定められたもの
窓から外を見ても、彼の姿は見つからない。
空に昇った月は空と世界を青く照らし、明かりを消した部屋の中に入り込む。わたしは結局眠れないまま、ぼんやりと窓辺で外を眺めていた。ぼんやりとした明かりが生み出す青は、いやでもあの人を思い出させる。ここから見えないし届かないところにいる、彼を。
結局、わたしは何だったのだろう。
どうしてここにいるのだろう、なぜ彼に会いたかったのだろう。
今まで何度かあった変な感覚も、いったい……。
そんなことを考えていられるのも、今だけなのだろうか。明日にはもう、そんな余裕も無くなって、日々に追われるだけの一生になるのか。人形みたいに心を、凍らせたまま。
そんな自分を想像できないし、したいとも思わなくて。
わたしは、眠れないでいた。
疑問と後悔と思案。三つが入れ替わるようにやってくる。どうしてわたしはあんな衝動を抱えていたのか、その矛先が王さまに――暴食王に向いていたのか。
どこでわたしは道を間違え、世界はこんなことになってしまったのか。
今から、わたしにできることはあるのか。
ぐるぐるぐる、考えても痛みをこらえても答えも何もでてこない。
ただ、一つ思ったのは。
「わたしがここにこなければ、王さまは殺されずにすんだのかな」
そんなことだった。
言ってから、自分をどれだけ誇大評価しているのか、とか。そこまでの力や立場でもなかっただろう、とか。自嘲の笑みを、窓ガラスにぼんやりと映る『わたし』に向けて。
「お前に答えをやろう。答え無きまま、生き続けるは酷だからな」
その『わたし』が、すっと目を細めてそんなことを言い出した。
「……ふむ、なるほどな。元は一つなだけはある、か」
ガラスに映った『わたし』は、わたしを睨むように見ている。いや、探るように、と言ったほうが正しいかもしれない。声は同じだけど少し低く、顔も同じパーツを使っているのにどこか勇ましい感じがする。それ以上に、どこか高みから見下ろされている気分だった。
「あなたは、誰……ですか。元は一つって、どういう」
「あれを見たのではないのか? 一つが二つとなった光景を」
確かに見た、シエラリーゼに触れた時、金色の塊が二つに切り裂かれていくのを。
だけどそれが何だというのだろう。
わたしはそこまで賢くない。あの光景だけじゃ何もわからない。
「王の指輪で記憶も戻っているはずだろうが、説明しよう。お前は『ルシア』だ」
「……ルシア?」
「暴食の君に魅入られた、哀れな娘。かつて『わたし』だったものだ。哀れな彼女の魂を救うべく、神は一つのカタチを与えた。魂を救い、浄化し、清め、罪を償うための使命。それは己のその手で暴食の君――暴食王を殺すこと。わたしはそのためだけに、生み出された存在だ」
「じゃあ、あなたは」
そんな使命を持っている存在なんて、一つしかない。
だからなのだろう、彼女はわたしの問いには答えなかった。
「しかしその使命を果たすのに、どうしても『ルシア』が邪魔だった。そう気づいたのは少し前になるが。聖女の中に色濃く残る『ルシア』の感情、暴食の君への想いが、彼女らの判断と手を鈍らせて封印の道へ進ませる。ゆえにわたしは『ルシア』を己から切り捨てて、完全なるわたしとなって生まれた。それがシエラリーゼ・フランベル。最後の聖女となる娘だ」
つまり、こういうことなのだろうか。
わたしは『ルシア』の、王さまの大事な人の生まれ変わりで、その『ルシア』は目の前にいる彼女の一部で。その一部がずっと邪魔をしていたから、王さまは封印され続けて。
だけど彼女はついに『ルシア』を切り捨てて、だからわたしがここにいて。
だから――どっちにしろ、王さまは死ぬ運命だったと。彼女から『ルシア』がいなくなったから躊躇いもなく、わたしが王子に見初められようと何をしようと、結果は同じだと。
「そう、お前がここにいようといまいと、聖女は暴食の君を殺すだろう。それが最愛の男のためであるならば、彼女は躊躇いなく我が身を犠牲にするだろう。……そこは、『ルシア』の影響が残ってしまっているのかもしれないな。まぁ、結果が変わらぬなら問題は無いが」
じわり、と滲むように『わたし』の姿が消えていく。わたしは無意識に手を伸ばすけど、指先はカチンという音とともに、硬くてひんやりとしたガラスに当たるだけだった。
「お前にはお前の仕事、役目がある。あの男を道連れにするのはわたし――神の役目。それともお前は『シエラリーゼ』の願いを壊すというのか、多くの人々の絶望すら踏み越えてまで」
「それ……は」
「迷うことは無い。ここからはわたしの――『女神』の役目なのだから」
だから何もかも忘れ知らなかったことにして、これからを生きるがいい、と。
彼女は告げて、見えなくなる。
■ □ ■
――そして、朝になった。
わたしはいつの間にかベッドにいて、しっかり眠っていたらしく意識は驚くほどにすっきりしている。じゃあ、あれは夢だったのだろうか。窓ガラスに映りこんだ『わたし』が、女神を騙りいろいろと話していったこと。あれは夢だったのか、話された内容も全部、全部……。
きっと、人に言えばそれは夢だというだろう。
あるいは願望、と言うかもしれない。聖女がすわすはずだった場所に座る恐怖から、自分も特別な存在であると思い込みたい、わたしの庶民的な弱い心が見せた幻だと。
だけど、わたしはそうは思えなかった。
疑いながらも、あれは本当のことなのだろうと思った。
国を犠牲に眠らせ続けた『ルシア』が、わたしだったならば。そこまで彼を想う気持ちはきっと苦しいほどに強い、耐えることもできないほどに痛い『衝動』だったに違いない。
そしてたやすく暴食王を処刑することを決めたなら、シエラリーゼは『女神』だ。
彼女が何を思って、わたしが知らないことを教えていったのかはしらない。
でも、たぶんその真意はこうだろう。
――だから、お前にできることはもう何も無い。
諦めていきろと、彼女はいうのだ。王さまへの気持ちも、王子や聖女への怒りや憤りも全部飲み込んで、何も無かったように振舞って。そうして流されるように生きて行けと。
それすらも罰だと、あの女神は言うのだろうか。
己を今まで狂わせ続けた存在への、最後に与える罰だと。




