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そんな夢をみていた

 ありがとう、とミィは言った。

 それは、いつかの料理教室から数日後の朝。

 久しぶりに聖女様ご一行が来て、台所どころかそれぞれの自室待機になった時。一人でいてもつまらないからと、わたしは隣のミィのところに、こっそりお邪魔していた。双子はたぶんそれぞれの部屋で、本を読むなりしておとなしくしているのだと思う。

 そもそも、どうして自室待機なのかわからない。

 別に、台所で待機でもいいと思う。

 だけどサリーシャという女官は、部屋から出るなと命じた。完全なる上から目線で、わたしとしては双子――特にユイリックがおとなしいのが不思議なくらい、高圧的で嫌な態度。

 彼は、そういう圧力が、好きではないから。

 しかし腹が立とうとも相手は女官で、騎士もいる。抵抗しても無意味だし、わたし達はすごすごと部屋に戻ったわけだ。さっき外に出たけど、塔の中はしーんとしていて、上で何の話がされていて、どんなことが行われているのかをうかがうことはできなかった。

 ……興味はないので、別に問題はないけど。

 ただ、その場に残された王さまが、少しだけ心配になる。

 聖女が来るというのは、決していいことではない。少なくとも、あの人にとっては。しかしこんな場所で何かするとも思えないから、結局わたし達はおとなしく待つことしかできない。

 ただ、一つ耐え難いのは空腹感。なにせ朝食を準備しているところに来られたので、誰も何も食べていない。いっそ水でいいから、何かおなかに入れたいぐらいにペコペコだった。

 ラヴィーナが『何か差し入れしてくれないとわりにあわないっ』と怒っていたが、今回ばかりはわたしもそれに同意する。食事ぐらい、ちゃんと取らせてほしい。

 そんな、一つの飢えを抱えた時間。

 ミィは部屋に入ってきたわたしに向かって、こう言った。

「ありがとう」

 感謝の言葉。

 それは、一つの現実をわたしに教えてくる。

 ミィの夢は、もう終わったのだと。

 楽しかったんだよ、とミィは笑おうとしていた。引きつった、悲しそうな笑みだ。楽しかったけれど、これは都合のいい夢だから。夢は終わらせないと、覚めないといけないから。

 まだ、たった数日じゃないか。

 そう思ったけど、何もいえなかった。

 これはミィの夢で、彼女の願いで。


 ――わたしの物語じゃあ、ないのだから。


「それでいいの? もういいの?」

 問いかける。ミィは、笑顔で返事をした。大丈夫、もう満足した。いい夢を見て、それで終わったと。彼女は笑いながら泣いて、泣くように微笑み続ける。ぬぐうものがないことが、余計に悲痛で痛々しい。何もぬぐってあげられない自分の、無力さがむなしい。

 抱き締めても、きっと何にもならないのだろう。

 痛みを、和らげることもできないのだろう。

 わかっているから、わたしはただ彼女の話を聞いた。

 彼女が見た、とても幸せな夢の話を。

 あれから、ミィとカディス様をできるだけ二人っきりにしようと、それとなく双子と画策してきた。二人っきりが無理でも、ミィが彼と接点を持てるようにいろいろ調節して。

 そんな風にして整えられたその『夢』は、とても優しい。

 例の料理講座は、割といい感じに終わったらしい。というのも、途中でクリア様共々、上のリビングに戻ってしまったから。でもミィはすごく嬉しそうにしていたし、カディス様も満足そうだったので、きっと楽しい時間を過ごせたのだろうと思う。

 ちなみに、その日の夕食はカディス様がわざわざ差し入れてくれたお魚を、ハーブなどで風味よく焼いたものだった。言うまでもなく、それを作ったのはミィだ。

 次の日、ミィはお魚のお礼をカディス様に言っていた。そして二人は何か、料理についていろいろ話すようになった。カディス様は貴族だけど、感覚は庶民に近い――というより理解があるというか。ともかくわたし達と、とても話しがあう人で。

 ミィのことがなくても、離れるのが寂しいなと、惜しいなと。

 そう思ってしまう。

 そして彼が帰ったらミィは、こんな話をしたとか、あんなことを教えてくれたとか。その日にあったことを、とても嬉しそうにわたし達に教えてくれる。子供みたいに、きらきらした明るい笑顔で。傍目には、彼女の片思いはゆっくりと、彼に向かって歩き出していた。


 近寄っていた。

 ……だから、何か期待してしまったのか。


 外野ゆえの気楽さ、他人事感から。ありもしない未来を描いて、勝手に空想して。それが叶わないとわかって、わたしは落胆しているのか。本当に悲しむべきは、ミィだというのに。

「だから、ありがと」

 にっこりと笑うミィは、もう泣いていなかった。通り過ぎた昔を懐かしむようだ。もう手に入らない何かを、届かない何かを、思うような。綺麗過ぎるほど、綺麗な笑み。

 わかっているけど、どうにもならないと。カディス様はそのうち身分のつりあう相手と結婚して、こっちはそれを情報として聞くだけだって。わかっているけど、でも。

「ラキ、ちゃん……?」

 わたしは、思わずミィを抱き締める。

 抵抗しないその細身を、力いっぱいに抱き締める。

 どうして、こんなに綺麗な『夢』を枯らす世界なんだろう。

 どうしてミィの『夢』は、こうしてひっそりと消えていくしかできないのだろう。

 いっそ、告白でもできれば、少しは痛々しくはなかっただろう。でもミィはきっと、何も言わずにそっと『なかったこと』にしてしまうつもりなんだ。何があっても、カディス様には何も言わないでいるつもりなんだ。告白することで、自分の存在を相手に刻まないために。

 ミィは優しい。

 悲しいくらいに優しい。


 そして――とても、強い人。


 わたしはずっと、思ってきた。ミィの恋を知ってから。わたしだけは、その思いを理解しなければいけない。その笑顔にある涙を、さらに奥にある残念を、理解しなければいけないと。

 理解することで、同じ強さが欲しかったのだと。今ならわかる。

 わたしの『夢』がいつ終わるのか。それはわからない。今日か明日、いきなり終わる可能性だってある。これから聖女が来るたびに、わたしは同じ思いを抱えておびえるのだろう。

 終わる時わたしは、ミィのように笑うことができるのだろうか。

 同じ強さを、持てているだろうか。

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