぎていたようだ。もうあたりはすっかりと暗くなっていた。

 


 絶望が最後に虚無に送った言葉は、なんだったのだろう。

 僕にはもう、よく分からなかった。

 ぺたりと座りこむ。

 降り注ぐ音の粒子が、僕の体や城から過去の幻想を引きはがし、あたりはふたたび現世へと姿を戻す。

 ああ、ああ。

 もうみんな、誰も、いなくなった。

 僕は一人でこの世界に座る。

 夜に吹く風が寒かった。

 

 白い世界に一人ぼっち。僕はここから何を始めよう。

 何も考えられないまま、少し歩く。誰もいない塔の上。

 僕は勝ったのだろうか?

 無意味なそんな自問自答が、ひどく意味のないことに思えてきた。静かな音が鳴り止まなかった。


 星空が見えた。あれが小熊座であっちが大熊座。望遠鏡が半分壊れかけて、その辺に転がっていた。大事なものだったのに。

 でも、もうどうでもいい。

 本当に大事な物をほとんどどこかになくしてしまった。


 結晶、あおぞら、ジャスパーさんトパーズさん、騎士さんたち。

 城はつぶれ、街は火の手が上がり、もう何もかもがめちゃくちゃだ。

 こんな塔の先端で、星空に一番近くても。僕は何にも手が届かないまま、ただじっとしているだけだ。

 交響楽は終わりを告げたのだろうか?


 塔の上で、ふらりとあたりを見回した。夜空に星が浮かび、音の粒子がそこからあらゆる場所に降り注いでいた。

思わず何もかも忘れて、見惚れてしまう。


「きれいだなあ」

 そんな言葉が口をついて出た。

 降り注ぐ粒子が結晶の破片に触れた。

 うめき声をあげて、砕けちった欠片の中から、かすかな声がする。

 ああ、まさか。


「結晶、結晶!!」

 涙と鼻水にまみれて、結晶の欠片に駆け寄る。

 うわあああああ。

「なんだよ、汚いな」

 弱々しく結晶が言ったような気がした。

 

挿絵(By みてみん)


 尖塔の頂上で、僕に身をよせ、結晶がそばにいる。

「寒いな」

「そうだね」

 冷たい欠片を大事に胸に抱え、二人そっと肩を寄せ雲の晴れた、空を見上げた。

 見事な夜空が広がり、そこには、見たこともない星がいくつも、いくつも浮かんでいた。

 こんな夜空にくらやみを拾ったんだっけ。つぶやいた言葉がなぜだか、ふいに思い出された。

 Ra Ra

 結晶の姉さんが言っていた。親愛な人への挨拶の言葉だと。

 

 あのときくらやみは僕に……


 言葉を必死に思い出す。

 あの女の子の発した言葉と同じ単語。

 Si Se Ra

〝願望、願い事〟


 それから、弦の街に刻まれていた錆びついた文字。あおぞらが教えてくれた、古い厄よけのおまじない。

 Ma Se Nu

〝病気、否定〟

 願望、病気、否定。

 

 ああ、やっと思い出した。そうだった。

「風邪ひくなよ」

 そうやって昔も冬の寒い日に、父さんはそっと僕を抱えあげてくれたっけ。


 人は灰に、灰は空へ、空は星へとつながっていく。あの星のどれかが、自分の父親と母親だろうか、その姿を今ようやく見つけた気がした。

 なぜだか涙が止まらなかった。隣にいる結晶が驚いたような顔をする。寒い夜空でほんのわずかだけど、心の中が暖かくなったようなそんな気がした。


「姉さんは料理が得意なんだ」

 結晶が嬉しそうに語る。王都へ行ったらみんなでテーブルを囲んで晩ごはんを食べようよ。

 消え入りそうな声で話す。

 吹きさらす風と空の下。

 時間を忘れるようにして、結晶としゃべり続けた。


 夜空と星の降る中で、もう、弦の音はどこにも聞こえなかった。


挿絵(By みてみん)


最後まで読んで頂き。どうもありがとうございました。

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