後編:つまりは、これが彼のターン
ある日、掃除を終えた九十九に対して、執事長が言った。
「明日は主人が、お休みの日である」
「はあ」
九十九は例によって、気の無い返事をした。上司に対してあるまじき態度であるが、それでも解雇されないのは、それを引き換えにしてもまだあまりある技術力(=テレビ部屋の掃除完遂)があるからだ。
うおっほん、と咳払いをした執事長は白ヒゲを触りながら、なるべく厳かに聞こえるように告げた。
「主人が、是非ともきみの仕事を直接見たいと仰っている」
「申し訳ございませんが、掃除を完遂できなくなりますので、ご容赦ください」
「……ふむ?」
初めて頭を下げた九十九に、執事長はにんまりと笑う。「つまりあの掃除には仕掛けがあるのですな」と嬉しそうだ。あわよくばその技術を盗み、生意気な召使いを追い出したいのかもしれない。
「まあ……仕掛け、というと、仕掛けなのかもしれませんね」
常人ではできないことでございます、と慎ましい顔で九十九は言った。ああこの人の相手は面倒だなあ、などとは口が裂けても言えない。
「執事長、『鶴の恩返し』はご存知ですか?」
突然振られた言葉に、執事長は目を白黒させた。つまり見たら最後ということか、と執事長は理解した。あるいは人外の力が働いている、と言いたいのか。長くこの屋敷に勤める執事長は、意外にもその辺りにも寛容であった。
九十九の目はあくまでも非常に真面目である。彼は考えた。秘密を知る代わりに、また掃除婦を探して走り回る不毛な日々に戻るか。はたまた、“多少の”不思議には目を瞑り、ここしばらく安定しているテレビ部屋と主人の機嫌を継続するか。結論はすぐに出た。
「よろしい。主人には私から伝えましょう」
九十九はこのいささか食えない執事長の言葉を信用していたのだが、主人の方が更に上手だったようである。
次の日、九十九は“いつも通り”掃除を始めた。
そもそも、全てのテレビを綺麗にしようというのが土台無理なのである。
九十九は、テレビたちに声を掛ける。
「拭いて欲しい子はー?」
『はーい』『はーい』『いらなーい』
次々と上がる“声”に、「要らない子は返事しなくてよろしい! 何台もいるから分かんなくなっちゃうでしょー」と文句を言いながら、イエスと答えたテレビを拭いていく。「どこに汚れが?」という質問に対しても、自分の身体(?)のことだからか、テレビは的確に答えてくれる。
数台拭き終わった時のことだった。
「はー、なるほど。それが“掃除の秘訣”なわけだ」
びく、と九十九は震えた。恐る恐る振り返ると、ドアに背中を預けた青年が一人、にまにまと笑っていた。身なりのいい男だ。これくらいの屋敷を持っていても、おかしくないくらいの……。
動揺した九十九だったが、すぐに気を取り直した。無意識に眼鏡に手をやる。
「なんのお話でしょうか」
「あ、誤魔化す?」
青年は、その場から動こうとはしなかった。「時間制限もあるだろうから、俺のことは気にせず、どうぞ続けて?」と言外に脅しを含めて、笑う。
やなやつだ。九十九は素直にそう思った。
執事長の偵察は、彼がすぐに出て行ったから問題が無かった。しかし、ずっと見られているとなると、そうもいかない。
九十九は観念して、肩を竦めた。
「私は“物の言葉”が分かります。だから掃除すべき場所も分かります。故に短時間で掃除が可能です」
告白してから、「で、お前はそれを知ってどうする気だ?」と目で語った。正しく理解したらしい男は、九十九の反応に対して、意外そうに片眉を吊り上げながら、「別にどうも」と声を発して答えた。
「どうせ誰に言ったところで、信じるはずもないし。テレビに出したところで、きみが普通に掃除をしたら、なんだフツーじゃん、まあそりゃそうだよ、っていう評価を受けて終わるだけだしねー」
それよりも、うちでずっと働いてくれた方が俺が助かるもん。と彼は言った。九十九は「大の男が、“もん”って……ハッ」と内心で嗤ったけれど、顔には出さなかった。
「今、馬鹿にしたろ?」
出さなかったのに、バレた。
「……なんのことやら」
動揺を隠しきれず、視線を余所に向ける。何故バレた。
「あー、うん。なんか予想外に気に入ったかもしんない」
青年の言葉に、何故か肌が粟立つ。無論、悪い意味だ。扉がギシ、と鳴った。彼が動く気配がする。嫌な予感しかしなかった。
「近寄らないでください。私、物の言葉が分かるだけじゃないんですよ。それ以上近付くと、テレビが貴方を襲いますよ」
「うん、嘘。それは絶対に嘘」
確信に満ちた声に、実際嘘であるのでぐうの音を出ない。出なかったが、引き下がるわけにもいかず「声が分かるんですから、それくらいできますよ。いったい何を根拠に嘘だと言っているんです」と言い募る。青年は、呆れたような目で九十九を見た。
「んー、理由は二つあるけどね。一つ目は、もしそんなことができるなら、掃除の時になんで使わないのー、ってこと」
まあそれは“見られたら決定的だから”って理由を並べることもできるんだろうけどね、と青年は自分自身で一つ目の理由を破壊してから、二つ目、と続けた。
九十九の目を、四方八方からの光が襲う。思わず、う、と呻いて目を瞑り、それでも瞼を通して襲ってくる光に対抗すべく、片手で目を覆った。
『俺ですらこれが限界なんだから、声を聞くことに特化したきみには、絶対無理』
声が反響している。……反響? 何故?
そっと目を開くと、九十九は息を飲んだ。テレビというテレビの画面が光る。その上そこに映っているのは、全国放送でも地方放送でもなく、目の前にいるはずの青年だ。
「な、なんで……?」
『“そういう能力だから”。きみのソレと同じようにね?』
ブツン、と一気にテレビが切れた。屋敷のブレーカーが落ちたんだろうか、と九十九は現実逃避気味に考える。いや、それならばもっと早い段階で落ちているか。
「でも、驚いたな。俺と同じような異能者がいるなんて」
反響がなくなった声は、意外なほど近くで聞こえた。ひい、と悲鳴を上げながら離れようとしたが、時既に遅く、がっちりと腕を掴まれた。男女の力の差か、さすがに振りほどけない。代わりにあらん限りの怒りを込めて睨んでおいた。「おー、こわ」と返ってきたくらいで、効いているようには見えなかったが。
「でも俺にとっては本当に助かる能力だよなー、それ」
しげしげと見下ろされる。
「よし分かった。結婚してください」
「……はあ?」
情緒もへったくれもないプロポーズに、思わず素で返した。とはいえ、クビになってもいい(むしろこいつ怖いから自分のクビを切って欲しい)と思い始めた九十九にとっては、別に主人であろうが頓着するようなことではない。
その反応すらもおもしろいのか、青年はけらけら笑っている。
「お断りします」
「“お小遣い”は、今の給与の倍は出すよ?」
「お断りします」
九十九は再三、同じ言葉を使った。これでも乙女である。こんな結婚は嫌だ。こんなプロポーズも嫌だ。
「えー、でも俺はきみを気に入ったからなあ」
なおも堪えた様子の無い青年に、思わず苛立って「誰が能力目当ての男に靡くかー!」とがなった。
しばしきょとりとした青年だったが、次の瞬間、腹を抱えて笑い始めた。
「ははははっ、そこは女の子なんだ! あははははははっ」
あまりにもムカついて、涙が浮かんでくる。金に釣られてこの屋敷の掃除を引き受けた自分を殴ってやりたい。あと、失礼な白ヒゲ執事長に一泡吹かせたいと能力を駆使した自分も殴ってやりたい。でも何より今はこの男を殴りたい。
グーを作って振りかぶる。結構な勢いで顎を狙った一撃は、難無く青年に止められた。
「うん。ごめん。ツボかも」
あんまりにも柔らかい顔で笑うから、思わず見惚れた九十九は、直後に続いた「にしても、掃除専門にしては手が綺麗だなー」と親指で手の甲をさすりながら放たれた変態発言に、即座に見惚れたことは気の迷いだとカウントした。
かくして、ここに再度ゴングが鳴った。
落としたい彼と、落ちない彼女の日常が始まる。
──それでも、九十九は主人の甘い(?)言葉には落ちない。
「そろそろ絆されても良くない?」
「うるっさい! 掃除の邪魔!」
……はずである。
これだけ彼女を翻弄する彼であるが、名前が不明という悲しい現実。
◆三題噺
屋敷:舞台
テレビ:小道具?
(勝負に)燃えるメガネ(っ娘):主人公
作者コメント(という名の言い訳 Part2):
最後のお題は前後に何かついてますが、どうかお気になさらず。
眼鏡とか結局、光るくらいしか活躍していませんが、それがきっと本分なのです。(確実に違う)
実は眼鏡が能力発揮のキーアイテム!?と疑った彼が彼女の眼鏡を取り上げるシーンも予定されていましたが、彼女の目が見えなくなるだけだったため、カットされました。
ああ、楽しかった!
読んで頂き、ありがとうございます。