わたしの守りたい王子様 SIDEレイ
屋敷の大広間の前に立ち、使用人たちが壁に大きな肖像画を飾っていくのをじっと見つめる。父と母が並び、わたしを挟むように笑っている。母譲りの瞳と髪色、そして父譲りの顔だち。そして額縁の中央には、ノクター家の紋章が刻まれている。
わたしは家族三人並ぶ肖像画を見つめながら、こんな日が来るなんてと静かに昔について思い返す。
昔、といっても、わたしが幼いころだ。
母はわたしを生んですぐ体調を崩したことから、父は二人目を望むことはしなかった。
この国では、男が家を継ぐものとされているけど一人娘が生まれた場合は異なる。
婿を取って血を繋ぐけど、実質、その娘が女当主として家を取り仕切る。両親は男の子が良かった素振りなんて微塵も見せなかったけど、大人同士の話を聞いていればわたしが女として生まれたことは、やっぱり良くなかったんだろうなと薄々感じていた。
だって母は身体が弱い。
男の子が生まれていたら、二人目とか、そういう話をされずに済む。
でも私が女として生まれたから、母はそういう話をされる。跡継ぎは、とか、婿はどうするのかとか。
どうしたら何も言われなくなるんだろう。悩むけど答えは出ない。勉強を頑張れば、素敵なダンスが踊れるようになれば、誰よりヴァイオリンやピアノが上手くなれば、人として尊敬される存在になれば、母も父も悪く言われない。
ちゃんとした完璧な女の子になれば、男じゃなかったことを責められない。
だから私は完璧を目指した。
苦しかったけど、わたしは決して不幸ではなかった。
だって母と父を守るためだ。誰にも何も言わせない。
だけど、いつからだろう。
父は屋敷を空けることが多くなり、母はただじっと窓を見つめることが増えた。父はいつ帰ってくるのか母に聞けば、母はただ笑って何も答えない。
仕事が忙しいから父は屋敷に帰ってこない。二人はすごく仲がいいから、寂しくて母は体調が悪いのかもしれない。
父の仕事はいつか落ち着く。
父のことが大好きな母だから、きっと父が忙しくなくなれば母も元気になる。それに父だって、母が大好きだ。今は仕事が終わらないだけ。そう思っていたけれど、父が屋敷を空けることは続いた。それどころか頻度は増え、父が屋敷に居ると珍しいと感じてしまうまでになっていた。
私に出来ることは、最良の結果を残し続けていくこと。
いつか父が忙しくなくなったら、また、前みたいに一緒に過ごせるようになったら。
母が元気になった時、きっとお互いどう接して、どう話していいか分からない。それだけの時間が空いていた。だからわたしの話題で会話が弾むように、前みたいに、いつかまた昔みたいに、わたしのことを話題にして、楽しい話ができるように、ひたすらわたしは努力した。
でも、父も帰らない。母は部屋からあまり出なくなった。
そうして、希望への努力が義務に変わった頃、使用人同士の会話で知った。
金を作る為に母は父と結婚した。
家柄を得る為に父は母と結婚した。
父は結婚により名誉を買った。母は名誉を守るために父に身を捧げた。
そしてわたしが生まれた。
政略結婚により母は金を、父は名誉を得た。しかし最後の最後でわたしが女として生まれてしまい──計画が狂ったのだろう。
愛のない政略結婚なんか当たり前だし、わたしだってそうした結婚をするものだと思っていた。でも父と母は違うと感じていた。
いや、違ったのかもしれない。父と母は愛のない結婚をしていたけど、絆のようなものが芽生えていたのかもしれない。なのにわたしが女として生まれたことで、それを壊した。
そう考えると、すごくしっくりきた。
どうしてこんな風になっちゃったんだろうと不安だったけれど、ああ、わたしのせいだったんだなぁって、分かった。
わたしがいるから、ぜんぶだめ。
そう思っているのに、わたしは完璧である為の努力を欠かさなかった。欠かすことが出来なかった。頑張って頑張って、もっと完璧になれば、もしかしたら二人はもとに戻ってくれるかもしれないって期待した。
だからこそ「婚姻は、愛する者同士でするものでしょう」と言ってのけた、不安を帯びた声に、憂いを帯び揺れる瞳に、心底苛立った。
ある時、父が帰ってきて、わたしを呼びつけ「婚約の話を持ってきた」と、紹介してきた、アーレン家の令息……ミスティ・アーレン。伝統ある高貴な血族で、昔の評判は気位が高くその名を聞いただけで萎縮する人間が後を絶たない家。相手は一人息子。家格的に私が向こうに嫁に行くのは確実だった。ノクター家の跡継ぎをどうするのか聞けば、「良縁が結べるのならば婿入りに固執する気はない」と告げられた。
わたしの立派な女当主になるための努力なんて、なんの意味もなかった。
わたしは期待されてない。どこで諦められてしまったのか分からない。
生まれたときからだったのかもしれない。
顔合わせ当日、父と母が珍しく並んでいても、昔みたいに「今日をきっかけに前のような関係に戻るかも」と期待することはなかった。期待しない自分が嬉しかった。だってもう傷つかずに済むから。
しかし、わたしに宛がわれた婚約者、ミスティ・アーレンとその父と母の姿を見て、途方もなく泣きたくなった。
だって三人、絵に描いたような幸せな家族そのものだったから。
ずっとわたしが欲しくて、何度も何度も諦めては期待して、自分のせいでもう絶対に手に入らない光景が目の前にあったから。
アーレン伯爵が、夫人を見る目も、アーレン夫人が、伯爵を見る目も、夫妻が令息を見る目も、わたしの家とは違う。
愛し合った男女から産まれた息子。同じだと考えていた彼の何もかもは、全てわたしと違った。気に入らないと、秘かに思った。
実際顔を合わせてもその印象は覆らなかった。幸せなはずなのに、すべてを諦め元気のかけらもない淡々とした話の仕方。恵まれてるのに頑張ろうとしない。わたしが彼の立場なら、両親の為にいい印象を残そうとする。なのに彼はどうでも良さそうだった。
彼のことが理解できない。理解しようとも思わない。でも、顔合わせの最中はそれを覆い隠すように常に笑顔を浮かべていた。わたしは彼とは違う。それを証明したかった。同じになんてなりたくない。
『僕は、誰かの人生の邪魔になったり害になりたくない……ただ、普通に、誰にも迷惑かけずに生きていきたいので……』
顔合わせ中、彼はそんなことを言っていた。
令息と言えば大抵自信に溢れ、はきはきと喋り、こちらをリードしてくれる。
なのに彼は邪魔になったり害になりたくないと怯えていた。その様子に、なぜか自分が加害者だと突きつけられているみたいで、より一層不愉快だった。
顔合わせ後は両家好感触ということで、当事者の意思も同じであればという話だった。でもそれはあくまで表向き。結局のところ、お互いの相性が良かったということにしたいのだろう。どうでもいい、何もかも。わたしは彼について別々に尋ねてくる両親に対して「とても人柄のいい令息でした」とただ決まりきったような言葉を返していた。
それから、彼をまた屋敷に招待した、彼は終始わたしに怯えていた。
そして次の日珍しく朝の食卓に父の姿があった。その日は一年に一度必ず劇場へ足を運ぶ日だった。そして一緒に流行りの劇を見て、外で夕食をとる。何年も家族三人で行っていた習慣は、今は母と二人でが当たり前だ。父はその日も自分は昼に出ると冷たく通告し、母は表情を変えることなく頷いていた。
そうして昼になり、父が屋敷を出ようとした。何も変わらない、いつも通りの日常。しかし、その当然を壊すように突然ミスティ・アーレンが来訪した。そしてそのまま玄関ホールに駆け出すと、突然癇癪を起し始めたのだ。どこで知ったか分からないが、今日共に劇場に行きたいと、あまつさえわたしの父と一緒がいいと。
両手をじたばたと振り、声を荒げる姿に混乱した。
正直、こんな元気があったんだということに驚いた。
あまりに異質な姿に、父は仕事を取りやめると少年の願い通り劇場へ同行することを承諾した。
こんな風に、わたしも我儘を言えば良かったのだろうか。そんな考えを振り払いながら馬車に乗りこむと、彼はまたわたしと二人でいる時と同じように静かになり無言になった。
わたしの母が気を使い話しかけても空返事、父は顔を顰めているのが空気で分かり、彼の両親はわたしの父と自分の息子を見て、困った顔をするばかり。
婚約について不安を覚えた。あの癇癪が成長と共に激しくなっていったら。あんな癇癪を持つ男を夫にして、生きていかなければいけないのか。愛のない結婚なんて当たり前だけど、さすがにこれは無理ではないか。この結婚を持ちかけた父は一体何を考えているのだろうか。さすがに、婚約解消に動くのでは。考えながら横目に見たミスティ・アーレンの横顔は、反省している訳でも、機嫌を損ねている訳でもなく、ただじっと自分の気配を消し、何かを待っているようだった。
そしてしばらくして劇場に到着すると、母の甥が姿を現した。何度か会ったことはあるものの、どことなく雰囲気が変わっていて相手が名乗るまで分からなかった。父が甥を紹介し母がミスティ・アーレンに扉を開けるよう促した。しかし彼は、扉を開くことはなかった。それどころか扉に細工していた。
それころか、強い、凛とした声で甥をなじった。突然の発言に父も母も戸惑った。アーレン夫妻は顔を見合わせ、甥を警戒し始めた。
そしてミスティ・アーレンが追撃を放つと──甥の態度が豹変した。
「うるさい、うるさい、うるさい! 俺と彼は結ばれる運命なんだ!」
そう言ってナイフを取り出したあの男の目を、わたしは一生忘れないだろう。
車内が、先ほどとは全く違う緊迫した空気に包まれる中、ミスティ・アーレンだけが変わらなかった。彼はひたすら、車内の人間を守るように扉の手すりを全力で押えていた。甥は何度も馬車の扉を殴り、蹴り、扉を破ろうとしていたけど、やがて駆けつけてきた衛兵に取り押さえられた。
すべてが終わって父と母とわたしの三人でノクターの屋敷に戻ると、わたしは早々に部屋に戻された。
そして翌日、広間へ呼び出された。両親が二人、並んで座っていた。
二人の目には隈があり、母は目を腫らし、父は左の頬を腫らしていた。手形がくっきりついていた。そして二人は事件の経緯、今まで何があったかをわたしに話しはじめた。
甥は、何年も何年も、母に怪文書を送り届けていた。彼は恋文と主張していたが、紛れもない脅迫文だと父が語っていた。
そして父は、母に何者かから怪文書が送られていたことを知り、ずっとそれを調べていたらしい。その怪文書にはあたかも犯人と母が相思相愛であるかのように書かれ、あまりに自信ある書き方に、父は母に対しても疑いをもち、嫉妬で狂いそうになる気持ちを抑え、仕事をした後はそれを調べる生活を送っていたと言う。
この話を父がしている時、母は父を睨んだ。父は俯いた。
そして母は父が帰らぬ理由を自分が不要な存在だからだと決定付け、胸をいためていたらしい。
この数年間の隔たりは、双方に愛があるからこそ、拗れてしまったことが原因だった。
わたしはそう聞いて、ずっと気になっていたことについて尋ねることにした。二人の結婚は、それぞれの目的の為だったのかと。
しかし、二人から語られた真実は、全く異なっていた。
元々、父と母は使用人と主。父は代々ノクターに仕える使用人、母はノクターの令嬢という関係であった。
しかし幼い頃から母を想っていた父は、己の全てを利用して一度他の家へ養子に入り、莫大な資産を築き上げ、半ば母を買う形で婿に入り結婚したと言う。それを知られれば、当主が平民上がりということでノクターの立場が、そして母の立場が悪くなると父は考えた。だから噂を下手に否定するより、そう思わせていたほうが都合が良かったのだと二人はわたしに話をして、そして謝罪した。話をすることもせず、勝手に行動し、勝手に傷付き、結果的にわたしを傷つけたと。
わたしは……話の間に思わず言ってしまった。
わたしが男として生まれることが出来なかったから、二人が仲たがいしたわけじゃなかったのかと。
そうしたら二人は、愕然としていた。
そもそも母は身体が弱いわけじゃなかった。わたしを生む時、陣痛があり、それに父が過剰反応し、二人目は怖いと言ったのが原因だった。性別は関係なく、父がその後「婿取りにこだわらない」といった発言をしたのも、家を継がなければと気負い、わたしが良縁を逃すことがないよう、婿取りに縛られ可能性を狭めないようという配慮だった。
それから、嘘みたいに、今まで苦しかったことがなんだったんだろうと思うくらい、三人で居ることも、出かけることも増えた。
昔とは異なっているけれど、かつて望んだものが少しずつ形を変え、戻ってきているように感じる。
でもわたしは、父と母を見るたびに、ふと思うことがある。事件の日の、彼についてだ。
彼が、ミスティ・アーレンがいなければ、簡単に扉が開かれ母は殺されていた。誤解も解けないまま、きっと永遠に、父と母はすれ違っていただろう。だから、彼には感謝している。
しかし、父ですら特定できなかった犯人の存在を、いや、甥が母を殺そうとしていることを、彼は何故分かったのだろう。衛兵たちは「アーレン家のご令息ってそういうところあるんですよね」「人間の危機に立ち会うというか巻き込まれることが多くて」「使用人はほぼ全員、何らかの被害者で、引き取ってるような形で」と話をしていた。
その後、アーレン家の夫妻から連絡がきた。令息の癇癪についてのお詫びだ。言い訳のようになって申し訳ないが、ミスティ・アーレンがああいう癇癪を起したことは、今まで一度もなかったらしい。
あの癇癪は──劇場に同行するための、演技だった可能性が高い。
なら、今までも彼は母を助けてくれた時みたいに、自分の命を顧みず色んな人を助けていた、ということだ。あんなに……色んなものに怯えた目をしているのに。
私は父に、ミスティ・アーレンを婚約者に選んだ理由を聞いた。人を助けたりする勇敢なところに惹かれたのかとか、どこまで知っていたのか──とか。そもそも父は、ミスティ・アーレンの癇癪に本気で動揺していたし。
すると父の返事はこうだった。
『社交界で、ああいう男は珍しいだろ。控えめというか、がつがつしてない、女性を苦手としてそうな感じがいいと思って、アーレン家と知った時は驚いたがな……』
『簡単に女の手を自分から握れるようなのは駄目だ。ろくなもんじゃない』
つまり──わたしの為の婚約者だった、ということだ。
ミスティ・アーレンは、言っていた。『僕は、誰かの人生の邪魔になったり害になりたくない……ただ、普通に、誰にも迷惑かけずに生きていきたいので……』あの言葉は、彼の本心なのだろう。
そんな彼が、勇気を出してくれたのが劇場の一件だ。きっと怖かっただろうに、わたしたちを守ってくれた。甥が連行された後、ミスティ・アーレンはふらふらしていた。
支えてあげたいと思った。弱そうで頼りなさそうで、なにかに耐えている彼を。
とんだ手のひら返しだと自分でも思う。でも……それでも。
今後はわたしが、彼を守りたい。
わたしは、きっと叶うことがないだろうと考えていた三人で並ぶ肖像画を前に、いつか自分の家族の絵もこんな風に飾るのだろうと考えながら、三人の肖像画が飾られていくのを眺めていた。
本日、悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎるコミック8巻の発売です。よろしくお願いいたします。




